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イヌの覚悟・ヒトの覚悟


 ―――― 帝國歴 336年 10月 7日 日没後

                古都ソティス郊外







「……無様な戦況図だな」


 戦況卓で再現された日中の合戦を眺めながら、ゼルはワイン片手に呟いた。

 合戦進行図表によれば、フリート少佐の隊は日中だけで十リーグ以上を走った事になる。相当鍛えられている馬でも無ければ日中に馬の方が潰れていただろう。


「小規模戦闘ながらよく動いたもんだ」

「少なくとも下手な連中よりよほど厄介ですな」

「全くだ。ネコの騎兵よりもはるかに手強い」


 スペンサー卿やビーン子爵を交えた反省会の席と言う事で、ふたりとも遠慮する事無く本音を語っている。そして、ゼルを交え戦術論をかわす事で学びの場としているのだった。


「フリート少佐。実際手合わせしてみてどうだった?」


 その席へは日中の戦闘に出ていたフリート少佐とアジャン少佐も同席していた。

 直接剣を交えたものの言葉は貴重だ。そう信じているゼルの方針は、この十年でル・ガル国軍全体が採用するようになっていた。


「自分が接触した時の事ですが……」


 少々面食らっていると言う方が正しいフリート少佐はこの春に佐官へと昇進し、こうやって王を交えた夜間の打ち合わせに始めて顔を出していた。


「少佐。遠慮なく言ってほしい。どんな事でも良いんだ。感じたままを」

「……なんと言うか岩でも打ち据えているような、そんな感触でした」


 フリート少佐もまたワインをチビチビと飲みながらそう報告した。

 そして、前々から思っていたことだが、参謀総監のゼル公はイヌのフリをしているだけで中身はヒトだと確信した。

 ただ、それについてはアレコレと言う程でも無いが、ヒトの扱いはル・ガルにおいても奴隷かそれより多少マシというのが普通だ。


「馬も人も強いということか」

「そうですなぁ……」

「むしろ馬の方が余程打たれ強いかも知れない」


 ゼルがボソリと漏らした言葉にビーン子爵とスペンサー卿が応じる。

 そんなやり取りをしつつも、全く分け隔てなくゼル公に接している子爵とスペンサー卿を不思議な顔で見ていた。全く違和感を覚えること無く、この貴族ふたりはゼル公と会話を続けている。イヌとかヒトとか関係無く、実力のある者同士が真剣に討議している。


 ――ヒトであるからなんだと言うのだ?


 ふとそんな事を思ったフリート少佐の眼差しは、やや眩しげなモノに変化した。

 イヌに無いものを必死で吸収しようとしているビーン子爵やスペンサー卿。

 その姿は『学ぶ』と言うことの本質を体現していた。


「やれやれ…… 武が策を凌駕するとは、こう言うことか」


 チョークをポイッとテーブルに捨てて椅子へ腰を下ろしたゼル。

 頭をボリボリと掻きながら深く息を吐き出した。


「……説明、いただけませんか?」


 ゼルの言葉に誰よりも強く反応したのはビーン子爵だ。

 黒い瞳の中にキラキラと光る星を幾つも浮かべてゼルを見ていた。

 それこそ、ゼルが今にも吹きだしそうなほどに純粋な眼差しで。


「えぇっと…… まぁ、ガッツリ説明すると長くなるから簡単に言うと」

「いえ、時間が掛かっても良いのでガッツリお願いします」


 一瞬だけ怪訝な顔になったゼルは一つ息を吐いてゆっくり頷き、声色を変えて長い長い物語を語り始めた。


「私が生まれた時代から遡ること約二千年の時代。私の生まれた国のすぐ近くにあった大きな国がまさに戦乱の時代を迎えていたのですが、その中にあって多くの人々は不安定で理不尽な日々を送っていました。だけど、そんな時代に神は三人の男をその世界へと登場させます。任侠に生きる無頼。名家の跡取り、そして、超高級官僚の孫。国家統一を争って壮絶な闘いを繰り広げる物語ですが――


 ゼルの口から出てくる物語に皆が引き込まれる。

 それはまるで統一王ノーリの物語にも聞こえるからだ。

 ただ、その途中から毛色が変わってくるのを皆は気が付いていた。


 ――その物語の中に、常識外れの武力を持つ武人が登場します。千の兵を組織して絡め取ろうと試みるも全て斬り伏せ悠々と歩み去る……規格外の強さですよ。それを前にしたとき、戦術を司る軍師が漏らすのです。武が策を凌駕するとね」


 ゼルの口から出た物語の全体像を掴むほど、ビーン子爵もスペンサー卿も、そしてふたりの少佐も予備知識がある訳では無い。だが、一つだけ解る事があった。幾万もの策を弄して攻め立てても、有り余る武力で全て踏み越えていく者は確実に存在すると言う事だ。

 そして、その存在こそが統一王ノーリで有り、そして稀代の武帝シュサだった。幾度も幾度も困難にぶち当たり、その全てを力業で乗り切った男。ノーリやシュサは如何なる戦場であろうとも勝つことだけを愚直に求めた。


「……ある意味でフレミナの騎兵達はノーリ王と戦った際の辛い経験を引きずっています。それ故に寒立馬を生み出して、次は負けないと言う戦術を作ってきたのでしょう」


 ビーン子爵の言葉にゼルはせせら笑うような表情を浮かべた。


「なら、今回もまた苦汁をなめてもらいます」

「……何か策があるのですか?」

「有りますよ。いくらでもあります。現実に今頃は……


 その続きを口にしようとしたとき、扉を開けてカリオンが入ってきた。

 室内にいた全ての者が席から立ち上がって王を迎えたのだが、ゼルだけは座ったままだった。


「遅かったな」

「えぇ。皆を労ってました」

「そうか。お疲れさん」

「疲れてませんよ。騎兵の方が余程疲れている」


 皆が討議をしている頃、カリオンはイワオを含めた僅かな供の者だけを連れ、日中の戦闘に走り回った者たちをねぎらった。そして、その後には負傷者を収容している幕屋に自ら出向き、痛みと戦う者たちに見舞いを送った。

 明日の英気を養う騎兵だけで無く、負傷した兵達からも大歓声が上がり、同時に役に立てぬと自らを恥じた負傷兵達を励ましていた。その全てがこっそり耳打ちしたゼルの差配なのだが、カリオンは一回りしてからその意味を嫌と言うほど理解していた。


「明日はどうやって戦うか。その為に兵の状態を見て回るのも王の仕事だ」

「……やはりそう言う事ですか。多分そうじゃ無いかと思ったんですが」


 席に着いたカリオンを見届け、全員が再び腰を下ろした。

 カリオンは戦況卓をジッと見たまま、戦い方を思案していた。


「必勝を期すには三倍の戦力でしたっけ。何とかの法則」

「ランチェスターによる会戦の法則だ」

「ですが、これでは三倍だと足りませ『いや、問題ない』え?」


 ここで始めて立ち上がったゼルは戦況卓の上で明日の基本戦術を説明し始めた。


「基本的には一週間の戦闘だと思えば良い。今日はザックリ言えば一割を戦闘不能にしたと言う所だろう。明日も一割を削れれば上出来だ。このまま五日間行えば敵兵力はまぁ半分程度になる。その状態で……」

「一気に決戦ですね」

「いや、餓えてもらう。干殺すんだ」


 サラッと言い放ったゼルの言葉だが、全員が一様に『えっ?』と言う顔をした。

 ただ一人、ゼルだけが涼しい顔をしている状態だった。


「異論を挟むようで申し訳無いが、それはあまりにも騎兵を愚弄している」


 ジョージスペンサーは全ての騎兵の気持ちを代弁するように食って掛かった。

 もちろんフリート少佐もアジャン少佐もあまりいい顔をしていない。

 その全てを折り込み済みと言わんばかりのゼルは涼しい顔だ。


「もちろん騎兵連隊諸氏の歯痒さは考慮している。ただ、私自身としては若き王の忠臣を一人も失いたくは無いんだ。こんなくだらない事で減らすのは勿体ない」


 一人も失いたくは無い。

 その言葉にジョージスペンサーは凍りついた。

 ゼルが考える勝ち方の予測が立ったからだ。


「もしや…… 総監殿は」

「あぁ。恐らく卿の考えた作戦と同じだろう」


 ゼルはニヤリと笑って立ち上がり戦況卓の前に立った。


「我々は敵とは戦わない。だが、敵の補給線は全て潰す。城の中で糧秣をバカ食いする騎馬をどれ程養っておけるか、実に見物だ」

「騎兵では無く馬を潰す……」


 辛そうな声音でカリオンはそう呟いた。

 だが、それすら見越したようにゼルは言葉を続けた。


「騎士の矜持に悖る行為である事は重々承知している。だが、この作戦には三つの意味がある。まず、フレミナの次期王がル・ガル国民と上手くやっていく意志があるかどうかを確かめる。その気があるなら城の住民が餓えるほどはやらんだろう」


 戦況卓の隙間にチョークを走らせたゼルは、テーブルの上に直接メモを取った。


「二つ目はどうやったところで徐々に馬が弱っていく。その状態で彼らは力業による決戦を挑まないだろう。そういう保険だ。精強なのは馬だ。もちろん騎兵も鍛えられているだろうが、鍛え方具合ならル・ガル国軍騎兵も負けてないだろ?」


 どうだ?と訊ねたゼルの眼差しにたいし、ジョージは胸を張って首肯した。


「三つ目は、まぁ、最悪の事態とも言うが、フレミナが城内で暴虐の限りを尽くした場合、若き太陽王がフレミナの人間を一人残らず根絶やしにする大義名分になると言う事だ。向こうにはカウリが居るからあまり非道い事はせんだろう。しかし、あの現フレミナ王は癇癪持ちと聞く。もし、城丸ごと食べ尽くす勢いで何かをするなら……」


 ゼルの説明にビーン子爵が手を上げた。


「フレミナが城の糧秣を喰わず誇り高く死滅する事を選んだ場合は?」

「その場合はおそらくフレミナ側の反応が激烈に悪化するだろう。それこそ最後の一兵まで矛を持って戦うんじゃ無いだろうか」

「……あぁ、なるほど。わかりました」


 再び椅子に腰を下ろしたゼルは斜に構えてカリオンを見た。


「非常に辛い決断になるだろう。だが、後顧の憂いは絶っておかねばならん。穏やかに融合していく事が望ましいが、現状すでにル・ガルとフレミナは水と油の関係だ。混じり合う事は絶対に無い。故に厳しい措置を取らねばならない」


 カリオンは総毛だったような表情のまま首肯した。


「中途半端な事をすれば必ず将来禍根の種となる。必要なのは理想的な結果を得る為の最短手であって、その過程に付いては無視するのが望ましい。ひどい話だが、フレミナ側で共存を選ぶもの以外は遠慮なく死んでもらうし、むしろ死んでもらったほうが良い。人の執念を甘く見ないことだ」


 恐ろしい言葉を淡々と吐いたゼルはワインと自らの溜息をカクテルにして、厳しい表情のまま一気に飲み込んだ。そこにいるのはシリアルキラーでも無慈悲な支配者でもなく、己の罪に慄き痛惜の念に駆られる一人の男だった。


「やはり、そこまでしないとダメですか?」


 カリオンの声が僅かに震えていた。あまりに恐ろしい事をしようとしている事実に、カリオンの精神が悲鳴を上げたのだ。だが、その姿を見たゼルはどこか安堵を覚えた。

 少なくとも一族皆殺しなどと言う非道な事を。民族浄化に等しい悪逆非道の限りな政策を喜んでやる悪王では無い。多くの市民の嘆きや哀しみや、そして憤りを感じ取り、さらには怖れている……


「カリオン」

「はい」

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。かつてそう教えたと思うが……」

「……解っています」


 カリオンは目を閉じてもう一度ゆっくりと首肯した。


「解ってますよ。ここでフレミナの根を切っておかねば……」


 目を開けたカリオンは悲しげな眼差しでゼルを見た。

 どこか懇願するように、哀願するように。ジッとだ。


「だけど、根を切るのはフレミナの王達では『それが甘いんだ』


 ピシャッと断じたゼルもまた沈痛そうに一つ息を吐いた。


「俺が聞いた限り、フレミナの指導体制は驚く程に民主的で、かつ、実力主義だ。今の王が斃れてもすぐ次の王が決まる。つまり、フレミナの中に反ル・ガル感情が残っているウチは安心できないと言う事だ。今の王が死んで次の王が登場したとき、恨みを晴らせと更に活動を加速させるかも知れないだろ」


 言われるまでも無く解っている事だ。ただ、改めて口に出して言われると、恐れ慄く事だ。甘い顔をすれば将来の禍根を残すのだし、なにより、決定的にフレミナを追い詰めたノーリ王の甘さがフレミナの暗躍を許してしまったとも言える。

 前王ノダの思い人を謀殺し、そこに自らの一族を送り込もうとしたのもフレミナだった。だからこそ……


「フレミナの民衆に植えつけねばならないのだよ。ル・ガルとは争いたくないという恐怖心や諦観の念だ。出来れば穏便に付き合いたいと、そう願わせる。その為には人道に悖ろうと、悪鬼羅刹と誹られようと、すべて……」


 ゼルは小さく溜息をこぼした。


「ネコの国から切り取った街は上手くやって居る。あれと同じさ」

「そして、私の代で全てを終わらせないと」

「そう言う事だ。で、その誹謗の全ては俺が被る。お前の手は綺麗なままだ」


 ボソッと言ったゼルの一言に全員が凍りついた。

 その責の全てと言い切ったゼルはどれ程の覚悟でここへ来たのか。

 ジョージは思慮浅くゼルに噛み付いてしまった己の至らなさを恥じた。


「なに、難しい事をする訳じゃ無い。ほんのちょっと汚れ仕事だ。ただ、これは将来にわたってル・ガルの安全を担保する重要な事になる。そして、それを実行する者は非常に辛い記憶を背負う事になる。だけどな」


 ゼルの目が捉えたのはジョージだった。

 優しい眼差しで見つめるゼルは薄く笑っていた。


「その責を追うのは俺だ。ゼルのフリをしている俺だ。あの世で様子を見ているだろう本物のゼルには悪いが、ここまで頑張ったんだから少しくらい大目に見ろって言っておくさ」


 冗談めいた口調だったのだが『あの世に行ってからそう言うさ』と付け加えた一言で、そこに居た全てのイヌは寿命の短いヒトの哀しみを知った。


「父上……」

「お前は覇道を征け。堂々とそのど真ん中を歩いて、真っ直ぐにな」


 カリオンの大成を見届けられない育ての親。

 ゼルの吐いた言葉を聞いたジョージやフリートやアジャンや、そして多くの者たちが姿勢を正してゼルに敬意を表していた。

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