淡い憧れ
~先輩、怖いです~
弓を引く。
弓がボクの意識に逆らう。その限りなく緻密な戦いの緊張感が、ボクを駆り立てる。
「・・・・・・」
もう引けない。
指先に神経を集中させ、軌道修正。
修正。
そして修正。
息苦しさをこらえ、ボクは矢を放った。
「・・・・・・」
約五メートル先の地面に、深々と突き刺さった棒きれ。
あ~もう、虚しい!
「こりゃまた、見事にミスったねぇ」
塩見先輩が苦笑いする。ボクも笑みを浮かべる。
「いえ、ほぼ初めてですから。・・・・・・精進しますよ」
「おう、頑張れ」
ふと、塩見先輩に教えてもらおうかと思った。
なんたって、彼は才人。性格に抗っているのか、気持ち悪さがあるものの、頭はスゴくいい。
「すみません。上手くなるには、どうすればいいんですか?」
塩見先輩は、首を振った。
「まだ初めて間もないんだし、焦んなって」
「でも・・・・・・その、早く上手くなりたくて・・・・・・」
熱意が伝わったか、塩見先輩は、
「じゃあ、荒川に教えてもらえよ」
他人任せだった。
荒川先輩といえば・・・・・・。
「いや、その、少し怖い先輩ですし・・・・・・」
「否定はしないよ。実力はダントツなんだけどな」
「・・・・・・お前ら、俺を怖いと思ってるのか」
今なんか、何か死刑宣告的なものが聞こえたような。
気のせい、だよね?
「まぁ、少しは。っていうか、かなり・・・・・・」
その時、塩見先輩の前に、一筋の千が通過した。
ボクは、目だけ動かして、飛来物の正体を確認する。
一本の、矢。
「なるほどな」
冷たい声はよそに、ボクは興奮していた。
こ、これは・・・・・・!
~先輩方、あの、ボクは?~
「おま、危ねぇって! 掠ったぞ、鼻に」
鼻の頭から、赤い線が引かれている塩見先輩。
「あ~悪い。ちょっとミスった」
「どこをミスったらこうなるんだよ・・・・・・」
わざとらしく心臓を押さえる先輩。そんなことよりも・・・・・・。
「スゴいです! なんて矢のコントロール力なんだ!」
「いや掠ってるから。それより瀬田、普通は先輩の心配をしないか?」
そんなものなのかな?
大げさに肩を落とす塩見先輩に対し、荒川先輩はダルそうに言う。
「人に後輩押しつけんなよ。テメーでやれ」
「そうしたいとこだけど、ちょっと野暮用があってね」
「野暮用・・・・・・ですか?」
ボクの質問に、塩見先輩はウインクする。
「瀬田、悪いけど教えないよ」
「理由ないだけなんじゃねぇの?」
「そ、そんなことねぇって・・・・・・」
「言ってみろ。どうせ部長には言わなきゃならねぇんだから」
意地悪な笑みを浮かべる先輩。
「そうだね。・・・・・・・・・・・・よし」
「おい、今目一杯考えただろ」
「そんなことねぇよ。・・・・・・・・・・・・。・・・・・・風呂掃除、とか?」
「とか、じゃねぇよ! 目ぇ泳いでんぞ!」
毎回毎回犬猿の仲というか、なんか楽しそう。
「まぁ、公園と近くの川掃除だったりするんだけど」
「じゃあ、最初からそう言え。っていうか、ボランティア部でも作れ!」
そう言われると、塩見先輩は悲しそうに目を伏せる。
「そうしたいのはやまやまなんだけど・・・・・・作るのは大変でね」
「あ? お前なら顧問ぐらいすぐに捕まえられんだろうが」
ボクには薄々気がついていた。
この学校は全員入部制。つまり、なにかしらの部活から引っこ抜いてくるしかない。
入りたくもない部活を作るため、部活をやめるもの。部活にボランティアを選ぶもの。あんまり多くはいないと思う。
「顧問をしてくれる人は見つかったんだけどね・・・・・・」
塩見先輩は、穏やかな笑みを浮かべると、身をひるがえした。
「ま、今に分かるよ」
そう言い捨てて、弓道場を出ていく塩見先輩。
荒川先輩が、一言、
「ワケ分かんね」
と呟いたのは、無視した。
~全然分かりません・・・・・・~
・・・・・・なんでですかね? 話を独占しておいて、帰っていった先輩が残していったこの空気。
「やっぱ、隆介変わったよな・・・・・・」
「そうなんですか?」
荒川先輩は確か、塩見先輩と同じ中学校だったはず。
「あぁ。中学ン時は、いつでもギャグかましてたな」
・・・・・・中学と高校の間に、なにがあったんでしょうか。
「話を戻しますけど、弓道を教えて下さい」
先輩は頭を掻くと、渋々といった感じで頷いた。
「まず、瀬田はグッグッってするところをギギーってやってんだよ」
「・・・・・・はい?」
「それから、俺は弓をギュッパってやってんだが、お前はングッ、パッだから上手くいかねぇの。オーケー?」
全く分かりません。
「じゃあ、矢がギュンとなるよう、今度はスィ~とやれよ」
感覚的すぎて、全くついていけないんですが!
ボクは、気持ちを落ち着かせて、冷静に言う。
「あの・・・・・・もう少し分かりやすく教えてくれると助かるんですけど・・・・・・」
「じゃあ・・・・・・まぁ、『習うより慣れろ』だ。体で覚えろ」
「・・・・・・。格好いいこと言ってますけど、要するにただの教育放棄じゃないですか!」
やっぱりテキトーな先輩でした。
「まぁ、見て盗めっていうし、俺を見ても構わんが・・・・・・邪魔はすんなよ」
やってやろうじゃないですか。
少々の怒りを覚悟に、ボクはその日中、荒川先輩につきまとった。
そうして、今日得たもの。
怒り。
~理不尽すぎます!~
ボクは先輩を見続ける。
「じー」
荒川先輩は、露骨にイヤそうな顔をする。
「なぁ・・・・・・おい、瀬田」
「じー」
先輩は、しばらく何かを考えるような仕草をすると、観念したらしい。
「・・・・・・俺が悪かったよ」
「じー」
「悪かったからやめろ!」
帰り道、ボクは先輩に付いて--憑いていく。
歩きで、駅へと向かう。
「先輩は電車なんですね」
「あぁ・・・・・・お前はチャリ通だろ?」
ボクは勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「ふふ、駐輪場に置いてきました」
「・・・・・・これから馬鹿相手には考えて接するわ」
そう言ったところで、先輩は誰かにぶつかった。
「誰にぶつかっとんじゃワレェ!」
ボクの頭の中でドラクエの音楽が鳴り響く。
『頭のイカレた不良が現れた!』
「悪い・・・・・・帰り道なんだ」
「そんなのは知らねぇよ!」
先輩は舌打ちすると、部活鞄から弓と矢を取り出す。・・・・・・弓?
「先輩!? 何出してるんですか!」
「馬鹿相手には考えて接するぞ、俺は。心配すんな、これは隆介のだ」
なぜ塩見先輩の弓がここに? っていうか、明らかに弓は鞄にはいらな--いや、気にしちゃいけない。
「ふざけんなぁ!」
金髪が突っ込んでくる。
先輩は矢を弓にかける。刹那、矢が宙を舞う。
「危ない!」
ボクが叫ぶのと、不良がしゃがむのは同時だった。
しかし、矢は不良の遙か手前に突き刺さる。
視界には、不良に特攻する先輩。
「死ね」
冷たい一言とともに、弓をフルスイング。
わき腹に弓が当たると、弓は大破し、不良は倒れた。
「おいコラ、テメー、弓折れたじゃねぇか」
「理不尽!」
先輩の正面突きで不良は呻くと、静かになった。
・・・・・・やりすぎですよ、先輩。
~まぁ、そうなりますよね~
ボクらは裏路地に逃げ込むと、息を整えた。
「だから、どうしてこうなるんですか!」
「心配ねぇ。隆介含め、誰も名は割れてねぇし、私用のジャージだ。ラッキーだな」
「その辺、計算外だったんですね!」
ボクは、静かに諦めた。先輩、弓道上手いし、格好いいのに・・・・・・。
「どうしましょう。塩見先輩の弓、折れちゃいましたね」
ボクは、さっき拾った、大きい破片を眺める。
「しゃーねーだろ、折れちまったんだから」
「そうですけど、どう説明しましょう?」
「折れました、だ」
「まぁそうなんですけど!」
ここで二人そろって深く嘆息。
「折れちまったもんはしょうがねぇ。腹決めろ」
ボクは頷くと、地面の木片を踏んづけた。
「・・・・・・え?」
間の抜けた塩見先輩の声。まぁ、ですよね。
「その、折れました」
「ドンだけ手荒に扱ったんだよ! 木製バットが硬球を打ち返す時代なのに!」
でも弓は細いし・・・・・・。
「いやぁ、俺が人に向かってフルスイングしたら、折れちまった」
「なにその状況! その人、鉄板でも仕込んでたのか? それとも、弓が弱いのか?」
さぁ・・・・・・?
~お疲れさまでした~
塩見先輩は、小さく息を漏らすと、あっさりと言った。
「まぁ、いいけど」
「いいんですか?」
「俺、今日からボランティア同好会会長だしな」
え? それって・・・・・・。
ボクらは彼を見る。先輩は、笑っていた。
「疲れたら気分転換に来ようと思ってたんだけどな。特別に荒川がボランティアを手伝ってくれるなら許すよ」
荒川先輩は、ボクを見ると、塩見先輩のように笑った。
「わーったよ。背に腹は変えらんねぇ。で、なにすりゃいいんだ?」
ボクは、ニコニコして、この穏やかな時間の流れを楽しんでいた。
やがて、塩見先輩は口を開いた。
「ベビーシッター」
「!?」
穏やかな流れは、唐突に壊れた。
「よし、じゃあ行くぞ!」
「ちょっと待て、勘弁してくれ!」
首根っこを捕まれながらも、必死に抗議する先輩。
「俺の経験から、自らの性格で丸くなるみたいだよ」
「キレてやがる! こいつ、笑顔でキレてやがるぞ!」
よく見ると、塩見先輩の額には、血管が浮き出ていた。
・・・・・・怖い。
「おい、瀬田! 何とか言え!」
荒川先輩・・・・・・。
「・・・・・・先輩が丸くなったら、尊敬できると思います」
「なっ」
先輩は言葉を失う。
「よし、行こう」
「チ、チクショー!」
荒川先輩が塩見先輩と共に消えた後、ボクは弓を持ち、構える。
「昨日見たとおりなら・・・・・・」
右手は動かさず、弓を思い切って引く。豪快に、慎重に。
矢が手から離れると、矢は的の縁に当たり、地面に落ちた。
「・・・・・・や、やったぁ!」
まだここまでしか出来ないけど、これから一歩一歩、しっかりと歩いていくんだ!
翌日。
「ぉ~ぃ、瀬田君」
「・・・・・・荒川先輩?」
「わたしは・・・・・・改心したよ」
「何言ってるんですか!? こんなの荒川先輩じゃないですよぉ!」
その後、異なる大学を経て、ボクと荒川先輩は会社で再会することになる。
それはまた・・・・・・別の話。