刹那主義のプリマドンナ
ガキの頃からホラーは泣くほど嫌いだった。
でも、今日は怖くても、ホラー映画を楽しめるレベルだった。
……真帆と倉木さんの恐怖すげーな。
真帆を見る。静かに鑑賞しているようだ。流石。
……って、あれ?
「気絶してやがる……」
えぇぇええ!?
なんで!? ホラー苦手なの!?
珈琲を啜る。あぁ、心に染み渡る。
真帆は、カップを目の前においたまま。
「飲まないのか?」
「……猫舌」
ふーん、じゃあ本題。
「ホラー嫌いなら最初から言えよ」
要は二人して苦手なホラー映画を見て、途中で出てきた、と……。
なんて馬鹿な話だ。
「……ごめん」
彼女が俯く。鎖から、手に力が入っているのが分かった。
「あ、いや、俺も苦手って言わなかったしな。悪い……オカルト好きなら、ホラーもと勝手に解釈しちまってさ」
俺は溜め息を吐く。
真帆が、小さく、ポツリポツリと言う。
「……昔から……駄目なの……。……ホントは、オカルトも、少し……」
「……そっか。じゃあ、どうしてオカルトを? あ、いや、嫌ならいい」
彼女は、鎖に引っ張られないよう気を付けて、珈琲を啜った。
「……今は、まだ……。……隆介は?」
「俺は理由なしに無理。ちょっとした怪談も――ってかこれ、生徒会に入った時に言わなかったっけ?」
真帆とはずっと別のクラスだけど、自己紹介で言ったよな?
……ってそれ俺が合わせようとしたのばれてんじゃね?
「……多分その時、私、いない」
「あー、そっか。真帆は中途採用だったな」
真帆は荒川が辞める時に代わりに入った人だ。
そういや一時期、どうして荒川が辞めたとか、どうして真帆が代わりとか噂になったっけ。
「……うん」
「忘れてたよ」
二人は特に関わりもなく、口も割らなかったから、結局謎だけど。
それよりも。
「真帆はさ、さっきの時、合わせようとしてくれたのか?」
頬杖をつこうとして、真帆が引っ張られたので、自制する。
彼女が、ゆっくりと頷いた。
「そっか、……ごめんな」
つまりは。
俺は真帆が、真帆は俺がホラー好きと勘違いして、ホラー嫌いを我慢しようとしたのか。
……不思議と笑いが込み上げてきた。真帆も、俺が初めて見る、声を上げての笑いだった。
……意外と可愛い笑顔だった。
真帆が、身を乗り出して言ってくる。
「……隆介、左手」
左手を出せばいいのか? そうすると、真帆が右手を伸ばす。
さっき聞いた乾いた金属音の後。
鎖が外れた。
「……もういいのか?」
「……要らない」
自らの手錠も外した彼女は、ポシェットにそれをしまう。
今では、素手の方が違和感を感じた。
「そろそろ、生徒会長を決めようぜ」
場は喫茶店。丁度いい。
「……私は、書記長希望。……教祖で、上にいるのは、もう、嫌……」
初めは、真帆の我が儘かと思った。
それなりの人をまとめ上げてるんだから、会長になればいいと思った。
でも、それは俺の我が儘だった。
「……今、辛いか?」
真帆は、僅かに、でも確かに頷いた。
「そっか……」
珈琲を飲み干す。……後悔しないな、俺。
「じゃあ、俺……やるよ。会長を」
小さな宣言と共に、真帆が目を大きくする。
彼女の手が、少しばかり震える。
「……いいの?」
「あぁ。でも、正直な話、やりたくねぇ……。ただ、真帆と違って理由が我が儘だから」
真帆が大きく首を振る。
「……私も、我が儘」
困った顔を浮かべ、俯く彼女。
俺は、笑った。
「いいよ。ボランティア部は、あくまでボランティアなんだからさ……」
「……会長は、ボランティアじゃ……ない」
分かってる。それに、俺はカリスマ性もないし、まず会長の器じゃない。
元会長や真帆のようになりたい訳でもない。
でも……。
「ボランティアなんかじゃないよ。でも、俺はやりたいからやるんだ」
真帆がハッとした顔つきになる。そして、さっきよりも俯き――
彼女は、席を立った。
「……私、帰る……ね」
走って何処かにいってしまった。
彼女の姿が見えなくなるくらいで、携帯が鳴る。
「はい」
『追いかけなくて、いいのかしら?』
倉木さんが、いつものように冷静に聞いてくる。
「……追えませんよ、今の彼女は」
『そうね……』
ただ一つ、ただ一言で、こうなる。
女心は分からんけど、それは分かる。
俺は一人、珈琲のお代わりを注文した。
砂糖もミルクも面倒だ。ブラックのまま、飲む。
……苦ぇ。
まるで、やけ酒だ。
『……で、良かったの?』
「何がですか?」
俺は、新生徒会長についての書類に目を通しながら、返す。
『会長職のことに決まってるじゃない』
「……そう思ったのなら、慰めの一つや二つはくれませんか?」
俺の独りよがりな台詞に、倉木さんは苦笑する。
俺は、書類に署名し、判子をしっかり押した。
『……分かったわよ』
倉木さんは、いつもと違い、慈愛に溢れた口調で言う。
『ボランティアは、一人で出来ても、成就しないでしょ? 会長職で、学校を纏めて、それをボランティアに生かせたら――』
「たら?」
俺は、一呼吸置く倉木さんの声に耳を傾ける。
次の言葉を聞いて、俺はわらった。
『成就するかもね』
「……抽象的ですね」
『貴方次第だもの』
間違いはない。いや、合ってる。
俺は苦笑する。
「あんた、いい人だな」
『な、何を今更』
倉木さんが、珍しく動揺している。少し残念だけど、感謝の念だから、受け取ってもらおう。
「だって、分かってたでしょ、全部」
一瞬の沈黙。
『……まぁね』
飾り付けのない、嫌味のない口調。素の言葉。
この人から、そんな言葉が聞けるなんて……嬉しくもあり、悲しくもあった。
「じゃあ、切りますね。……貴女の跡は、継げませんでした」
『……忘れたわよ、そんな事は』
余裕溢れた声。俺は、小さく合いの手を返す。
彼女が何か言いたげだったので、切らずに少し待ってみる。
『……タカスケは、さっきから真面目なのね。少し、つられちゃったわ』
「これが……本当の俺ですよ。今の、ね」
倉木さんは、そう、と小さく呟く。
再び、俺は倉木さんが、の言葉を待ってみる。
『最後だから言うけど、これは秘密にね。私、真帆に頼まれたの』
「え?」
『私の介入。遅刻。手錠……全部私の案。盗聴器は、タカスケと真帆。それから、改札に一つ』
……全部仕組まれてたのか。
真帆、それは会長にならないためか? それとも……。
『それから――』
「……最後じゃなかったんですか?」
『そのつもりだったんだけどね。改めて言っておきたくて……』
俺は、受け身の体制で、次の言葉を待つ。
『……いえ、やっぱりいいわ』
電話が切れた。
もう、俺と倉木さんを繋ぐものは何もない。
「……。……そっか……」
俺は頭を掻く。……全く、何を言おうとしたんだか。
でも……。
やるだけやってやるさ。
「香蘭高校議事録」
fin...