Dream~真実は可憐な唇より紡がれる~
――浮かんでいく。ふわふわ。
――沈んでいく。ずんずん。
目が開かない。何も聞こえない。なにも――感じない。
どこにいるかもわからない感覚だ。たぶん、現実ではないことはわかっているけれども、場所だけはどうしても判別しかねた。
――夢に似ている。
たしかに、この現実感の異様な薄さは夢を見ているときと同じだ。この五感のすべてが機能せず、ただ記憶の整理で生じる光景を見るだけ。しかし、夢を見ているという自覚があるということは明晰夢ということなのか。
急に感覚が戻ってきた。触感だけが戻って、失われていた平衡感覚がよみがえる。まるで濁流の中に放り込まれたように、上下左右にかき回されている。
それが急に収まったかと思った時、投げ出されるように急加速した。
「うわっ!」
落とされたのは絨毯の上。毛足の長い、豪奢なもの。
煌びやかなシャンデリアの光は柔らかにして眩い。どう見ても最高級品だと言ってよかった。
周りを見回してみると、お姫様の部屋という言葉がしっくりくる場所だ。
「あ……」
人が、いた。当たり前だと言えばそれまでだが、間抜けな声を出してしまったのはそこではない。雰囲気が明らかに違うのだ。この部屋にふさわしい、人の上に立つべき存在であると。その身を飾るドレスも結い上げた髪も、すべてが霞んで見えるほどの衝撃。
きっと一生かけても、これほど間近でお目にかかれる機会などないはずだ。
「す、すみません。今出ていきます……」
あわてて奥のほうにある扉に行こうとしたのがいけなかった。転びそうになった先には、あの彼女がいる。
ぶつかる、と思ったが衝撃はない。すり抜けたのだ。それどころか目で彼女を折った先にあった鏡に、フレデリカの姿は映っていない。
この場が明らかにおかしいことに、フレデリカはようやく気付く。
音声映画の一場面のように、自分はこの場を見るだけの傍観者。そうとしか思えなかった。
ならば、彼女は何者なのか。そもそも、なぜこの光景を見ているのか。
その疑問はたった一言で吹き飛んだ。
『サイファー』
声をかけたその先を、思わず見てしまう。なぜ、一目見ただけでもわかるほどの高貴な彼女の口から、サイファーの名が出るのか。視線の先にいたのは、間違いなく彼だ。サイファー・アンダーソンがいる。今の彼と比べてみても明らかに違う。どこか厭世的でシニカルに笑う姿と違って、ソファーに座り込む彼にはまだ現世を生きるための気力があるように見える。
ただ、それも終わりを迎えようとしていた。
ここがサイファーにとっての転換の瞬間だったのかもしれない。これが夢やまやかしではなく、本当の過去の一幕であればの話ではあるが。ただ、自分が過去の光景を見ているという確かな自覚はあった。おそらくは、この光景も黄金の双眸が持つ権能の一つかもしれない。
『やはりダメなのか。後生だぞ』
『それでも、あなたを道連れにするわけにはいかないの』
『契約を結べば、お互いに一蓮托生。だから、僕はここまで来たんだ』
『女王と共にあり、女王と共に死ぬ。それが女王陛下の魔犬。けれど、私は契約を結べるだけの力がなかった。そこにあなたがやってきてくれた』
彼女はサイファーの右手を両手でそっと包み込む。
慈しみを込めた眼差しと。謝罪の念を込めた表情。
サイファーの顔はいまだに暗い。
『ようやく生き過ぎた人生に終止符を打てると、シャーロットと共に生きて役に立てて死ねるなら本望だった。それも叶わないとはな。こんな化け物を野放しにしておいたら、大英帝国を真っ二つにするかもな』
『ありえないわ、そんなことは。あなたは私を愛しているから、だから私を悲しませることはしない』
信じがたい思いでいっぱいだった。
あのシニカルな笑いの根底にあるものが、生を手放したいという願望からくるものだったとは。きっと見た目通りの年齢ではないというのはなんとなくわかっていたし、おそらくは普通の人間より死ににくいのだと。でも、死を望むほどに生き過ぎていたとは。
だからこそ、最高の形で人生に終止符を打とうとしたのだ。
二人の会話内容から察する限り『契約』を結べば、彼女の死はサイファーの死となるのだ。そのかたちを彼が望んだ理由は一つ。
愛してしまったから。
手の届かぬ彼女を愛してしまったから。叶うことない想いを秘め、サイファーはせめて添い遂げようとしたのだ。彼女の役に立って逝こうと。
その一縷の望みさえ断ち切られても、サイファーに怒りがないのは想い故か。自分の身勝手な感情で、愛する者の笑顔を曇らせたくない。彼女が愛する大英帝国を打ち砕いてまで望みを突き通さないのも、きっとそのためなのだ。
『さぁ、そろそろ時間よ』
『ああ、行ってくる……女王陛下』
『ええ、私は夫のもとへいかなくては、ね』
涙が頬を伝って、落ちる。絨毯にはシミ一つできない。
ああ、なんと運命は残酷か。
愛した人は別の男の伴侶で。その仲を引き裂いて攫うことも、せめて添い遂げることさえ叶わない。望む最後さえ迎えられず、また生き過ぎた人生を続けさせられる。それほどに終わりを乞う理由は――。
――置いてかれるのが、嫌なんだ。
――何回も、そういう目に遭ったら。
――きっと生きることだって、嫌になってしまう。
親しい友人が先に逝く悲しみを、フレデリカは想像さえできなかった。自分だけが変わらぬまま、周りだけが老いさらばえて、死んでいく。真綿で首を締めるような時という名の毒の、確実性と絶対性に抗う術があるというのか。それをサイファーは何度味わったのか。恋人、友人、親、家族とその数はきっと計り知れない。
待ち構える孤独に最後を乞うたとしても、不思議ではない。
もし、彼のそばにいて、添い遂げれるだけの資格と能力があるのなら。
――せめて、私が。
そんな浅ましい想いが芽生えるのであった。
◇◆◇◆◇
「おう、お目覚めか?」
メイザースから連絡を受けて指定の場所に移動する車内で、前日の疲れもあったのかフレデリカはすうすうと寝息を立て始めた。しかし、途中からうなされだしたうえに、寝ながら涙を流すという状態に陥った。
さすがに何かあったのかと思ったが、起こすのも悪い気がしてゆっくり運転するという結論に、サイファーは至ったのであった。
「寝ながら泣き出すなんて、器用なこった」
「すいません……」
「気にするな。寝てることも、泣いた理由も詮索しないでやる。言いたくなったら言え。ヘンリエッタだっているんだ」
隣にいたヘンリエッタも声をかけてきた。二人は後部座席で隣同士にしておいた。
「私だって、力になる」
「ありがとうございます」
ヘンリエッタはそう言ったものの、サイファーは望み薄だなと思っていた。言ってくれるのには時間がかかるだろう。恥ずかしがり屋なのか、抱え込む性質なのかはわからない。せいぜい怖い夢を見たという程度であればいいな、と思うことにした。
こういう繊細な心の機微というものは、同性に任せておけばいい。今まで自覚し訂正を勇気づけられたことがあったか、と自分に問うてみれば『ない』と速攻で返答できるのだから。
あの後、アルバニアン・マフィアの支部長はメイザースにきちんと引き渡した。おそらくは洗いざらい吐かされたはずだ。しかし、心当たりは方々から恨みを買いまくっているせいでありすぎてわからない。
少し前のホーランド博士の事件で『鋼鉄区画』で一戦交えたのが原因だろうと、おおよその見当をつけてはいるのだが。しかし、それ以外はありすぎる心当たりの内の一つなのでわからないのだが。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか」
そろそろ目的地か、と思ってガーニーを停めた。いたのはメイザースではないが、政府機関の人間と思わしきスーツの男だ。おそらくは王室関係者か、身のこなしから近衛兵だと推測できる。
「お待ちしておりました」
「メイザースはどこだ?」
「そこへは、我々が送り届けます」
車体の長いリムジン型のガーニーのドアは、手も触れてないのに開いた。わずかな蒸気音から運転席のスイッチで、蒸気圧式開閉機構が作動したのだろう。こんな洒落た装備を備えたガーニーを迎えに使うとは、思っていた以上のVIP待遇ということか。
三人そろって車内に入った。天井の低さなど関係ないように、バーテンダーがカクテルを作ってくれている。だが飲もうという気は全然しなかった。
「なんで、わざわざ別のガーニーを用意したんでしょうか?」
「あの性悪魔術師のことだ。僕に当てつけの一つでもあるんだろうよ」
「……どうしてメイザースさんと、そこまで仲が悪いんですか?」
「僕は嫌ってないんだが、あちらは相当嫌ってる。というより恨みとか憎しみのほうが正しいかなぁ。細かいところは漢の事情というやつだ」
「仲直りもできそうにないですね」
「二人ともその気がないのだろうよ」
「ヘンリエッタ、それは言い過ぎじゃ……」
「いいんだ。間違ってはいないことだから」
ヘンリエッタの言う通りだ。メイザースの頑固さは付き合いの長さからわかっている。だから彼の誤解を解こうとすると、かなりの精神的労力を費やすことはわかり切っている。あちらのイヤミを聞き流すか、嫌がっているポーズでも取っておけば勝手に留飲を下してくれるだろう。
それでも踏み込んではいけない領域はわきまえてくれるはずだ。と思っていたが、それは勝手な認識だった。見えてきた洋館の屋根の造形を一目見た途端、封じていたと思っていた思い出がフラッシュ・バックする。
――サイファー。
声を、思い出した。
最も早く忘れる人の思い出は、声だという。それを未だにありありと思い出せるということは――。
「まだ、みっともなく引き摺っちまってんのか……らしくねえ」
「どうか、したんですか?」
「顔が青いぞ」
何かにつけて気を遣うフレデリカはともかく、ヘンリエッタまで加わるとは珍しい。親しいもの以外には割と淡泊なのに。
顔に出るのも無理はなかったが、まさか顔が青くなっていたとは。もはや苦い思い出を通り越してトラウマと化しているとでもいうのか。心が強いという自惚れはないが、弱いという認識はしていなかった。だが、これでは精神を患った人間のようだった。
まだ自分は弱い。力で飾って、強く見せているだけの、裸の王様だ。銃を覚えて、剣を極め、力と付き合っても、心の奥底に巣食った弱さは拭え切れていない。生き過ぎた時を幾星霜重ねたとて、今まであった人間たちの強さに肩を並べられるわけがない。
戦慄の日々に身を置くことすら厭わず、事務所の門戸を叩いたヘンリエッタ。
力と向き合うことを選び、そのためなら幾多もの死線をくぐる覚悟を決めたフレデリカ。
それに比べて――『臭いものに蓋』の理論で封じた思い出を想起されるだけで、顔を青ざめさせている始末だ。化け物だ、怪物だ、と忌み嫌われた自分が思い出一つでここまで打ちのめされている。
――くそったれ、近年稀に見る最高の嫌味だぜ。
本当なら口を突いて出たはずなのに、出てこない。それだけ気力も気概も萎えているということか。
「お三方、到着です」
「…………ああ」
見慣れた正門に懐かしさを覚えながらも、足取りは鈍重そのもと言っていい。
庭園中央の噴水も、蔓薔薇の花畑も、かつて見た光景と全く変わっていない。まさかメイザースがサイファーのために、ここまで再現させたというのか。ああ、もうまったくもって最高の嫌味だ。
「気分はどうかね、サイファー?」
「最悪だよ、メイザース」
「それは重畳だよ」
スリー・ピースにインバネス・コート、さらに片眼鏡までかけているとなっては、もはや気障で胡散臭ささえ感じてしまう。
ここはロンドンの郊外にある洋館だ。本来であれば王族・貴族のみが立ち入れる場所だが、住まうものがいないのをいいことに集合場所にしてしまったらしい。
「懐かしいだろう?」
「ああ、懐かしすぎて、思い出したくないものも今のように思い出せる」
「サイファーさん、ここって一体……?」
「古巣だよ」
ぼかした返答をしておくのが無難だ。真実を言ったところで、受け入れる以前の問題だ。おそらく理解が追いつくまい。常識を外れた超常のレベルの問題なのだ。
玄関をくぐって、エントランス・ホールで真っ先に目に入るのは肖像画だ。
二メートルを超す巨躯のサイファーよりもさらに大きいそれは、貴婦人の姿を描いた肖像画だった。その顔を忘れることは、サイファーにはできない。これから先も自分を苛むのだ、負い目として。
ただフレデリカの反応が異様だったのは気になった。顔は青ざめて、目の焦点が合っていない。何かあり得ないものを見たように、うろたえている。彼女との面識は確かにない、と言い切れるが百パーセント確実ということはあり得ない。おそらくはフレデリカ自身もサイファーも予見しえない、何かが起こったとみるべきか。
「ここもまるで変わっていない」
「そうだろう? あれから誰も住まないまま、維持だけがされていたようなものだ。こうして臨時の集合場所や会議場、それかサロンに使われるくらいだ」
「いっそ取り壊してくれればいいのに」
「建前を言うな。忍びなく感じるのは、お前のほうだろう」
「それは否定できんな」
案内されたのは地下だ。ここも残っていたとなれば、きっと用途も変わってはいないはずだ。
椅子に縛り付けられた支部長がいる。昨日のフレデリカと立場が逆転しているようで、非常に皮肉が効いていて笑える光景だ。
「気分はどうだい?」
「…………何も喋らんからな」
この地下は取調室という体裁を整えただけの拷問部屋だ。サイファーたちの背後には血錆の浮いた拷問器具の数々が、久しぶりの役目を待ちわびている。
ならば存分に使ってやろうではないか。
「メイザース、換気機構はまだ健在か?」
「もちろんだ。使うと思って用意しておいた」
「ありがと……フレデリカは出てろ。見せるもんじゃないんでな」
「……わかりました」
部屋に支部長と二人きりになって、扉が閉まったのを確認する。
道具箱から釘を出した。太さは多少太いくらいだが、長さは一〇センチ近いもので表面には幾何学模様めいた溝が彫られている。肉に食い込み、苛むための。
椅子から支部長を開放すると、あらかじめ近くに寄せておいたドラム缶に抱き着かせるようにして縛り付ける。だが、拘束はまだ不十分だ。
――だから釘を。
――手のひらに、先をあてがって。
――叩き込む。
獣の絶叫が上がったことに眉を顰めることさえせず、今度は手首のあたりにもう一本打ち込む。それを反対の手でも行って、足は裸足にさせてから甲と足首に左右二本ずつ打ち込んだ。その頃には激痛のあまり、白目を剥いて、何もかも垂れ流しになって気絶していた。
ブリキのバケツ一杯になった水をぶっかけて、意識を無理やりにでも覚まさせる。唸り声を上げて目覚めたことから、痛みによるショック死は免れたらしい。ただ、その点は間違いなく不運であったと言えるはずだ。
「さて、言いたくなったら、いつでも言っていいからな」
煌々と赫く灼けた石炭をドラム缶の中に落とす。
また一つ、また一つ。じゅう、と肉の焼けるきな臭さが広がる。
悲鳴を上げながら洗いざらい吐き出した時には、地下にはいっぱいに人の焼け焦げる異臭で満ちていた。
◆◇◆◇◆
メイザースさんと二人きりはとても気まずく感じてしまう。
サイファーさんはここに来た時から、様子が変だった。たぶん、移動中の車内で見た夢のようなもの、それで見た光景にきっと関係している。
そう確信できたのは、ある部屋に通されたから。
「ここは……!?」
既視感。私の頭の中を満たして、凄まじい衝撃を与えてくる。
見覚えがある。ある、というよりは、ありすぎていた。ここに来る前に見た光景だ。あの夢で見た部屋が、現実となって目の前に存在している。
あの肖像画もそう。描かれていたのはサイファーさんと一緒にいた、あの女性で。
ここはあまりにも、ぴたりと合い過ぎている。示し合わせたように。
「見覚えでもあったかね?」
「……いえ、なんでもありません」
「隠し立ては、無用だ」
キラリ、と。片眼鏡が光ったような気がした。
見透かされている、と確信した。
「その眼に見えぬものはない。もっと言うと『見たいものは、ほとんど見れる』ということだ」
「何が、言いたいんですか?」
「サイファーと肖像画の彼女を、過去の光景で見たな?」
言うしかない。追及を躱せる自信はないから。
「たぶん、過去なんだと思います」
「サイコメトリーの一種だろうな。この建物に染みついた過去の風景に、君の眼が反応して見せたのだろう」
メイザースさんの言うことが本当なら、まだ私は力を使いこなせていないということだ。見ようとも思っていないのに、見せられてしまったのだから。
「その中に俺の知りたい真実がある…………女王陛下の魔犬という言葉をサイファーは君に話したか?」
首を横に振った。聞いたことのない単語だったから。
永久幻想遺物、という言葉なら聞いたことがある。でも、それが何なのかは教えてもらっていないけれど。
「なら、そこから説明する必要がある――簡単に言えば、女王に仕える犬だ。有事の際には大英帝国の最大戦力として力を振るう、化け物なのだ。そして女王と共にあり、女王と共に死ぬ。そういう存在だ」
「……でもサイファーさんは生きている」
「察しがいいな。肖像画はサイファーがかつて仕えていたシャーロット王妃を描いたもの……完成したのは独立戦争終戦から一年が経ったころだ」
感じていた予感は真実に変わった。
きっと見た目通りの年齢ではないと、うすうす感じてはいたけれど。でも独立戦争と言えば、もう百年も前のこと。あの光景のセリフから推測すると、もっと長い年月を生きていたと思う……終焉を望むほど。
おそらくサイファーさんの感覚は人間そのものだと思う。自分を嘲って言う『化け物』の感覚なら長い時間を生きることに抵抗はないはず。でも死を望んでしまっているのは、人間の感覚を――心を持っているから。何が彼をそこまで追い込んだのかはわからないけど、たぶん多くの人たちと知り合って、そして時とともに永遠の別れをしてきたから。
「女王陛下の魔犬は死をもって、その勤めを完遂する。護国の刃が巡り巡って、大英帝国に向くことのないようにな。故に王妃となるものには契約を結ぶための巫女としての才覚が必要なのだ。だが、サイファーは生きている。その力を以て、契約を打ち砕いたのだ。務めを果たさなかった、その一点が許せんのだ。君は何を見た? シャーロット王妃とサイファーに何があった?」
二人の確執、その理由がわかった。
メイザースさんは勤勉で、頑固で、務めを果たしてないと思っているサイファーさんを許せないだけで。
サイファーさんも誤解を解こうという気はないのかもしれない。もしかしたらシャーロット王妃のために、口をつぐんでいるのかもしれない。
「……他言無用を、約束できますか?」
「淑女との約束だ。しかと守らせてもらう」
私は一連のすべてを語り出す。
最初は疑っていたような様子だけど、すべての歯車がかみ合いだしたときにはショックを受けたようだった。
自分の信じていた真実と、あまりに違う優しすぎる真実。
互いに大切だから、こうなってしまった。
きっと出会い方が違えば――私はどうなっていたかは分からないけれど、サイファーさんはつかの間の蜜月を過ごせていたと思う。
そして、ようやく終わった。
「そういうからくりだったのか……」
「からくりというほどでもないと思いますけど」
「サイファーは望んで女王陛下の魔犬のフリをしていたのだろうな。シャーロット王妃はある一点を除けば最高の逸材だった上に、本人も国王と想い合っていた……巫女の素質がないことを除けばな。話を変えよう――サイファーが誰かを助けるときの理由を知っているか? お前もそのはずだろう?」
気にはなる。
私も彼に助けられたから。あの時に出会ってなかったら、きっとここにはいないと思う。
ヘンリエッタが頼み込んだから助けに来てくれた、というのもあるかもしれないけど。
「誰かが苦しんでいるのを、あの男は見過ごせんのだ。魔犬なくして女王にあらず、というほど仕えさせたものの質で女王の待遇はほとんど決まると言っていい。シャーロット王妃はサイファーに力を示させて、評価を逆転させたよ。その頃から、二人の利害は決まっていたのだろうな」
「王妃の座を与える代わりに、終わりを望んだ……」
「それでも、この国に矛先を向けんのは忠義からか……なかなかに義理堅い男だったのだな」
うん、サイファーさんは大事な約束は守ってくれる。たとえ守る相手に置いて行かれたとしても、その人を想って守り続けている。
彼はやはり人間だ。身体は永年を生きる化け物かもしれないけれど、その精神は、心は間違いなく人間だ。誰かのために何かをできるのは、人間にしかできないことだから。
「そうだな……私から一つだけ、頼みごとをしよう」
「なんでしょうか?」
あまり難しいものじゃなければいいけど。
そう思って、いたら。
「あの男の……サイファーのそばにいてやってくれ」
「それって……」
思わず頬が熱くなる。
男女で一緒にいるなんて、それはきっと友人以上の関係になってしまうから。
そんなことは、できない。その一線を超えるビジョンなんて、想像すらままならないから。
「勘違いするな。関係性は問わん」
「でも、私じゃ……」
「生きていられる間だけで良い。束の間でも構わん。しばしの間、孤独というものを忘れさせてやってくれ」
首をすぐにでも縦に振るべきだと思った。
でも、私だって人並みに生きて死ぬかもしれない。この眼には、まだまだ何かありそうだけど。けれど、新たな出会いを与えてしまったら、身を裂くほどの新たな別れを生むかもしれない。
両親のことは思い出したくもないけど、育ててくれたおじいちゃんが亡くなった時は、埋めようのない喪失感に苛まれた。大切な人との別れは、それだけ苦しい。長く生きていれば、比例して増える。人ならざる時間を生きれば、きっと耐えられないはずだ。
とどめを刺してしまうようで、私はとても怖く思えた。
「難しいだろうな。すぐにとは、言わん」
「メイザースさんも、同じだけ生きているんですか?」
「私は魔術師だ。かつてこの世界にあふれていた神秘と幻想に触れ、それを体内に受け入れることを繰り返してきた。それが私の教えられた魔術の基礎だからな。自分が年を取らぬまま、大魔術師と称されたときは達成感と喪失感が一緒にやってきた。魔道を修めた喜びと人をやめた喪失がな。やはり周りだけが置いて死んでいくのは、いまでもなれん。だから、サイファーの味わった苦しみは理解できる。おまけに、あの男は狭く深く人間関係を築くから、苦しみも一入だろうよ」
「だったら、私が一緒にいても……」
「だが、人と出会い、親睦を深めるのは、お互いに何かを変えていくものだと自負している。良いものにしろ、悪いものにしろ、必ず変化はあるものだ。これはあくまでも予感だが、サイファーにとって君との出会いは、確実にプラスに働くと思うのだ。もっと自信を持ちたまえ」
「……出来る、かな」
自信を持て、と言われたけれど。
サイファーさんとの付き合い方を、もう一度見直さないといけないかな。そう思った時だった。
「終わったぞ」
「……手間取ったか?」
「うちのフレデリカに手を出してくれたから、追加のお話をしたのさ」
「“うちのフレデリカ”とはな」
目配せを飛ばしてきた。
ちょっとずつ私はサイファーさんにとって大切なものになりつつあるようだ。
たぶん二月前だったら、こんな言い方はしていなかったと思う。
「楽しいお話の邪魔だったかな」
「いいやサイファー、とても有意義な時間を過ごせたよ……バックにいたのはなんだ?」
「ジョン・ドゥだ。マフィア一つ焚き付けるなんて、相当気に入られちまったらしい」
「モテるんだな」
「よせよ。男は趣味じゃない」
バン、と乾いた銃声が庭園のほうから響く。
サイファーさんとメイザースさんの反応はとても速くて、私が動いた時には二人はもう一階を駆け抜けて玄関の扉を跳ね開けていた。
この状況で襲ってくるのは、一人だけ。
私の知る中では、もっともサイファーさんを追いつめた人。新大陸最強と称された、あの人が。
庭園に着いた時には、もう。
「ここまでやってくるとは、僕も想われているらしい」
「じゃあ、俺様の想いをもっと感じさせてやるよ」
二人はすでに刃をぶつけ合っていた。
ここで決着がつく。その根拠のない予感が、余計に不安を煽る。




