冷麺始めました
ここは松平市にある希望が丘商店街ーー通称「ゆうYOUミラーじゅ希望が丘」。国会議員の重光幸太郎先生のお膝元としても有名だ。
この商店街は実に様々な店舗が入っており、店舗同様個性豊かなメンバーが揃っていて、仲が良い。
その中でも特に交流が深いのは、「喫茶トムトム」、「篠宮酒店」「JazzBar黒猫」、「居酒屋とうてつ」、「中華料理神神飯店」「美容室まめはる」といった所だろうか。
岸本大介改め、ダイサクが神神飯店に馴染み、ダイサク目当ての女性客がちらほら出てき始めた頃、ダイサクが店に到着すると玉爾が何やら張り紙をしていた。見るとその張り紙には涼しげな冷やし中華の写真とともに『冷麺始めました』とある。最近ぐっと気温が上がったもんなぁとダイサクも思ったが、神神飯店のポスターは他所の店とは少し違った。ふつうその告知の下には値段ぐらいしかないのだが、それには、『中華風〇〇〇円
韓国風〇〇〇円』
と丸っこい字でそう書き加えられている。
「韓国風なんてあるんですか?」
と聞いたダイサクに、
「あ、私、韓国人だからね。ネンミョン欲しいね」
レイミェン甘すぎるね。と玉爾は言った。 こうして音で聞くと違いが判るが、日本語に直せばどちらもが冷麺で、「レイメン」と言われてしまうと、どちらを注文しているのか分からない。なので、あえて中華風・韓国風とこの家の娘、天衣が書き加えているのだ。もっとも、「風」という言葉の意味が解れば開も玉爾も『ニセモノ違うアルね!』と烈火のごとくに怒り出すだろうが。
そして、古くからの常連はちゃんとそのことを知っていて、「レイミェン」「ネンミョン」と頼み分けていたりする。興味津々な様子のダイサクを見て、
「じゃぁ、今日の晩飯、ネンミョンするか?」
と開が言うと、ダイサクはにっこりと頷いた。
そして夜、賄いとしてダイサクの前に置かれたのは透き通ったスープに濃いめの色の麺が浮かんでいる物だった。冷麺(冷やし中華)というより、冷やしラーメンに近い見た目だ。そして、麺の上には半切りのゆで卵一個分と、玉爾が丹精込めて漬けた神神自慢のキムチがたっぷり乗っている。旨そうだ。
だが、ダイサクはいざ食べようと箸を取りながら何気なく聞いた、
「この麺、えらく黒いですけど、何が入ってるんです?」
という問いの、
「蕎麦アルね。コレが入ってるからのどごしがつるっと良いアルね」
という開の返答に、失意の顔で箸を置いた。
「すいません、せっかく作ってもらったんですけど、これは食べられません」
と深々と頭を下げるダイサクに、
「何故? タイサク辛いもの好き違うね」
いつも賄いの時に玉爾のキムチをご飯の上にてんこ盛りにして食べるダイサクがどうしたのか。胃悪いのか? と玉爾が心配そうにダイサクの顔をのぞき込む。それに対してダイサクは頭を振りながら、
「俺、蕎麦アレルギーなんです」
と言った。
「アレルギーか。かゆくなるね? それ大変ね」
それを聞いて、半分首を傾げながらそう言う玉爾。アレルギーは韓国語でもアレルギーなので齟齬はないが、元々何を食べても大丈夫な王家の面々、アレルギーがどんなものかいまいち解ってなかったりする。玉爾にはある種の食材を食べると蕁麻疹がでる位の知識しかない。
「いえ、それで済めばまだ良いんですが。知らずに食ってたら息が止まる所でした」
それに対してのダイサクの答えは、王家の面々には衝撃的で、
「息止まるか? 息止まったら人間死ぬアルよ」
開が慌ててそう返す。
「すぐに手当すれば、死んだりしないですよ。でも急いで病院に行かないとヤバいですし、救急車を呼んだりとか、すごく迷惑かけてしまうことになってたと思います」
ああ聞いて良かったと、心底ホッとしている様子のダイサク。
「なら私食べるよ。
ホントかわいそだね。こんなにおいしいもの、食べられないなんて」
玉爾は、ダイサクからひったくるようネンミョンの金属製の鉢を取ると、たまった涙を見られないように席を替えてそう言いながらネンミョンを一気にかきこんだ。
その日の夜中、玉爾はネットをさまよっていた。玉爾はもしかしたらダイサクを殺してしまったかもしれないと思うと、居ても立ってもいられなかったのだ。ダイサクでも安心して食べられるネンミョンを作りたい。
とは言え、玉爾の出身地であるソウルの明洞では冷麺の麺はそば粉入りが当たり前。別のつなぎを何にするのかが分からない。
そして、検索の結果仁川辺りではつなぎにタピオカ粉を使ってることを突き止めた。ただ、タピオカ粉は日本ではメジャーではないので、入手困難。一回だけなら何とかなるだろうが、どうせ作るのならこれからの神神のネンミョンは蕎麦粉を使わないでいきたい。そのためにはコスパをしっかり考えねばならない。
そして玉爾はタピオカ粉がデンプンの一種なのだから、つなぎに片栗粉を使えばいいのだと思い立った。実際、そうして再検索してみると、片栗粉をベースにしている麺が確かに存在した。ただ、日本へのルートがない。万事休すか。
いや、そこで諦めるという選択肢がないのが玉爾だ。日本にないのなら作れば良い。韓国時代、玉爾はそうやって脇すぎて販売されていないお気に入りのキャラのコスチュームを自作してきたのだ。
玉爾は伝家の宝刀『ホームベーカリー』を取り出すと、試行錯誤を繰り返しながら片栗粉と小麦粉1:1の自家製ネンミョン麺を完成させ、神神のネンミョンをその麺に替えた。
その後、玉爾は業務用食材の店でさつまいも100%の春雨を見つけるまで、夏の間中その麺を作ることとなった。
はい、私もそば粉アレルギーで、去年の夏まったく同じことやりました。
で、その後サツマイモ春雨を見つけて、現在はよほど時間がないと自家製麺は作ってません。