誕生日には……
重光先生とさーちゃんが婚約中の頃のおはなしです。
しかしアジュンマ(おばさん)の暴走恐るべし。
ここは松平市にある希望が丘商店街ーー通称「ゆうYOUミラーじゅ希望が丘」。国会議員の重光幸太郎先生のお膝元としても有名だ。
「あ、ソンセンニム、ソンセンニム」
そしてこの日、その重光が国会から戻ってきたところを、神神飯店のオーナーの嫁、梁玉爾が呼び止めた。因みにソンセンニムというのは玉爾の母国語である韓国語で先生様という意味なのであるが、なじみのない言葉に重光は最初自分が呼ばれているとは気づかず、玉爾が回り込んできて、やっと呼ばれているのが自分だと気づいた程だ。玉爾は、
「神神さんの奥さん、何か御用ですか?」
「あの、サオリの生まれる日いつ?」
重光の問いに唐突にそう聞いてきた。
「は?」
沙織というのは、先日8年越しの想いを遂げてやっと婚約に漕ぎ着けた重光の婚約者の名前だが、彼女は既に成人している歳。
「だから、サオリ生まれる日いつね」
首を傾げる重光に、玉爾は尚もそう聞く。これはまさか沙織が妊娠したという噂がまことしやかに商店街を闊歩しているのかと重光は思い、
「奥さん、まだそんな予定はありませんが」
と言うと、その言葉を聞いて逆に玉爾は目を丸くした。
「ソンセンニム、何を勘違いしてるね。サオリ生まれる日だよ。燗っ氏に春聞いたから、過ぎたらダメ焦ってるね」
続けてそう言う玉爾に、重光もようやく彼女が沙織本人の誕生日を聞いてるのだと分かった。因みに、韓国では誕生日を生日と言い、王族ほどの位の高い人間しか生誕日という言い回しは使わないのだ。
「ああ、彼女の誕生日。それなら5月5日、こどもの日ですよ」
重光はホッとしながら玉爾の質問に改めて答えた。
「ああ良かった、過ぎてないね。
で、サオリその日はソンセンニム家いるか?」
「ええ、彼女に特別な用事でもない限り、いると思いますが」
沙織は最近は平日こそ自宅に帰っているものの、休日はほぼ重光のマンションで過ごしている。5月5日はゴールデンウイーク最終日だが、誕生日でもあるこの日に、重光が沙織に自分以外の人間と過ごす予定を入れさせる訳がない。
「わかった。じゃぁ、ソンセンニムの家に持って行くね」
玉爾は沙織に何か誕生日プレゼントを用意してくれているようだ。しかし、国会議員は有権者から物を受け取ることはできない。
「すいません、国会議員は有権者から物品は受け取れない決まりに……」
そう言って謝る重光に、
「私、あげるはサオリだよ、ソンセンニムないね。それに、私たち選挙できないからタイジョブだよ」
玉爾は笑いながらそう返した。そう言えば彼女の夫、王開は中国人なので、夫婦揃って外国人の彼らには選挙権がない。何にしても沙織は私設秘書と言っても私人なので、重光ほど厳密に問われることはない。
「では、楽しみにしてますね」
重光はそう言って事務所に入っていった。
そして、沙織の誕生日当日……
重光と沙織は、明け方近くまで起きていたというのに、件の玉爾から朝8時に叩き起こされた。それでも、玉爾の娘、天衣曰く、
「これでもあたし、早いからって抑えたんだよっ」
だそうだ。本当は6時前に持って行こうとしていたと聞いて、重光たちは苦笑するしかなかった。そんな寝入り端に来られても、とても対処できなかっただろう。
それに対して、悪びれもせず玉爾が差し出したのは保温ポット。中に入っていたのは……
「わかめスープ……」
それは何の変哲もないわかめスープだった。
「だって、誕生日はまずコレね。他の物食べたら困るね」
聞けば、韓国では産後の回復にはわかめと言われており、出産後数日の食事にわかめスープが良くでることから、それが発端になり、誕生日(特に女の子)には何を食べるより先にわかめスープを食べさせるらしい。
「美味しそう……」
牛骨で取られたスープと、ゴマの香ばしい香り、見れば、わかめスープと言うよりは牛骨スープで煮たわかめと言うほどわかめがポットいっぱいに入れられている。そして実際に美味しかった。ただ一つのことを除いては……
ごま油で表面をコーティングされたそれは、猫舌の沙織にはとんでもなく熱かったのだ。
「サオリ、これでソンセンニムの男の子タイジョブね」
ニコニコと微笑みながら食べる様子を見る玉爾に、沙織はそれを涙目で完食するしかなかったのだった。
誕生日にはわかめスープ。その由来も含めてどうしてもこの話が書きたくて鏡野さんにさーちゃんの誕生日を確認して書きました。
相変わらず、玉爾暴走です。