蛙の子は蛙
ダイサク君の大学の学祭からガラっと変わってしまったあたしの環境に、あたし自身が一番馴染めずにいる。
今までとは打って変わって商店街の至る所で愛を叫んでくれる醸兄が時々ウザい。シナちゃんに言わせれば、
『ゼータクな悩みよ、あんた』
らしいが、学校の帰りとかに美味しい店をリサーチするとかいう機会が格段に減った。……というより全くなくなった。学校でメール入れて、そのまま駅に向かって直帰だもんね。これって、フードコーディネーター志願としては致命的なんじゃないかと思う。
みんなは、
『そのまま篠宮酒店に納まれば良いじゃん』
って言うけど、それだって、お酒にも合って低カロリーなメニューの紹介とか、あたしがいるからできる売り方とか、考えたいじゃない? そういうのが一切できないのはなんだかなぁ。
それに、たまには女の子だけで出かけたいと思うのはゼータクなのかなぁ。醸兄はそれにもなんかかんか言って付いてこようとするんだもん。その姿はまるでワンコ。着替えただけでリード持って走ってくる飼い犬みたいな気がするのはあたしの気のせいだろうか。
だからって、醸兄のことを嫌いになった訳じゃないよ。遠くから見てただけの人が今自分のすぐ隣にいると思うだけでドキドキするし、すごく幸せだと思ってる。ただ、まっすぐに自分だけに向けられる愛って、時々ホントにどうしようもなく暑苦しく感じちゃうのよね。パーパをお盆でショットするオンマの気持ちが今すんごくよく解るようになったって言ったらオンマは、
「小天やっと解ってくれるか」
と大振りで頷いてくれると思う。
そんな2月のある日に
「ねぇ、天衣に見て欲しいものがあるんだけど」
と言われて醸兄に連れてこられたのはとあるマンションの一室。2LDKの間取りで、築年数は10年以上。だけど、リフォームはされていて、そんなに経っているとは思わないほどキレイだ。
「ここにしても良いかな」
といつもに増して甘い笑顔で聞く醸兄に、
「何が?」
と聞き返すと、
「俺と天衣の愛の巣。良かったら速攻で契約するけど」
って返ってきた。
「ふぇ、醸兄の部屋に住むんじゃないの?」
早く俺の部屋に来てっていつも言ってんじゃん。
「いやぁ、俺もそう思ってたんだけどさぁ、親父からダメ出しがきた」
そしたら、そんな風に言う醸兄。燗さんからまさかのダメ出し?
「結婚自体を反対してるんじゃないよ。親父もお袋も
天衣のことは昔っから娘みたいに思ってる位だから、そこんとこは問題ないらしいんだけど……」
驚いた顔になったあたしに、醸兄は慌ててそう付け加えた。何でも燗さん曰く、
『だからって、だからこそバカ息子と娘のラブシーンを四六時中見せつけられるのは願い下げだってんだ』
なのだそうだ。
それで慌てて不動産屋さんで紹介してもらったのがこのマンション。
「気に入った?」
「うん、収納もあるし、何よりお風呂場に洗濯機を置くスペースがあるのがいいね。これなら着替えをポンと放り込んですぐ洗濯できるし」
ベランダはすぐ横にあるし。ウチなんて、初めにお店ありきな造りだから、干すのは階段上がって屋上だもんね。小さい頃は面倒になってよく階段から乾いた洗濯物下に投げてオンマに怒られてたっけ。そうよね、店と家が別だと、こんな利点もあるんだ。
でも、あたしが首を縦に振ると、
「じゃぁ、契約と言うことでお願いします」
と案内してくれた不動産屋さんに言い出す醸兄。
「今から?」
まだ2月だよ、今。
「結婚式は……6月だったよね」
また前倒ししたいとか言うんじゃないかと確認すると、
「もちろん、6月だよ」
と返ってきて、とりあえず一安心。それで、
「じゃぁ、なんで今から? まだ2月だよ」
というあたしに、
「2月だからだよ。希望が丘で家を探すなら、遅いぐらいだ」
と真顔で答える醸兄。
そう、ここ希望が丘周辺には学校が多い。中学高校はともかく、大学ともなれば全国から学生がやってくる。つまり、入試が終われば良い物件はあっという間に埋まってしまうのだ。
昔はともかく、今はファミリー向けの少し家賃が高めの部屋でも二人以上でシェアして借りる学生が多いため、試験前のこの時期が良い物件を見つけるラストチャンスなのだそう。
「にしてもさ、6月までどうすんの?」
「とりあえず、本契約さえしてしまえば4月までは待ってくれるって言ってるからさ、4月からは俺がここに住むよ」
空家賃を払うのももったいないしねと言う醸兄。そっか、短い間でも一人暮らしするのも良いかもねなんて思ってると、
「だからさぁ、毎日天衣がご飯作りに来てくれると俺うれしいなぁ」
続けてそんなことを言い出す。その言葉にちょっと寒気が走った。頭の隅っこで警報が鳴る。
いやさ、ご飯作るのは嫌いじゃないからいいんだけどさ、それしちゃうと結局結婚を前倒しにしたのと同義にならない? って意味で。
それが証拠に、
「ご飯? 良いけど夜はちゃんとウチに帰るよ」
と言ったら、醸兄は明らかに残念な表情をしていた。
この家にも絶対にオンマの銀のお盆が要るわね。あたしは醸兄の引っ越しの時には絶対ウチからお盆を持ってこようと堅く心に決めたのだった。
激甘砂糖菓子製造機の醸兄も遺伝なら、天衣のツンデレも遺伝っていうことで……




