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ベアトリクス・ブリッジは二十五歳。仕事に恋に忙しいお年頃だ。
ベアトリクスにいわせれば、ジゼルは実に人生損している。そこそこの美貌を持ちながら化粧っ気もなし、髪型も出合った頃から全く代わり映えしない。ファッションにも興味はなく、清潔感だけが売りという有様だ。
しかも恋愛に興味がないのか、男を紹介するといっても全然乗り気でない。男がキライというわけではなさそうだが、彼女が周りの男を見る目は実に無機質なものだ。これがまた男顔負けの腕っぷしで犯人に殴りかかるので、周りの男たちは完全にジゼルに恐れをなしている。
他人事ながらもったいないと常々思っているベアトリクスだが、ジゼルの中に男の影を感じたことがないわけではない。
ふとした瞬間、例えば署でテレビを見ていたときや雑誌を読んでるときに、見たこともないような艶っぽい目をしている瞬間があるのだ。心奪われたセレブでもいるのだろうか。
そう思ってジゼルを「一途」と評したのだが、それでも少しは身近な男に目を向けたほうがいいと思う。
現場検証に向かうジゼルたちのチームを受付で見送った後、ベアトリクスはそんなことをずっと考えていた。
そういえば、先日はオラトリア宮殿であのローレンス王子に謁見したらしい。ジゼルが王子と同級生だったというだけでも驚きなのだが、宮殿で直接目通り願うとはまた思い切ったことをしたものだ。
もっとも、あの後三人組は署長にこっぴどく叱られて、事件について調べることはあきらめたらしい。当初の予定通り、事故として処理されるそうだ。
それにしても、あの見目麗しきローレンス王子に会えるなんて、わかっていたら自分も一緒について行ったのに。もしかしたら将来のお妃候補になれるかもしれないチャンスだったのだ。
ベアトリクスの仕事は二十五分署の受付に立ち、どの課に行けばいいのかわからないといった人々を適切な課に案内する係だ。時に感情的になるお客様もいらっしゃるが、的確かつ懇切丁寧に目的の課へと速やかにお連れするのだ。
また、署員の個人的な呼び出しにも対応している。なじみの警察官に直接話をしたい者や、たまに借金取りが来たりもする。そういうのを適当にあしらうのもベアトリクスの役目だ。
「はい、次の方―」
前の客の書類に書き込みながら、ベアトリクスは後ろで待っていた客を呼んだ。
「──ジゼル・ワイアットを呼んでくれ」
歩み寄ってきた黒いコートの男は低く抑揚のない声でそう言った。ずい分と背が高いようだ。声が上から降ってくる。
「あー、ジゼルね。さっき出かけちゃったけど」
「では待たせてもらう」
ここで待つとは珍しい客だ。ジゼルに殴られて恨みを持つギャングかコソ泥だろうか。そのわりには着ているコートが高級そうだ。
「じゃあ一応お名前聞いとくわ」
「ローレンス・ランドルフ=オリヴィエだ」
「オリヴィエさんね……はいはい」
名前をメモする──手がふと止まった。かと思うと、ベアトリクスは突然ガバッと顔を上げて相手の顔を凝視した。
「──ローレンス王子!」
大声に、その場にいた全員がベアトリクスの前に立つ男を注視した。
そこにいたのは、紛れもなくあのローレンス王子だった。ベアトリクスは目をひんむいてその顔をまじまじと見つめてしまった。
「いかにも、僕だが」
確かに見目麗しきローレンス王子だ。だが、ベアトリクスの知る王子とはちょっと違う気がした。テレビや新聞で見る王子はいつも優しく微笑んでいるのに対し、目の前に立つ王子は無表情そのもので、どこか人間ぽくないところがある。
「ちょ……あ、あの……」
「早く呼んでくれ。僕は中で待たせてもらう」
驚きで言葉の出ないベアトリクスを尻目に、ローレンスは勝手に分署の奥に入っていこうとした。一体どこで待つつもりなのか。
いや、それよりも、まさか王子が一人でこの小汚い分署に突然やってくるなんて、これはもう分署の一大事だ。ベアトリクスは叫んだ。
「か、課長……じゃない、誰か署長呼んできて!」
王子がふと足を止め、こちらに戻ってきた。そして大真面目な顔をベアトリクスが仰け反るほどに近づける。
「君──僕が呼んでほしいのは署長ではなくジゼルだ。間違えないように」
「は、はい?」
そしてまた王子は、ポカーンと見送るベアトリクスの視線を背に浴びて、分署の奥へと歩いていってしまった。