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ジゼルがジャックの部下になって四年。
可愛らしくも危なっかしい妹のようなジゼルにはずい分と苦労させられた。検挙率も始末書の数もナンバーワンだが、彼女の仕事に対する真摯な姿勢だけはジャックは認めている。
ジゼルの頑張りと心根の真っ直ぐさを知っているからこそ、どんなことがあっても彼女を信じてやろうと思っていたのだが……
「お前な、言っていい冗談と悪い冗談があるぞ」
ジャックは反射的に言ってしまった。
「ローレンスって、あのローレンス王子か?」
「あたしが悪い冗談言ったことある? こんなこと、ウソついたってしょうがないよ」
ジゼルは至極真面目だ。ジャックは頭を抱えた。
「聞かなきゃ良かった……」
「だから言っただろ。どうしても聞きたいかってさ」
「そんな超大物の名前が出てくるなんて思いもしなかったんだよ。ホントに同級生なのか?」
「ジャックの『ホントに?』は聞き飽きたよ。ほれ」
疑われるのをわかっていたのか、ジゼルは名簿を差し出してきた。付箋の貼ってあるページをめくると、ジゼルの同期が一覧で並んでいる。黄色いマーカーペンで塗られているのは、確認済みということなのだろう。その中で一つ、マーカーで塗られていない名前があった。
「ローレンス・ランドルフ=オリヴィエ王子殿下……」
ジャックはめまいに襲われた。せっかく事件の糸口となるかもしれない人物が見つかったと思ったのに、それがまさかこの国の王子だったとは。
「思い出したよ……そういや当時は大ニュースになったよな。史上初めて、王子が王立学校じゃなくて公立の高校に行くってさ」
名簿を閉じながらジャックは言った。
「それがお前の同級生だったとはね……」
ようやくジゼルがハッキリとしない理由がわかった。いくらなんでも、相手が王族となればそう簡単に手を出すわけにはいかない。それにしても──
「はあ……」
ジゼルはまたため息をついている。こんな彼女を見るのは初めてだ。疲れているだけかもしれないがそれだけではない気がする。
ジャックは不思議に思いながらも、ジゼルの背中をぽんと叩いた。
「まあいいや。とりあえずランチだ」
ユージンも誘って、署の近くのハンバーガーショップへと出かけた。ピークの時間は過ぎたのか、客もまばらで三人でテーブル席に座ることができた。
テーブルの上の皿をよけながら、ユージンは持っていた新聞を広げた。あまり大きくはないが、ローレンス王子が記事に取り上げられていたのだ。
【ローレンス王子、アジア各国の外遊から帰国】
《アジア五ヶ国を公式訪問していたローレンス王子が十日、最後の訪問国・日本の成田空港から民間機で帰国した。今回の外遊では、十日間にわたり主に各国の宇宙開発や環境保護に関する研究施設を視察して回った。日本では王族として初めて国際環境学会に出席し、挨拶と共に基調講演を行った》
記事と共に写真が載せられている。空港にて出迎えた関係者に挨拶をする王子の姿だ。
栗色の柔らかそうな髪、眼鏡をかけた理知的な顔立ち、長身でありながら逞しさが垣間見える体躯。高級そうなスーツをさらりと着こなす姿は真似したくとも出来ないものだ。
ハリウッド俳優にも負けない洗練された容姿、そして王国始まって以来の天才と謳われるその頭脳。ジゼルと同じ二十六歳にして、プラルトリラ大学の客員准教授だと聞く。王族である以上公務との兼ね合いがあるので客員という立場が精いっぱいだが、それでもこの年齢での准教授就任は例がない。
王国中の女性の絶大なる人気を集める王家の末っ子四男坊は、三人の兄を差し置いて最も次期国王を望まれている王子だといっても過言ではない。
記事を読み終わって、三人が三人とも一様に大きなため息を漏らした。
「ジゼルさんが王子と同級生だったなんて……」
ユージンもその話を聞いたときには、目玉が飛び出さんばかりに驚いていた。この国の頂点と底辺が同居しているとは、ブライス校というところはよほど懐が広いらしい。
ユージンは新聞を畳み、ようやくハンバーガーにかぶりついた。
「ジゼルさん、王子とは親しかったんですか?」
そのジゼルはとっくの昔に食べ終わって、残ったコーラをすすっている。昔から早食いだったそうだが、刑事としては模範的だ。
「……いや、お互い名前知ってる程度だよ。ほとんど話した事ない。考えても見ろよ、向こうは王子様、こっちはスラムから来た貧乏人だよ。友達になれるわけないだろ」
ジゼルの目が微かに揺れたのを、ジャックは見逃さなかった。巧妙に隠したつもりかもしれないが、刑事としてのキャリアはこっちのほうが上だ。
「それもそうですね」
あっさりと引き下がる当たり、ユージンは気付かなかったようだ。やはりまだまだといったところか。
「で、どうするんだよ」
ジャックが言うと、ジゼルは空になったカップを置いて、頬杖をついた。
「どうもこうも……相手が王子じゃどうしようもないだろ」
「やっぱりお前らしくないな。いつものお前なら、相手が王族だろうがなんだろうが突っ込んでいくだろうに」
「人を猛牛みたいに言わないでくれよ。あたしだって、相手がどれだけヤバいかくらいわかってるさ」
ジゼルは無謀なようで、意外と裏の事情をわかっていたりもする。それでも突っ走るのはよほど許せない何かがあったときだけだ。
そんなジゼルでも躊躇するくらい、王室というのはそうやすやすと侵すことのできない神聖なところなのだ。何より、正式な面会の手続きを取るだけで非常に大変で、しかもそれで面会できるとは限らない。捜査を理由にしたところで、まず絶対に許可が下りないだろう。
ユージンはおもむろに自分の手帳を開いた。彼が調べた捜査情報がそこに書いてある。
「被害者に王子との接点は全くありませんね。交友関係も調べましたが、王子に繋がるものは何もなし。王子の住む宮殿にも、勤務先のプラルトリラ大学にも出入りしていた形跡はありません。仮に被害者が王子の指輪を盗んだとしても、一体どこで盗んだのかって話ですよ」
「被害者が盗んだんじゃなかったら……」
ジャックが推論を言う前に、ユージンは険しい表情でそれを遮った。
「まさか、王子が被害者を殺したって言うんですか? これは事故ですよ?」
「そういう考え方だってあるだろ。指輪は王子が落としていったもので、マイルズが持っていたのはダイイングメッセージのつもりだったのかもしれん」
「いくらなんでもそれは無理ですよ。王子が人殺すなんて……」
「──あいつはそんなことしねーよ」
割り込んできたジゼルの小さな小さなつぶやきを、ジャックは聞き逃さなかった。
「あいつ?」
聞き返すと、ボーっとしていたジゼルは我に返ったように笑顔を作った。
「あ、いつ……も真面目で勉強ばかりしてた王子が、そんな人殺しなんてできないと思うよ。夜中に一人で出歩くなんてできないだろうし」
言われて見ればそうだ。王子ともなれば二十四時間警護の者がつき、ある意味監視下に置かれている。大それた真似ができるとは思えない。
「指輪もさ、別に王子のものって決まったわけじゃないだろ? もしかしたら同級生の誰かがウソついてたのかもしれないし、全く関係ない誰かが指輪自体を偽造したのかもしれない。きっとそういうことだな。うん、そうだ。この話はもう終わり。あとはあたしが処理しとくよ」
一気にそう言うと、ジゼルは自分のトレイを持って席を立ってしまった。
「お、おい、ジゼル……」
「先戻ってるよ」
トレイをさっさと片付けて、ジゼルは早足で店を出て行った。それを呆然と見送って、ジャックはボソッとつぶやいた。
「何……あれ」
「何なんでしょうね……」
残された男二人は顔を見合わせて、女心は理解できないとばかりに肩をすくめた。