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探偵王子  作者: なつる
第1章  8年後
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 次の日の朝、出勤しようと外に出ると、空は青く秋晴れというより冬晴れに近い寒さだった。

 歩きながら今日の予定を考える。あの強盗三人組の事情聴取も本格的に始まるし、溜め込んでいた書類の整理もしなければならない。

 アパートの前で掃除していた大家の老夫婦に挨拶をしたところで、携帯電話が鳴り出した。ジャックからだった。


『おはようジゼル。今どこだ?』

「家出たばかり。何かあった?」

『水死体がでた。バンサール通り近くの川沿いだ』

「わかった。直接行く」


 携帯電話を切り、ジゼルは早足で駆け出した。今日も書類の整理はお預けになりそうだ。





 マドリガーレは川の街である。街を縦横無尽に走る大小いくつもの川が、マドリガルの首都として古くから街の発展を支えてきたといっても過言ではない。オーセリー川もその一つで、護岸整備された川沿いには遊歩道があり、昼間は絶好の散歩コースだ。


 バンサール通りはそんなオーセリー川沿いに建つ昔ながらの倉庫街だった。赤レンガで造られた年代物の倉庫が大小様々に立ち並び、活気があった頃の面影を忍ばせる古めかしい雰囲気だ。一昔前まで、ここからオーセリー川を使っての水運業が活発に行われていたという。


 現場は川沿いの、簡素な船着場として整備された川面に向かって階段状になっている場所だった。既に非常線が張られ、その外側では野次馬が人垣を作っていた。人をかき分けて非常線をくぐったが、中も捜査官や鑑識でごった返している。MPDのロゴ入りジャンパーに身を包んだジャックが既に待機していた。


「早いな」

「ユージンは?」

「署で身元洗ってるよ」


 渡されたジャンパーに袖を通し、手袋をはめる。ジゼルは気を引き締めて、物言わぬ物体に近づいた。


 男が──ずぶ濡れの男がブルーシートの上に横たえられていた。灰色のスーツの上下を着込んだ男性。ビジネスマンだろうか、年の頃は三十代といったところだ。

 強盗殺人課に来て四年が経つが、未だに死体に慣れるということはない。仕事だから冷静に対処はするが、被害者がどういう人間であれ、一人の命がこの世から消え失せることに何の感慨も持てなくなってしまったら、人間として終わりだと思っている。

 彼の周りでは鑑識課の職員が指紋やら何やらあれこれ証拠を採取していた。これ以上近づいて邪魔するのも悪そうだ。


「詳しいことは検死待ちだが、大方あの橋から転落して川に落ちたってとこか」

 ジャックはそう言って上流側の少し離れた橋を指差した。この遊歩道は街灯もなく、夜は真っ暗になる。よほどのことがなければ夜には通らないだろう。

 ジャックは袋に入った身分証明書らしきものを取り出し、ジゼルに見せた。社員証のようだ。


「マイルズ・ボーフォート、三十五歳ね……半導体メーカーの開発者か」


 被害者──マイルズが勤める会社のものだった。今のところ、それ以上の情報は何もない。

 ジゼルは大きく息を吐いた。


「──ひゃっ!」

 急に尻に変な感触があって、ジゼルは鳥肌が立った。

「朝からいいケツしてんなオイ」


 後ろから聞きなれた低い声がする。ジゼルは振り返りざま肘を打ち込んだが、肘は虚しく空を切った。


「ルーファス!」

「よっ」


 そこにいたのは、鑑識課の課長であるルーファスだった。渋味と苦味のあるいいオッサンなのだが、ジゼルにちょいちょいセクハラを仕掛けてくるのが玉にキズだ。

 ジゼルの怒りに気付かないふりをして、ルーファスは何食わぬ顔で続けた。


「死亡推定時刻は昨夜の十二時から六時ってとこだな。第一発見者はゴミ収集の男性。朝六時に収集車であそこの橋の上を通って、船着場に引っかかってた死体を発見したそうだ」

 昨夜十二時には巡回のパトカーが橋を通ったという。その時には何もなかった。そして朝の六時に死体が発見された。

「この辺は夜になるとほとんど人気がなくなるからな。目撃者も期待はできんな」

 そう言ってジャックは頭をかいた。遺留品同様こちらも難しそうだ。何もかもが面倒そうで気が重くなってくる。


「まあ十中八九事故だろ。争った形跡もないし」

 ジャックの言葉にはそうであって欲しいという期待が込められている。今既に抱えている仕事で手いっぱいなのに、これ以上はもうパンクしてしまうからだ。その気持ちはジゼルもわかる気がした。だが不審死である以上、何が原因であるかを調べないわけにはいかない。


「とりあえずは目撃者探しだな。死亡推定時刻に不審な人物を見なかったか、大きな物音がしなかったか聞き込むぞ」

 ジゼルはうなずいた。


「あ、そうそう」

 行こうとしたジゼルとジャックを、ルーファスが呼び止めた。

「被害者のズボンのポケットに入ってたものなんだが……」

 彼はビニール袋に入った銀色の物体を二人に見せた。


「……指輪?」


 それは銀の指輪だった。真ん中には大振りの紋章らしき絵が彫り込まれ、その周りと指輪の側面には様々な文字が彫られている。


「カレッジリングだな」


 大学や高校で卒業を記念して作られる指輪、それがカレッジリングだ。それ自体は珍しいものではないし、デザインも特に奇抜なものではない。

 だが──ジゼルはそのデザインに見覚えがあった。ルーファスの手からひったくるようにして袋をつかむと、顔に近づけて彫り込まれた文字を読んだ。


「被害者のものか?」

 ジゼルは答えなかった。指輪を持つその手が小刻みに震える。

「どこの学校のだ?」

 ジャックが摘み上げようとしたその指輪を、ジゼルは強く握りこんだ。

「なんだよ」


「ブライス校……」

 ジゼルは噛み締めた唇を薄く開いてつぶやいた。


「は? ブライス校? あの名門のブライス校か?」

「……今から八年前のカレッジリング。あたし……これと同じもの、持ってる」

「え? なんでお前がこれと同じものを……ってまさか、お前ブライス校の出身なの?」


 ジャックは信じられないという顔で驚いて見せたが、ジゼルはそれどころではない。


「これは……この指輪は卒業を記念して、学校から授与されるものなんだ。名前入りで、サイズも一人ひとりに合わせたオーダーメイド。もちろん卒業生の分しか作られてない。でも……この指輪には名前がない。何者かによって名前が消されてる。それに……卒業年度はあたしと同じ八年前。被害者は同級生じゃ……ない」


 被害者は三十五歳。仮にブライス校出身だったとしても、八年前に高校を卒業したというのは少々無理がある。つまりこの指輪は、ジゼルと同級生の誰かの物だということだ。


「何でこの指輪を……」

 ジゼルは遺体があった場所を振り返った。既に遺体は検死へと向かっている。

 死の間際まで持っていたこの指輪に、被害者はどんな想いを込めていたのだろう。




    ◇




「あのブライス校の卒業生だなんて、ジゼルさん冗談キツイっすよ」


 ユージンのバカにした台詞を聞いても、ジゼルは苦々しく思うだけで手は出さなかった。署内にある自分のデスクに座り、目の前に置かれた指輪をじっと見つめながら思案している。ルーファスに頼み込んで、この証拠品をしばらく借りることにしたのだ。


「ブライス校って、国内随一のエリート公立校だろ? 学費不要、入試なしってのが基本の公立なのに入学試験があるっていう」

「卒業生に有名人も多いんですよね」


 ジャックもユージンも、ジゼルがブライス校を卒業しているのがよほど信じられないらしい。もっとも、これは普通の反応とも言える。今までこういうことが何度もあったからこそ、ジゼルは出身校を隠していたのだ。


 高校までが義務教育のマドリガルでは全員が公立、私立または王立の高校に入る。有名大を目指す、ある程度経済力のある家庭の子女は私立や王立校に入るが、それ以外の子どもは学費も入試もない公立に進むしかないので、著しい学力の差が生じている。そんな中で進学校としてより高等な教育を提供しようと、入学試験を課して生徒を募る公立校がある。ブライス校はそんな学校の一つで、歴史も古く、そのレベルは王国最高峰と言ってもよかった。


「ブン殴るしか能のないようなお前が、あの超進学校にねえ……」

「実は僕も受験したけど落ちたんですよね。ジゼルさん、まさか教師恐喝したんじゃ」

 ジゼルはユージンの足を思い切り踏みつけた。 

「ちゃんと試験受けて合格したんだ! こう見えても成績は良かったんだよ!」


 飛び上がるユージンをよそに、ジゼルは自分の引き出しから銀色のケースを取り出し、ジャックに突き出した。写真と共に置いていた、あのリングケースだ。ジャックは受け取ると、開けて中の指輪を取り出した。


「ふむ……確かにその指輪と一緒だな。お前の名前もある」

 ジゼルの名前は指輪の内側に刻印されている。だが問題の指輪は、内側が何かで削られたようにザラザラとして、名前を読み取ることは出来なかった。


「で──何が引っかかるって言うんだ? 被害者がこれを持ってたからって、誰かからもらっただけかもしれないだろ? それだけで事件性があるとは言えないな」


 ジャックの言葉にジゼルは渋面を作った。

 検死の結果、外傷はなし、血液中にアルコールの反応が出たもののその他には特に不審な点は見当たらず、目撃者探しも現場近くでは空振り、現場から歩いて十五分ほどのバーで男性の連れと飲んでいたという証言が取れただけに終わった。現時点では事故という判断が一番妥当であると言えるだろう。

 その他の収穫らしい収穫といえば、被害者のマイルズ・ボーフォートがブライス校とは全く関係のない高校を卒業していたことと、そして指輪の指紋がキレイにふき取られ、マイルズの指紋しか残っていなかったことぐらいだった。


「この指輪を他人にあげるなんて、そんなの信じられない」

 ジゼルはきっぱりと言った。

「あたしもそうだけどさ……この指輪、ブライス校を卒業した証として卒業生には大事なものだと思うんだよね。それだけ、卒業生はあの学校に誇りを持ってるはずなんだ。その指輪を他の人間に渡すなんて……」


「名前を消してまで……か」

 ジャックはジゼルの指輪をしげしげと眺めながら言った。

 ジゼルは高校卒業後、大学には進まずに警察官になった。最終学歴として書類に残るのはブライス校の名前だ。それだけに思い入れは深い。

 輝かしい青春時代の証であるこの指輪──それが何故、関係のない死体が持っていたのか。


「あたし、ちょっと調べてみるよ」

 ジャックの手から指輪を奪い返し、ケースにしまいながらジゼルは立ち上がった。

「調べるって、何を?」

「指輪持ってるかどうか、同級生全員に確かめる」

 ジャックはのけぞった。

「お前、同級生っていってもすごい数なんじゃないか?」

「八十人くらいだよ」

 ブライス校は少数精鋭がモットー。故に志願者数の倍率は毎年すごいことになっている。そんな超難関の試験を曲がりなりにもくぐりぬけたジゼルを、ジャックとユージンは少し見直したようだ。


「名簿もあるし、電話で何とかなるだろ」

「それはいいけど、他の仕事はどうするんだ? お前の取り調べを待つお客さんが行列作ってるぞ」

「そっちもちゃんとやるさ。別にいいだろ? 残業代は申請しないよ」

 ジゼルは携帯電話を取り出し、電話帳に入っている同級生に順に電話をかけ始めた。ジャックとユージンは互いに肩をすくめるしかなかった。




 それから一週間かけて、ジゼルは名簿片手に同級生たちに片っ端から電話をかけた。

 卒業から八年経ち、大概の者は名簿に書かれた住所には居らず苦労したが、そこは同窓会幹事のリーラとクレイグに手伝ってもらい、どうしても電話番号のわからない者は自らその住所に赴いた。これが二百人だったら途中であきらめていたかも知れないが、八十人前後という人数で助かった。

 ジゼルがデスクで難しい顔をしていると、突然目の前にカップに入ったコーヒーが置かれた。


「あ、ジャック」

「お疲れさん」


 特殊マスクを使って変装しながら窃盗を繰り返していた犯人の取り調べがやっと終わり、起訴へ持ち込める目処が立ったところだった。礼を言いながらコーヒーをすすると、疲れきった身体に染み渡るようで格別に美味かった。

 この一週間、ジゼルは警察官としての通常の業務とは別に確認作業をしていたのだ。いくら疲れ知らずのジゼルとはいえ、さすがに疲労の色は隠せない。


「そういえばそれ、どうなったんだ」

 ジャックもまたコーヒーをすすりながら、デスクの上の指輪をあごで指し示した。

 気付かないふりをしようかと思ったが、そういうわけにも行かない。口をついて出たのは曖昧な言葉だった。


「うん……まあ」

「なんだ、息巻いてたわりには歯切れの悪い答えだな」

 そう言われても仕方がない。最初の意気込みはどこへやら、今やジゼルは完全にやる気をなくしている。


「持ち主見つかったのか?」

「見つかったといえば見つかったような……」

 煮え切らないジゼルにイラ立ったのか、ジャックはデスクを叩くように手をついた。


「お前らしくないな。ハッキリしろよ。ユージンが同じこと言ったら張り倒すくせに」

 言われなくても自分らしくないのはわかっている。

 これ以上隠していてもしょうがない。ジゼルは腹を決めて話した。


「連絡取った全員が持ってたよ。手元にないってヤツも、実家にあることを確認してもらった」

「なんだ、じゃあ……」

「連絡取った全員はね」

 そこを強調して言うと、ジャックはやっとわかったようだ。


「ってことは、連絡とれてない奴がいるのか?」

「まあ……あと一人なんだけど」


 ジャックは髭が伸びてきたあごをさすりながら考え始めた。

「指輪はそいつのものである可能性が高いってワケか。いや、待てよ……場合によってはそいつを参考人として引っ張ることもありえるのか」


 確かにあの件に関しては何の進展もなく、近日中に事故として処理されることになっている。手がかりらしい手がかりはあの指輪だけ、その持ち主が判明するとなれば、参考人として話が聞きたくなるのは警察官として当然の心理だろう。


「で、その最後の一人ってのは誰なんだ?」

 ジャックは勢い込んで聞いてきた。俄然やる気を出している。

「どうしても……聞きたい?」

 ジゼルは顔を引きつらせた。

「当たり前だろ」

 聞きたくないわけがない。それもそうだ。

 ジゼルは深い深いため息をついた。意を決し、その名を口にする。


「──ローレンス・ランドルフ=オリヴィエ」


「ん? その名前、どっかで聞いたことあるような……」

 首をひねるジャックに、ジゼルは皮肉交じりに笑って見せた。


「マドリガル国王レスター三世の四男。又の名をヴァレリア伯爵。王位継承権第四位の──正真正銘の王子様だよ」


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