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探偵王子  作者: なつる
第1章  8年後
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 マドリガル王国首都マドリガーレ。


 独立から約二百年、激動の二十世紀が過ぎ二十一世紀の今、マドリガーレの街並みは古きと新しきが同居する美しくも雑多な雰囲気だ。

 ヨーロッパ中北部に位置するこの国に冬が訪れるのは早い。足早に過ぎようとする秋の名残を、街路樹から落ちてくる紅葉した葉を眺めながらジゼルは感じていた。

 今日はまた一段と冷え込んだ。もう十月も終わり、雪が降る日も近いかもしれない。細い路地を駆け抜ける夕暮れの冷たい北風にジゼルは身を震わせ、ファーのついたジャンパーの襟をきつくあわせる。


 ここはグラヴィア王立区。歴史ある王立区の中にあって、一際治安の悪い地域だ。ムダに時間ばかり経ったような古色蒼然としたアパートメントが立ち並び、街全体にすえたような匂いが漂っている。住民はロクな職につけない移民ばかりで、行き交う人の目はうつろながら知らない人間を威嚇するような剣呑さをも持ち合わせていた。

 だがジゼルはこの街の雰囲気はそれほど嫌いではない。生まれ育ったスラムに良く似ているからだ。二十六歳になった今でも、当時のアパートを懐かしむこともしばしばだ。


 ジゼルはとあるアパートメントの前で立ち止まった。番地を確認し、壊れかけたドアを開けて中に入った。外ほど寒くはないが、建物全体が冷え切ってひんやりとした空気が漂っている。

 ジーンズをはいたスラリとした足、そして皮のブーツ。小気味良い音を立てて、コンクリート製の階段を軽快に上がっていく。


 三階のとある部屋の前でジゼルは足を止めた。そして慎重にドアを三回ノックする。

 コン、コン、コン──すぐにドアノブが音を立てて回り、ドアが内向きに開いた。男の髭面が覗いたかと思うと、男はドアから首だけを出し、廊下を探るように見回した。

 ジゼルが口を開く前に、男は彼女の手首を引っつかみ、部屋の中へと引きずりこんだ。そして後ろ手にドアを閉め、鍵をかける。

 ゆっくりと部屋を見回すと、そこは薄暗いワンルームの部屋で、中には髭面の男のほかに二人、見知らぬ男がいた。一人はベッドに腰掛け、一人は壁に寄りかかり、二人ともニヤニヤしながらジゼルを見つめている。


「……三人だなんて聞いてないんだけど?」

 ジゼルが言うと、髭面の男は悪びれもせず札束を取り出し、ジゼルの前にポンと投げ出した。

「一晩で三人ぐらい相手できるだろ。金ならいくらでもくれてやるよ」


 売春婦相手にずい分と気前のいい事を言う。この顔はそんなに金が欲しそうな顔に見えるのだろうか。だがそれだけの金がありながら外には出ず、売春婦を一人しか呼ばないあたりにこの男たちの用心深さが伺える。ジゼルはため息をついた。


「ま、いっか。面倒だから、三人いっぺんに相手してやるよ」

 男たちは顔を見合わせ、そして一様にだらしない笑みを浮かべた。たまっていたのか、頭の中は早くも淫らな妄想でいっぱいのようだ。

「さっさと脱いで」


 ジゼルの言葉に、男たちはそそくさと服を脱ぎ始めた。シャツを脱ぎ、ズボンを脱ぐさまを見つめて、ジゼルはほくそ笑む。だが丸められた服の中に拳銃があるのを見逃さなかった。

 男たちがパンツ一枚になったのを見計らって、ジゼルは髭面の男に背後から近づいた。三人の中ではこの男がリーダー格のようだ。ジゼルはためらうことなくその背中に抱きついて、首筋に腕を回した。


「──動くな」


 男のこめかみに、突きつけられた銃口。男たちの緩んでいた表情が、いっぺんに凍りつく。


「コイツの脳ミソぶちまけられたくなかったら、両手挙げて壁に手ェつきな」


 ジゼルは髭面の肩越しに、男二人に命令した。パンツ一枚という心許ない格好の二人は、人質を取られ、動くに動けずにいる。髭面がうめいた。


「な、何の真似だ……」

「そりゃあんたたち、心当たりあるだろ?」

 ジゼルは意地の悪い笑みを浮かべた。彼ら三人が連続強盗犯で、盗んだ金をしこたま溜め込んでいることは先刻承知なのである。


「か、金ならいくらでもやる……だから殺さないでくれ」

「へえ……で、金はどこにある?」

「ベッドの……下だ」

 ジゼルは素早くベッドに目を走らせた。あそこに盗んだ金およそ五十万クロル、米ドルにして百万ドル相当の札束が文字通り眠っているわけだ。

「悪いね」

 ジゼルは舌なめずりして見せた。このコソ泥みたいな女に、リスクを犯してまで強奪した大金を奪われるとは──といった悔しさが彼らの顔から滲み出ている。


「お前……何者なんだ? どっかの組織にでも頼まれてきたのか?」

 精いっぱいの抵抗なのか、髭面はジゼルにたずねてきた。

「知りたい?」

 髭面はコクコクとうなずいた──次の瞬間。


 部屋のドアが轟音を立てて吹っ飛んだ。


 煙と埃が舞い上がる中、驚く暇も逃げる暇もなく、複数の人間がこの部屋になだれ込んでくる足音がする。煙が薄くなると、そこには身をちぢ込ませる強盗犯たちを取り囲むように、銃を構えた男たちがいた。


「──警察だ」


 スーツ姿の男がポリスバッヂを提示しながら近づいてきた。髭面が呆然となってつぶやく。


「警察?」

「そういうこと」


 驚いている髭面に、ジゼルは笑って言った。そしてスーツ姿の男に目配せをすると、髭面の首に巻きつけていた腕を離し、両手で銃を構えなおした。その隙に別の若い男が髭面の後ろに回り、腕を拘束する。


「デニス・エリクソン──五件の強盗、及び傷害、器物破損の罪で逮捕状が出ている」

 ジゼルの言葉に合わせてスーツの男は紙切れを取り出し、髭面に広げて見せた。


「だましたな!」

 髭面ことデニス・エリクソンは怒鳴った。

「あんたが勝手にだまされたんだろうが。あたしを売春婦と間違えたのも、金を横取りしようとしたって思ったのも、全部あんたの勝手。あたしは何一つウソなんかついてないよ」

「クソッ!」

「はいはい、うるさくすんな。おとなしく逮捕されろ」

 デニスの仲間だった二人の男も、既に後ろ手に手錠をかけられている。様々な言い訳をわめきながら、刑事たちに外に連れ出されるところだ。


「ユージン、早くやっちまいな」

 ジゼルは髭面の後ろで彼を拘束していた優男に言った。

「そんなこと言ったってですね……手錠が……」

 手錠がうまく嵌らないのか、ずい分ともたついている。その隙を突いてデニスが暴れ出した。


「動くな!」

「おわっ」

 ユージンは情けない声を上げて尻もちをついた。さらにデニスはジゼルにぶつかり、よろめいたジゼルを尻目に窓へと突進した。


「待てコラ! 撃つぞ!」

 背中に向かって叫んだが、案の定彼は止まらず、窓をぶち破った。

「クソッ、ここ三階だぞ!」

 ジゼルは慌てて窓から身を乗り出した。その下は張り出していた一階の屋根部分で、デニスはその屋上で痛みに呻きながらも、這いつくばって地上へと降りようとしていた。


「止まれ! 今度こそ撃つぞ!」

 ジゼルは拳銃を構えた。だがデニスは動きを止めようとしない。ゆっくりとだが身体を起こし、今にも飛び降りそうな勢いだ。ジゼルは舌打ちしながら、引き金を引いた。


 乾いた破裂音が炸裂する。

 銃弾はデニスの──遥か上方を走り、全く見当違いな道路上へと着弾した。

「バカ! なんでこの距離で外すかなあ!」

 ジゼルの横で、スーツ姿の男が怒鳴っていた。ジゼルは顔をしかめたが、その間にもデニスは地上に降りようとしている。

「ならジャックが撃ってくれよ! ああっ、もうっ……これいらない!」

 ジゼルは拳銃をポイッと放り出した。ジャックと呼ばれたスーツの男が、慌ててそれを受け取る。


「ジゼル!」

 その時既に、ジゼルは窓から飛び降りていた。


 デニスと同じように一階の屋根に降り、さらにそこから地上へと飛び降りる。デニスは既に道路に降り立って逃げ出していた。飛び降りる際にひねったのか足を引きずっている。


「待てって言ってんだろっ!」

 同じように降りたのに、ジゼルの足取りは軽やかだ。あっという間にデニスに追いつき、つかみかかった。

「あたしから逃げられると思うなよっ!」


 振り返ったデニスの顔面に、ストレート一発。彼の反撃の拳は、虚しく空を切った。

「ぐはあっ」

 怯んだところに回し蹴り一閃。細身ながら切れ味鋭い蹴りが炸裂する。ブーツのつま先を頭にモロにくらって、デニスは路上に倒れた。


「まだまだあっ!」

 ジゼルはデニスの上に馬乗りになり、思い切りぶん殴った。

「お前らのっ、せいでっ、どれだけのっ、人がっ、不幸にっ、なったかっ、わかるかっ!」

 彼らに金を盗まれたせいで人生を狂わされたり、自殺未遂まで引き起こした被害者もいるのだ。その人たちのことを思えば、この痛みなど一瞬のものでしかない。


「ジゼル、もういい、やめろ!」

 追いかけてきたジャックに後ろから羽交い絞めにされて、ジゼルはやっと殴る手を止めた。気がつけばデニスの顔は、鼻からなのか口からなのかわからない血でぐちゃぐちゃになっていた。白目をむいて、完全に気絶している。ユージンもやってきて、今度こそデニスにしっかりと手錠をかけた。


「よーし、これで全員逮捕だ。ジゼル、お疲れさん」

 ジャックはジゼルの背中をぽんぽんと叩いた。ねぎらうというよりは、いきり立つジゼルをなだめるような仕草だ。

 ジゼルはようやく息をついた。一仕事終えた充実感もあったが、気持ちをこめた拳が今になって痛んできた。


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