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二十五分署に戻ってすぐ、ジゼルはアベルの携帯電話の通話記録を取り寄せた。犯人の起訴準備に入っている事件を、今更ひっくり返すのかと渋られたが、しつこく食い下がって許可をもらうことができた。
手元に書類が来るまでの丸一日、ジゼルはこんなに一日を長く感じたことはなかった。翌日の夕方になってジャックが持ってきてくれた通話記録に飛びつくと、ジゼルは破らんばかりの勢いでめくった。
アベルが最後に通話したのは、公衆電話からの着信だった。事件当日の夕方だ。
公衆電話の場所は──アンティック通り。発信記録も、直近のものはクレイグ・セヴァリーの電話番号だ。
「そんな……」
ジゼルは書類を握り締めたまま、呆然となった。
「おい、何がどうなってるんだよ」
ジャックの問いかけにも、ジゼルはなかなか答えられなかった。だがこれ以上は、自分の胸の内だけにしまっておくわけには行かない。
意を決して、ジゼルは指輪の出処を突き止めたところから、旧友の不審な言動までの一連の流れを、ジャックとユージンに説明した。
「そのセヴァリー社の二代目ってのが被害者から強請られてて、バーデ橋の下で金を受け渡すことになっていたと」
「そして金を渡した後、被害者を背中からブスリと刺した……」
ユージンの言葉にジゼルは黙ってうなずいた。信じたくはないが、そう考えるのが一番しっくりくる。
「でもジゼルさん、それにしては被害者はずい分と無用心じゃないですか? 背中から一突きですよ。あの暗い場所で脅した相手に背中を向けるなんて、よっぽど相手を侮ってたとしか思えないですね」
珍しく、ユージンが的確な意見を口にした。
確かにそれもそうだ。脅された側としては、脅してきた相手が憎くてたまらないはずだ。
クレイグも細身ではあるがラグビーで鍛えているので体格はいい。そんな彼から深い憎しみの目を向けられて、それに気付かずに無防備な背中を晒すなど、よほどの鈍感でなければ無理だ。
だが現実にアベルは背中から刺され、抵抗もできずに死んでいった。やはりクレイグは犯人ではないのだろうか。
「……で、どうする? そいつを引っ張ってくるのか?」
ジャックに問い詰められて、ジゼルは奥歯を噛み締めた。確定的な証拠はないが、クレイグがもっとも怪しいことには変わりないのだ。
ジゼルはポケットから携帯電話を取り出し、じっと見つめた。
いずれ直接話を聞かなければならないのなら──自分の手で決着をつけたい。それが友人としての勤めだろう。
電話帳を開こうとして、突然電話が鳴り出した。
ビックリして落としそうになった電話を握り締めてよく見ると、かけてきたのはリーラだった。ジゼルは慌てて出た。
「リーラ!」
なんというグッドタイミングだろう。クレイグに直接話を聞く前に、彼女に少し聞いておきたいことがある。
「あ、あのさ……」
切り出しかけて、ジゼルは異変に気がついた。
電話の向こうのリーラの声が聞こえない。その代わりに鼻をすするような、静かな音だけがしている。彼女は泣いているのだ。
「リーラ……どうしたの?」
落ち着いて聞くと、彼女の声がハッキリとした泣き声に変わった。
『ジゼル……』
いつも元気はつらつとしているリーラとは思えない声だ。長い付き合いの中で彼女が落ち込むこともあったが、こんなに泣きじゃくる彼女をジゼルは見たことがない。
「何があったの?」
しばしの沈黙。
『……彼が……クレイグが別れようって』
ジゼルは言葉を失った。
結婚を目前にしての婚約破棄、しかもこのタイミングである。クレイグ自身に何かあったとしか思えない。
クレイグは今どこに──聞きかけて、ジゼルはカレンダーに目を走らせた。今日は……
「記念同窓会……」
その日だった。クレイグもそしてローレンスも、今頃はブライス校の記念講堂に向かっているはずである。
『ジゼル──クレイグを止めて』
リーラのその声は思いがけずハッキリとしていた。
『彼は……ローレンスを殺すつもりよ』
「なんで……なんでクレイグがあいつを……」
その問いには、リーラは答えなかった。
『これ以上、彼に罪を犯してほしくないの。だからジゼル、あなたの手で彼を止めて』
「あたしがって……リーラは? リーラは今どこに?」
リーラは深く深く息を吐いていた。
『私は……私はもうどうしたらいいのか、分からないのよ……』
笑っているような、しかしながら消え入りそうな声で彼女が答えると、電話は突然切れた。
「……リーラ! ねぇリーラ!」
電話口でどれだけ叫ぼうとも、返事はもう返ってこない。電話を切ると、ジゼルは椅子の背のジャンパーを引っつかんだ。
「ジゼル、どこに行く気だ!」
「ブライス校の記念講堂。クレイグは……必ずそこに来るよ」
袖を通しながらジャックに答える。もう四の五の言ってる場合ではない。一刻も早く現場に向かわねば。
「車回します!」
ユージンが捜査車両のキーをつかんで走っていった。道路が渋滞し始めるこれからの時間、車の運転だけはうまいユージンが車を出してくれるのは正直ありがたい。
ジャックも脱いでいたジャケットを着なおして、出かける準備をしていた。
「チームリーダーとして、お前だけにつらい想いをさせるわけには行かないからな」
ジャックがジゼルの肩を叩く。この時ほど、二人が仲間でよかったと思えた時はなかった。
「よし、行こう」
二人が出て行こうとしたその時、駆け込んでくる人物がいた。
「ジゼル!」
「ルーファス!」
いつもは悠々と現れるルーファスであるが、今日は珍しく息せき切っている。だが今のジゼルに彼の相手をしている時間はなかった。
「ゴメン! 今ちょっと取り込んでて……」
「お前の知り合いが殺された件だ。まったく、お前のハナは犬以上だな」
彼は手にしていた一枚の書類を、問答無用でジゼルに差し出してきた。
「お前が嗅いだっていうニオイの元。ごくごく微量だったもんだから時間かかっちまった」
頼んだ当のジゼルでさえ忘れかけていた。アベルが殺された現場で嗅いだ、あの不思議なニオイの分析結果のようだ。
「花だよ。あのコートに付着していたのは、花粉だった」
「花粉?」
分析結果に目を通したジゼルは、その花の名前を見て言葉を失った。
ジゼルの記憶の中で花開く大輪の花。あの美しく堂々たる花を、いや……堅く青々とした花のつぼみを見たのは……
「ウソだろ……」




