1
翌日。
ジゼルは二十五分署地下の射撃練習場にいた。ゴーグルにヘッドホンをつけてブースに立ち、構えた拳銃の銃口を十メートル離れた的に向けている。
人型の的は──まっさらでキレイな身体をしていた。つまるところ、一つも命中していないのだ。
こんなもの練習するだけ弾のムダだと思うのだが、これも職務のうちなので仕方が無い。
「……だあっ! 当たんねー!」
今にも拳銃を投げ出しそうなジゼルの横では、ユージンが何食わぬ顔で的に全弾当てている。
「どうやったらそんなに当てられるんだよ」
ヘッドホンを外し、半分イヤミのように言うと、ユージンは聞こえていないはずなのに至極真面目に答えてくれた。
「じっと的を狙って、トリガーを引くだけです。簡単じゃないですか」
「その簡単なことができないあたしはバカだっていうのか?」
ユージンを下から睨みつける。完全に逆ギレ、因縁をつけるチンピラである。ユージンは半笑いでごまかしていたが、ふと顔を引きつらせた。
「ジ、ジゼルさん……後ろ」
「ああん? 後ろがどうしたってぇ?」
ジゼルが振り返ると──すぐ目の前にスーツを着た胸元が迫っていた。
「ぎゃあっ」
嫌な予感がしつつも恐る恐る顔を見上げると……
「ローレンス! なんでここに」
「君がここにいるからだ」
ローレンスは間髪いれずに答えたので、ジゼルは二の句がつげなくなって口をパクパクさせた。
彼の遥か後ろでは、ベアトリクスが笑顔で手を振っている。彼女に案内されてここまで来たらしい。
大体、この場所は関係者以外立ち入り禁止のはずなのに、王子だからといってフリーパスのように通してしまうのはいかがなものだろうか。
「……何しに来たんだよ」
「指輪の礼をしに来たんだが、取り込み中だったようだな」
「仕事中だよ! ったく……その辺に座って待ってろ。ウロチョロされても危なっかしくてかなわん」
ノルマはあと少し残っている。拳銃に弾を込め、的に向かって構えたところでふと思い出した。
自分の本当の射撃の腕を、ローレンスは知らないのだ。むしろ知られるとまずい。
どうやってローレンスをここから追い出そうかと考えていると、不意に背中が温かくなった。
「その肘の角度では、リコイルをうまく吸収できないぞ」
頭の上から降ってくる低い声。ギョッとして振り返ろうとしたが、銃を構える両手に大きな手が添えられて、動きを封じられてしまった。
ローレンスが、ジゼルの後ろから銃の構え方を指導してきたのだ。
「あ、あぶねーから座ってろって言っただろ!」
しどろもどろになりながら悪態をついてみるものの、彼は完全無視でジゼルの腕の角度を直してくる。振りほどこうにも後ろから抱きすくめられている状態なので、無闇に動けない。
引きつった顔で横を見ると、ユージンとジャックがニヤニヤとこちらを見ていた。マズイ、完全に勘違いしている目だ。
「……大体リコイルってなんだよ!」
恥ずかしさをごまかすようにジゼルは怒鳴った。
「弾丸が射出される際の反作用で、射手にも力が作用することをリコイルという。反動が大きければ大きいほど収束までの時間が長くなり、次弾の照準があわせづらくなる──君はそんなことも知らないで拳銃を持っていたのか」
「い、いや、その……」
「道理で下手なわけだ」
「お、お前! なんでそれを……」
「構え方を見れば一目瞭然だ。ハリーだって気付いていただろう」
隠すまでもなく、この王子様は当の昔に見抜いていたのだ。
ジャックとユージンが横で笑い転げている。あとで絶対殴ってやる──
ガックリうなだれるヒマもなく、ローレンスはジゼルの腕を直し、肩の高さを整え、ついでに腰の向きを変えた。
「ど、どこ触ってんだよ! このムッツリ!」
「いいから撃ってみろ」
ごまかされた気もするが、ジゼルは照準はそのままに引き金を引いた。
いつもとは確かに感触が違う。
放たれた弾丸は思ったとおりの軌跡を描いて、人型の肩あたりを撃ち抜いた。
「当たった……」
つぶやいたユージンよりも、ジゼルが一番驚いていた。やたらめったらに撃って当たることはあっても、狙いを定めて当たったことなどそうそうない。
「ふむ……君の筋肉は格闘技に特化して、射撃に向いていないと見える」
ローレンスは自分が教えたのに真ん中に命中しなかったことが不満のようだ。
「そ、そうだよ。あたしは拳銃より素手で殴るほうが向いてんの!」
「君にもっとも足りないのは、『誰かを救いたい』という気持ちなのかも知れんな」
「誰かを……救いたい……」
「君がその手に持つ拳銃は、犯罪者を攻撃するためのものではない。善良な市民の命を守るためのものだ。その意味を今一度じっくり考えてみるんだな」
ジゼルは手の中の拳銃をじっと見つめた。
拳銃は人の命を奪うものであるのと同時に、人の命を救うためのものでもあるのだ。基本的なことだが、ローレンスに言われるまで忘れていた。
「さっきはああ言ったが、ハリーと対峙した時の君なら命中したかもしれないな」
「う、うるせー。えらそうに」
立場がなくなって、ジゼルはそっぽを向いた。これ以上は練習にならないとあきらめて、拳銃を片付ける。
「外出るぞ」
ジゼルはローレンスを連れて射撃練習場を出た。
練習場の外では、新しく採用したという秘書が主の帰りを待っていた。ローレンスもさすがに一人では動きづらくなったらしい。
自由奔放に動いてきたツケが回ってきたせいだろうが、どこに行くにもお供がついてくる生活というのは、彼の生まれ持った宿命とはいえ少しかわいそうでもある。
二人は分署の階段を上りきり、屋上へと出た。
冬の短い陽は既に暮れ始め、薄曇のかかった西の空が柔らかな茜色に染まっている。冷たい風がやめば、ほんのりと残る昼間の暖かさが疲れた身体を癒してくれた。
二人きりの屋上。一つしかない出入り口の向こうには秘書を始め、こちらを伺う人影がいくつも見えるような気がするが、ジゼルは気にしないことにした。
「指輪の礼なんて、わざわざ言いにこなくてもいいのに」
「礼というのは口実だな。君に聞きたいことがあった」
横に並ぶローレンスを見ると、薄く笑みを浮かべていた。
「どうせアベルの事件のことなんだろ」
ジゼルは呆れて言ったが、彼は否定しなかった。ただ静かに笑うのみだ。
「ったく……お前も学習しないな。首突っ込むのやめろって……といっても、アベルの事件はほぼ解決してるけどな」
「強盗殺人らしいな」
「ああ。それも現行犯逮捕。犯人は否認してるが、状況証拠からいってまず間違いないというのが上の見解だよ」
「その口ぶりだと、君の見解は違うのか?」
細かいところを突いてくる。まったく嫌になるほどカンのいい男だ。ジゼルは大きなため息をついた。
「あくまで印象だけどな。気になってる点はいくつかある」
ローレンスは黙ってうなずいた。
「一つは犯人の供述。犯人は──スリで前科あるヤツなんだけど、財布を取ったときには既にナイフが刺さっていたと供述してる。まあ単なる苦し紛れのウソにも聞こえるけどな、背中から一突きで殺してまで財布を取ろうとしたのがちょっと腑に落ちない」
犯人のニールがいくら金に困っていたからといって、人を殺してまで金を奪うだろうか。彼の取り調べの様子をモニター越しに見ただけだが、そんなリスクを犯せるような男には見えないというのがジゼルの心証だ。
「もう一つは財布に入ってた一万クロルの現金。教師の給料にしては破格のものだ」
「アベルがそんな大金を?」
「ああ。銀行口座から下ろした形跡もないし、どこかから借りた形跡もない。出所不明な金だ。犯人はこの金の存在は知らなかったと言ってるが……どこかでこの金のことを知って、アベルに狙いを定めてたという考え方もできるな。それにしてはちょっとお粗末な犯行だけど」
「君はその金について、どう考える?」
ジゼルはその問いにすぐには答えなかった。うつむき、一呼吸置いてから口を開く。
「アベルさ……お前の指輪のことで、何か知ってたんじゃないのか」
顔を上げると、無言のローレンスの瞳がキラリと光ったように見えた。
「リーラの事務所でみんなに聞き込みしたとき、アベルが気になること言ってたんだ」
アベルがマイルズ・ボーフォートの死に興味を抱いていたことを話すと、さすがにローレンスも思案顔になった。
言おうか言うまいか──ずっと悩んでいたことを、ジゼルは思い切って口に出した。
「まさか……アベルが指輪盗んだ犯人なんじゃないだろうな」
自分が盗んだ指輪が死体の服の中から発見されたとなれば、心中穏やかではいられないだろう。自分が殺したわけではないにしろ、その死因について詳しくも聞きたくなるかもしれない。
「財布に入っていた一万クロルは、指輪を売ったお金?」
ジゼルの飛躍した考えに、ローレンスは首を横に振った。
「僕のものという付加価値を考えても、一万クロルは高すぎる。オークションならいざ知らず、まともな店に売ったとは考えられない」
「当然、足がつくからな」
「ああ。僕のイニシャルが消されていたことから考えても、その金は指輪の代金ではないと考えるのが妥当だ」
指輪を売り払う前に消されていたのなら無論、売り払った後に業者が消したのだとしても、自ら価値を下げることになるのでありえない。
ではあの金は……一体何なのか。
「アベルが何らかの形で、僕の指輪に関わっていたというのは事実だろう。そして財布の中の大金……君ならそこから何を連想する?」
突然のローレンスの問いに、ジゼルは腕を組み、じっくりと考えた。
「……口止め?」
指輪について何か知っていたアベルが、大金を持ってあの暗い橋の下にいたという事実は、どうしてもそういった後ろ暗いものを感じさせる。
ローレンスもうなずいて見せた。彼も同じ結論だったらしい。
「アベルは誰かに脅されていた?」
「あるいは、誰かを脅していたか」
「一万クロルは口止め料……か。アベルが払おうとしたのか、それとも受け取ったのか」
「容疑者の言葉が真実だと仮定すれば、アベルはあの場所で相手と会い、何らかのトラブルとなって結果殺されたという考え方もできる」
ジゼルは目を閉じ、その情景を脳裏に浮かべてみた。
川沿いの月明かりだけが頼りの暗い橋の下で、誰かと会うアベル。だが次第に激昂し、つかみあってもみ合う二人。
そして非情にもアベルの背中にナイフが突き立てられる──
白銀の刃が放つ光が相手の顔を照らし出そうとするが、顔は目鼻がなく、真っ黒なイメージでしかなかった。
「アベルは何をしたんだ? 相手は……誰?」
次々と疑問はわきあがるが、答えはおろか糸口すら見つからない。思わず救いを求めるようにローレンスを見上げたが。
「それを突き止めるのが、君たちの仕事だろう」
彼はジゼルを突き放した。冷たいというよりはどこか歯切れの悪さを感じさせる。
「……言われなくても、こっちで調べるさ」
引っ掛かりを感じながらも、ジゼルは減らず口で返した。
遠くを見つめたままのローレンスの顔には、迷いとも悲しみともつかない複雑な表情が浮かんでいる。
彼は何かを隠している──ジゼルは直感的に思った。
だがそれが何なのかを、この男から掘り出すのは至難の業だということも知っている。
昔から答えたくない質問には頑として口を開かない男だ。容疑者として最も対峙したくないタイプである。
ジゼルに見られていることに気付いたのか、ローレンスは無表情を作ってジゼルに向けた。
「時に──君のお父上は?」
露骨な話の逸らし方だ。彼にしては珍しいが、ジゼルはあえてその話に答えた。
「親父は四年前に死んだ。余命半年って言われてから、二年も長生きしたよ」
自嘲気味に笑ってみせると、彼は少しだけ眉根を寄せて目を閉じた。
「そうか……それは残念だったな」
「覚悟はできてたさ。看病しながら仕事してたときも必死だったけど、死んでからは仕事一本に打ち込んであっという間だったよ」
父がこの世を去っても取り乱すことなく、粛々とその事実を受け入れられることができたのは、長い療養生活の中で覚悟を決める十分な時間があったからに違いない。
その後も、仕事と、そして理解ある仲間たちのおかげで素早く立ち直ることができた。一番辛かった時期に自分を励ましてくれた、ジャックやベアトリクスには今も感謝している。
「お前は留学したんだろ」
「よく知ってるな」
「そりゃあんだけテレビや新聞で騒がれりゃな。イヤでも耳に入ってくるよ。オックスフォードにMIT、ソルボンヌにトーキョー。学位を五つも六つもとって、早々に博士号まで取得して。新聞じゃバケモノ扱いだったぜ」
一般人でも十分耳目を集めることだが、それがましてや王子ともなればマスコミが騒がないわけがない。
学問に集中するあまり浮いたウワサが一つも出なかった彼を、マスコミは揶揄の意味もこめて【バケモノ】と評していたのだ。
「王子様はやっぱすげーな。高校の頃はまだ見えてたお前の背中が、今じゃすっかり見えなくなったよ」
同じ高校にいたことすら、実は夢だったのではないかと時々思ってしまう。そのくらい、ローレンスとは頭脳的にも立場的にも差が開いてしまった。
自分なりの褒め言葉のつもりだったが、彼はただ夕暮れの空を眺めるだけだ。恥ずかしくなってうつむいたその時。
「君は──この街でずっと僕を見守っていてくれたんだな」
「は?」
顔を上げると、ローレンスの穏やかな瞳がジゼルを捉えていた。
「君がこの街を守ってくれたから、僕も安心して学問に打ち込むことが出来た」
ローレンスは右手でジゼルの右手をつかんだ。ビックリして手を引っ込めようとしたが、彼の右手薬指にはめられた指輪に目を落としてハッとなった。
「卒業式の日に、君がそう約束したんじゃないか」
自分の右手、彼の右手。薬指に光る同じカレッジリング。
『あたしは警察官になって、このマドリガーレを守る。だからお前は安心して、好きなだけ勉強続けな』
約束だと自分が勝手に思っていただけなのに。
一方的に約束して、一方的に守っていただけだ。もう二度と会うことのない、彼への友情と感謝と、そして決別の証として。
まさかこんな形で再会するとは、あの時は夢にも思わなかった。
あれから八年が経ち、ローレンスの指輪が紆余曲折を経てジゼルの手へと渡った。
八年間、彼と再会する機会を徹底的に避けてきたジゼルを責めるように、手の中で輝いた彼の指輪。
ジゼルは決してロマンチストではないが、指輪がもたらした再会には運命を感じずにはいられなかった。
ローレンスの顔を見上げる。
あの頃の面影を残しながらも、あの頃よりもずっとずっと精悍な大人の男の顔つきに変わった。
至近距離で人の顔をじっと見るクセだけは変わらない。誤解されるからやめろと、何度も口を酸っぱくして言ったのに……
「再会してから、ずっと君に伝えたかったことがある」
ローレンスの言葉に、ジゼルは息を呑んだ。彼の強い視線に囚われて、身動きもできない。心臓が高鳴る音が身体中に鳴り響くようだ。
「僕は──」
「わああああっ!」
ローレンスの声を掻き消すように、叫び声が上った。
驚いて振り返ると、出入り口のドアが開いて、ユージンやジャックたち数人が屋上に倒れこんでいた。
「…………」
ジゼルとローレンスの視線を受け、ジャックは顔を起こし愛想笑いを浮かべる。
「あ、こちらはお気になさらず。続きをどうぞどうぞ」
固まるジゼルを尻目に、身体を起こしたジャックは下敷きとなったユージンの首根っこを捕まえて引っ張った。
「お──ま──え──ら──」
殴りこもうとしたジゼルを、ローレンスの手が引き止める。手を取られていたことをすっかり忘れていた。
「ジゼル、僕は──」
「お前も続けようとすんな!」
途端に恥ずかしさがこみ上げてきて、手を振り払ってしまった。
ドア付近ではジャックとユージンがまだジタバタやっている。さっきの落ち着いた雰囲気はどこへやら、すっかり騒々しくなったところで颯爽と現れた秘書の冷静な声が場を締めた。
「殿下、そろそろお時間です」
「わかった」
ローレンスはあっさりと踵を返した。
「では頑張ってくれたまえ」
「……ったく、そんなに忙しいんだったらもう来んなよ」
出口へ向かう彼に、憎まれ口を叩いて見送る。
だが胸の内のもやもやはどうにも収まらず、ドアを出ようとする背中にジゼルは声をかけた。
「……ローレンス!」
ローレンスは足を止め、振り返った。
いつも通りの無表情の中に、微かに憂いが滲む。
「いや……なんでもない」
彼が隠している何かを、ジゼルはどうしても聞くことができなかった。気まずくなって目を逸らし顔を背けたジゼルに、今度はローレンスが声をかける。
「ジゼル」
「……なんだ?」
再び見上げた彼の顔からは、ハッキリと悲しみの色が見て取れた。
「僕は……間違っているのかもな」
「え?」
意味がわからず聞き返そうとしたが、彼は追いすがる声を振り払うように、ドアの向こうへと消えていった。




