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翌朝、新聞各紙は一面で、テログループによるオラトリア宮殿爆破計画のニュースを報じた。それは明らかにローレンス王子を狙ったもので、一部紙は王子が一時テログループに拉致されたとまで伝えたが、真偽は不明としてそれについてはそのままうやむやとなってしまった。
ジゼルは一連の不祥事の責任を取って、懲戒免職も覚悟したが、実際は三日間の自宅謹慎と減俸一ヶ月という軽い処分に終わった。
王子とのつながりがあるジゼルの処分をあまり重くしてしまうと、ジゼルと王子が拉致監禁された上に王子が時限爆弾を解体していたことまでマスコミに嗅ぎ付けられそうで、大きな騒ぎにはしたくないという王室庁と警備担当の近衛師団の思惑が見え隠れする処分内容となったわけだ。
署長に怒られるのは慣れているので屁でもないが、自宅謹慎は仕事大好きのジゼルにとってはさすがにキツかった。家に一人でいてもやることはないし、そうしている間にも仕事は溜まっていく。何よりも自分の失態で、ジャックやユージンにまで迷惑をかけてしまったことが悔しかった。
二人は「気にするな」と笑ってくれたが、ジゼルの分まで仕事を抱えて一杯一杯になっているのは明らかだ。
謹慎が明け、ジゼルは申し訳ない気持ちを抱えて重い足取りで二十五分署に出勤した。
「朝から辛気臭い顔見せんじゃないよ」
ジゼルの顔を見るなり、ジャックは呆れ顔でそう言った。
「景気づけに、引ったくり犯でもブン殴りに行くか?」
「やめとくよ。謹慎明けなんだし、おとなしくしてるさ」
「ジゼルさんがこんな殊勝なこと言うなんて……やっぱりまだおかしいですよ」
ジゼルはユージンの頭に手を伸ばし、髪の毛をつかむと思い切り頭突きをかました。
「やっぱりテメーは一言多いんだよ」
もんどり打つユージンを尻目に、ジゼルは自分の席に座った。
「しかし……王子も大変なことになったな」
ジャックはつきっぱなしのテレビを見ながらそう言った。
テレビのニュースでも、連日のようにオラトリア宮殿のテロ未遂事件について報道されていた。
ここ最近、国内外でテロ活動が活発になっていることもあり、警察だけでなく軍もテロリストの動向に過敏になっていたところにこの事件だ。今頃宮殿は上を下への大騒ぎに違いない。
「オラトリア宮殿は警備システムの強化をするそうだ。その間王子は宮殿を離れ、二十四時間の厳重な警護体制の下で過ごすとさ」
ジャックがその記事が書いてある新聞を渡してきたが、ジゼルは受け取らなかった。
「別にどうでもいいよ。もう事件にあいつは関係ないだろ? あたしらだって外されたんだし」
今回の一件でマイルズ・ボーフォートがテロリストの一味であることがわかり、俄然やる気を出した上層部の命令で、この事件は殺人事件として徹底的に調べ直されることになったのだが、ジゼルたちは当然ながらこの件から外されていた。
投げやりなジゼルの様子に、ジャックはしょうがないと言わんばかりに肩をすくめていたが、ふと思い出したのかポケットに手を突っ込んだ。
「ああ、そういえば。ほれ、お前の携帯。事件現場に落ちてた」
「サンキュ。また買わなきゃと思ってたから助かるよ」
ジャックから携帯を受け取る。だがジゼルはすぐにはしまわず、手の中の携帯電話をじっと見つめていた。
「携帯電話……」
「ん? 携帯がどうかしたか?」
「あ、いや……あたしらを拉致した犯人、あたしの拳銃は奪ったくせに、ローレンスの携帯は奪わなかった……」
監禁するつもりなら、普通は携帯電話を取り上げるはずだ。外と連絡を取ればすぐに居場所はバレる。実際、携帯のGPS機能でハリーが助けに来てくれたのだ。
「何でだ? 単にうっかり見逃してただけなのか、あたしらがすぐに爆死すると思っていたのか……それとも」
「それとも?」
「元々殺すつもりなどなかったのか──なんて、まさかな」
ジゼルは乾いた笑い声を発した。それが本当なら本末転倒である。
ちょうどその時、三人に近づいてくる人物がいた。
「ようジゼル。謹慎明けおめでとう」
鑑識のルーファスだった。
「おめでたいんだかおめでたくないんだか」
「そんなこといって、あの爆弾部屋で王子と二人、よろしくやってたんだろ?」
ルーファスまでこれだ。ジゼルはもはや呆れ顔だった。
「だからさあ……なんでみんなそういう風に考えちゃうわけ? あたしとあいつはそういう関係じゃないってずっと言ってるのに」
「まあまあ、恥ずかしがるなって」
面白がって冷やしながらも、ルーファスは一枚の紙をひらひらと振って見せた。
「王子がバラした爆弾の解析が出たよ」
「解析? そんなことしなくたってあれはもう爆発しないんだろ?」
「それで終わりじゃないんだな、これが」
笑ってはいるが、その目は鑑識官の何事も見逃さない鋭い目だった。
「あの爆薬──中身はC4じゃなくて、ただの粘土だったよ」
ジゼルは目を大きく見開いた。
二十五分署の暗い廊下の奥、人気のない場所を選んでジゼルはローレンスに電話をかけた。長い呼び出し音に着信拒否されているのかと思ったが、イラ立ちを抑えながら辛抱強く待っているとやっと繋がった。
『待たせたな。場所を移動していた』
相変わらず抑揚のない声だが、声を聞いて少しホッとしている自分に気がついて、ジゼルはふるふると頭を振った。
「あの、あたし……だけど」
『それはわかっている』
この男の電話越しの声は常に怒っているように聞こえる。表情が見えないから尚更だ。
「あ、あの……この間は……あり、がと」
一応助けてもらった身でありながら、あの後のゴタゴタで結局礼も言えずじまいだったのを思い出したのだ。
『別に君を助けたわけじゃない。僕自身が死にたくなかっただけだ』
「……お前はそういうヤツだよな」
振り絞った勇気がムダになったような気分だ。
「で、大丈夫なのか」
『今は市内のホテルにいる。警備システムの変更にしばらくかかるので、それまでの辛抱といったところか』
宮殿を離れたとは聞いていたが、市内のホテルにいるのはちょっと意外だった。どこかは知らないが、最上級のスイートルームにいるのは間違いないだろう。
「ああそうだ。お前が解体したあの爆弾さ……」
『偽物だったんだろう』
「わかってたのかよ」
ジゼルは一応は驚いたが、この男のことだからこれくらいのことをわかっていてもあまり不思議はない。わかっているくせに他人にはそれを教えないあたり、根性曲がりな男だ。
「爆薬はC4じゃなくて、ただの粘土だったってさ」
『あの爆弾は、最初から爆発させる意思がないように思えた。まるで解体を望んでいるかのような素直な構造だったからな。だからこそ素人の僕でも解体できたとも言える』
「じゃあ、一体犯人は何のためにあたしらをあの部屋へ……」
『それについての考察を述べる前に、君に調べてもらいたいことがある』
ジゼルはまためまいに襲われた。この男は懲りるという言葉を知らないらしい。
「お前、いい加減にしろって。今度騒ぎ起こしたらシャレにならんぞ」
だが及び腰なジゼルを無視するかのように、ローレンスは続けた。
『ここ数日間のうちに、オラトリア宮殿に出入りした工事業者を詳しく調べて欲しい』
「カンベンしてくれよ……」
『そしてもう一つ。ある人物の素性についてだ』
「……ある人物?」
ローレンスが告げてきたその名前に、ジゼルは息を呑んだ。
「……お前、本気か?」
『ああ本気だ。でなければこんなことを君に頼まない』
少しは信頼されているということだろうか。だがどうもわりに合わないというか、リスクが大きすぎる。
「でもそれ調べてるのバレたら、今度こそあたしの首が飛ぶんだけど」
『今の僕に調べられるわけがないだろう。ホテルのスイートルームに押し込められ、二十四時間警護という名の監視つきの生活だ。囚われの身を少しは心配して欲しいものだよ』
「誰が心配するか」
ジゼルは毒づいたが、考えればこの電話もその警護の目を盗み、会話を聞かれないようにしながら話しているのだろう。ジゼルはため息をつきながらも覚悟を決めていた。
「……わかったよ。調べておく」
『三日後にこちらから連絡する。では』
そういうとローレンスは電話を切った。ジゼルは閉じた携帯を眺めてしばらく思案していたが、一つ気合を入れるように「よし」とつぶやくと、ジャックとユージンを探しに歩き始めた。
それから三日間、ジゼルはジャックとユージンの力を借りて、ローレンスに頼まれた事案についての調査を行った。
キナ臭くなってきたこの事件について、二人とも刑事としての興味もあるのだろうが、それ以上にジゼルとローレンスの関係についての興味のほうがどうも大きいようだ。誤解を解くのも面倒になってきたので、ジゼルはもうその興味を利用することに決めた。
様々なツテを頼り、時には情報源に小金を握らせて、何とか情報を揃えることができた。
そしてきっちり三日後、夕方近くになってローレンスから電話がかかってきた。
『僕だ』
「わかってるよ」
ジゼルは人目につかない場所に身を隠しながら、調査結果をまとめたファイルを開いた。
「お前が不在の間に宮殿に出入りした工事業者は三社。警備システムのソフトウェア改修に一社、監視カメラの増設に一社、そして地下にある電源設備の修理に一社だ」
『なるほど』
何がなるほどなのかはわからないが、電話の向こうでローレンスは考えるところがあるらしい。黙り込んでしまったので、ジゼルは勝手に続けた。
「お前の言う人物についても調べてきたよ」
『聞こうか』
「借金がかなりある。先物取引に失敗したらしい。しかも相当ヤバめなところから金借りてるみたいなんだよな」
『だろうな』
「だろうなって……わかってたみたいな口ぶりだな」
『かの人物の性格からして、異性関係というよりは金がらみだろうと予測していたまでだ。で、ヤバめというのはどういうところだ?』
「そこまでわかってるんなら自分で調べろっつの……マフィアだよ。いや、マフィア崩れというべきか。表向きは貸金業だが、裏の顔は麻薬から売春、賭博までなんでもござれの、名誉も仁義もへったくれもない連中さ」
違法行為に手を染めていても、組織内での仁義や矜持といったものを重要視するのが本流のマフィアである。
ジゼルが調べたその組織はそういう意味でマフィア以下、ギャングに毛が生えた程度の無法者の集まりということだ。国家警察が調査中だという話も聞いた。
ローレンスの千里眼ぶりにジゼルは一気にやる気をなくして、大きなため息をついた。
「そんだけ予想ついてるんなら、マイルズがご執心だったっていうティルラって女が、その人物の妹だってのも知ってるんだろ?」
ローレンスが微かに息を呑む音が着こえた。
『いや、初耳だ』
ジゼルは小さくガッツポーズをして見せた。ローレンスを出し抜いた気分だ。
『……それは意外だったな。だが、それですべてが繋がった』
「え? これが何か関係あるのか?」
『僕はあると確信しているが、それを証明するには宮殿に行かなければならない』
またか、とジゼルは頭を抱えた。
「おい……ホントにカンベンしてくれよ。もうあの騒ぎに巻き込まれるのはゴメンだぞ」
『フェイクだったとはいえ、あの爆弾を解体したのは僕だぞ。それに爆発寸前に怯えて僕に抱きついてきたのは一体どこの誰だったか』
「い、いやその……あ、あれはだな……」
ジゼルはしどろもどろだ。あの時は何も言わなかったくせに、今になってそれを持ち出してくるとは卑怯者である。
『時に……君はレネッタ通りのアイスクリーム屋を覚えているか?』
突然話題を変えてきたローレンスに、ジゼルは戸惑いながらも答えた。
「あ、ああ、あの行列のできる店か? うまかったよな」
高校時代にローレンスや仲間たちと一緒に食べに行った、移動販売のアイスクリームショップだ。舌の上で冷たくとろけるあの甘味を思い出して、思わずつばが出てくる。
ローレンスは何故か鼻でふふんと笑っていた。
『──もう一度食べたいものだ』
その言葉で、ジゼルにはピンと来るものがあった。顔は引きつり、額に冷や汗が浮ぶ。
「お前……まさか……い、いや、あたしはやらないぞ」
『では僕に抱きついた件を公にしても』
「うわああああああああ」