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「……ゼル……ジゼル」
誰かに頬を叩かれている感触がある。煩わしくなって、ジゼルはその手を払いのけた。
「……うるさいなあもう」
うっすらと目を開ける。光と共に目に飛び込んできたのは──
「……ひいっ」
ローレンスの真顔だった。しかも超至近距離。鼻と鼻が触れ合いそうな近さだ。
「気がついたか」
「気がついた! ついたから離れてくれ!」
一気に目が覚めた。どうやら自分は壁にもたれて座った状態で気を失っていたようだ。彼が身を引いてからやっと身体を動かすと、途端に頭と腰に痛みが走った。
「……いってえ……」
「大丈夫か」
ローレンスが差し出してくれた手をつかみ、立ち上がる。
「なんとか。お前は?」
「大したことはない。君がかばってくれたようだからな」
まだ少しぼんやりする頭で、意識を失う前のことを思い出す。
事件現場であれこれ調べていたところで、突然何者かにスタンガンで襲われたのだ。先にローレンスが倒れ、彼をかばいながらジゼルもまた電撃によって気絶させられてしまった。
「悪い……頼りにされてたのに……」
まったく立つ瀬がない。これでも警察官なのに。
「君が謝ることはない。これは不可抗力だ」
落ち込むジゼルを励ますようにローレンスは言った。彼がいつもと変わらない調子なのが救いだ。
「しかし一体誰が……って、ここ、どこだ?」
改めてジゼルは今いる場所を見回した。
狭い部屋だった。
窓はなく、天井から吊るされた裸の電球だけで部屋を照らしている。ジメジメした感じからして、地下室といった印象を受ける部屋だ。
耳を澄ますが、外の音は何も聞こえない。ジゼルとローレンスの動く音だけが部屋の中に響いている。もちろん暖房などなく、底冷えする寒さが足元から忍び寄ってくる。
不安と惨めさが一緒に襲ってきて、ジゼルは自分の身体を抱いて震えた。
ローレンスは袖をまくり、腕時計を見ていた。高級そうな時計だ。
「僕たちが気絶していたのは三十分といったところか。事件現場からはそう離れていないはずだが」
「ってことは倉庫街のどこかだな。このあたりは中世から残る地下壕が結構あったはず。ここもそんな地下壕の一つってとこだな」
「詳しいな。さすがは警察官だ。一応褒めておこう」
「一応は余計だ」
ジゼルは毒づいたが、この天才に褒められると悪い気がしないのもまた事実だ。
さらに部屋をよく見てみると、そこら中に様々な機械や電子機器が雑然と置かれていた。中央に大きな木机が鎮座しているが、その上も機械類でいっぱいだ。機械には弱いジゼルには良くわからないが、誰かがここで何かを作っていたように思える。
ローレンスが先立って、部屋の中を物色し始めた。ジゼルは鉄製のドアを見つけ、近づいてノブを回してみたが……
「やっぱダメか」
ノブが回る気配は全くなかった。このドアは両側から鍵をかけられるタイプらしい。何度か体当たりしてみたが、当然ながらびくともしなかった。
「ちっ、拳銃もとられてるよ」
これではドアノブや蝶番を吹き飛ばすこともできない。ジゼルはあきらめて、ローレンスに歩み寄った。
「何なんだろうな、この部屋」
ローレンスが黙って何かを差し出してきた。
「何これ」
それは写真立てだった。しかも中に入っていた写真の人物にジゼルは見覚えがあった。
「──マイルズ・ボーフォート」
写真立ての左半分にマイルズの写真が、そして右半分には知らない女の写真、しかも隠し撮りされたような写真が、並んで飾られていたのだ。
「ここは被害者マイルズ・ボーフォートが使っていた部屋と考えて間違いないだろう」
「そういうことだな」
しかし、マイルズはこの地下室で一体何をしていたのだろう。
木机の上を探りながら歩いていると、ローレンスがふと立ち止まった。目の前には四角い箱があり、中に何か入っている。
突然、箱からピッという電子音がした。
「何?」
近づこうとしたジゼルを、ローレンスは手で制した。
「触るな」
「何だよ」
ジゼルにそう言いながら、自分は顔を近づけて箱の中を覗き込んでいる。遠目だが、箱の中に大きな袋状のものと、その横に電子装置のようなものが見えた。
デジタル表示のカウンターのようなものが見えたところで、ジゼルの背中に薄ら寒いものが走る。
「これは──爆弾だ」
ローレンスは身体を起こして言った。ジゼルの悪い予感が当たったようだ。腹にズーンと重いものを感じる。
「マジかよ……」
「たった今スイッチが入った。人感センサーのようだな」
タイマーの表示は五分を切ったところだ。すなわち、あと四分ちょっとでこの爆弾が爆発するということである。
「ふむ。この部屋の様子からすると、被害者マイルズはこの部屋で爆弾を作っていたらしい。マイルズを殺した犯人は、証拠と一緒に僕たちも始末するつもりのようだ。実に合理的だ」
「感心してる場合かよ! 逃げるぞ!」
ジゼルは手近にあった木製の椅子をつかみ、ドアに向かって思い切り叩きつけた。
「ムダだ」
椅子は鉄製のドアを凹ませることもできずにバラバラになった。それでもジゼルはあきらめず、ドアに体当たりを続ける。
「ドアが壊れる前に、君の身体が壊れるぞ」
「だからってじっとしてられるかよ! せめてお前だけでも逃がさないと……」
「まずは落ち着くんだ」
「落ち着いてられっかよ! あと四分もしたら爆発して、あたしもお前も死んじゃうんだぞ!」
ローレンスは王子だ。彼が拉致された上に爆死したとなれば、王室の、いや国の一大事だ。自分が殉死するのとは事の重要性がまるで違う。
しかも自分がついていながらこんなことになってしまって、後悔してもしきれない。警察のメンツにかけて、いや、友人として、ローレンスだけは何が何でもここから脱出させないと。
肩と腰の痛みを押してドアにぶつかろうとしたジゼルの腕を、ローレンスがつかんだ。
「離せよ!」
「離さない」
彼の真摯な瞳に見つめられて、ジゼルは息を呑んだ。手を振りほどこうにも、身体が痺れたように動かない。
「落ち着いて話を聞くんだ」
焦りと悔しさで沸き立っていた頭が急速に冷えていく。ジゼルが静かにうなずいたのを見て、ローレンスはやっと手を離した。
「僕たちが確実に助かるには、この爆弾を解体するしかない」
「解体って……でも、あたしはそんなことできないし」
研修の一環で爆弾の基本的な構造については学んだが、解体までは学んでいない。それ以上の事は爆弾処理班の仕事だ。
「誰が君にやれと言った。僕がやる」
ローレンスの言葉に、ジゼルは血の気が引く思いがした。
「冗談はやめてくれ。いくらお前でも爆弾処理の経験なんてないだろ」
「経験はないが、知識はある」
「あんのかよ……」
確かにこの男ならそれぐらいの知識を持っていても不思議はない。だが知識があっても実践するとなるとまた話は違ってくる。しかも相手は爆弾、失敗すれば即、死が待っているのだ。
「けど……そんな危ないこと、お前にさせられるわけが」
ローレンスは薄く笑った。
「爆発すれば僕たちが死ぬだけでなく、近隣一帯に被害が及ぶ。これがすべてC4だったとして、この量だと少なくとも上にある建物がきれいさっぱり吹き飛ぶぞ」
ジゼルは青ざめた。いくら倉庫街とはいえ、人が全くいないわけではない。万が一この上に誰かがいて巻き添えを食らったが最後、その人の命さえも奪うことになってしまう。
「僕の持つ能力を今使わないで何時使うというんだ。君が何と言おうと、僕が解体する」
今ここでこの爆弾を解体できるのは彼しかいない。彼以外に解体できる者はいないのだ。
ジゼルは覚悟を決めた。
「わかった……お前に任せるよ」
ローレンスはうなずいた。
だが彼はすぐには動かず、爆弾をじっと眺めるのみだった。その間にもタイマーが示す時間はどんどん減っていく。
「お、おい……早く……」
残り三分を切って、ジゼルがまた焦り出した頃、ローレンスはようやく口を開いた。
「爆弾は何故爆発するか、君は知っているか」
「こんなときまでバカにすんのかよ。爆薬に火がつくからだろ?」
「そうだ。この爆弾の場合、時限装置によって爆薬に埋め込まれた電気信管に信号が送られ、電気が走ることにより発火、それが爆薬に引火し、誘爆を起こして結果大爆発を起こすわけだ」
ローレンスの口調はまるで学生に講義する教授だ。
「この爆弾を無効化するもっとも単純な方法が何だか、わかるか?」
「もったいぶってないでさっさと言えよ。時間がないんだぞ!」
イラ立って怒鳴ったが、ローレンスはあくまで冷静に、一呼吸置いてから口を開いた。
「──爆薬を外すんだ」
ジゼルはポカンと口を開けた。あまりにも意外だったからだ。
「そ、そりゃそうだけど……こういうのって、普通はタイマー止めないか?」
「君は映画の見過ぎだ。僕が見たところ、最も迅速に、尚且つ安全に処理するにはその方法しかない。爆発するものさえなければ、これはただの時限装置に過ぎないのだからな」
そう言うとローレンスは近くにあった道具箱を引き寄せ、中からペンチやニッパーを取り出して並べた。さらに机の上を漁り、転がっていた小さな部品をつかむ。
「……本当にやるのか?」
「ああ。君は机の下にでも隠れてるといい」
「バカ言うな。お前だけ危険な目にあわせられるかよ」
「殊勝な心がけだ」
残り時間は既に二分を切っている。
だがローレンスはまたも爆弾に顔を近づけ、覗き込んでいた。
「センサー類がほとんど入っていない。人感センサーは、スイッチを入れるためだけのものか……ふむ、この爆弾は解体されることを前提には作られていないな」
「どういうことだ?」
「爆弾魔と呼ばれるような人間が作るものは、解体されることを前提に様々なトラップを仕掛けるのが普通だ。要は製作者と解体者の知恵比べだな」
それはジゼルも聞いたことがある。それ故に、爆弾魔の作る爆弾にはそれぞれに特徴があり、個性があるのだそうだ。
「だがこの爆弾にはそのようなトラップが一切ない。作りが素直すぎるんだよ」
「こ、講釈はいいから早く!」
ローレンスはようやく工具を手に取った。残り一分。
「まずはニッパーで配線の被膜を取り除く。そしてそこに別の配線を取り付け……」
ローレンスはゆったりと、確実に作業を進める。残り二十秒。
「ダミーの信管を取り付ける。よし」
「あ、あ、あ、あ」
残り十秒。九、八、七、六……ジゼルは目を閉じた。
「うわあああああああ」
「最後に爆薬に繋がる配線を切れば……」
パチン、パチン。
「終了だ」
ピ────パシュッ。
一際高い電子音が鳴り響いた後、破裂音が鳴った。
何も、起こらない。
恐る恐る目を開けると、先ほどと何一つ変わらない光景が目の前に広がっていた。当たり前だが、生きているようだ。
「た、助かったぁ……」
へたり込みそうになって、しっかりと抱きつく。そこでようやくジゼルは自分が何かにつかまっていたことに気付いた。
「…………あ」
つかんでいたのはローレンスの身体だった。顔を見上げ、しっかりと目が合ってしまう。
「うひゃあああああ、ごっ、ごめん」
飛び退るようにして離れたが、当のローレンスはまったく意に介していないようだ。
破裂音は、ダミーの信管が燃えた音だった。爆薬には信管が刺さったままだが、全く変化はない。回路から爆薬を分離することに成功したのだ。
「全くハラハラさせやがって! そんなに簡単に解体できるならもっと早くやってくれよ!」
気まずさを紛らわすためにジゼルは怒鳴った。
「生きている爆弾を見る機会などそうそうないからな。じっくり観察させてもらった」
「ホントやめてくれよ……寿命が縮まったぞ」
今度こそジゼルは気が抜けて、その場にへたり込んでしまった。
冷たい床の上に腰を落とし、深くため息をつく。ふと横を見ると、机の下、積まれたダンボール箱の下に挟まるように、大きめの図面のようなものが落ちていることに気付いた。爆弾の設計図かと思ったが、手繰り寄せてみるとどうも違うようだ。
「……地図? 平面図か」
大きな庭のある、広い屋敷のようだ。この構図、どこかで見たような……そう思って下に書いてある建物名を見ると。
「オラトリア宮殿だな」
いつの間にか、ローレンスが腰を曲げて図面を覗き込んでいた。さすがに自分の住んでいるところだけあってすぐにわかったらしい。
「まさか……マイルズはオラトリア宮殿を爆破するつもりだった?」
「この場合、そう考えるのが妥当だろうな」
「ってことは、テログループの一員だったのか」
「テログループの一員か、もしくはテロリストから単に依頼されていたのか……いずれにしろ、彼がここで爆弾を作っていたことは明らかだな」
「お前、そんなのん気なこと言ってられるのかよ。命狙われてるんだぞ!」
「いつものことだ」
ローレンスは平然と言った。王族ともなれば命を狙われることはままあることで、それ故に警護がつき、住居も厳重に警備されているのだ。
たまたま高貴な血を引いて生まれてきたがために、思想や言論の標的となって命を狙われると言うのは不条理極まりない。もっとも、このローレンスはそれでさえも楽しんでいるフシがあるが。
「ったく……で、どうやってここから出る?」
お尻が冷たくなって、ジゼルは立ち上がった。爆弾は処理できたものの、ドアが開かない以上ここから出ることはできない。部屋にはもちろん電話などないし、携帯電話もない。
突然──ドアをドンドンと激しく叩く音が響いて、ジゼルは飛び上がりそうになった。
「ローレンス殿下! そこにいらっしゃいますか!」
ドアの向こうからくぐもった声が届く。
「ハリーだ」
それは秘書ハリーの声だった。ジゼルは我に返り叫んだ。
「王子は無事だ! 早くここ開けてくれ!」
「ドアを吹き飛ばします。下がっててください」
二人がドアから離れた場所に身をひそませると、ドアの外が俄然うるさくなってきた。人が大勢集まってきているようだ。
しばらくして、大きな銃声が二発、向こう側で響いた。この音はショットガンだ。二、三度体当たりする音が聞こえて、程なく煙と共にドアが開いた。
「殿下!」
最初に飛び込んできたのはやはりハリーだった。ローレンスがなかなか戻ってこないことで焦り、そこら中を探し回ったのだろう。その顔は疲労の色が濃かった。
「ご無事で」
「ああ、大したことはない。それよりも爆弾処理班を呼んでくれ。僕が処理して爆発は避けられたが、まだ爆薬が残っている」
「爆弾? 殿下が?」
ハリーは眉をひそめたが、すぐに処理班を呼ぶよう後ろにいた人間に指示した。
横にいたジゼルに気付くと、ハリーは明らかに冷ややかな視線を送ってきた。それも仕方ないとジゼルは恐縮していたが、あきらめたのか呆れたのか彼は視線をローレンスに戻した。
「ハリー、どうやってここがわかった?」
「殿下の携帯電話のGPS機能を使って大体の位置を割り出しました」
「携帯? そんなの犯人が持っていって……」
ジゼルが言うと、ローレンスがコートのポケットに手を突っ込んだ。
「携帯電話ならここにある」
そう言って彼は折りたたまれた自分の携帯電話を取り出した。
「え、持ってたの? ならもっと早く出せよ!」
「言葉を慎んでください」
冷ややかなハリーの声が、ジゼルとローレンスの間を遮った。
「こんなことになるなら……ムリヤリにでも殿下について行くべきでした。殿下のワガママを聞いてしまった私の失態です」
ガマンできなかったのだろう。ハリーは堰を切ったように叱責の言葉を吐き出した。
「しかし、仮にも警察官のあなたがついていながら、殿下と一緒に拉致され、さらには爆弾の処理まで殿下にさせるなど言語道断です」
ジゼルは何も言い返せなかった。これがどれだけ重大な失態か、ジゼルが一番良くわかっている。ローレンスの命に別状がなかったのが唯一の救いではあるが、処分はどうやっても免れないだろう。
「……申し訳ありません」
その言葉を搾り出すのが精いっぱいだった。ハリーの怒りはローレンスにも向けられた。
「殿下もしばらくは外出を控えていただきますよう。勝手な行動を繰り返されては私どもも困ります。王族としてのご自覚をもう少しお持ちください」
「……仕方ないな」
ローレンスはため息混じりに言った。
その時、バタバタと部屋になだれ込んできた人間がいた。
「ジゼル!」
自分を呼ぶ声に振り返ると、ジャックとユージンが入ってくるところだった。
「大丈夫だったか」
ジャックはジゼルに駆け寄った。彼もずい分と心配してくれたのだろう。ジゼルの顔を見るとホッとしたように表情を緩めた。
「あたしは平気。王子も大丈夫だよ」
「王子とジゼルさんが行方不明って聞いたときにはホント焦りましたよ。先輩なんかもう顔面蒼白になっちゃって」
ユージンが言うと、ジャックは照れ隠しなのか、彼の頭を思い切り叩いた。
「ともかく無事でよかったよ……」
今まで散々無茶をやってきたが、ジャックにこんな顔をさせたのは初めてかもしれない。それほどまでに事が重大であったということだ。
改めて愕然となるジゼルの横で、ハリーが一つ咳払いをした。
「とにかく、この件については、王室庁から首都警察へ改めて抗議させていただきます。わかっていると思いますが、今後一切、殿下には接触しないでください」
ハリーはきつい口調で言った。彼は彼の職務を正当な形で全うしているだけのこと、これ以上ジゼルたちに口を挟める隙はない。
「殿下、参りましょう」
そう言うと、ハリーはローレンスの背中を押して部屋を出た。
「あ……」
ジゼルが何かを言いかけて、ローレンスが振り返った。だが──何と言葉をかければいいのかわからない。喉の奥で詰まったように、苦しさだけがこみ上がってくる。
ローレンスはまた前を向き、ハリーと共に行ってしまった。
消えていく背中を追いすがるように見つめていたジゼルの肩を、ジャックが慰めるように叩いてくれた。




