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探偵王子  作者: なつる
第3章  追憶と再会と
14/31

 リーラの事務所を出たときには既に日は暮れ、西の空に夕焼けの名残を残すのみだった。冬の始まりを告げる空っ風が通りを吹き抜け、ジゼルとローレンスは寒さに震えてすぐに車に乗り込んだ。


「結局何にもわからなかったな」

 車窓を流れる街の景色を眺めて、ジゼルはつぶやいた。王室専用車の中は暖かく、シートはふかふかで、捜査車両とは比べ物にならない乗り心地の良さだ。ローレンスは相変わらず何かを深く考え込んでいる。今日一日この調子だ。


「ただちょっと……」

「何だ」

「あ、いや……なんでもない」


 アベルの様子が少しおかしかったのが気になる。事件に興味があるといっていたが、あの感じは何かを隠しているように思えて仕方がない。友達を疑うような真似はしたくないが、刑事というのも因果な職業だ。

 ちょうど車がバンサール通りの近くに差し掛かって、ジゼルは運転するハリーに声をかけた。


「あ、ちょっと止めてください」

 車が止まったのは、バンサール通りへの曲がり角だった。

「ここからもう少し行った先に事件現場があるんだ」

 夜になり、通りはところどころ街灯が点るのみで人影は見えない。倉庫街ということもあってか、二十一世紀の今でも産業革命以前を思わせる暗い雰囲気が漂っている。


「降りよう」

 ローレンスは自分でドアを開け、下りていった。ジゼルも慌てて追いかける。

 ハリーも降りてきた。さすがに警護がつかないとダメだと思ったのだろう。

「ハリー、君は車に残っていてくれ。すぐに戻る。彼女もいるし、大丈夫だ」

 いざというときには、ジゼルに守ってもらうつもりらしい。確かに警察官の職務の一環ではあるが、本職ではないので当てにされても困る。

「しかし……」

「すぐに戻る」

 ハリーはまだ何か言いたそうだったが、あきらめたのか渋々車に戻っていった。ローレンスに振り回される者同士、今なら彼と気が合いそうだ。


 ジゼルはローレンスと並び、通りを歩き出した。

「お前さ、もっと自分の立場考えろよな」

「僕は十分自覚しているが」

「してねーよ。お前が自分の好奇心満たすために、周りがどれだけ迷惑してるかって考えたことあるのか?」

「『好奇心こそ人類の英知の原動力。聖なる好奇心を失ってはならない』」

「なんだ、それ?」

 ローレンスは微かに笑った。

「かのアインシュタインの言葉だよ。加えるなら、僕は決して自分の好奇心を満たすためだけに行動しているわけではない。僕は僕なりの正義を持って生きているだけだ」

「ったく、御託ばっかり並べやがって」


 バンサール通りから遊歩道へ出る。川沿いのこの道に街灯はなく、より一層暗さを増している。足元も危ういし、誰かが潜んでいたとしても絶対に見つけられない。それでも臨時の警護として、ジゼルは懐中電灯を手にして後ろを警戒しつつローレンスの前に立って進み、現場にたどり着いた。

 事件から二週間以上経ち、あたりはすっかり日常を取り戻しているように見えた。川岸に手向けられた花がなければ、ここで人が死んだとは誰も思わないだろう。


「この辺に引っかかってたらしい。川底に沈んでたら一年は発見が遅れてただろうな」

 ローレンスはジゼルが指差したあたりを見つめていた。

「被害者の身辺は調べたんだろうな」

「聞き込みはしたよ。でもこれといった話が何も出てこなかったんだ」

「人物としては清廉潔白ということか」

「っていうよりは、印象薄い人物だったみたいだな」


 被害者マイルズの同僚や近所の住民が声を揃えて言ったのは、とにかく「影の薄い人」だった。仕事ぶりは真面目だったようだが、その一方で不気味な面もあったという。


「大学では電子工学を専攻、大手メーカーに就職後、転職を経て今の会社に入社。開発者としてそれなりの報酬はもらっていたらしい。金に困っている様子はなかったけど、交友関係は少なかったみたいだな。まあ、一言で言えば『ネクラ』だ」

 ローレンスは腕組みしてしばらく考え込んでいたが、おもむろにジゼルに対して手を差し出してきた。


「検死結果を見せてくれ」

「え、ここで?」

 こんな明かりのない場所でも、自分が見たいと思ったら何が何でも見たい男だ。ジゼルは仕方なく、持っていたバッグの中から懐中電灯を頼りに資料を取り出し、ローレンスに渡した。

 彼の手元を照らし、資料を読むのを手助けする。明かりに照らされた彼の横顔が近くに見えて、ジゼルは慌てて資料に意識を集中した。


「ってか、お前そんなの見てわかるの?」

「常識だ」

「常識じゃねーよ」


 ローレンスは量子工学で博士号を取得したが、彼はそれ以外にもいくつかの学位を持っている。さらに大学時代にはあらゆる学問の単位を取得しており、その節操のなさはもはや人間技ではないとまで言われていた。検死結果の数値を読み解くことくらい訳ないのだろう。


「被害者はかなり酔っていたようだな」

 ジゼルに資料を返しながらローレンスは聞いてきた。

「ここから歩いて十分くらいのバーで男の連れと一緒に飲んでたようだけど、特に険悪な雰囲気だったとかでもなく、二人は一緒に店を出たってよ」

「相手の男の素性は?」

 ジゼルは首を横に振った。

「その店にもこの辺にも防犯カメラもなくてさ。顔写真も取れてないよ」

 店でも二人はそれほど印象に残るような行動はしておらず、マイルズの顔写真を店員に見せても、「あーこんな人だったかも」くらいの証言しか実際取れなかった。


「被害者がどこから川に落ちたのか、わかっているのか?」

「あの橋の上……ってことになってるけど? こんな真っ暗な遊歩道、普通は通らんだろ」

 ジゼルが指差した橋を眺めて、ローレンスは瞬時に計算したようだった。


「橋からここまでおよそ二十メートル。橋の上から落ちて溺れたとして、普通はそのまま沈んでしまうだろう。だが彼はここで発見された」

「流されたのか、ここまで泳いだんじゃねーの?」

「泥酔状態でか?」

 ローレンスの言葉にジゼルはハッとした。


「しかも今の季節、水温はかなり低い。泥酔状態で着衣のままともなれば、相当な技術でもなければこの距離を泳ぐのは無理だ。流されたというには川の流れが緩すぎる」

「……ってことは?」

「被害者はこの遊歩道から落ちたんだ。そして溺れ、船着場にたどり着いて力尽きた」


 ジゼルはローレンスの言うその光景を思い浮かべながら、消えない疑問を彼にぶつけた。


「でも……なんでこんな真っ暗で危険な道を……まあ、自宅まで川を辿って行けば多少は近道になるのかもしれないけど、泥酔状態の千鳥足じゃ簡単に川に落ちるぞ」

「確かに一人だと不安だが、もし誰かもう一人──そばにいたとしたら?」

「……相手の男か。そいつに担がれて、被害者は遊歩道に降りた……ってことか」

 ローレンスはうなずいた。


「被害者もしくは相手の男は、このあたりに土地勘があったのかもしれないな」

「この倉庫街に?」

「防犯カメラも人気もない道、真っ暗な遊歩道……彼らはそれを熟知していたのだろう」

「人目を忍ぶには絶好の場所だな」

「彼らには人目を避けるような後ろめたい何かがあったんじゃないのか」

「──犯罪行為とか?」

 確かにそれなら納得がいく。そういうことなら、人目の少ないこの倉庫街はもってこいの場所だ。


「こんな場所だからこそ、被害者はここで死んだ、とも言える」

「つまり、元々仲間だった二人は仲間割れをして、被害者は相手の男に川に突き落とされて殺されたってことか?」

「その可能性も十分あるということだ。むしろ僕はそう考えるほうが自然だと思うが」


 ローレンスはそう言って中指で眼鏡を持ち上げた。

 ジゼルは唸った。事故と短絡的に考えるのは簡単だが、現時点でそろう証拠は全てローレンスの唱えるストーリーに合致する。これを「妄想」として全く無視するのは逆に難しい。

 悔しいが、ローレンスの言うとおり、殺人事件として本格的に捜査しなおしたほうがよさそうだ。


「よし……わかった。ちょっと待ってて、ジャックに電話するから」

 ジゼルはローレンスに背を向け、バッグの中から手探りで携帯電話を取り出した。

 ジャックの番号を探し出し、通話ボタンを押そうとしたその時。


「ジ……ゼル」

 突然──背中に重く暖かいものを感じた。

「えっ」


 回される太い腕。囚われて、身動きができない。驚きで携帯電話を落としてしまった。

「ちょっ……あの……」

 ローレンスに後ろから抱きしめられていた。ジゼルの心臓が早鐘のように激しく脈打ち、言葉がうまく出てこない。


「な、なんで……じゃない、こんなとこで……でもない、いや、こっちにも心の準備って物がさ……って違う!」


 いろいろなことが頭の中でごちゃ混ぜになって、ぐるぐると回っている。

「いや、あの、ローレンス…………んん?」

 何かがおかしい。背中にかかる重みは増す一方で、これでは抱きしめるというより寄りかかっているようだ。


「おい、ローレンス」

 返事がない。呼吸もどこか変だ。抱きしめる腕を何とか緩めて、身体を反転させる。

「お、おい……」

 反応はなかった。彼の大きな身体は力なく、倒れそうになるその身体をジゼルは全身で受け止めた。


「ローレンスしっかりしろ!」

 彼は完全に気を失っていた。一体何があったというのか……

 その時、ジゼルはローレンスの肩越しに人影を見た。


「誰だ!」

 人影は答えなかった。暗い上にフードを被っているのか顔が全く見えない。コートを着込んだシルエットでは男か女かもわからない。人影がその手に持つ何かが、バチバチと音を立てて青白い火花を散らした。


「スタンガン……」

 ジゼルは悟った。ローレンスはこれで気絶させられたのだ。

「くそっ」


 人影はスタンガンを振りかざして迫ってきた。ジゼルは立ち向かおうとするが、ローレンスの身体を抱えながらでは無理がある。スタンガンを突き出した最初の一撃を身体をひねって何とかかわした。

 人影が舌打ちした。声は男のようだが、顔はやはりよく見えない。ジゼルは空いた手で腰の後ろにぶら下がる拳銃を探った。


 だが二撃目──男は素早く体勢を整え、またもスタンガンでがむしゃらに突いて来た。さっきよりも至近距離だ、このままではローレンスに当たってしまう。

 ジゼルは瞬時に身体をひねり、その身を盾にした。


「あああああああああっ」


 腰に激痛が走る。身体中が痺れ、息が止まった。

「……っく」

 身体が言うことをきかない。ジゼルはローレンスを抱えたまま、地面に崩れ落ちた。

 男の足音が近づく。殺されるかもしれない恐怖と戦いながら、それでもジゼルは必死に意識を繋ぎとめようと踏ん張る。


 ごめん、守ってやれなかった──いや違う、あたしは……お前に守られたのか?


 世界が暗転する中、ジゼルはローレンスを抱く腕に弱々しくも力をこめた。


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