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八年ぶりの母校は何ひとつ変わらず、当時と同じ姿で自分を迎えてくれた。
古びた校舎も、窓から見える景色も、歴史と伝統に満ちた校内の空気でさえ懐かしく感じる。長机の窓際の席に腰掛け、外の風景を眺めるローレンスの横顔を見ていると、本当に当時に戻ったかのようだ。
ローレンスがあの時、ビルに何を言ったのかは未だにわからないが、あの頃から少しずつ感情を見せるようになったのだ──と、ジゼルは教室に立ち、昔を思い出していた。
ブライス校はグラヴィア王立区の市街地に建っている。教会が基になっているだけあって、建物にも重厚かつ荘厳な雰囲気が漂っている。一学年八十人ほどの小規模校ではあるが、その分手厚い教育を受けられるとあって今も人気は高い。
最高学府プラルトリラ大学も近いので積極的な交流があり、学力の高い生徒は大学レベルの授業を受けることもできるのだ。
ローレンスは予告した時刻ちょうどに、警察署までジゼルを迎えに来た。黒塗りの王室専用車で、仏頂面の運転手ハリーまでおまけでついてきたのには閉口したが、それ以上にジゼルを悩ませたのは意味ありげに笑いながら見送ってくれたジャックとユージンだった。
二人は被害者マイルズの周辺に改めて聞き込みに行くということで別行動となったが、二人のあの顔は絶対に何かを勘違いしている。
帰ったらきちんと誤解を解こうと考えていると、教室のドアを開く音が聞こえてきた。
「お待たせいたしました」
入ってきたのは、指輪を最後に見たというカメラマン、名をダールと言う青年だった。
ローレンスに紹介され、握手を交わす。名刺を差し出しながら、ダールはジゼルに聞いた。
「あの、指輪が見つかったって本当ですか?」
「ええ。本当ですよ」
死体が持っていたとは説明しなかったが、気弱そうなダールは心底安堵したような表情を見せた。王子から預かった指輪をなくしてしまったことを大層気に病んでいたのだろう。
「とりあえず、指輪がなくなったときの状況をもう一度説明してもらえますか」
ジゼルがたずねると、ダールは申し訳なさそうな顔をして話し出した。
「殿下とご友人の皆さんが向こうの教室で談笑されている間、僕はこの教室で殿下からお預かりしたカレッジリングを撮影していたんです」
いつの間にかジゼルの横に並んでいたローレンスがうなずいていた。
「もう少しで終わるという時になって、携帯電話が鳴ったので出ました。ですが電波状況が良くなかったみたいで、電波が途切れ途切れになるのでつい指輪をそこに置いたまま教室を出てしまったんです。それでもまだダメで、突きあたりのドアから外に出て話していました」
そのドアというのは教室を出た右側の廊下の突きあたり、いわゆる非常用のドアだった。ジゼルも外に出てみると、そこは教職員専用の喫煙所になっており、ダールが外に出た時も数人がそこでタバコを吸っていたという。
「時間にして五分ほどでしょうか。電話が終わって教室に戻ったときには、指輪が既になくなっていたんです」
「その状況じゃ、無くしたって言うよりは盗まれたって言ったほうがしっくりくるな。そのあいだ、この教室に出入りした人間は?」
「わかりません。この校舎自体誰でも出入りできましたし、座談会のあった日は土曜日でしたけど、部活がある生徒さんもいらっしゃいましたからね」
ジゼルはダールから一枚の写真を受け取った。無くなる直前に撮られた、ローレンスの指輪の写真だ。死体が持っていた指輪は名前の部分が削られていたが、写真に写る指輪の内側にはその部分にしっかりと彼の名前が刻まれている。
L・A・S・C・R・O──ローレンス・アレクサンダー・シーグフリード・コーネリアス・ランドルフ=オリヴィエ。彼の全名のイニシャルだ。あまりにも長すぎて刻印できないので、イニシャルになったのだろう。
「指輪は銀製、石もないし、宝石としての価値はほとんどないよな。売ったとしても高が知れてる。撮影機材のほうがよっぽど高いだろうな」
ということは、指輪の価値を知らない外部の人間の犯行だろうか。死んだマイルズもそれに当てはまる。ローレンスとの接点はなかったようだが、このブライス校でなら盗める可能性はあったわけだ。
だがあくまで推測で、マイルズ自身が盗んだという確かな証拠はない。ダールにマイルズの写真も見せたが、知らないし見たこともないと断言した。
「これだけじゃ、誰が盗んだのかはわからないな……」
ジゼルは大きく息を吐いた。盗まれてすぐならまだしも、既にかなりの時間が経っている。証拠も記憶も薄れてしまっているのだ。
「今日はどうもありがとうございました」
「いえ、お役に立てずに申し訳ありません」
ダールは本当に申し訳なさそうだった。
「もし何かわかったことがあったらご連絡ください」
まだ考え込んでいるローレンスを置いて、ジゼルはダールと共に教室を出た。
「指輪がなくなった後、殿下と共に教室中を探したんですが、全然見つからなかったんです。絶望する私に殿下は『気にするな』とおっしゃってくださったのですが……」
ダールは教室のローレンスを振り返りながら、小声で言った。
「でも私は見たんです──次の仕事があってどうしてもその場を離れなければならなかった私に内緒で、窓の外の芝生を一生懸命に探していた殿下の姿を」
その様子を思い浮かべるだけで、ジゼルの胸も少し痛んだ。自分だって、あの指輪がなくなったら地べたに這いつくばってでも探すだろう。ダールもまた断腸の思いだったに違いない。
「殿下はあの指輪を大層大事にされていたんだと思います。だから、指輪が見つかって本当に良かった……」
そう言って息を吐いたダールの表情が、妙に印象的だった。