決着! そして……
一本取られた。そう思ったが、審判の旗が揚がる事はなかった。剛三、誠ともに旗は揚がっていない。二人とも紅白の旗を交差させている。「どう、して……?」
「やっぱり、片手じゃ有効にはならないか……失敗したわね。これで決まったと思ったのに残念だわ」
残念という割りに、面の隙間から覗く友里の瞳は余裕たっぷりであった。これが、女子とはいえ、全国四位の実力なのだろうか。
「見事な抜け胴である。だが、片手では人の胴を二分するには不十分。アレを有効打突と認める訳にはいかんのである。遺憾ではあるがな」
親父ギャグなのか。道場中が凍りついたような気がしたが、気のせいでは無いだろう。
「全国大会一回戦敗退にしてはやるわね。これが、男女の差というものなのかしら」
開始線へと戻る最中に、友里が涼しげに言ってくる。こちらは胴を決められて、生きている心地がしないというのに、何て奴だ。
健吾も呼吸を整えながら、開始線へと戻る。
しかし、今のままではこちらに勝機は無い。もし、現状を打開する方法があるとすれば、今まで禁止されてきた、突きしかないだろう。タイミングも、要領も分からないが、友里の虚を突くにはそれしかない。
失敗すれば、間違いなく一本取られるだろう。だが、やるしかない。
「始めっ!」
開始の掛け声と共とに、友里は素早く打ち込んでくる。来ると分かっていても、受け流すのが精一杯の打ち込み。
それから、友里の打ち込みを裁きながら、何とか一本取られずにいるが、向こうの攻めペースも早く、攻撃に移れない。このままでは、最初の打ち合いと同じだ。いずれ、本命の打ち込みで今回こそ一本取られてしまう。
タイミングは分からないが、とにかく一撃にかけるしかない。
友里の打ち込みを受けてすぐ、突きを放つ。
「つきぃっ!」
大きく踏み込んで、限界まで腕を伸ばした渾身の突き。だが、竹刀は友里の喉元一センチ手前で止まっていた。
完全に虚を突いたつもりだったが、友里は反射的に後方へと飛び退いていたらしかった。
「こてぇ!」
完全に伸びきった腕に友里の小手が決まった。
「こてあり!」
剛三、そして誠が、白い旗を揚げる。全員一致の有効打突。つまりは、一本。
「一本、それまで!」
一本取られてしまった。結局、友里に一度も竹刀を叩きつける事が出来なかった。
勝負が決まったのだから、開始線に戻って礼をしなくてはいけないのに、思ったように足が動かない。それどころか、その場で膝をついてしまう。
全身から力が抜けてしまう。誠の事とか、転校するとか、そういう事以前に悔しくて仕方がない。全国大会では、負けをすんなりと受け入れられたというのに、今回はどうやらそうはいかないらしい。
「健吾くん、気持ちは分かるが、礼をするまでが試合である」
剛三がやたらいい笑顔で近寄ってくるが、健吾の面の奥を見た途端、その笑顔は真面目な表情に戻る。
「健吾くん、泣いているのか?」
健吾の目からはとめどなく涙が流れ落ちていた。今まで試合で負けてなく事なんて無かった。だが、今日だけは違っていた。久しぶりに剣道をやったからだろうか、それとも、知り合いに負けたという事が、予想以上に堪えたのだろうか。それは自分でもよく分かっていない。
とにかく悔しくて悔しくて仕方がない。こんな気持ちになったのは初めてだ。剣道関連だけじゃない、生まれて初めての感情。自分の感情が暴走してコントロールできない。涙が止まらずに、嗚咽が出続ける。
「健吾……」
友里は既に開始線の前に立って、礼をするのを待っている。だが、その面の下の瞳は健吾を捕らえている。ただ、見てるだけで何も行動を起こす事は無い。
「健吾くん、うぬが誠と離れるのが悲しいという事は非常にわかる。だが、これは勝負であり、うぬも納得した上で受けたはずである」
剛三は健吾の肩に手を置き、慰めるように語りかける。だが、剛三は基本的な勘違いをしている。剛三だけではない、この道場にいる全員が勘違いしている。健吾が泣いているのは誠のせいではない、剣道で負けた事だ。だが、ただ泣きじゃくる健吾もそれを口に出来ない。
「うぬはもう、誠の彼氏にはなれな――」
「待って下さい、父上!」
剛三の言葉を遮るように、誠から大きな声が発せられる。その大きな事は今まで聞いた中で最も大きな声だった。健吾もその声に反応して、誠の方を見る。
「誠、お前の気持ちは分からなくもないのである。だが、これは男と男が決めた事、お前が口を出す事ではない!」
「いいえ、父上。これは私が口を出すべき問題です。私にも、いえ、私に相手を決める権利があるはずです!」
剛三の迫力に屈する事も無く、誠も反論する。今まで剛三の言いなりだった誠の姿はそこには無かった。自分の決めた事を口にする、自立した誠の姿がそこにあった。
「私は、健吾を愛しています。他の人ではこの気持ちは納まりません。どうか、健吾にもう一度チャンスをあげてくれませんか? 彼なら次は勝ちます」
目の前で泣いている男の何処を信じているのか、誠ははっきりと言い切った。その堂々とした姿に、剛三の方がうろたえているようにも見える。
「私からも、お願いしますわ。先程の突きが私に届かなかったのは、ただの偶然ですの。タイミングに突きの踏み込み、狙い、全て完璧でしたわ。前もって後方に移動しなければ、先に一本を決めていたのは、健吾だった筈ですわ。勝負に『もし』などという事は無いと、理解していますが先程の試合では納得できない部分もありますわ」
友里まで誠に加勢して、健吾にチャンスを与えるよう申し出る。剛三は渋い顔をしながらも、口を開く。
「……確かに先程の突き、久しぶりに身震いしたのである。中学生の頃には使った事無い筈の突きをあそこまで使いこなすのは、見事としか言いようが無いのである。だが、負けは負け。誠との交際を認める訳にも、ペナルティ無しとするわけにはいかんのである」
剛三にも譲れない部分があるらしい。大人として、父親として、鬼瓦財閥総帥として、一度勝負したからには、敗者をそのままにする事は出来ない。




