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(後編)

 彼女は立ち上がり、僕の正面に立った。それではじめて、彼女の身長は僕よりもずっと低いのだと気づいた。

「じゃあ、恋人のロボットさん。わたしになにをしてくれるの?」

 彼女はそう言って、期待しているような、意地悪をしているような、惑わすような視線を僕に向けた。

「えっと、そうだな──」

 僕は恋人同士ってなにをするものなんだろう、と必死で考えた。

「キスをしようか?」

 恋人同士ならきっとするだろう、と思ったのだけれど、彼女は不満げに下を向いた。

「残念、はずれ。ちょっと急ぎすぎだわ。そんな風にがっついたらだめよ」

 怒られてしまった。

 もしかしたらこれで恋人失格なのかな、と思ったけれど、彼女は次の答えを待っているようだった。

 僕はあらためて考える。だけど、彼女を納得させられるようなアイデアは浮かばなかった。僕は両手を広げ、降参した。

「ごめん、どうしたらいいの?」

「だらしないわね。もう降参なの?」

「そんなこと言っても、僕はいままでずっとひとりでここにいたんだ。恋人ができるなんて思ってもみなかったから、舞い上がってしまってどうしたらいいかわからないよ」

 僕の言い訳を聞くと、彼女は考えるそぶりをして「それもそうか」と言った。

「だろう?だから、きみが教えておくれよ。最初はなにをしたらいいの?」

 すると彼女はさっきよりもさらに考えこんで、黙ってしまった。

「まさか、君も知らないんじゃ──」

「そんなことないわ。確かにわたしも実際に恋人ができるのは初めてだけれど、病室にいるあいだいろんな本を読んでいたんだから」

 そう言ったあとまたしばらく考えて──ただ待っている僕にはその時間はとても長く感じられた──ようやく彼女がこちらを向き直った。

「そうね、それじゃあ……なにか贈り物をしてちょうだい」

「贈り物?」

「そう。本当は待ち合わせをしてデートっていうのをしてみたかったけど、ここじゃちょっと無理ね。だから、ここで待ち合わせをしていたことにするわ。それで、男の子はデートのたびに女の子に贈り物を渡して機嫌をとるの。素敵なものをくれたなら、──そうね、手をつないであげるわ」

 僕は彼女の言葉につられて、彼女の腰に当てられた右手を見た。彼女の肌は全体的に白いけれど、指先はほんのりと赤い。血が多く通るからだろうか。ぷっくりとして柔らかそうで、僕はその手に触れてみたいと思った。

 けれど、彼女は僕の視線に気がつくと、両手をさっと背後に隠してしまう。

「さあ、なにをくれるのかしら?」

 どうやら本当に、彼女を納得させないと手はつないでもらえないらしい。僕は辺りを見回した。

 ここにはいろんなものがある。だけど、みんなどこかしら壊れたものだ。そんななかで、彼女を喜ばせることができるものってなんだろう?

 液晶にひびが入ったテレビだろうか?

 空気が抜けてへにゃへにゃのサッカーボール?

 ハンドルのない自転車?

 底がめくれてしまったスニーカー?

 ……頭に浮かんだものは壊れたものばかりのこの空間で比較的きれいなもので、もちろん役には立たないけれど僕の宝物だった。でも、どれも彼女を喜ばせるには足りないように思えた。

 なにかないかな?女の子を喜ばせてあげられるもの……。

 考えながら振り向いたとき、ちょうど目に入ったものがあった。

 そうだ、これはどうだろう?

「ちょっと、待ってて」

 僕は彼女にそう言うと、走っていってそれを拾い上げて、また彼女の元へ戻ってきた。

「これはどうかな?」

 それは、うさぎのぬいぐるみだった。

 彼女を乗せたカプセルがここへくる直前に送られてきたものだ。

「わあ、かわいい」

 彼女がそう言って手を伸ばしたので、僕は彼女にぬいぐるみを手渡した。

 彼女はぬいぐるみを受け取るとそれを抱きしめようとしたが、うさぎは頭はだらしなく後ろへ倒れてしまい、後頭部と背中がくっついた。

「……これ、首が取れかけているわ」

 飛び出してきた綿毛をぬいぐるみの中に押し込みながら、彼女が言った。

「ごめん、ほかにないんだ──あっ、でもあの山から針と糸を探してくれば、縫いつけるくらいはできるかも」

 壊れたものしかないここには縫い針と裁縫用の糸はないだろうが、代わりになるものは見つけられるかもしれない。

 だけど、彼女は首を振った。「いいわ。あなた不器用そうだもの」

「そう──」僕は肩を落とした。

 彼女の期待に応えることはできなかった──僕はそう思ったのだが、彼女はぬいぐるみの首が後ろにいかないように注意して片手で胸に抱くと、空いた右手を僕に向かって差し出した。

「はい」

「えっ?」

「言ったでしょ。手をつないであげるって」

 期待に応えられなかったのに、どうして?と思ったけれど、彼女の気が変わらないうちに、と僕は右手で彼女の手を握った。

 柔らかくて、ひんやりと冷たい。だけど、握っているうちに暖かさが流れ込んでくる。

 はじめて女の子の手を握った僕は感動していたのだけれど、気がつけば彼女はまた不満げに口をとがらせていた。

「それじゃ握手じゃない。逆よ、逆」

 僕が手を離すと、彼女はしかたないわね、と言ってから、僕の隣にならんだ。それから左手で僕の左手首をつかむと、自分の右手を上から包むようにして握らせた。

「ね。こうやって、手をつないで散歩するのよ」ぬいぐるみを抱えなおしながら、僕を見上げて彼女が言った。

「じゃあ、すこし散歩をする?」

「そうね、何にもないところだけど、公園を歩いているつもりで行きましょう」

 植物の一本も生えていない公園を、ふたり連れだって歩きだす。

 彼女はところどころに落ちているがらくたを指さして笑ったりしながら、左腕に首の取れかかったうさぎのぬいぐるみを大事に抱えて歩いた。

「うれしいわ、これ。ありがとう」歩きながら、彼女はそう言ってくれた。

 僕は彼女の右手の感触を感じながら彼女について歩いた。彼女の表情をもっと見たいけれど、露骨に見るとまた怒らせるかな、と思って少しずつ、盗み見るようにしながら。

「あそこに座りましょう」

 散歩はさして広くない範囲を一周して終わった。彼女が座りましょうと指さしたのは、先ほどまで座っていたカプセルだった。

 僕たちはさっきと同じように、並んでカプセルに腰掛けた。さっきと違うのは、まだ手をつないだままだということだ。

「これ、ほんとにうれしいわ」

 ぬいぐるみを見ながら、彼女がそう言った。

「そんなに?」

「わたし、誰かから手渡しでものをもらうの、はじめてだったの。昔から私に触るのは、防護服に身を包んだお医者様だけだったから」

 彼女が僕を見た。「ねえ、もっとお礼がしたいわ」

「なにをしてくれるの?」

 僕が聞くと、彼女は一瞬だけ目をそらしてから「目を閉じて」と言った。

 僕が言われたとおりにすると、つながれた手がほどかれた。内心がっかりしていると、左肩に重さを感じた。

 それから、唇に柔らかいものが押しつけられた。

 それはすぐに離れて、それからまた手がつながれたので、僕はお礼は終わったのかと目を開けた。

 こちらを見ていた彼女と目が合う。

「──何か言いなさいよ」彼女の頬がさっきよりも紅潮しているのを見て、やっと気づいた。

「ああ、キスしたのか」

「言わなくていいの、ばか」

 言いなさいって言ったくせに。

 彼女は頬を片方膨らませてそっぽを向いた。と思ったら、僕の左肩に頭を預けてきた。

 怒っているのかいないのか、よくわからない。女の子とつきあうのって大変なんだな、と僕はそんなことを考えていた。

 お互い、しばらく無言でいた。

「……あなたって、あったかいわね」

 静寂の中で、彼女がぽつりとつぶやく。

「君の方があったかいと思うけど」

 僕の左側面は、彼女の熱をずっと感じている。

「そうかしら」

 彼女は顔を上げた。

「本当に人間みたいね、あなた」

 そう言うと、今度は僕の胸に顔を押しつけてくる。

 両手は僕の背中に回された。僕の両手も自然と彼女の背中に回り、抱き合う形になる。

「夢だったの。いつか私の病気を治してくれる王子様が現れて、私はその人と結婚するの」

 そこまで言うと、彼女は顔を上げて「子供っぽいかしら?」と聞いた。

「そんなことないよ」と僕が言うと、安心したようにほほえみ、また顔を僕の胸に埋めた。

「あなたは王子様っていうほど格好よくもないし、ちょっと頼りないけど、いいわ。だってわたしのそばにいてくれるんだもの」

「うん」

「こんな風に誰かと抱き合ったり、キスをしたり──できると思わなかった」

「うん」

「でも……やっぱりあなたって、ロボットなのね」

「うん──えっ?」

 彼女はいつの間にか僕の左胸に耳を当てて、僕の心臓の音を聞いていた。

「だって、あなたの胸の音、時計の音なんだもの」

「そうなの?」

 僕は自分の心臓の音を聞いたことはなかった。

「そうよ。とく、とく、とく、とくじゃなくて、チク、タク、チク、タクね」

 彼女はそう言っておかしそうに笑う。

「それに、あなたと抱き合って、わたしはドキドキしているのに、あなたの胸の音はちっとも早くならないわ」

「そんな。僕だってドキドキしているよ」

「でも、ずーっと同じペースよ。チク、タク、チク、タク……」

 僕の頭の中では、彼女と手をつないだあたりからずっと緊張していて、心臓の鼓動だって早くなっているはずなのに、僕の胸に耳を当てた彼女が口ずさむペースはずっとかわらない。

「きっとそれ、心臓の音じゃないんだよ」

「じゃあ、何の音?」

「わからないけど」

 彼女は同じ姿勢のまま、またくすくすと笑った。

「でも、この音聞いていると、なんだかとても落ち着くな……。ねえ、しばらくこうしていてもいい?」

 僕が了承すると、彼女は目を閉じた。浮かせていた腰を僕のひざの上におろして、だき抱えるような姿勢になる。

 そのまま、また数分。

 僕は内心緊張してドキドキしているつもりだったのだけれど、彼女が何も言わないってことは、時計の音に変化はないのだろうか。

 あたりは全く静かで、彼女のかすかな呼吸の音だけが聞こえてくる。

 その音は、だんだんと深く、ゆっくりになっているようだった。

 不意に、彼女がぴくりと体をふるわせて、目を開けた。

 僕の方を見る。すこしだけ、悲しげな色をしていた。

「もう、眠る?」

 僕が聞くと、無言でこくり、とうなずいた。


 彼女ははじめにそうだったように、カプセルの上に横たわった。首の取れかけたウサギのぬいぐるみを、大事そうに抱えながら。

 そして、僕の手を愛おしそうに握りながら。

「ありがとう、カプセルを開けてくれて」

 彼女は僕にそう言った。

「わたし、あなたに会えたおかげで、無理だと思っていた願い事、いっぱい叶ったの」

「僕も、きみに会えてよかった。僕はずっとここでひとりなんだって思っていたから」

 そう言って髪を優しく撫でると、彼女はくすぐったそうに目を細めた。

「でも、ごめんね」そう思ったら、彼女の顔が悲しげにゆがんだ。「わたし、またあなたのこと、ひとりにしてしまうわ」

「そんな顔をしないで」僕は笑った。「僕、記憶力はとてもいいんだ。だからずっと、君の顔も声も、いつでも思い出せる。ひとりじゃないよ」

「うん」

「それに、僕はロボットかもしれないけれど、ロボットだって永久に動き続ける訳じゃないだろ。僕だってそのうち、君のもとへ行くさ。すこし時間はかかるかもしれないけれどね」

「うん。待ってるね」

 彼女に笑顔が戻った。でも、その目は眠気のせいか、それとも遅効性の毒とやらが効いてきたのか、もう半分ほども開かないようだった。

「ねえ、キスして。あなたから」

 彼女がそう言った。僕は彼女の手を握ったまま顔を近づけ、そっと口づけた。

 彼女の目が閉じられ、その拍子に涙が一筋、こぼれて落ちた。

 そして、それきり彼女の目は開かなかった。


 僕は彼女の頬を撫でて、それでも彼女の目が開かないことを確認すると、つないでいた手をそっとほどいた。

 彼女の抱えているうさぎのぬいぐるみの首の位置をなおしてやってから、彼女から離れる。

 わかりにくく隠れているカプセルの操作ボタンをもう一度見つけだして、開いたときとは反対のボタンを押した。

 空気の抜ける音がして、カプセルがゆっくりと閉まっていく。やがて上半分と下半分が貝のように合わさると、あっという間に合わせ目は見えなくなり、元通りの卵のような形になった。

 これで、もう彼女の顔を見ることはない。

 だけど、寂しがることはない。彼女に言ったとおり、僕は記憶力がとてもいいんだ。目を閉じれば、彼女の顔も声も、握った手の温かさも、抱きしめた身体の柔らかさも、なにもかも鮮明に思い出せる。

 これからずっと、僕はひとりじゃない。

 問題は、本当に僕が動かなくなる日が来るかどうかなんだけど──こればかりはわからない。今のところ、僕の身体は全く問題がない。

 だけど、どれだけ長い年月だろうと、彼女の顔や声を思い出しながら暮らせば、きっとすぐのことさ。

 僕はふと思いついて、がらくたの山をのぼり、あるものを探した。

 僕の記憶通りのところに見つかったそれは、針のない時計だった。

 全く役に立たないけれど、実は中はまだ動いている。

 耳を当ててみると規則正しい音が聞こえた。彼女に教えてもらった、これが僕の心臓の音だ。

 彼女の声を思い出して、時計の音に乗せてみる。チク、タク、チク、タク……。

 目を閉じると、まるで彼女がそばにいるみたいだ。そう思うだけで、ドキドキが早くなる気がする。


 時計は変わらぬリズムを刻み続けている。

 僕はそのことにもどかしさを感じながらも、彼女の教えてくれたその音を飽きることなく聞き続けるのだった。



          終わり




お読みいただきありがとうございます。


長編を書き終えた後だいぶ気が抜けたので、リハビリのつもりで書き始めたのですが思ったよりも時間がかかりました。


よろしければ、ご意見、ご感想などお聞かせください。

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