(前編)
さらっとした掌編を書くつもりだったのですが、
妙に分量が増えてしまったので前後編です。
では、どうぞ。
僕の暮らすこの地には、毎日いろんなものが送られてくる。
たとえば、つま先に穴のあいたくつ。
たとえば、ページの破れた推理小説。
たとえば、針のはずれた時計。
たとえば、爆発しなかった爆弾。
ほかにもたくさんあるけれど、どれもこれもが僕には必要ないものだ。
なぜかって?
なぜって僕は、くつをはかなくても歩けるし、推理小説を読まなくても退屈しないし、時間を知らなくても焦ることはないし、爆弾が急に爆発したって大丈夫だから。
ここは閉じられた空間だ。
床も壁も天井も、全体が鋼鉄で目張りされている。
天井の高さは10メートル以上、壁際に立つと向こうの壁が見えないほど広い。だけど、ここには僕以外、誰もいない。
外がどうなっているのかは知らない。僕は目を覚ましたときからずっとここにいるからね。出入り口もいっさいないから、調べてみることもできない。
そんな密室状態の空間に、ときおりぽうっと光の珠が浮かび上がることがある。すると、そこからいろいろなものが落ちてくるんだ。最初にあげたようなね。
この光はとてもきれいだし、なにが落ちてくるのか見るのは楽しいので、僕は光を見つけるとそこへ向かって走っていく。
今日最初の光は、室内のすみっこの方に生まれた。僕が走っていくと、光から小さな白いかたまりが音もなく落ちて、光の珠は消えた。
僕が近づいて確認すると、それは小さくて白い、うさぎのぬいぐるみだった。なかなかしっかりした造りだが、首がほとんどもげて中の綿毛が飛び出してしまっている。ここへ送られてくるものはみんなこうなのだ。
僕がぬいぐるみを手にして眺め回していると、また光の珠が生まれた。今度は中央だ。あのあたりはいちばんよく光の珠が生まれるので、そこから落ちてきたものが積みあがってちょっとした山のようになっている。
また光から何かが落とされた。乳白色の卵のような形。だがずっと大きい。2メートルくらいはあるだろうか。
そいつはうず高く積みあがったゴミの山の上にごちりと落ちて、それから今度は雪の上を滑るようにしてこちらへ向かってつっこんできた!
僕はびっくりしたけれど、とっさの判断で横へ飛んでよけた。卵のようなそれは僕がさっきまで立っていたところを突っ切って、壁にぶち当たって盛大な音を立てた。
そいつは壁にぶつかっても割れてしまうこともなく、そのままの形でそこにあった。
ここにはいろんなものがあるけれど、これと同じものはない。
卵でなければなにかのカプセルだろうか。いずれにしても、中に何か入っていそうな形状に見えた。
僕はぬいぐるみをその辺へほっぽりだして、カプセルへと近づいた。
それは表面がとてもつるりとしていて、うっすらと僕の顔が映りこんだ。ただし湾曲しているので、奇妙に引き伸ばされた間抜けな顔をしている。
どうやって加工したのか、見た限りまったく切れ目の入っていないそれをぺたぺたこんこんとたたいたり触ったりしていると、偶然にも小さなカバーの下にボタンがあるのを見つけた。
シンプルな、白くてまるいボタンがふたつ。
ひょっとしたら、押したら開くかもと思って、まず左のボタンを押した。
反応がなかったので、今度は右のボタンを押す。
すると、空気の抜ける音がして、唐突にカプセルの真ん中に亀裂が入った。ついさきほどまでは、まったくひとつの物体に見えていたのに!
カプセルは白い煙を吐き出しながら、上半分を跳ね上げて開いていく。
そして、カプセルは完全に開いた。
僕は白い煙がはれるのももどかしく、中をのぞき込む。
中に横たわっていたのは、僕と似た外観をもった別の生き物。
つまり、人間だった。
僕は、人間を見るのは初めてだった。なにしろここから一度もでたことがなかったし、ここに送られてくるものはこれまで壊れたものばかりだったから。
そうだ。さらに驚くべきことに、カプセルの中の人間はまだ生きていたのだ。
目を閉じ、意識はないようだったけれど、胸は緩やかに上下動し、かすかな呼吸音も聞き取れる。
僕とは違う長い髪に、柔らかそうな白い肌。彼女は女性だ。僕は頭の中にあった知識からそう判断した。
彼女は控えめにフリルのついた白いブラウスに、赤のロングスカートを身につけていて、なかなか美しく着飾っていた。
ただ、その肌はいささか白すぎて、頬もすこし痩けている。
寝顔は安らかだが、ひょっとしたら病気なのかもしれない。
僕は飽きることなく彼女を観察していたが、やがて彼女に触れてみたいという衝動を抑えきれなくなった。
おそるおそる手を伸ばし、刺激を与えないようにその頬にそっと触れてみる──つもりだったのだが、彼女の肌は予想以上に柔らかくて、僕の手はぐに、と彼女の顔が変わるほどに思い切りその頬を押す格好になってしまった。
「ん……」
その刺激で、彼女の長いまつげが揺れた。口からは吐息とともに小さく声が漏れる。
目を覚まそうとしている。
僕はあわてて手を離し、すこし距離をとった。
緊張している。何しろ、ここでは僕以外のはじめての動く存在だ。
やがて、彼女の両目がゆっくりと開かれた。
彼女は、すぐには覚醒しきらないのか、なんどかその大きな瞳を開いたり閉じたりしながらまどろんでいた。僕のことには気がついていない様子だったけれど、僕は僕で、どう声をかけたらいいかわからずに、ただ少し離れた位置から彼女のことを眺めているだけだ。
「……くぁ」
彼女の口が大きく開き、そんな音が聞こえた。あくびをしたのだ。僕はそれだけでいたく感動した。
彼女がもそもそと身を起こす。まだすこし眠そうな顔であたりを見回して、ようやく僕のことに気がついた。
「……やあ」
なんと言ったらいいかさんざん迷ったあげくの挨拶。
だけど、彼女はそれには返事をしてくれなかった。
「ちょっと、離れて!」
僕を見るなり目を見開いた彼女は、僕の控えめな挨拶を打ち消すように、そう叫んだのだ。
僕はたっぷり五メートルは離れていたのだけれど、彼女がそう言ったのでもう一メートル後ろに下がった。
「これでいい?」
だけど、彼女にはまだお気に召さなかったらしい。
「ぜんぜん、良くない!ていうか、でていかないと──!」
僕は彼女の要求を聞いてあげたかったのだけれど、それは無理な話だった。ここはただひとつの空間で、出入り口なんかないのだ。
そう答えると、彼女は改めて辺りを見回して、「そうか、ここはもう……」とつぶやくと下を向いた。
それから、カプセルの縁にいすに腰掛けるようにして座りなおした。
「もっと、離れようか?」
僕はできるだけ彼女の要求をかなえるつもりでそう言ったのだけれど、彼女は首を振った。
「いい。──もう、遅いし」
「遅い?」
「手遅れってこと。だから、離れなくていいよ。こっち来て」
今度は、手招きをされた。僕は一メートル前に進んで元の位置に立ったのだけれど、彼女は手招きをやめない。
「もっとこっち」
そう言われたので、もう三メートル前に進む。
「もっと」
また一メートル前に進んだ。
「あなた、なんでここにいるの?」
これはひどい言葉だ。僕は憤慨した。
「君がこっちに来いって言ったんじゃないか」
「そう言う意味じゃなくって。あたし、ここには誰もいないって聞かされていたんだけど」
彼女は高い天井を見上げながらそう言った。
「誰に?」
「みんなに」
そう言うと、彼女は視線を僕に向けた。ふたつの瞳にまっすぐのぞきこまれるなんて初めての経験で、僕はドキドキした。
「僕はずっと昔からここにいるよ」
「ふうん」
彼女は僕の言葉を信用したのかしていないのか、僕の目を見たままで首をかしげた。
「ねえ、息が苦しくなったりしない?」
今度は突然そんなことを聞いてくる。
「どうして?」
「しないんだ」
質問に答えたわけでもないのに、彼女は勝手に納得してしまった。
「あなたって、人間なの?」
彼女の質問はどれも唐突だけれど、これはとびきりだ。
僕は彼女を見るまで知識の中でしか人間というものを知らなかったけれど、僕の外見はどう見たって人間の男性のものだ。どうして、僕が人間でないなんて思うのだろう?
確かに、僕は食事をしなくても平気だし、酸素がないところでも生きていけるし、爆弾が爆発したって大丈夫なくらい頑丈だけれど……。
──あれ?
質問されて初めて真剣に考えてみると、僕ってふつうの人間とはずいぶん違うぞ。
「人間じゃ、ないのかも?」
「なにそれ」
彼女は僕の中途半端な答えを聞くと、口元を押さえて笑った。
「ロボットじゃないの、あなた」
「ロボット……」
たしかにロボットは、食事をしなくても、呼吸をしなくても問題ない。爆弾が爆発しても大丈夫かはわからないけど、少なくとも人間よりは頑丈な場合が多いだろう。
「そうかも」少し考えた後、僕はそう答えた。
「あなた、自分が何なのかって、考えたことなかったの?」
「なかった。だって、僕はずっとここにひとりきりだったから」
「へんなの」
また彼女は笑った。彼女が笑うのを見ると、なんだか僕も楽しくなってくるようだった。
「ロボットなら、一緒にいても問題ないわね」
彼女は笑うのをやめると、僕の方を見てそう言った。それから、自分が腰掛けている隣を片手でぽんぽんとたたいた。
「こっち来て。隣」
僕は自分でもどうしてかよくわからないけど、そう言われて少しためらった。でもなかなか動き出さない僕を彼女がすこしにらむようにしたので、ちょっと緊張しながら彼女の隣に腰掛けた。
僕は彼女との間にすこしすき間を空けて座ったのだけれど、彼女はこちらをちらりと見ると、お尻の位置をずらしてこっちに近づいてくる。
腕と腕がくっついた。
「ちゃんとあったかいのね」
彼女がそう言った。僕の体温のことだろうか。
「わたしね、こうやって誰かの隣に座るのって、はじめてなの」
「君も、ずっとひとりだったの?」
僕の言葉に、彼女はすこし驚いたような顔をしてこちらを見た。それから下を向いて、言った。
「──そうね。ずっとひとりだったわ」
その表情は、すこし寂しげに見えた。
「人間って、集まって暮らしているのが普通なのかと思ってたよ」
「もちろん、それが普通よ。私のまわりにも人間はたくさんいたでしょうね」
「なのに、ひとり?」
彼女がなにを言いたいのかわからなくて、僕は首をかしげた。
「そうよ。せっかくだから、私の話を聞いてくれる?」
「もちろん。ぜひ聞かせてよ」
「ありがとう」
そう言うと、彼女は寂しそうな表情のまますこし笑った。
「あのね。あたしは保菌者なの」
「ホキンシャ?」
「病原菌を身体の中に飼っているのよ。それも、とびきり強力な奴で、発症したらあっというまに死んでしまうの。しかも感染力もものすごく強くて、素手で身体に触れたらもうアウト」
「触っただけで?」僕はびっくりした。「そういえば、僕さっき君にちょっとだけ触ってしまったんだ」
僕が動揺したのが気に入らなかったのか、彼女は頬を膨らませて僕に抗議した。
「あなたは人間じゃないんだから平気でしょ。今だって腕が当たってるじゃないの」
「あ、そうか」
「もう……ていうか、ヘンなところ触らなかったでしょうね」
「頬にちょっと触れただけだよ」
「ならいいけど」
彼女はひとつ息をつくと、気を取り直して話を再開した。
「生まれたばかりの頃に感染して、それからずっと病室で過ごしていたの。小さい頃はお母さんがお見舞いに来てくれていて、素肌が当たらないように抱っこしてくれたりしたらしいけど、残念ながら覚えてないわ」
「どうして?」
「本当に小さい頃の話だったからよ。わたしが大きくなるにつれて、病原菌の感染力がどんどん強くなっていって、私がものごころつくころには、空気感染するようになっていたの。それまでわたしを担当していたお医者様が、突然せきこんで倒れて、そのまま死んでしまったのを覚えているわ」
「そうなんだ」彼女が淡々と話すので、僕もそれだけしか言えなかった。
「そのあと、わたしの病室はドアと窓が二重について、簡単には出入りできない厳重なものに変わったわ。それからつい最近まで、わたしはそこから一歩も出ることなく過ごしていたの。食事を持ってくる人と、診察をするお医者様だけが部屋に入ってくるけど、どちらも厳重な防護服を着ていた。とくに食事を持ってくる人は看護婦さんなんでしょうけど、室内にいる間に私が腕をちょっとでも上げようとしたら声を上げて驚いて、おかしいくらいだったわ」
「お母さんは?」
「最初の頃はときどき病室の前まで来て、窓越しに電話でお話したわ。でもだんだん来なくなって、もう三年くらい顔を見てないな」
お母さんについて語るときだけ、彼女の声の調子がすこし変わるようだった。
「それで十年くらいそうしていたんだけど、ついに防護服を着ていても感染するようになっちゃった。またお医者様だった。だけど表情がわからないくらい分厚い防護服を着ていたから、苦しんでいるのか踊っているのかしばらくわからなかったわ」
そう言って彼女は笑ったけど、それはすこし無理のある笑いだった。
「それまで、どうしてか知らないけれどみんなわたしを生かそうとしていた。だけど、ついに限界が来たのね。みんなどうやったら私を穏便に殺せるか話し合いをしたみたい。もちろん、わたしの目の前でしたわけじゃないけど。それで、結局私を医療用のカプセルに入れて、ここへ送りこむことにしたってわけ」
「どうしてここに?」
それまで僕の方を見て話していた彼女は、そう聞かれるととたんにそっぽを向いた。
「ゴミを捨てるならゴミ捨て場に、ってことでしょ」
「ゴミ……?」
「そうよ。ここは星の外に造られたゴミ捨て場なの。もう地球には粗大ゴミを捨てておける場所なんてないから」
「でも、僕はゴミじゃないよ?」
僕は人間じゃないかもしれないし、ロボットかもしれないけれど、ゴミじゃないことは確かだ。どこも壊れてなどいない。
「わたしも、自分がゴミだなんて思ってないわ。でもそれって自分が決めるんじゃなくて、まわりが決めることでしょ?結局あなたも、まわりに不要だと思われたから、ここに来たのよ」
そうなのだろうか?僕は自分がどうしてここへ来たのか思いだそうとした。けれど、僕ははじめて目覚めたときからここにいるのだ。思い出せるはずもなかった。
「でも、わたしよりはまし。わたしは不要どころか、周りのひとに害を与えてしまうもの」
僕が考えにふけっていると、彼女は独り言をつぶやくようにそう言って、ひざを抱えた。
「わたしにカプセルに入るように伝えたひとは、わたしが抵抗するかもって思っていたみたいだけど、わたしはすぐに了承したわ。だって、あのまま意地を張ってあそこで生きていたところで、いいことなんかひとつもないに決まっているもの」
「そうなの?」
「そうよ」
彼女はこちらを見ず、不機嫌そうに答えた。
「でも、これからはきっといいことあるんじゃないかな。僕には病気はうつらないみたいだし、だれにも害を与えたりしないよ」
「こんなゴミ捨て場で、どんないいことがあるって言うの!」
彼女の機嫌を少しでもよくしようと思って言ったのだけれど、彼女はその言葉がたいそう気に入らなかったらしくて、突然大声を上げた。
「……あなたを怒鳴ったって、仕方ないよね。ごめん」
すぐにそう言って謝ってくれたけれど、僕の身体は縮こまってしまってすぐには戻らなかった。
「それにね」彼女は落ち着きを取り戻すと、ぽつりと言った。「もうすぐわたし、死んじゃうんだ」
「とても元気に見えるけど」僕はまた彼女が大声を上げないかとすこしだけびくびくしながら言った。「病気が発症するの?」
「ううん」彼女は首を振った。
「じゃあ、どうして?」
「毒を飲んだから。遅効性の毒よ。カプセルに入る前に渡されたの。飲んでおけば、苦しい思いをしなくてすむからって。本当ならカプセルの中で眠っているうちに毒が効いて死んでしまうはずだったのに、あなたのせいでその前に起きてしまったわ」
「そんな!じゃあ、また眠らないと」
「目が覚めたばかりじゃ、眠れないわ」
僕は頭を抱えた。僕がよけいなことをしたせいで、彼女はこれから苦しんで死ななければいけないのだろうか?
「なにか、僕にできることはない?」
僕は立ち上がると、彼女の正面に立ってそうたずねる。僕は彼女にお詫びをしたい一心でそう言ったのだけれど、彼女はしばらく無言で僕のことを見つめたあと、唐突に吹き出した。
「あなた、変な人ね」
まさかそんなことを言われるとは思わなかった。
「そ、そうかい?」
目を丸くしてそう答えると、彼女はさっきよりもはっきりと笑い声をあげた。
「だってロボットなのに、驚いたり頭を抱えたり、なんだか人間みたいなんだもの。それとも、実は人間なのかしら?」
「でも、人間だったら君の病気に感染してしまうんじゃ?」
「そうね。だからやっぱり、あなたはロボットね。だけど、とっても変なロボットだわ」
よほどおかしかったのか、彼女は目の端に少しばかり涙を浮かべ、それを指先で拭った。
「ねえ、お願いしてもいいかしら」
「なんでも言ってよ」
僕は胸を張った。なにをお願いされるのかは皆目見当がつかなかったけれど、最大限の努力をするつもりだった。
彼女はにこりと笑って、言った。
「わたしの恋人になって」
「恋人?」まったく予想していなかったので、思わず聞き返してしまった。
「そう、恋人」
「でも、僕はロボットだろ?」
「でも、とても人間らしいわ」
どう返答したものかと考えていると、彼女は視線を逸らしてしまう。
「わたしじゃ、いやかな……。病気持ちだし、ずっと病室にいたから身体もしまってないし、あたまでっかちだし」
僕はとにかく彼女を悲しませたくはないと考えていたので、あわてて弁解した。
「そんなことはないよ。君の病気は僕にはうつらないし、君の身体は十分きれいだ。あたまもたいして大きくない」
「そういう意味で言ったんじゃないけど」彼女がまた僕を見る。「じゃあ、OKしてくれる?」
「君がそう望むのなら、喜んで」
僕がそう答えると、彼女はそれまで見せた中でもとびきりの笑顔になった。
「ありがとう」
僕はその笑顔を、とても美しいものだと思った。