生徒会長と会計の百合妄想
「何をそんなに怯えているんですか」
目の前にいる少女は、本当にただ、問題の答えが分からないとでも言いたげな顔でそう言った。
「……っ」
喉が引き攣る。言葉が出ない。
「あぁ、これですか」
彼女は自分の手元を見下ろし、指先についた赤を軽く振る。
「安心してください。これは私の血ではありませんので」
的外れな説明だった。そんなことは、分かっている。
今、目の前で起きたことを、私はちゃんと見ていた。
床に転がっている「それ」は――ついさっきまで、副会長だったものは、もう二度と動かない。
「……自分が何をしたか、分かってるの?」
「えぇ、もちろん」
彼女はあっさりと頷く。
「じゃあ、なんでそんなに平然としていられるの!?」
「うるさいですね……そんなに声を荒げないでください」
心底面倒そうに眉をひそめて、彼女は言う。
「貴方が望んだことじゃないですか」
息が止まる。
何を言っているの……
「それに、そんなに悪いことですかね?」
「当たり前でしょ……!」
「当たり前、ですか」
彼女は一瞬だけ考える素振りを見せて、それから小さく首を傾げた。
「確かに、人を殺しましたが――それの何がいけないんですか」
理解が追いつかない。
けれど、その言葉だけは、やけに鮮明に胸に刺さった。
それは、ただの軽口のつもりだった。
本当に、ただの愚痴だったのに。
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数時間前のこと。
生徒会室はいつも通りだった。
「これ、会計の仕事だから。よろしく」
副会長はそう言って、分厚い書類の束を私の机に置いた。
「……これ、広報の分も入ってますけど」
「細かいこと気にしないでよ。どうせ暇でしょ?」
笑いながら言われる。冗談みたいな口調で、でも断る余地はない。
「……分かりました」
結局、受け取るしかなかった。
こういうのは、初めてじゃない。
気づけば、雑務のほとんどは私に回ってくるようになっていた。
面倒だとは思う。でも――それだけだ。
我慢できないほどじゃない。
騒ぐほどのことでもない。
だから、何も言わない。
「大丈夫ですか?」
気づくと、隣に人影があった。
生徒会長だ。
「手伝いますよ」
「え? ああ、大丈夫だよ。このくらい」
何でもないように笑ってみせる。
「そうですか」
彼女はそれ以上は何も言わなかった。ただ、机の上の書類を一瞥して、静かに視線を戻す。
「困っているように見えましたので」
「心配してくれてありがと」
軽く肩をすくめる。
その瞬間、ふと、口をついて出た。
「……それに悪いのはあいつだし。会長の負担が増えるのはよくないよ。ほんと、あいつがいなくなればなー」
自分でも、少し笑ってしまうくらい軽い調子で。
「いなくなれば、解決しますか?」
「え?」
思わず顔を上げる。
彼女は真剣な目でこちらを見ていた。
「いやいや、違うって。冗談だよ、冗談」
慌てて手を振る。
「そんなわけないじゃん」
「……そうですか」
彼女は一瞬だけ黙り込んで、それから静かに頷いた。
「では、問題は解決できますね」
小さく、そう呟いた。
その言葉の意味を、私は深く考えなかった。
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そして、現在。
返り血で汚れた生徒会長の指が、私の頬をゆっくりとなぞる。
冷たい。
現実感が、指先からじわじわと染み込んでくる。
足元に転がっているそれは、もう二度と私に仕事を押しつけることも、あの笑い方をすることもない。
――確かに、困ることは、何もない。
そのはずなのに。
目の前の彼女の瞳に映る私は、あの頃よりもずっと深い場所に沈んでいた。
「何を怯えているんですか?」
優しく問いかける声。
「あなたが望んだことでしょう」
「……違う。こんなの望んでなんか」
かすれた声が、ようやく出る。
「あれは、ただの……」
「冗談、ですか?」
言葉を遮るように、彼女は微笑んだ。
「言葉には責任が伴います」
彼女は指を自分の唇にあて、何かを確かめるように目を細める。
耳元に、吐息がかかる。
「先輩は、あの人がいなくなれば、と言った。
そして私は、それを実現した」
違う。違うはずなのに。
「それで、貴方は助かったでしょう」
否定の言葉が、うまく形にならない。
息が詰まる。
――否定できない。
「対価は必要ですよね」
静かな声で、そう言われる。
「対価がないのは、不公平です」
頬をなぞっていた指が、そのまま顎へと移る。
「対価として、付き合ってください」
逃げ場を塞ぐように、距離が近づく。
その言葉には、一切の迷いがなかった。
抵抗する気力は、もう残っていなかった。
肩に、彼女の顎が乗る。
軽くて、冷たくて、逃げられない重さ。
「逃げようだなんて、考えないでくださいね」
低く、透き通った声が耳に落ちる。
「私を狂わせたのは、貴方なんですから
それに――私は、生きた貴方が欲しいので」
夕闇が差し込む生徒会室で、
私はようやく理解してしまった。
――逃れられないのだと。
これは救済なんかじゃない。
彼女が導き出した、完璧な答えであり、
そして、一生解けない呪いだった。




