ナナシの錬金工房
『此度は手抜きをしたな』
工房の地下にある一室――その中央に置かれた天の水鏡の前で、彼はその声を聞いていた。
「手抜きとは心外ですね」
銀色の長い髪を弄びながら、赤く染まった水面に向けて反駁する。
『我の与えた力に頼ったではないか。錬金工房の名が泣くぞ。のう⋯⋯ナナシよ』
揶揄うように声が応えた。
「貴方までそう呼びますか⋯⋯ただの勘違いだとご存知のくせに」
水面の声が含み笑った。
『お前が否定せぬから実しやかに広がったのだろう。それを厭うなら本名を名乗ればよい』
「名前など、ただの記号に過ぎませんよ」
『本当にそう思っているのなら、寂しそうな顔をするのはよせ』
顔が見えているはずもないくせに――そう思いながらも、反論の言葉は出なかった。
代わりに別の文句を口にする。
「今回水鏡の力を使ったのは、それが最適と判断したからです。錬金工房である前に、願いを叶えるのがこの工房の本懐ですからね」
『人の願いばかり叶えて虚しくはならないのか?』
意地悪な質問だ、と顔をしかめる。
「哀れに思うなら私の願いを叶えてくださいよ」
また、含み笑う声が聞こえた。
『今それを叶えたら、この大陸が滅びかねん』
「そこまで脆弱ではないですよ⋯⋯人間なんて、存外生き汚いものです」
『それは、自分のことを言っているのか?』
水面から聞こえる声は、変わらず楽しげだ。釣られたわけではないが、蒼玉の瞳を細めて自分も笑った。
「私を人間と認めてくれるのは、貴方くらいのものです」
愛おしげに呟いた声は、赤い水面に静かに溶けていった。
ここはナナシの錬金工房――
切実な願いを抱える彷徨い人をこの場へと導き、その願いを叶える不可思議な店。その店主は、人間離れした雰囲気を放つどこかミステリアスな青年だという。




