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Best Before Date

作者: 佐保彩里
掲載日:2026/03/25


 漫画や小説で『恋』というものを知って、憧れて、周りの恋バナを聞いているうちに、命と似てるな……と、我ながらシビアな印象を受けた。経験した訳でもないのに、なんでだか漠然と。

 思えばその頃にはキラキラしたものや、何かを大切にする事が苦手になってた。


 保育園の頃。皆で一生懸命転がして顔まで作ったのに、次の日にはどろどろに崩れて、変わり果てた姿になった雪だるま。

 小学生の頃。園芸係になって毎日頑張って水やりして、やっと咲いた向日葵(ヒマワリ)。けど、夏が終わる頃には(しお)れて、鮮やかな黄色い花びらは跡形無く散って、消えてしまった。


 どんなに大切でも、惜しくても、永くは続かないのが、現実。


 恋も同じだ。いつか必ず『終わり』がくる。両想いになって、結婚しない限り。それでも、付き合いたての頃の熱は次第に冷めて、穏やかな甘い情が残れば幸いなものでしかないのだと、親を見ていてわかった。

 そして『初恋は実らない』という事。奇跡的に実ったら、それは特別で幸運なケースだという事。


 そんな私の初めての恋は、始まった時には――既に終わってた。報われない片思いというやつだ。


 けど、想うのは、自由。諦めなければ終わらない。ひっそり守って、育てるのも自由。

 そんなふうに強がってたけど、本当の『終わり』は、別にあったなんて……知らなかった。




 街灯の心細い明かりしかない、真夜中の帰り道。()だるような熱気の塊が去った後に残る生温(なまぬる)い空気が、バッテリー僅かの疲れた身体をじわじわ、と削る。

 台風は来るのか来ないのか、梅雨明けはしたのかしないのか。そんな曖昧(あいまい)な日が続く夏の夜というのは、どこか気だるい。地球に弄ばれているようで落ち着かない。

 おまけに、慣れない酔いと軽い頭痛に身をまかせたまま、事もあろうか、彼女持ちの男の子と二人きりで歩いてる。



 所属してる写真サークルの打ち上げの帰りだった。オールナイトカラオケでの飲み会。帰る時間はそれぞれご自由にって感じで、試験やレポート提出が全部終わった解放感で、先輩たちを中心に、部員のほとんどがすっかりできあがっていた。

 去年の春に二十歳(ハタチ)になった私も、既にお酒の味は知っている。サークル内であまり目立たない存在だけど、一応、お祝いしてもらった日に、生まれて初めてビールを飲んだ。……正直、とても苦くて無理だった。おいしさが全くわからなかった私は、やっぱりまだ子供なんだろうか。憧れていた大人の味には、今でも慣れない。今夜も、アルコールの低いサワー二杯だけで、身体も心も酔ってる。


 隣で歩いてる同い年の成戸(なりと)くんは、その同じサークルの男子だ。言っちゃなんだけど、あまり知られていない私の好きな作家が彼も好きだった、というのがきっかけで話すようになった。

 新刊の感想とか、今度はどこに撮りに行くかとか、たわいない話をするだけだったけど。学科は違うし、あまり自分のことを話さない人だから、大抵SNSでのやり取りだった。

 そして、高校時代から付き合ってるという、一つ下の彼女がいるらしい。学科は彼と同じで、他のサークルに所属しているとのこと。彼を追いかけて、頑張って入学したんだろうな。二人でいるのを、何度か見かけた事がある。活発な感じの可愛い子で、お似合いだった。周りにも公認って感じで……私を除いてだけど。



『打ち上げの時、少し話していい?』


 そんな思い切った一言を、前日の昨晩、息を止めながら通信アプリで送った。ふうっ、とようやく呼吸が出来る。

 ここまでで一時間近く迷って、何度も送信ボタンへのタップを止めてたなんて事がバカみたいに、数分後、あっさり返信が来た。


『いいよ。明後日予定あるから、早めに帰りたいし』


 彼女さんとの約束か、どこかに撮りに行くのか…… 前なら気になって仕方なかった内容だけど、今となってはどっちでもいい。

 いつもなら喜ぶ早い返信が、今日は哀しくて(むな)しい。


『私も長くいないから。大丈夫』

『わかった。帰り一緒ついでで良ければ聞く』


 決して『送る』じゃない文面が、ツキリ、と地味に胸にきた。下宿先の駅も同じだったのは、本当ラッキーだったなって、改めて思う。全然、特別でも幸せな状況でもないけど……



 迎えた当日の深夜。テーブルに空になったグラスが増えていくにつれて、皆のテンションも上がって盛り上がる。

 聞くのは好きだけど歌うのはいまいちな私と違って、成戸くんは寡黙な割に歌が上手い。流行りの曲をいつも通りリクエストされてるけど、殆ど知らないって言って、自分の好きな曲ばかり歌ってる。それが、マイペースな彼らしくて、内心微笑(わら)った。

 ……だからこそ、半年前の飲み会で、初めて流行りの曲を歌った時は印象的だった。枯れて色()せていく花束を、破局していく恋人達に重ねた、切ない失恋ソング。

 やたら情感こもってたから、『もしかして、彼女さんとうまくいってないんじゃないか』なんて、その頃から彼が好きだった私は、密かに期待した。……我ながらイタい黒歴史だ。今でも二人は続いてるらしいから。




 日付が変わった頃。酔いで頬を少し赤くした成戸くんが、熱気とアルコールの臭いで充満した部屋を横切って、重いドアを開けた。


「じゃ、俺帰ります」

「え、成戸帰んの〜? 寂しい〜」

「予定あるって言ったじゃないすか」


 爆音と大音量の歌声にまぎれた軽いやり取りの中、私もショルダーバッグを手にして、彼の後に便乗する。

 こういう盛り上がってる空間を抜け出すのが、私にはタイミングがわからなくて難しい。目立たない存在だと言っても、変に水をさすのが怖い。


「終電に乗りたいので……私も」

「あ、片切(かたぎり)さんも? そっか〜 じゃ、おつかれ〜」


 先輩たちにあっさり見送られながら、私達は熱くでき上がった部屋を抜け出した。これから下宿先の最寄り駅までの時間が、私に与えられた最後のチャンスだ。



 大学近くから最寄り駅までの道。急に頭が冷えた途端、緊張で夕飯をあまり食べられなかったお腹が、キュルキュル、とお約束のように鳴った。絶対、成戸くんにも聞こえたよね? 恥ずかし過ぎる……

 こっちを見ないまま、彼はゴソゴソ、と黙ったままカーゴパンツのポケットを探ってる。ずい、と握り拳を差し出して、私が目線を向けたと同時に手を開く。

 最近、新発売したガムが乗っていた。既に開封されてる。


「食う? 腹にはたまらないけど」

「え…… いいの?」

「あんま、好みじゃなかった」


 嘘。これは、いかにも彼が好きそうな、刺激の強いミント味が売りのやつ。自分の好きな物のこと、私がよく知ってるなんて、思ってもいないんだろうな。


「……ありがと」


 袋から遠慮がちに一枚引き出して、ゆっくり口に入れた。ビールの苦さもだけど、こういう刺激的なのは、昔から苦手だ。皆、よくおいしそうに食べられるなって、不思議に思う。

 けど、噛みしめながら味わった。鼻の奥がツン、として視界が揺れる。左胸の奥だって、さっきからずっとバクバク暴れてて、痛い……


 ――ダメだ。決意がにぶる前に、切り出そう。でも、なんて言えばいい? 一応、色々考えてきたのに。

 口の中に広がる、やたら辛いミントの強い刺激と、酔いのせいだけじゃない熱い顔が、全部消してしまった。


「……あの、言ってた話だけど」

「ああ、うん。何?」


 おいしくない、だけど、特別(スペシャル)な味。神様が私にくれた、ラストチャンス――

 包み紙で、噛み残したガムを口から取り出す。


「――『最後の晩餐(ばんさん)』って、知ってる?」

「……は? まあ、うん」

「知ってるんだ」


 よかった。『コイツ何言ってんだ』って思われて流される、ダメ元で聞いたから。


「レオナルド・ダ・ヴィンチの名画でしょ」

「そうだけど」

「一応、美術史とってるし。片切さんもじゃん」


 知ってる。建築デザイナー目指してることも。


「学科内でも知らない人、結構いたから」

「処刑前夜のキリストが、十一人の弟子と晩餐会してる絵だろ。てか、急にどしたの」


 軽く一息ついて、今日の戦いの火ぶたを、落とした。


「――こういうのも……そうなのかなって」


 既に、意味不明と書いてある大好きな顔に向かって、祈るような、挑むような気持ちで口を開く。試すような気持ちもあった。

 今から話すことに、この人はどんな反応をしてくれるだろう……なんて、虚しい期待とセットで。


「今日で、サークル来るの……最後だから」


 ポーカーフェイスだった彼の顔が、石膏像みたいに固まった。一応、驚いてはくれたらしい事に、内心ホッとする。「ふーん」なんて返されたら、ここで惨敗して……終わってた。とりあえず、第一関門はクリアしたらしい。


「……なんで?」

「皆には、秘密にしてくれる?」

「いいけど…… それ、聞いていいやつ?」


 戸惑ってるのが、明らかにわかる。そりゃそうだ。今まで何気ない趣味の話しかしてなかった相手が、突然カミングアウト匂わしてるんだから。

 それでも聞いてほしかった。これだけは……どうしても。彼にとってはどうでもいい事、私の自己満足な慰めでしかない、愚かな行為だったとしても。


「――大学、辞めないといけなくなったんだ」


 一瞬の間の後、パチパチ、と彼の(まぶた)が微かに瞬く。口元がちょっと引きつってるのが、暗がりでもわかった。


「親が身体悪くして、仕送りとか厳しくなって。元々、共働きで無理して通わせてもらってたんだ。私もバイト掛け持ちして、まだ決めてないけど、一回地元帰って…… もっと学費かからないとこ、受け直す」

「……いつ?」

「夏休み入るタイミング。卒業まであと一年だし、なんとか通いたかったけど」


 ようやく事情を飲み込んだらしい彼に、なるべく明るく、軽い口ぶりを意識して、一気に吐き出す。

 周りでは、もう就活の準備が始まってる。そんな時にこんな事聞かされるのは、変に気負わせてしまう……上手くできてるかな。


「だから、皆で会うのも、最後」


 うっかり、トーンを落としてしまった。沈黙が続いて、気まずい空気が生まれる。彼が答え方に困ってるのは、明らかだ。どうしよう。やっぱり言うんじゃなかった。



「――もう、撮らない?」


 短くて長い沈黙に続いた言葉に、今度は、私が返答に詰まった。多分、さっきまでの彼と同じような顔をしているだろう。

 予想外過ぎた言葉。『残念だな。頑張れ』って、励ましの言葉もらえたら、それだけで十分な位の勢いだったから。そんな私に畳み掛けるように、成戸くんは続ける。


「写真集、出すの夢なんでしょ」

「……何で、知って」

「誕生祝いの時、部長に言ってたの聞こえた」


 去年だったかな。何気なく入部動機を聞かれた時に、確かに言った。そんな昔のこと……覚えててくれてたんだ。


「無理だよ。もう……そんな余裕ないし」


 声が震えてしまいそう。写真はお金がかかる。撮りに行く旅費、機材のメンテ、真剣にやろうと思えば、思うほど。


「もったいないし。続けていくなら方法は何でもいいじゃん。SNSとかで、地道に」

「何で、そんな……」


 相手が誰だか忘れて、思わず声が荒立ってた。そんな、簡単に……言わないで……


「才能、あると思うから」


 また、嘘。前に見せてくれた作品データは、クオリティーもバリエーションも、私より抜群に高かった。去年、サークル全員で参加したコンテストで賞をとったのは、成戸くんだけ。

 彼の方がずっと……才能も、実力もある。皆にも尊敬されてる。


 ――そう。私自身も彼のファンで、憧れてて、推してたんだ。ちょっと悔しいくらい。あんなふうに撮れるように……なりたかった。

 なのに、本人はいたって謙虚。『運が良かっただけ』なんて言って、鼻にかける素振りがない。いつも一眼レフを持ち歩いて、専門書を読みふけっている。

 彼も口数は少ないけど、私と違って人気者だ。いつも誰かと一緒で、囲まれてる。もっと遊んだりしても良さそうなのに。


 だけど、そういうところが…… 何より、好きだった。一番なりたかったのは、彼の……『彼女』なんだって、今更ながら苦い想いを自覚する。


「……いいの。最近、わかってきたんだ。私のレベルじゃプロにはなれないって」

「あきらめんのは、まだ早いんじゃない」


 きっぱりと言い切る口調に、返す言葉を失った。黙ったまま、うつむいて首を振る。嬉しいはずの言葉なのに、予想以上の激励なのに、なんでこんなに悲しいんだろう。

 そんな私に、彼も何も言わなくなった。真夜中の暗がりの中じゃ、わずかな表情や仕草までは、さすがにわかりにくい……



 そんな私をチラ見してから、肩に掛けてたリュックを急に直して、成戸くんが顔を背ける。心臓が跳ねて、ビクつく。呆れた? 怒らせたかな。


「……あ、の」

「コンビニ寄るか。ほしいもんある? おごる」


 彼の意図がわからない。今の私、すごく変な顔してそう。


「食うの、どうするかな。……嫌じゃなければ、近くの公園で」


「――最後の……晩餐?」


 少し気まずそうに、視線が泳いでるのがわかる。彼にしては珍しい反応。余計なことだったろうか……と、大好きな眼差しが言ってる。

 それが今の私には、過去最高のサプライズディナーに見えた。そこまで特別じゃない人間の、こんなめんどくさい展開を受け入れてくれている。

 ……そうだ。わかってた。彼は、こういう人だ。だから、皆に好かれるんだ。そして、私も……


「――マカロン。クリームとフルーツたっぷり乗ったやつ」

「片切さんて、そういう冗談言う人だっけ」


 ふは、と苦笑した。そんな顔も初めて見た。今になって次々に、甘いご馳走(ちそう)がやってくる。治まってきたはずの目眩がぶり返してきた。


「……酔ってるから」

「じゃ、酔い覚ましがてら行くか」


 私がうなずくと同時に、スタスタ、と成戸くんが歩き出した。結構ビール飲んでるはずなのに、酔ってる素振りはあまり感じない。足取りも軽快でしっかりしてる。


 もうすぐ、終電が来る。けど、駅と反対の方向に歩いてるなんて展開。びっくりして動揺してる反面、嬉しくて泣きそうだった。これから二人きりで、真夜中にスイーツ食べるなんて、ささやかなデートみたいで。

 ……同情でしてくれてるってわかってる。私が彼の優しさにつけ込んだようなもので、はた迷惑な話。浮かれてるのは私だけ。けど、これくらいのワガママなら(ゆる)されるかなって……思ったんだ。


 私達は、特に親しい訳じゃない。彼にとって私は、ただのサークル仲間の一人。辞めた後は、こんな風には二度と会えないかもしれない。今だって、たまにSNSで話せる程度だ。いつかそれすらも切れて……そのうち忘れられる。薄い友達関係なんてそんなもんだって、今までの経験で嫌という程、知った。

 そもそも、彼女さんと今後どうなるかなんて、私には関係ないことなんだ。彼は私を『好き』ではないんだから。

 頑張って勉強して、やっと受かった大学、思い描いていた目標、おまけにささやかな甘い願いまで、今夜で全部、失う……

 酔いのせいもあってか、自暴自棄になっているのが、自分でもわかる。卑屈になって、ネガティブの沼にどっぷり沈んでいって、もうどうにでもなれって、勝手に落ち込んで……



「ベンチにでも座って、待ってて」


 いつの間にか、いつもは通り過ぎる小さな公園に着いていた。足早に通りの向こうに駆けて行く音が、たまらなく嬉しくて、痛い。甘過ぎて胃もたれしそう。

 ……もし、今夜、告白なんてしたら彼女さんに悪いかな。どうせフラレるんだし、あの子とは友達ってわけじゃないんだから、言ってしまってもいいかもしれない。

 でも、友達としてキレイな思い出にして、このまま終わらせた方がいい気もする。既に迷惑なやつって、内心思われてるかもしれないけど。

 こんなのは初めてで、何が正解なのか分からない。元々、人付き合いが下手くそだ。もっと色々経験してたら、上手くやれたんだろうか。


 今夜、潔く散るか。朝になってから、自然に枯れて終わっていくか。なんだか花の生き死にの話みたいだ。大袈裟で、酔ってて、重い感傷だけど、この恋は、私にとってそのくらい鮮やかで、短くて、儚かった。

 けど、育ててる間は、辛いだけじゃなかった。楽しい事もあったんだ。臆病者でぱっとしない、大した人間なんかじゃない私が、夢見てられた。

 死に際を自分で決められるだけ、キリスト様よりはずっと恵まれてて救いがある分、マシだとは思う。とんでもなくバチあたりだけど。



「――お待たせ。限定プリンとシュークリーム……あと普通のマカロンならあった」


 ベンチでそんなこと考えてうつ向いてたら、上から降ってきた声と、軽い息切れの音で我に返った。虚ろな眼差しを向ける。視界も足元もふわふわしてて、浮いてる。

 淡々と袋から出されて、隣に並べられていくお酒の缶と小さなスイーツ達。ビニール袋から微かに漂う、バニラみたいな微かな甘い香りと、ヒヤッ、とした冷気が、揃って私を惑わせにかかってきた。


「サワーならイケたよな? 確か」


 遠慮がちに差し出された、冷気をまとうレモンサワーの缶。結露して濡れてる。それに絡みついた長い指に触れたい。そのまま手を繋いで……なんて大胆な妄想が、慣れない酔いでおかしくなった脳裏にわき出す。

 ……ダメだ。くらくらしてきた。身体中にまとわりつく生温い熱気が、鬱陶(うっとう)しいを通り越して、今は、妙にしっくりくる。


『――悪酔いしたフリして、この後抱きついちゃえば?』

『――恥だけど、もう二度と会わないなら、いいじゃん?』


 そんなワルイ(ささや)きが、耳元でザワザワ、響く。


『――悪魔の誘惑とか、魔がさすって、こういうのを言うのかもね』


 すかさず、もう一人の賢者の自分がツッコミを入れた。彼女持ちの男の人と二人きり。真夜中の公園で、このまま一夜を過ごす。それ以上でも以下でもない。私から仕掛けない限り、きっと、何も起こらない。

 ……けど、何だか悪いことをしているみたいだ。


「……なぁ。大丈夫か?」


 ぼんやりとして反応の無い私に、何もわかっていない彼が心配そうに尋ねる。自分の方がずっとアブないのに。今の私に、アルコール追加するなんて……ダメだよ。

 この晩餐(ディナー)が終わったら、その時……私はどうなるんだろう。何がしたいんだろう。


 ――ああ……でも、いわゆる『誘う』のは出来ないだろうな。そんな度胸も勝算もないからってのは、もちろんだけど……

 大事な彼女がいるのに、他の女の誘惑にのるような人だったなら……こんなに好きになってなかった。

 いっそ、魔がさしてくれたらいい? この不毛な恋も冷めるし、彼に触れてもらえる……


 ――もう、めちゃくちゃだ。アルコールの侵食が進んで止まらない。思考が完全におかしくなってる。


 とりあえず今は、いわゆるプライスレスってやつの……過去最高に甘くて、苦くて、背徳的なこのデザート達を、まるごと――大事に味わいたい。


 初めて育てたけど、実が()る前に呆気なく散ってしまった、()()な花の残骸を添えて。




【完】


【最後までの閲覧ありがとうございました。宜しければスタンプや感想、レビューなどを頂けると幸いです】

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