頑張れってなんだ。
「ここまでの練習の成果を後は出すだけだ!あとは楽しんでいけ!よしお前ら行ってこい」
中学最後の部活の試合前、監督はこう激励した。どうしていつもは、「緊張感をもって試合をしろ!」とか「遊びでやってんのかお前ら!」と叱責する癖に、最後の試合に限っては「楽しめ!」なんて無責任な言葉が出てくるのだろう。試合は5対0で僕たちは0側で負けた。試合後の、「お前らの三年間は無駄じゃなかった!」という言葉が心底腹立たしくて仕方がなかった。「最後に勝たなくては意味がない、お前らは何をやってきたんだろうな」と言われたほうが幾分いつも言っていることに筋が通ると思った。
それに何より、他のメンバーがその言葉に感化されて、「俺たち弱かったけどさぁ、頑張ってきたよなぁ。」と涙を流していることがむかついた。頑張ってきたなら一点でも取らなくては意味がないじゃないか、そう思ってしまうのは僕の心が狭いからなのだろうか。
思えば、三年間試合という試合に勝ったことがなかった。中学受験で入った公立中高一貫校はその地域では最弱も最弱で、部活に入った理由も、部活には強制入部であったからだ。この部活を選んだ理由も小学校時代にクラブチームで少しやっていたからという浅い理由だった。感動もクソもあるはずがなかった。
そこから先はあっけなかった。午前中、朝一で負けたチームは大会運営に回され、他のチームが試合しているところを見たり、グラウンド整備などに駆り出された。途中昼休憩があり、他のチームメンバーたちは
「いやーあそこで点取るべきだったなぁ。」なんてできもしないことで盛り上がっていた。
負けた後だというのに何の感情も湧かなかった。あぁ、三年間無駄だったな、という色も温度も持たない思考だけが頭に残った。好きでもない部活、チームメンバー、監督。そんな中で、唯一価値があるものといえば、勝利くらいだと思う。友情、努力、勝利のうち、勝利が欠けてしまったら友情も努力も価値なんてないのに。
午後の部の最終試合、僕には大会運営の仕事がもう残っていなかったため、観戦席で試合を見ていた。試合の内容はそれはもうひどいものだった。地域1強い強豪校と僕たちと中堅校が戦っていたが、中堅校のミスが重なり、それはもう取り返しのつかない10点差まで離されていた。ああ、このまま勝負が決まるんだろうな~とかそんな気持ちで試合を見ていた。
「頑張れー!」
ふとそんな声援が耳元に届いた。頑張れ?頑張れってなんだ?彼らは頑張らなかったから、10点差を離されたのか?そこにあったのは、圧倒的な実力差で、頑張りの問題ではないのに。
早く試合が終わってほしい。こんな試合誰ももう結果なんてわかっているじゃないか、早く終われ。終われ。
この感情の名前は何だろうか。僕はなぜか泣いていた。




