彼女の悩み事
家でのサリアの言葉通り、私たちはお昼ご飯用に街でサンドイッチを買って、そのまま会場となる劇場に向かった。
劇場の入り口につくと、そこにはサリアを勧誘した商人の男、名前はなんと言っただろうか、が会場スッタフらしき人たちと話していた。おそらく今日のコンサートの打ち合わせでもしているのだろう。
「こんにちはー、ランサスさん!」
そうだ思い出した、ランサスだ。
彼らの会話が一段落ついたところでサリアが商人の男改めランサスへ声をかけた。
「ああ、サリアさん!こんにちは。来てくださってありがとうございます。今日はどうかよろしくお願いいたしますね。アサさんも、よろしくお願いいたします」
彼は私たちに頭を下げながら、丁寧にそういった。正直サリアに迷惑をかけた相手なので印象はよくないのだが、最低限の礼儀として軽く会釈をする。
詳しく聞いていないのでわからないが、年齢は見た目からだいたい20代後半あたりだと思われる。この世界ではありふれた茶髪茶瞳に平均的な容姿と、外見に特筆すべきところはなく、けれどその見た目に似合わず若くして自らの商会を持ち、かなりの財を築いているらしい。元の世界で表すのならば、今話題の起業家、とでもいったところか。
そんな輝かしい経歴を持ちながらも年若い私たちに対して丁寧に接するその様子は、彼という人物の謙虚さを表しているように感じられた。
「けっこう早く着いちゃったんですけど、今から歌の練習ってできます?」
「まだ時間には余裕があるのでどうなさったのかと思いましたが、そういう理由でしたか。もちろん大丈夫ですよ、と言いたいところなのですが…………申し訳ありません。少しばかり設備の調子が悪く、現在点検をしておりまして、歌の練習はもう少しばかりお待ちいただけますか?」
「あちゃー、そうなんですか。ちょっと早く来すぎちゃったかー」
サリアはそう言ってこちらへ振り向く。おそらく、時間あるけどどうしようかと問うているのだろう。
「もう少しで中に入れるなら待っていましょう。今からほかのところに行ったりしたら遅くなってしまいます」
「まあそうだよね。というわけで、点検が終わるまで待ってます!」
「わかりました。そういうことでしたら控室までご案内いたします。点検もすぐ終わるでしょうし、しばしくつろいでお待ちください」
ランサスはそう口にすると、私たちを先導するため歩き出したのだった。
この劇場は街全体から見てもかなり大きく、収容数もランサス曰く千人を超え、この世界においては有数のサイズを誇るらしい。
元の世界で児童養護施設にいたころ、施設全体の恒例行事として、劇場へコンサートやミュージカルを観に行くことがあった。そのときの劇場は元の世界で平均程度の大きさだったらしいが、この場所はそこよりもかなりゆとりのある造りのようだった。
そのような場所ならばサリアがコンサートを開くには申し分ないのかもしれないが、私個人の心境としては少しばかり複雑だった。というのも、目立つことを避けている節がある彼女としては、これだけ大規模な劇場でコンサートを開くというのはあまり望ましくないことなのではないかと思えたためだ。
そんなことを考えながら控室へ向かっていると、先導しているランサスが私へ声をかけてくる。
「以前から気になっていたのですが、アサさんの髪と瞳は大変珍しい色をしておいでですね。どちらの出身なのですか?」
「…………ここから、ずっと東にいったところです」
こういったことは今まで何度か聞かれたことがあったが、そのたび適当にごまかしてきた。変なことをいって不信感を抱かれるのも面倒だったし、こういう風に言えば向こうが勝手に境遇を想像してくれるだろうという打算もあった。
「アサは一昨年の冬の初めごろにこの街に来たんですよ。それからあたしたちずっと一緒にいるんです!」
サリアが私のフォローをするように割って入る。彼女のそういう優しさが、私にとってはとてもまぶしかった。
「なるほど。いろいろと大変なことがあったご様子で。では、サリアさんはどちらから?サリアさんも、アサさんほどではないですが、琥珀色という珍しい瞳の色をしていらっしゃいますよね」
「あたしは、そうですね…………。ここからかなり離れているけど、ユーリニア王国のあたりです」
「おお、懐かしい!私も駆け出しのころそのあたりで行商をしておりました。当時はちょうど飢饉に内紛と、国全体が荒んでいるころでして、身の危険はありましたがその分商品の需要がありました。なので多少の無理をしてでもそこで商売を続けたのです」
とても小さくだが、サリアの雰囲気が変わった。先ほどと比べ、暗い感情を抱いているように感じられる。だがランサスは私たちの前方を歩いているためかそれに気づかず、言葉を続ける。
「そうそう、最近、またあのあたりがきな臭くなっているらしいですね。なんでも、以前の内紛で国を追われた王族の復興を掲げる反乱軍が出現したのだとか。いやはや、いつの時代も争いは絶えませんね。サリアさんは…………」
「あのっ!」
ランサスがサリアに呼び掛けたところで、その言葉を遮るように声を出す。彼女の雰囲気の変わりように気づかずしゃべり続けるランサスには正直苛つくが、彼のような浅い関係性の相手が彼女の心境を見分けることなどできるはずがないのだと自身を落ち着かせ、適当に場を取り繕う。
「…………ランサス、さんはどうしてプロデューサー、えっと、今回のように誰かを見出すことを生業にし始めたんですか?」
「そう、ですね…………。幼いころから人を見分ける目には自身がありました。なので、それを商売に生かそうとしていたら現在の形に落ち着いた、といったところでしょうか」
「へー、ちょっとかっこいいかも!じゃあじゃあ、あたしもそのお眼鏡にかなったってことですね!」
「ええ、そうなりますね。サリアさんは今まで売り出してきた人の中でも、お世辞抜きに最高峰です。吟遊詩人として、いえ、もっと根本的な部分で人々を惹きつけるカリスマ性を感じます」
「ちょっとー、ほめすぎですよ、もー!アサ、聞いた?あたしにはすっごいカリスマがあるんだって!」
サリアの振る舞いがカラ元気に見え、再び声をあげようとして、けれどその前にランサスが足を止める。
「楽しい時間はあっという間、とでもいうべきでしょうか。もう到着してしまいましたね。ここが控室です。会場が使用できるようになりましたらまた知らせにきますので、それまでどうぞごゆっくりお待ちください」
ランサスはそう言って一度お辞儀をすると来た道を戻っていった。
私たちは控室に入って、買ってきたサンドイッチを食べ始める。朝食の時間は遅く、今も昼食には早い時間なので大しておなかは減っていなかった。けれどこのタイミングを逃すといつ食べられるかわからず、時間がある今のうちに食べてしまおうとなったのだ。
サリアはおいしそうにサンドイッチをパクついている。
彼女がものを食べる姿からはいつも隠し切れない育ちの良さが感じられる。おそらく私がサリアを見るときは多少の美化フィルターが入っているのだろうが、それを抜きにしても、彼女にはほかの人にはない気品があった。
先ほどの会話で出てきたユーリニア王国という国、それは以前私がサリアに故郷のことを尋ねたときにも出てきた。彼女としてはその国が故郷だということを隠すつもりはないのだろう。
彼女が隠したいのはその先、おそらく、身分や出自、これまでの経緯といったところか。まあ、私としてはサリアのそんな情報に大した興味はなく、そんなものより今現在の彼女の方がずっと重要なのだが。
サリアは私よりも早く食べ終わり、手持ち無沙汰にこちらを眺めていた。じっと見られていると少しばかり食べにくく、私は彼女へ声をかける。
「そんな風に見つめられると食べづらいですよ。どうかしましたか?」
「んー…………アサはさ、元いた世界に帰りたいって思うこと、ある?」
元の世界に帰りたいと思うこと、か。
これまでのことを思い返し、一瞬の後、迷いなく返答する。
「別に思わないですね。特別親しい人や家族がいたわけでもないですし、何か大切なものがあるわけでもなかったですから」
「アサはドライだねー…………」
「まあ、否定はしませんが…………。でも、お世話になった人たちに感謝くらいは伝えたかったと思うことはありますよ」
私はきっと普通よりかなり手のかかる子どもだったろうから、そんな私の面倒を見てくれていた施設の人たちにはこれでもそれなり以上に恩を感じているのだ。それに、彼らがちゃんと育ててくれたから現在の私がいる。それだけでも感謝する理由としては十分だろう。
「そっか、感謝、かー。…………うん、そうだよね」
サリアは何かに納得したように、一人うなずいていた。先ほどからどこか悩んでいる様子だったが、私は自分から彼女にそのことについて話を振ったりはしない。それは彼女の悩みに無関心なのではなく、むしろその逆だ。
彼女が何に悩んでいるのか、どうすればその悩みを解消できるのか、私は自分のできる限り、いやそれ以上をもって彼女の力になりたいと思っている。けれど、彼女にそういった思いを押し付けるのは独りよがりにしかならないということも理解しているつもりだ。
だからこそ、彼女が私を頼ってくれたら、そのときにこそ私は何をおいてもその力になろうと、そう以前に決めたのだ。
現に今もサリアは自分なりに答えを見つけたようで、先ほどよりも雰囲気が和らいでいた。私としては自分が彼女に何をしたかでなく、彼女の心が安らぐことをこそ重視している。そのため、私が介入しなければならないほどに彼女の悩みが深いものではなかったということに安堵を感じていた。
「ありがとう、アサ。アサのおかげでもやもやが解決した!」
「お礼をいわれるようなことなんて何もしてませんよ。でも、サリアの悩みが晴れたのならよかったです」
そこでようやく私はサンドイッチを食べ終わり、その直後ドアをノックする音が聞こえた。おそらく設備の準備が終わったことを伝えに来たランサスだろう。
サリアはドアがノックされる直前にはすでに立ち上がっており、やさしく微笑んで私に向かってその手を差し出していた。
次回は明日17時ごろ投稿予定です。




