魔術少女爆走中
あたしたちが住む街の端には、貧困層が暮らしている場所、いわゆるスラム街と呼ばれるものが存在している。このエリアは全体的に治安が悪く、用がなければ、いや、たとえ用があっても近づくべきではないという共通認識を住民が持つ程度には荒んでいた。
そんなエリアの一角に、他の建築物よりも年季を感じさせる、というよりも街自体から見放されているような印象を受ける廃墟が存在していた。
現在、あたしはそんな廃墟の中で一人、息を殺して隠れ潜んでいる。
あたしの視線の先には十数人ほどの集団がピリピリした雰囲気を纏い、取引相手を今か今かと待ち構えていた。彼らが待っているもの、それはこの街で何人もの女性を誘拐していた犯罪組織、そして彼らが仕入れた商品、女性の奴隷である。
地下でごろつき三人を尋問した結果、いくつか分かったことがあった。
曰く、彼らはとある犯罪組織に所属しており、その組織は最近奴隷売買に手を出し始めたのだとか。曰く、その商品となる奴隷は一般人を誘拐することにより仕入れ値を抑えてそろえ、薄利多売をモットーにして奴隷の仲介グループに売っているのだとか。曰く、今日、この場所で、そんな彼らの取引が行われるのだとか。
要するに、現在この廃墟にいる彼らはこの街の女性たちを奴隷として売買しようとしている悪の奴隷仲介グループであり、そんな彼らの取引先も悪の犯罪組織だったということだ。
さて、ではなぜあたしが一人でそんな犯罪グループを監視しているかというと、理由は単純で、現在アサがもう一方の犯罪グループをつぶしに行っているからである。
もう一方の犯罪グループ、つまりは街の女性を誘拐していた奴らなのだが、そちらにいるであろう誘拐された女性たちを一刻も早く安心させるため、アサには先にそっちへ向かってもらったのだ。
彼女は最後まであたしが一人で仲介人グループを監視することに反対していたのだが、無茶なことはしないからと、無理やりに押し切った。
アサが心配してくれていることからもわかるように、あたしは戦闘能力を持たないのだ。いや、彼女ならあたしが戦闘能力を持っていても変わらない気もする。…………まあそんなことは置いておいて、あたしでは彼らどころか平均的な成人男性一人すら倒すことはできないだろう。
だが、逃げることに専念すれば、あたしはたとえ彼ら全員に追われようとも逃げ切れる自信がある。少し前まではその何倍、何十倍の人から逃げていたのだ。この程度の人数から逃げきるなんて、あたしにとっては朝飯前だった。
そのため、あたしは現状、下手をすれば数十人の男に命を狙われるかもしれないという状況に対しても、大して危機感を抱いていなかった。
とはいっても、そんなことをアサには言えないので納得してもらうにはなかなかに苦労したのだが。別れたときには最速で終わらせてくるなどといっていたが、そろそろ戦闘、というよりも蹂躙、を始めたころだろうか。
あたしがそうまでして一人でここに来たのは、仲介人グループを確実に捕まえるためだ。地下で捕まえた三人は下っ端だったこともあり、今私の視線の先にいる彼らについて、そのアジトの場所や構成人数などといった細かな情報までは知らなかったのだ。
そのため、例えもう一方の組織のアジトに襲撃をかけているうちに逃げられたとしてもそのあとを追えるように、あたしがここで彼らを監視することにしたのである。
先に仲介人集団を捕らえるという手もあったのだが、それはあたしが却下した。誘拐された女性たちはきっと今も恐ろしい思いをしている。そんな彼女たちを一秒でも早く解放してあげること、それこそが今のあたしが一番に望まなければならないことだった。
…………まあ、そんなあたしの思いを伝えても、アサはあたしが危険だからとなかなか了承してくれなかったのだが。以前から思っていたが、彼女はあたしに対していくらばかりか過保護すぎやしないだろうか。
そうやって何ともなしにこれまでのことをつらつらと考えて時間をつぶしていたのだが、どうやら状況に動きがありそうだ。
仲介人グループの首領と思われる老人がとうとうしびれを切らしたようで、他のメンバーを怒鳴り散らしながら外へ向けて歩き出した。聞き出した、というよりも勝手に読み取った取引時刻からはそれなりの時間がたっているため彼の行動も妥当だろう。
こうなると、あたしの次の仕事は彼らの尾行になってしまう。今まで追いかけられることはたくさんあったが、追いかけることはあまりなかった。ばれないようにうまくできるだろうか。
そんなふうにこれからの行動に想いを馳せていると、遠くから息を切らす音、そして地面を強く蹴る音が聞こえてきた。
自身の言葉通り、どうやら彼女は最速で自分の仕事を終わらせてきたらしい。いや、それにしても早すぎる気はするが。聞き取れる音からは、彼女が全力でここへ向かって走っていること、そして、体力的にいっぱいいっぱいだということが感じ取れた。
…………あたしのことを心配してそこまで急いでくれているということはとても嬉しいのだが、それでも、もう少し自分にやさしくしてあげてもいいのではないだろうか?
だが、現状では彼女がこちらへ向かっていると知れたのはありがたい。あたしがぎりぎり聞き取れるくらいの距離だと考えると、到着まではもう少し時間がかかりそうだ。
彼女にとってこの程度の人数を相手取るなど、まさしく赤子の手をひねる様なものだ。ここに来るまでに一つの組織をつぶしていたとしてもそんなことは関係ない。むしろ彼女にとっては走ってここまで来ることの方がよほど疲れるだろう。
問題となるのは時間だ。仲介人グループはもうここを出ようとしている。そのため、このままでは彼女とは行き違いという形になってしまう。そうなるといろいろと手間がかかり、少しばかり面倒くさい。
――――ならば、私がするべき行動は。
橙の指輪を包むように、そっと、左手を握り込む。
「あれー?こんばんはー、おにーさんたち。少しお話していかなーい?サービスするよー!」
言葉と同時、あたしは彼らの前に姿を現した。
彼らの反応は一様で、皆突然の声に驚いているようだった。少しばかり納得がいかないのはこれだけの美少女が夜のお店の誘い文句のようなことを口にしたというのに、誰一人喜ぶ者がいなかったということだ。
ちゃんと目玉ついているのかとか、表情筋仕事しているのかとか、言いたいことはいろいろあったが、そんなことよりも今は時間稼ぎだ。あたしは適当に口をまわす。
「おにーさんたち、こんなところで何してたの?この辺り治安悪いんだから危ないよー」
あたしは何も知らない通りすがりを装った。とはいっても冷静に考えればおかしいところはいくらでも見つかるだろうし、何なら彼らの前に一般人の女性が現れれば、それは彼らにとって獲物が向こうからやってきたようなものだ。
だから何かしらの罠を疑うのは当然のことなのだ。決して、断じて、あたしの魅力が通じなかったとかそういうことではない。ない、ないったらないのだ!
あたしは彼らが口をはさむ前にさらに続ける。
「いやー、あたしもこっちまでお仕事できたんだけどさ、お客さんに逃げられちゃったのー。なんか、体型がーとか、歳がーとか、胸がーとかとかとかとか!!ほんっとむかついたよね!ふざけんなって感じ!!それでーさっきまで飲んだくれてたのよー。笑っちゃうでしょ?あはははーー!!」
あたしは酒場にたまにいる、ダメな酔っ払いの真似をした。口調だけでなく雰囲気、体の動きなど、なかなかに真に迫るものがあったようで、彼らの警戒心がいくらか薄れたように感じられた。…………これは、喜んでいいことなのだろうか?
深く考えるとドツボにはまるような気がした。とりあえず現状はプラスに働いているようだからいいことなのだと思おう。
そんなことを考えていると、彼らが無言で目配せをし始めた。別に彼らのような輩に縁があるだとか思考が読めるだとか、そういうことは一切ないのだが、それでも、なんとなく彼らの無言の会話の内容が読み取れた。
ズバリそれは、この女持って帰るか、である。
どうやら、先ほどの酔っぱらいの演技が彼らの警戒心を想像以上に下げてしまい、結果としてあたしは罠かもしれない獲物からただの獲物にランクアップしたようだった。
いや判断が早いよ!!もっと警戒しろ!こんなところに売春婦なんていないから!演技全然プラスじゃなかったマイナスだった!!そのほかにもいろいろ、彼らに対する罵倒だとか、様々なことが頭をよぎる。
言葉なくあたしを捕まえることを任されたのか、下っ端らしき数人の男が、こちらを囲むようににじり寄ってきた。
何か、何でもいいから何か、あたしの力でこいつらをぎゃふんといわせてやりたかった。だがあたしには何の力もない。あるのはこの美貌と美声とカリスマと天才的頭脳と優しさと思いやりと勇気と愛しさとそのほかたくさん挙げきれない程度。くそっ、あたしでは何もできないのか…………!自らの無力がどこまでも恨めしい…………!!
ゆっくりと、けれど確実に、下っ端らしき男たちはこちらへと接近し、そして彼らがさらに一歩と踏み出そうとした、その瞬間――――。
――――あたしの後方で、爆発が起こる。
突然の出来事にあたし以外のその場にいた者はみな驚き、その爆発に意識を奪われてしまう。この場で唯一事前に彼女の存在を把握していたあたしは、彼らのそんな隙をついて包囲網から逃げだし、彼女へ届けとばかりに叫ぶ。
「アサーーーー!!やっちゃってーー!!」
土煙の向こうから、息も絶え絶えになりながら叫び返す声が聞こえた。
彼女の声はあまりにも疲労に満ちていて、あたしには何を言っているかわからなかった。
次回は本日21時ごろ投稿予定です。