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アンサーハイム 後編

 それから、場所は変わり事務所のソファの上、互いに向かい合った状態で彼女、猫探しの依頼者ファナが、早速というように声を上げた。

 

「改めて、ありがとうございました。それで、猫はどこに…………」


「いえいえ、こちらこそ依頼してくださってありがとうございました!猫ちゃん、さっきまでこの部屋にいたんですけど奥にいっちゃったみたいですね。今連れてきますから少し待っててください!」

 

 いくらかソワソワした様子で彼女が発した言葉、それを受けサリアは口を開き、発言通りに席を立つと猫を探しにそのまま奥へと向かう。

 私はそんなサリアを座ったまま見送り、世間話をするように対面に座る彼女へと声をかける。


「わざわざこちらまで出向いていただいて感謝します。住まいはこの辺りなんですか?」


「ええ、今はここから歩いてすぐのところに賃貸を借りて暮らしています」

 

 彼女の口調から、張り詰めていたものがほぐれたような、憂いが晴れたような、そんな朗らかな空気を感じ取る。そして、今ならばいくらか口も滑りやすくなっているだろうな、とも。


「今は、というと?」


「私、少し前に仕事の関係でこの街に越してきたんです。今から半年ほど前でしょうか」


「ああ、通りで」


 以前この街にいたころあらかた潰したと思っていたが、なるほど、新しくやってきたというのなら納得だ。


「…………?あの、通りで、とは?」


 私の口から漏れた言葉を受け、彼女が疑問を投げかけてきた。が、私はその言葉を受け流し、会話、いや、尋問を続ける。


「いえ、こちらの話なので気にしないでください。それで、お仕事は何をされてるんですか?」


「…………商会の売り子、のようなものでしょうか」


「売り子というと、どういった商品を扱っているので?」


「ええと、その…………いろいろと、ですね」

 

 先ほどまでよりも明らかに口が重くなっている彼女に気付きながら、それでもなお問い詰めるように言葉を重ねようとして、けれどその直前、私たちの間に明るい声が割って入る。


「いやー、お待たせしました!この猫ちゃんで合ってますか、って、いたたっ、ちょっ、暴れないで!落ちちゃうから!もう、少しだけ我慢してよー!」

 

 暴れ回る黒猫を両手で抱き抱え半ば悲鳴のようにそう口にしながらサリアが奥から顔を出し、そのまま私たちの元へ戻ってきた。瞬間、直前の空気が途切れたことに安堵したのか、ファナが小さく息をついたのを感じ取る。


「いだだだっ、痛いって!?ファナさん、この子で間違い無いですか!?確認、早く確認を!ぎゃあ、噛まないでぇ!!」

 

 サリア自身はひどく真剣なのだろうが、側から見ている分には彼女と黒猫のやり取りは非常に愉快で、思わず笑ってしまう。


「…………は、はい!その子で間違いないです!」

 

 彼女の言葉と同時、サリアの手元から黒猫が飛び出し、その勢いのまま一心不乱に、逃げるように、転がるように、奥へと戻っていった。その様子からは必死さ、あるいはある種の怯えのようなものが感じ取れ、申し訳なくなってしまう。


「あ、あいつ全く手加減してくれない…………!ううっ、手が傷だらけだ…………!アサー!」


「はいはい、今治しますよ。…………はい、終わりました。それにしても、さっきまではあんなに大人しかったのにああまで暴れ回るとは。やっぱりわかるものなんですね」


 泣きつくようにして私へ両腕を差し出すサリアに回復の魔術をかけ、独りごちるように呟く。


「おお、ありがとー!それで、アサ的にはどう?」


「黒でしょう。サリアは?」


「私も同意見。ここまできたら偶然が重なって、はないでしょ」


 私たちは短く言葉を重ね、意見を共有させる。


「あの…………?お二人とも、何を話していらっしゃるんですか…………?」


 彼女が戸惑いをもってそう問いかけてきた。

 なんと言おうかと迷い、けれどもう探りを入れ続ける必要もないことへ思い至り、言葉ではなく行動によって返答することを決める。


「まあ、こういうことです」


「――――――――!?」


 言い切ると同時、私は対面のソファに座ったままの彼女へ向けて、両手両足を凍てつかせ氷の枷によって動きを封じる、そんな拘束の魔術を発動させる。


「い、いきなり何を!?どうして私に魔法を!?」

 

 彼女は突然の事態に戸惑いつつも、自らの自由を制限する縛めから逃れんと全身をもって抵抗しながら、そう声を荒らげた。


「どうしても何も、あなた自身が一番わかってるでしょ?ねえ、麻薬の売人さん?」

 

 どこか蠱惑的で、けれどひどく冷たい、そんな、直前までとは何もかもが異なる笑みをもって、サリアが語り出す。

 サリアの言葉を聞いた瞬間、彼女の瞳は大きく見開かれ、開いた口はそのままに、まさしく愕然とでもいうべき表情がその顔を象る。その様子からは驚き意外にも様々な感情が読み取れたが、私にとってはそんなもの、心底からどうでも良かった。

 

 サリアは懐からいくつかの小さな包みを取り出して、続ける。


「…………!?なんでそれを持って…………!?」


「あなたが求めていたのは黒猫じゃなくてこっち、あの子の体内にあった乾燥大麻。おおかた、取引現場を衛兵にでも見つかりそうになって、慌てて無理やり包みに入れた大麻をあの子に飲み込ませたんでしょう?」

 

 元の世界にいたころ、学校教育の一環で大麻の危険性について学ぶ授業があった。あまり真面目に受けていたわけではなかったが、それでも、大麻の1グラムあたりの値段が約6000円だということを聞いて、そんなに高いのかと驚いたことを覚えている。

 

 サリアが手にもつそれ、元の世界の単位で表せば一つあたりおおよそ20グラムほどの重さの包み。それらの中にはいっぱいに大麻が詰め込まれていた。


「ただ、あなた、いえ、あなたたちはあの子に逃げられてしまった。必死になって探したけれど見つからず、藁にもすがる思いで私たちに捜索を依頼した。あの子の腹を割き、その内にある大麻を取り戻すために」

 

 サリアの表情は変わらず、目前の彼女に頓着せず、まるで舞台俳優のように、芝居がかった口調で言葉を重ねていく。


「あの子、私たちが見つけた時にはもう随分と衰弱してた。川辺に遺棄された船の残骸の中、ひとり静かに体を丸めていたの。たぶん、ろくにご飯も食べられないでずっと苦しみに耐えていたのでしょうね」

 

 私は身動きの取れない彼女へ向けて歩み出す。


 この世界において大麻がどれほどの価値を持つのか、私はそんなこと知らない。もしかしたら私の想像が及ばないほどの価値を持つのかもしれない。けれど、少なくとも私にとっては、そんなものなんかよりもあの小さな命の方が、何倍も、何十倍も、比べようもないほどに、大切に思えた。


 だから――――。


「幸い、大事になる前に私たちが保護して治療できたから良かったけど、あのままだったら確実に死んでいた」

 

 サリアの言葉を引き継ぐように、口を開く。


「あなたは随分とあの子の命を軽視していたみたいですね。なら…………」


 両手両足を拘束され身じろぎすらできずその顔に明確な怯えを宿す彼女、その目前にて立ち止まり、サリアに倣うように笑みを貼り付け、彼女の頭へ手のひらを掲げながら。


「――――ひぃっ!?」


「――――私があなたの命を軽視しても、文句なんてないでしょう?」


 酷薄に、告げる。





 

「うーしうしうしうし!お前はかわいいなぁ!これか?これが欲しいのかぁ?よぉし、いっぱいお食べ!」

 

 麻薬の売人、ファナに関する一連の騒動が終わった翌日、アンサーハイム事務所内にて、サリアが黒猫を前に、ひどく締まりのない声音かつデレデレとした様子でそう声を上げた。


「おいしいかー?そうかそうかー。ほら、お水もあるから、喉に詰まらせないように気をつけるんだよー?」

 

 一方で私はいつもの定位置、ソファに座り、いつも通りに本を読んでいた。が、私としても普段はいない存在にどうしても興味が惹かれ、いつの間にか本に落としていた視線が上がり、彼女たちの方へと向けていた。

 そうして、私の視界に黒猫が美味しそうにご飯をがっつく様子、そんな彼を優しく見つめ、撫でつけるサリアの姿が映る。

 

 昨日、ファナを拘束したあの後、私たちは以前この街にいたころ何度かそうしたように、背後関係や余罪などといった情報を得るため彼女を尋問した。直前に彼女を怯えさせたのもより情報を得やすくするための演技であり、サリアの提案によるものだった。

 …………まあ、そこに私怨が含まれていなかったといえば嘘になるのだが、そんなことはどうでもいい。

 

 私たちは彼女から情報を引き出し、そのまま彼女が所属する犯罪組織を潰しに向かった。久々に仮面を被り、髪色を変え、サリアと二人犯罪組織の本拠に襲撃を仕掛けたのだ。

 その先は言わずもがなとでもいうべきか、私たちの現状から察することができるだろう。

 

 だが今回の一件、何もかもがうまくいったかというとそんなことはなく、むしろ私たちの頭をひどく悩ませていた問題がいくらか悪化するなんていう、非常に認め難い結果となっていた。

 というのも――――。


「いやー、それにしても、報酬はもらい忘れ、おまけにこの子の分の食費やらなんやらが追加!あはは!…………本当に、来月どうなるかなぁ。私たち生きていけるかなぁ、アサぁ…………」

 

 私の視線に気がついていたのか、サリアがこちらへ振り向き、前半は調子のはずれたように明るく、けれど後半には低い声で絶望まじりかつ泣きの入った様子で、いっそ情緒不安定のように、そう言った。

 

 そう。彼女の言葉通りというべきか、私たちが当初直面していた問題、金欠状態は解消されるどころかより深刻なものとなっていた。

 今回の出来事において完全なる被害者といえる黒猫。彼を一度は保護した身として、野生に返すという選択はいささか忍びなく、加えてその鈍臭さを見るにひとりで生きていくことができるのかと心配で、私たちは協議の結果、自分たちの生活すらままならないにも関わらず彼をこの家で飼うことに決めたのだ。

 

 せめて、せめて衛兵に突き出す前に取り決めていた依頼料だけでも回収できていれば…………!

 もう何度目になるかもわからない後悔を心の中で吐き出す。

 

 次いで、自身を落ち着けるように一度ため息をつき、半ば現実逃避気味に黒猫と戯れている彼女、サリアに向かって返答する。


「…………いよいよ、国王がくれた宝飾品に手をつける時が来たのかもしれませんね」


「ううぅ、なのかなぁ。なるべくなら触れたくないんだけどなぁ。ねえ、お前はどう思う、クロタ?」

 

 サリアが未だご飯に釘づけの黒猫へ、問いかけるようにそう口にした。


「あの、そのクロタって…………」


「ああ、この子の名前!黒いからクロタ!かわいくない?」


「…………せめてもう少し捻ってあげましょうよ。というか、その子もたぶん名前として認識してないんじゃないですか?」


 私のダメ出しにいくらかむくれた様子で彼女が答える。


「ええー、なんでよー!かわいいじゃん!というか、そういうならアサも名前考えてよぉ」


 …………サリアは多才かつ多芸であるが、ことネーミングセンスに関してはとても突飛というか、人並外れたものがあるというか、まあ、ぼかさずにいってしまえばひどく壊滅的なのだ。そのため、このまま彼女に任せるよりは私が名づける方がまだマシな結果になるだろう。

 

 そうして、私はご飯を食べ終え今度は水に口をつけている黒猫を見据え、思考を巡らせる。

 

 黒猫…………。黒、クロ、闇色、うるし色、ブラック、シュバルツ、ノワール。…………ノワール、ワール、ノル、ノワ。…………そういえば、あの子は船に隠れていたのだったか。なら――――。


「――――ノア、なんてどうでしょうか?」


 私がポツリと呟いた、その直後。


「みゃう」

 

 先ほどまで食事に夢中になっていた黒猫がとてとてと私の元まで寄ってきて、立ち止まり、呼びかけに対して返事をするように、私を見つめながらそう鳴いたのだった。


「ノア、ノア…………。いいじゃん!この子も気に入ったみたいだし!この子の名前はノアに決定!!」

 

 サリアは彼を視界に収めながら口の中で響きを転がすように独りごちると、一転、今度は快活に言葉を発し、その勢いのまま彼の名前を決めてしまう。

 

 黒猫改めノアは彼女の発言に呼応するようにもう一度小さく鳴くと、今度は私が座っているソファに飛び乗り、食後の休憩とでもいうように体を丸め、毛繕いを始めた。そんな彼の様子には猫特有の気ままさが見てとれて、自然と頬が緩んでしまう。


「ねえねえ、どうしてノアなの?」

 

 サリアが私たちの対面のソファに腰を下ろしながら問いかけてきた。


「フランス語、いえ、私が元いた世界のとある国では黒色のことをノワールというんです。なので、そこからいい感じに。あと、神話上の偉人の名前を拝借して」


「へーー。…………その言い方だと自分の国の言葉ってわけじゃないんでしょ?自国以外の言語を勉強してたなんて、アサはすごいねぇ」

 

 彼女が純粋な称賛をもってそう口にした。


「…………はは、そんなことないですよ。これくらい私たちの世界では普通でしたから。ええ、全くもって一般教養でしたから!」

 

 言えない。中学生のころ響きのかっこいい海外の言葉をネットで検索してはひたすらメモしていたおかげだなんて、絶対言えない。


「それでも、この世界にきてから何年も経つのに覚えてるんだからよっぽど真面目に勉強してたんでしょ?ならやっぱりすごいよ」

 

 先ほどの発言を謙遜だとでも受け取ったのか、彼女はなおも私を褒めそやし、全くの好意をもって真っ直ぐにこちらを見据えていた。

 彼女の視線が、そこに込められる想いが、私をとても、とてもいたたまれなくさせる。


「…………あの、ほんと、私なんて全然大したことないので、もうその辺で勘弁してください…………」


「…………??まあ、別にいいけど。あっ、そういえばさー」

 

 私が許しを乞うように発した本心からの言葉を受け、彼女が話題を変えるように続ける。彼女のその気遣いが、今はとてもありがたかった。


「このお店の名前もアサがつけてくれたじゃん?そっちにはどういう意味が込められてるの?」

 

 訂正。全くありがたくなんてなかった。むしろ私を辱めるために計算して発せられた問いなのではないかと疑ってしまうほどに、彼女の言葉は的確に私の羞恥のツボをついていた。


「えーと、その、ですね…………」

 

 彼女のまさかの追い討ちにより、私は言い淀み、視線を泳がせる。

 この店、ひいては私たちが住むこの家につけた名前。そこに込められた意味を今更言葉にするというのは、私にとっては非常に気恥ずかしく、面映いことだった。


「ア、アンサーハイムっていうのは、ですね…………」

 

 どうする。どうしたらいい。なんて言えば、何を言えばいいのか。適当に誤魔化そうにも何も思いつかない。この場を切り抜けるには、一体どうすれば――――。

 

 ――――瞬間、コンコンと、玄関からドアをノックする音が響いた。


「お、お客さんですね!私が出ます!」

 

 私はすぐさま立ち上がり、サリアの言葉を待たず、ひとり小走りに玄関へ向かう。

 よかった。本当によかった。なんて最高のタイミングなのだろうか。彼、あるいは彼女には感謝を込めて私の全力をもっておもてなしをしよう。

 心の中でそんなことを思う。

 

 そうして、私は玄関のドアを開け、そこにいるお客さんに向けて、いつも通りに口を開いた。


「ようこそ、≪私たちの帰るべき場所(アンサーハイム)≫へ――――!!」

これにて本作『ロンリーガール×ロストガール 〜ひとりぼっちな私と迷子なあなたのおいかけっこ〜』の連載を終了とさせていただきます。


表記は完結済みへと変更しますが‘、今後は季節のネタや新しく思いついた話などを不定期に更新できたらと思います。また、年内に新作の投稿を予定していますので、そちらも楽しんでいただけたら幸いです。


二週間ほどと短い時間でしたが、皆様のおかげで最後まで楽しく投稿することができました。ここまでお付き合いいただき本当にありがとうございました。

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