アンサーハイム 前編
「…………いやー、ひまだわぁー」
夏の始まりを示すような強烈な陽光差し込む室内にて、静かに本を読む私の対面、背の低いテーブルを挟んだ向かい側、来客用に備え付けたソファにだらけたようにうつ伏せで寝そべりながら、締まりのない口調で彼女、サリアがひどく退屈そうにそう言った。
「…………お客さん来ないかなぁ。適度に楽で、適度に楽しそうで、適度にお金がもらえる、そんな依頼、来ないかなぁ」
足をバタつかせながら両手を放るように伸ばしてひとり願望を垂れ流す、そんなはしたないとすらいえる状態の彼女を無視して私はページをめくる。
「というか今月お客さん少なすぎじゃない?もう月末なのにたったの4人しか来てないよ?家賃大丈夫かなぁー」
相槌を打つどころか顔を上げることすらしない私に頓着せず、彼女は独り言なのか呼びかけなのか判然としない声を上げ続ける。
「ねぇ、アサー?聞いてるー?聞こえてるー?アサってばぁ」
…………どうやら、呼びかけだったようだ。
大きく一度ため息をつき、本にしおりを挟み、閉じ、そうして彼女へと視線を向け口を開く。
「聞こえてますよ。先月はそれなりに稼げましたし、今月分の家賃くらいなら宝飾品に手をつけなくてもギリギリ、なんとか、生活費を切り詰めればきっと、たぶん、賄える…………でしょう。お客さんが来ないのは私たちではどうしようもないので神様にでも祈ってください。暇なのは知りません。自分で暇つぶしを見つけてください」
「もうっ、そんなこといいながら本を閉じて私のおしゃべりに付き合おうとしてくれてるんだからー!アサは優しいね!」
彼女の言葉にイラッとする。
「サリアがさっきからずっと一人で喋ってるからでしょうが!本に集中しようとしているのに目の前でぶつぶつぶつぶつと!おかげで内容が全く入ってきません!」
「ごめんごめん、私が悪かったって!それより、なんの本読んでたの?」
怒りを受け流すようにそう口にし、私へ向き合うように体を起こすと、次いで彼女はそんな問いを投げかけてきた。ここまでくると私も本を読み続ける気にはなれず、諦めて彼女の質問に返答する。
「…………はぁ。この世界の歴史書、中でも異世界人に注目した本ですよ。先月あたりに露店でたまたま見つけて、そのまま積読…………読み忘れてたんです。私としても他の異世界人のことは気になっていましたから」
ため息混じりに本の内容を説明し、彼女に題名が見えるように掲げる。
「へー、なかなか難しそうな本だね。それにけっこう分厚い…………。あっ、もしかして私のご先祖様のことも載ってたりする!?」
「どう、でしょう?私もまだ読み始めたばかりなので。でも、歴史的に見れば一つの国を興した偉人なわけですし、たぶん載ってるんじゃ――――」
――――瞬間、私の言葉を遮るように、コンコンと、玄関からドアをノックをする音が聞こえた。
私たちは即座に顔を見合わせ、勢いよく立ち上がり、そのままドアに向かって転げるように駆け寄る。
現状の私たち、今月の家賃を払えるかどうかすら怪しい金欠ふたりにとって、このタイミングでのお客様は非常に、とても、ものすごく、重要な存在だった。
玄関のドアを挟んだ向こう側にいる彼、あるいは彼女への対応次第で、来月の生活水準が決まると言っても過言ではないほどに。
故に、そんな金づる、もとい収入源を逃すものかと、私たちは満面の作り笑顔をもって玄関のドアを開け、出迎える。
「「――――ようこそ、アンサーハイムへ!!」」
「――――猫探し、ですか」
ソファの上、誰に向けてでもなく独りごちるように、呟く。
「はい…………。あの子に何かあったんじゃないかって、私、心配で心配で…………」
私の言葉に反応して対面のソファに座る依頼人、二十代後半ほどの容姿に背中の中程にまで伸びる明るい赤髪とグリーンの瞳、そして濃いめのメイクをもってこちらを見据える彼女、ファナさんが、冴えない表情、口調のままそう言った。
なんでも、餌付けをしていた野良猫が最近はめっきり姿を現さなくなり、その猫のことがどうしても気にかかってしまって居ても立ってもいられず、こうして私たちへ捜索を依頼しにきたのだとか。
「えっと、その猫ちゃんのことは別に飼っていたわけじゃないんですよね?」
何かを確かめるように、サリアがファナさんへ問いかけた。
「ええ、そうです。でも、私としても今回の一件であの子を飼う決心がつきました。なので、お二人にはあの子を捕まえていただきたいんです。そうしたらあとは私が引き取るので」
横目でチラリとサリアを盗み見る。普段私とふたりでいる時とは違う他所行きの笑顔、今はそこに、さらに別の色が混じっているように感じられた。
「依頼内容はわかりました!いついつまでにーとか、そういう希望はありますか?」
「…………無茶は承知の上で、明後日の夕方またここへ訪ねるので、それまでにお願いできせんか?あの子の無事を一刻も早く確かめたいんです。もちろん、その分報酬は上乗せします。なのでどうか、お願いします!」
ファナさんはひどく真剣にそこまで言い切ると、嘆願するように深々と頭を下げた。彼女の動きに追従した赤髪がふわりとなびき、香水によるものか洗髪剤によるものか、嗅ぎなれない甘い匂いが仄かに漂ってくる。
彼女の様子からは何がなくとも必死さ、切実さが伝わってきて、加えて猫に関することということもあり、私としてはその依頼に否やはなかった。
今度は顔ごとサリアに向け、その琥珀の瞳と視線が絡む。そうしてどちらともなく頷き、無言のまま意思を疎通させる。
「ファナさんの依頼、承りました」
「絶対にその猫ちゃん見つけますから、安心してください!」
私たちの返答を受け安心したのか、ファナさんは頭を上げると安心したように顔を綻ばせ、その表情のままお礼の言葉を口にした。
「お二人とも、本当にありがとうございます!…………あの、もう一つだけお願いしたいことがあって。もしあの子が死んでしまっていたらその遺体を回収して欲しいんです。…………せめて、私の手で弔ってあげたくて」
「そちらも了解しました。お任せください」
「その猫ちゃんを見分ける特徴ってありますか?あと、こっちはあったらでいいんですけど、猫ちゃんの体毛とか血液とか、そういうの持ってたりとかは?」
「ええと、特徴としては全身が真っ黒で、手がかりになるようなものは持ってないです。ごめんなさい…………」
ファナさんがいくらか申し訳なさそうに答える。
…………魔術の媒体になるようなものはなし、か。そうなると、今回は私よりもむしろサリアの領分ということになる。なかなかに面倒な依頼だが、まあ、なるようになるだろう。
これからのことに想いを馳せる私の横で、サリアがファナさんに向けさらに質問を重ねていた。
「いえいえ、大丈夫ですよ。その猫ちゃんの瞳の色はわかりますか?」
「えっ、その…………あっ、黄色でした!」
ファナさんはサリアの瞳を見て、思い出したようにそう答える。
サリアの質問、条件を絞るためにしたであろうそれ。なんとなく、私はそこに別の意図があるように思えた。
その後、私たちはファナさんから猫の出没場所や最後に見た時の様子などを聞き取り、報酬について打ち合わせ、そうして、一通りの手続きを終えこの家を後にする彼女を玄関まで見送った。
彼女の顔つきは訪れた時よりもいくらか晴れやかなものとなってはいたが、それでも、そこには拭いきれない不安が垣間見えた。
「……………………」
もう誰もいない玄関ドアをじっと見つめながら、サリアは何かを思い悩むようにただ黙って腕を組んでいた。そんな彼女に向け、いくらか呆れ気味に声をかける。
「何かわかったらちゃんと私にも教えてくださいよ」
「…………うん。でもまだわかんないことだらけなの。だから、もう少しだけ待ってて」
彼女の不明瞭な態度、返答を受け、ため息をつく。が、以前までと比べれば内心を隠さなくなっただけ進歩したということになるのだろうと自分を納得させ、彼女を置いて客間に足を向ける。
「…………案外、いつだったかアサがいってた通りになるかもね」
彼女がポツリとこぼした言葉。私はそれを、うまく聞き取ることができなかった。
次回は本日20時ごろ投稿予定です。




