ロストガール
「…………づっ、ぐっ、…………ああぁ…………!!」
自分の腹に刺さった剣を無理やりに引き抜こうとして、堪えきれず呻き声が漏れた。
セスイを打ち倒し安堵してしまったからか、先ほどまで感じなかった痛みが今はいっそ明瞭なほどに感じられる。回復の魔術をかけ続けているにも関わらず苦痛が和らぐことなどなく、私はそのある種拷問じみた状況に耐え続ければならなかった。
現実ではおそらく数秒、けれど私にとっては時間感覚を狂わせるほどの長時間の格闘の末、ようやく腹に刺さった剣を引き抜くことに成功する。
「…………ぐぅっ、こ、の…………!!…………はぁ、はぁ、はぁ…………。っ、はやく、いかなきゃ…………!」
倒れ込もうとする体を叱責し、前を見据える。引き抜いた剣を放り投げ、傷口に回復の魔術を施しながら、私はおぼつかない足取りで小屋の残骸へ向かって駆けだした。
腹に空いた穴はすぐに治癒し、それは臓器も同様だった。けれど、傷がなくとも突っ張ったような痛み、すでに癒えたにも関わらず感じる幻肢痛のようなそれが消えることはなく、私の肉体を、精神を、苛んでいた。
血を失いすぎたからか体がいうことを聞かず、ひどくもどかしい。
それでも無理やりに足を動かし続け、ようやく半壊した小屋、その本棚の前に到着する。私が奇襲として放った岩石の魔術の余波によって小屋は外見、内装共にボロボロだったが、室内の奥まったところに鎮座していた本棚には傷ひとつなかった。
セスイはこの本棚の裏に隠し階段があると言っていた。
ならばと、私は本棚に向けて岩石の魔術を放つ。瞬間、轟音、土煙、そして、その後に下り階段が姿を現した。
そうして、私は地下へと足を踏み入れたのだった。
地下への階段は非常に暗く、また、深かった。
階段を降っていくうちにだんだんと時間感覚が薄れていく。点々と取り付けられている松明によって視界は確保できているが視界に映る景色は変わらず、響く音は自分の足音だけ。
私は本当に前に進んでいるのか、もしやセスイにまんまと担がれたのではないか、そんな思考が頭を過ぎる。
けれど、それでも、今の私にできるのはこの道を進むことだけだと思い直し、足を動かし続ける。
そうしてどれほどの時間が経っただろうか。
ついに階段の終わり、最下層を視認し、次いでようやく辿り着く。
地下にも関わらずこの空間はとてもに広く、けれど灯りとなるようなものが存在せず、非常に薄暗かった、そのため、周囲を照らす光球の魔術を発動させる。
魔術によってこの空間全体が照らし出されると同時、向かいの端に人影を捉えた。
――――そして、その人影が真っ赤な何かに浸かっていることも。
「…………サリ、ア?」
未だ全身は重く、動くことすら億劫だった。だが今この瞬間はそんなことは忘れ、全力をもって人影に駆け寄る。
自分が今見たものはただの見間違い、あるいは錯覚や幻覚の類なのだと、確かめるために。現実を、否定するために。
そうして、私の瞳に映ったのは、血だまりに沈み、なお首筋から真っ赤な命の熱を吐き出し続ける彼女の姿で――――。
「――――サリア!!!」
呆けている暇などなかった。私は彼女の手をとりその名前を叫びながら回復の魔術を発動させる。彼女が遠くへ行ってしまわないよう、ひたすらに、がむしゃらに、彼女へ呼びかけ、手を握り続ける。
サリアの片手にはナイフが握られていた。彼女の性格や現状を鑑みるに、そのナイフで自ら首を掻っ切ったのだろうと予想できた。だが今は経緯などどうでも良かった。
彼女の顔は、いや、全身は青白く、冷たく、その鼓動も脈拍もひどく弱弱しかった。今の彼女からは生命の温もりがほとんど感じられず、まるで、死体のようで――――。
「…………っ、サリア!!サリア!!!聞こえますか!!?」
私は直前の思考を打ち消すように被りを振り、より一層声を張り上げ彼女の名前を呼ぶ。
彼女の元に辿り着いた瞬間から今まで、回復の魔術はずっとかけ続けている。だが、これだけではサリアの死を防ぐことはできないのだということもわかっていた。
彼女はすでに血を流しすぎていたのだ。人一人がつかるほどの出血、それは考えるまでもなく致命的だった。
ならば私は、何をすれば、どうすれば、彼女を救えるのか。ひたすらに思考を巡らせるが、焦り故か、あるいは私の求める答えなどはなから存在しないからか、頭の中はぐちゃぐちゃのままだった。
どうする。何をすれば、どうしたらいい。私に何ができる。これだけの力を持っているのだ。何か方法があるはずだ。彼女を死なせない方法が。何か、何かないのか。このままでは本当に、サリアが死んでしまう。それは、それだけは、絶対に認められない。
現実に屈してしまいそうになる心を、意志を叱責し、私は考え続ける。
サリアに血液を送る魔術はどうか。いや、だめだ。人の血液を作ったことなんてないし、仮に作れたとしてもそもそも彼女の血液型なんて知らない。もしそんなものを彼女の体内に入れれば拒絶反応で死んでしまう。
では彼女の体内の血液を増幅させるような魔術は。できるかどうかは置いておくとしても、どれだけ増やせばいいのかがわからない。下手をすれば彼女の血管が破裂する可能性だってある。
…………ああ、だめだ。今の私では、目前の現実に打ちのめされてしまっている私では、彼女を、サリアを救うに足る魔術を想像することすらできやしない。
こうしている間にも時は流れ、サリアの命が失われていく。死に、近づいていく。
この腕の中で、最愛の人、この世界よりも大事な人、守り切ると誓った人、その命の灯が今まさに消えようとしている。熱を失い、声は届かず、瞳は閉じられたまま、彼女の命が潰えようとしている。
死なないで。こんなところで死んじゃダメ。まだあなたと一緒にいたい。やだ。いやだ。隣にいてよ。どこにも行かないで。
「――――ひとりにしないで!!」
心の声はいつの間にか外に漏れ、私は叫んでいた。
その瞬間、あの街で彼女と交わした想い、今となっては随分と昔のようにも感じられる、私にとっては何よりも大切な約束を、思い出した。
『たぶん、あたしは自分を使うことはやめられない。そういう風にしか生きられないの』
サリアは今この瞬間を、他者を救うため自分の命を犠牲にするという終わりをこそ望んでいたのではないか、彼女自身がその病的な献身性、遠回りな希死念慮に気づいていなくとも、心の奥底にはそんなひどく痛々しい願いが溢れていたのではないかと、そう思えた。
今になって、いや、今だからこそ理解できた。きっと、それこそがサリアにとっての贖罪だったのだ。
『でも、アサがそんなあたしのことを許せないっていうなら、あたしの隣にいて。あたしの隣で、あたしのことを止めて?』
彼女は自分で自分の行動を、それがたとえその身に危険が迫るようなものだったとしても、決して止めることなんてできず、むしろそうして自らの命が失われることをこそ望んでいたのだろう。
だからこそセスイに着いて行った。だからこそ今こうして自身の血に溺れている。
あの時発した言葉、隣にいてと、隣で自分を止めてと、あれが、あの言葉こそが、彼女が上げた唯一の救いを求める叫びだったのだ。
…………でも、私はその悲鳴に応えることができなかった。その声に、気づくことすらできなかった。
『…………わかりました。そのときはサリアの手を無理やりにつかんででも止めてあげます』
その手を無理やりにつかんででも止めるなんて口にしたくせに、彼女があの街を出ていくとき、私は何もすることができなかった。あの時、あの瞬間、彼女を止められるのは私だけだったのに、彼女に触れることさえできやしなかった。
でも。
それでも。
――――今はまだ、手が届くから。
だから、彼女が一人でどこかへ行ってしまわないように、彼女の隣に立ち続けるために。彼女を、彼女の手を、もう決して離すもんかと、今は冷たいその手を強く、痛くなるくらいに強く、祈るように、両手で握りこむ。
「…………ない」
現実に打ちのめされた心を再び奮い立たせる。理屈も因果も知ったものかと、私ならばどんなことでもできるのだと、私にできないことなど存在するはずがないのだと、自らにそう確信させる。
「…………せない!」
私が扱う奇跡、私が魔術と呼ぶそれ。それは私の意志、その心の在りようによって事象を引き起こす。私が思い描き確信することによってのみ、私が望む奇跡を発生させる。けれど、その力はこの世界に触れていくうちに、徐々に常識という枠に収められていった。
それは何故か。私がそういうものなのだと認識してしまったからだ。
…………ああ、そうだ。私だ。私なのだ。私が、この能力の限界を決めてしまっていたのだ。
「こんなところで…………!!」
思い出す。この世界に来た一番最初、あのときの全能感を。
私は、私ならば、私が扱うこの奇跡ならば、どのような夢物語であろうと現実のものにできるのだ。
常識では起こりえないことを引き起こしてこその奇跡。ならば、そこに限界などあるはずがない。
だから。
「――――絶対、死なせなんてしない!!!」
私は思い描く。サリアが再び私に笑いかけてくれるこれからを。
私は思い描く。サリアが再び私の隣にいてくれる明日を。
私は思い描く。サリアが再び私の手を握ってくれる、必ずそう在るべき、すぐそこに在る未来を。
――――それは、現実を捻じ曲げ、私の意志によって塗り替える、ありうべからざる力。旅の果てに名を得た、改竄の奇跡。
そうして、魔術が成ったと、自分の中の深いところで確信する。
彼女の手を握る私の両手を中心にして、淡い緑色の光が私たちを包んだ。
「ぁ、ああぁ…………!!」
なぜそうなるのか、どうしてそうなったのか、それらは私にはわからない。
けれど、まるで時が巻き戻ったかのように、初めからそうだったかのように、一瞬にしてサリアの血色が、体温が、安定しだした。それが、現実となっていた。
彼女に意識はないけれど、それでも、先ほどまですぐ近くに感じていた死の気配はなくなっていた。
「…………っ、よかった、よかったよぉ。サリア…………!!」
サリアの顔に覆いかぶさるようにして抱き着く。そこで初めて自分の顔が涙や鼻水でぐちゃぐちゃになっていることに気が付いた。自分のその状態が少しばかり恥ずかしかったが、それでも誰も見ていないからと自分に言い訳し、彼女を抱きしめ続ける。
ずっとこうして、再び彼女と触れ合えることを夢見ていた。
私にとって、彼女と別れてからの一年間はとても長かった。ずっと一人で、ずっと道に迷っているかのような、そんな日々だった。いや、迷っているかのような、ではない。事実、私は迷っていた。
私の帰る場所、それはどこまでいってもサリアの隣なのだ。だから、私は彼女のもとへ帰るためにこんなところまで来た。
やっと、帰ってくることができた。私の最愛の人、その隣。
彼女が何を言おうと、もう決して彼女の隣から離れたりなんてしない。決して彼女の手を離したりなんてしない。
私は強く、そう心に誓った。
次回は明日17時ごろ投稿予定です。
明日の投稿は17時ごろから21時ごろまでの1時間毎に一話づつ、合計五話の投稿を予定しています。また、明日の最終投稿をもって本作を完結とさせていただきます。
最後までお付き合いいただけたら幸いです。




