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幻想と現実 前編

「大義のためではなく、人命のためですらなく、ただ己の目的のために、ですか。なんとも崇高なご意志ですなぁ」

 

 私の決意の込められた言葉を受けてなおセスイは微塵も動じることなく、むしろ顔に笑みを貼り付けたまま、皮肉を込めた発言をもって私に応じる。

 私には、彼のその余裕綽々といった態度が癪に障って仕方がなかった。


「…………いつの時代どこの場所であろうと、人が行動を起こす理由なんて、突き詰めてしまえばその全てが全て自分のためでしょう?あなたが反乱軍を結成した理由もそうだと思っていましたが、違うんですか?」


 今私が彼に向けて放った言葉、それは紛れもなく私の本心だった。

 私がサリアを追い求めるのも、サリアに笑っていてほしいと想うのも、サリアに生きていてほしいと願うのでさえ、その理由を言葉にすれば、そうでなければ私が嫌だからというどこまでも身勝手で単純な思いが故でしかないのだ。


「…………いえ、確かに。私のこれまでは全て自らが望む結果を求めての行動。あなたの言葉の通りだ。ですが、まだ年若いのに随分と厭世的な考えをなさるのですね」

 

 セスイは私の発言の意味するところを正確に理解し、そう返答した。


「生まれつき陰気な性格なもので。…………さて、いい加減、迂遠な腹の探り合いはやめにしませんか?」


「ほお、どうやらアサ殿は急いでいるご様子。ですが、私が求めるもの、その結果、過程。それらが何なのか、聞き出さなくて良いのですか?」

 

 彼が口にした内容を頭の中で反芻する。

 

 私が今この地でするべきことはサリアとの合流と反乱軍の人たちの捕縛、そしてセスイの身柄の確保、大きくその三つだ。これらを達成するにあたって、彼の望みを知るということは必須ではなく、また優先度が高い訳でもなかった。

 

 だがそれでも、彼の求めるものがなんなのか、私にとってその答えは、まるで喉に刺さった小骨のような、あるいは視界にチラつく小蝿のような、そんな無視することのできない不快な何かを孕んでいた。

 なぜそう感じるのか、その理由すらわからないにも関わらず。


「……………………」

 

 そうして、私は無言をもってセスイに続きを促す。

 彼はそんな私の様子に一瞬笑みを深めると、自らのうちに秘めたものをゆっくりと語り出したのだった。


「…………そうですなぁ、どこから話したものでしょうか。…………我ら、ブルルーム家はユーリニア王国における中流貴族であると同時に、代々貴人に仕える騎士でもありました。私の孫であるミラムがソニア姫に仕えていたように、私も、私の息子も、仕える主がいたのです」

 

 セスイの口ぶりはまるで過ぎ去った過去を懐かしむかのように穏やかで、優しかった。なんとなく、今の有り様こそ彼本来の姿なのではないかと、そう思えた。


「我が主は、私には勿体無いほど、真に素晴らしきお方でした。一目惚れ、とでもいうべきでしょうか。彼女を初めて見た瞬間から私は彼女の虜となっていた。その凛々しい立ち姿、覇気のこもったお声、他者を想いやる優しき瞳、責務を果たさんとする気高き御意思。彼女に仕えること、それこそが私の生きる目的だと、存在する意義だと、心底からそう思っておりました」

 

 彼は私が口を挟むことすら許さないほどの熱と勢いをもって、息つく間もなくそこまで口にした。そんな彼の姿を見て、声を聞いて、彼の口から出た主なる人物は、彼にとって本当に大事な人だったのだと何がなくとも理解できた。

 だが、だからこそ、セスイの口から漏れた最後の言葉がどうしても引っかかってしまう。


「…………思っていた、なんですね」

 

 私の口から出た言葉は弱々しく、セスイはそんな私の声が聞こえているのかいないのか、なんの反応も示さずに言葉を続ける。


「彼女は国のため、民のため、自らの心身を捧げ、発展と平和に尽力した。飢饉が起こればその身を削って食料をかき集め、病が流行れば一刻も早い終息のため対策を講じ、争いあれば被害を抑えんとその身を顧みず前線にて指揮を執った。…………本当に、彼女は私の誇りでした」

 

 なんとなく、彼の語りの行き着くところが予想できた。予想、できてしまった。


「…………だが、国は、民は、彼女の献身に報いることなどなかった」

 

 セスイの口から溢れた言葉、それは、直前までのものとは何もかもが異なっていた。

 その響きも、意味するところも、込められた感情でさえも、深く、暗く、重い、そんな何かに塗りつぶされていた。


「先の内乱が起こるまで、この国は一部の上級貴族たちによって支配されていた。王族など傀儡でしかなく、その政の全てを牛耳られていたのだ。そして、奴らは自らの保身のためにのみ、その権威を用いていた…………!」

 

 セスイが語る内容は以前サリアから聞いたものと合致している。また、彼とサリアの口ぶりから、この国の上役、ユーリニア王国上層部は何世代も前から腐敗していたのだろうということが読み取れた。

 

 彼の口調から、少しづつ熱が、勢いが、失われていく。


「彼女は民のために立ち上がり、堕落し切った上級貴族たちへ、抗った。…………そして、奴らによって無実の罪を着せられ――――」

 

 彼はそこで小さく息を吸い、言った。


「――――――――殺された」

 

 言葉を放ったその瞬間、彼には何もなかった。

 その表情が、声音が、ただただ虚無だけを映していたのだ。

 

 その様はひどく哀しく、そして、痛かった。


「彼女は自らの領地、自らの民の前で処刑された。民たちは彼女の命を嘆願するでも刑を非難するでもなく、虚偽に踊らされ、彼女に石を投げつけていた」

 

 ああ、そうか。


「そうして、気づいた」

 

 ようやく、気づいた。


「この国に、彼女がその身を捧げるに足るものなど、最初からありはしなかったのだと」

 

 彼は、セスイは、私と同じなのだ。

 

 私がサリアを想うように彼もまた主のことを想い、私がサリアの隣を自らの居場所だと確信しているように彼もまた主の隣を自らの居場所だと確信していた。そして、私がサリアを傷つけた国王を憎んでいるように、彼も主を殺した国を、民を、憎んでいるのだ。

 

 私はあの街で初めて対面した時からずっと、セスイという人物に対して、言葉にはできない、けれどどうしようもなく確かな不快感、嫌悪感、忌避感を抱いていた。なぜそのように感じるのか、私はそれを、彼がサリアを連れていってしまったからだと思っていた。いや、思おうとしていた。

 

 だが違う。違ったのだ。

 

 ことここに至ってようやく、私は自らの内にある暗い感情の源泉を理解した。

 

 それは、同族嫌悪だ。

 

 自らの心の内にある、目を背けたくなるような醜いエゴ。私はそれと同種のものを、無意識に彼から感じ取っていたのだ。

 …………見たくないものを見てしまった、気づきたくないものに気づいてしまった、そんな、ひどく厭わしく、不愉快な心持ちだった。

 

 セスイは私の様子に頓着することなく言葉を続ける。


「そうして、私はこの国に、民に、彼女を殺した報いを与えると、この命にかえても復讐すると、たとえどれだけの時を費やそうとも必ずこの国を地獄に変えてみせると、そう誓った」

 

 彼が口にした言葉を受け、理解する。


「…………そういうこと、でしたか」

 

 私はセスイと出会ってからこれまで、彼の行動理由を理解することができずにいた。だが、今の彼の言葉で、その答えをやっと掴むことができた。

 

 答え合わせをするように、私はゆっくりと口を開く。


「私は、争いとは何かを求めて行われるものだと思っていました」

 

 サリアは反乱軍が王国軍に勝てるはずがないと語っていた。国王はセスイが反乱を起こした後に何を望むのかと疑問視していた。

 二人は、そして私も、争いの先にあるものに焦点を当てていたのだ。

 だが、だからこそ気が付かなかった。気づけなかった。


「…………あなたには争いを起こす以上の目的なんてなかった。いえ、反乱という名の地獄、それを発生させることこそが目的だった」

 

 セスイはただ争いだけを求めていた。彼は争いを起こすことを、この国の民同士が殺し合うというその過程のみをこそ望んでいたのだ。

 

 そして、そうであるのならば、彼は。

 

 私の言葉を受け、セスイは思い出したかのようにその顔に笑みを貼り付け直し、ゆっくりと口を開いた。


「ええ、その通りです。…………ですが、此度はここに至るまでなかなかに手間取りました。前回のように応報の芽が国中にあるのならば容易にことを為せるのですが、今の王はその辺りも手抜かりないようで。全く、腹立たしいことこの上ない」

 

 やはり、そうか。彼はサリアが王城を追われることになった6年前の内乱、それにも関与していたのだ。

 彼の悪びれることすらない態度に、表情に、気がつくと私は強く奥歯を噛み締めていた。だが今この場面においては冷静でいなければならないのだと自身を落ち着け、浅く息を吸い、吐く。

 

 そうして、私はセスイに問いを投げかけた。


「…………あなたの狙いはよくわかりました。……ですが、あなたの主は、そんなことを望むのですか?」

 

 私の口から漏れた言葉は切れ切れで、どこまでも薄っぺらく、空疎だった。それも当然と言えば当然か。


「ははっ、何を言う。先ほどあなたが言ったのではないですか。人が行動を起こす理由など、結局は己のためでしかないのだと」

 

 もはや、セスイは亡き主のためではなく、自分自身のために復讐をしているのだ。


「…………彼女が生きていれば、こんな私を叱責することでしょう。だが、もう彼女はいない。ならば、私は止められるものなどなく、私は自らの憤怒と憎悪のままに、この国へ、この国に生きる者たちへ、争いという名の呪詛を振り撒きましょう」

 

 私がセスイと同じ立場なら、もしもサリアが国のせいで死んでしまうようなことがあったのならば、きっと、私は彼と同じことをする。サリアがそんなことを望んでいないとわかっていても、自らの内にある激情を抑えることなどできず、己を黒き炎へ焚べるように復讐へ走るのだろう。

 

 そして、一度そうなってしまえばサリア以外の誰にも、それがたとえ自分自身であろうと、決して止めることなどできやしない。この身が燃え尽きるまで、彼女を殺した全てを怒り、憎み、呪い続けるのだと、何がなくとも理解できてしまった。

 

 …………ああ、本当に。今目前にいる老人、セスイ。彼は、どこまでも私と同じだった。

 

 けれど、私と彼の間には、どうあっても埋まることのない隔たり、互いの在り方を決定的なまでに違えさせる、たった一つの差異があった。

 それは私にとってのサリア、彼にとっての主。自らにとっての最愛の存在が、生きているかどうか。それ故に、私とセスイはここまでかけ離れたのだ。


「…………要は、自分で自分を、止められない、……赤子の癇癪と同じ、じゃないですか……」

 

 私は弱々しく、自嘲するように、彼へ向けてそう言った。


「言い得て妙、ですな。…………それにしても、アサ殿、随分と息が切れているご様子ですが、いかがなさいました?」


「…………っ!?…………おま、え…………!!」

 

 セスイは現状に対する余裕が故か、にこやかな笑みを私に向け、再度口を開く。


「思いの外、察しが悪いのですな。…………それほど姫を案じていたのか、生気吸収の結界が高性能だったのか、あるいはそのどちらともか。まあ、私としてはなんでも構いません。こうして、障害を排除できたのですから」

 

 彼の言葉を受け、私はふらつきながら地面に膝をついた。そして、彼はそんな私を見つめながら笑みをさらに深め、こちらに向かって歩み出したのだった。


「あなたは私と同じ人種なのでしょう。大切なもののためなら自らの命など惜しくなく、その何かとともに、その何かのためにと、そう生きること、それこそを自らの最上位においている」

 

 私とセスイとの間にあった距離が徐々に縮まっていく。


「まるで、彼女が生きていたころの己を見ているようだ」

 

 彼は歩みを進めるとともに、その腰に刺していた剣をゆっくりと引き抜くと。


「…………だからこそ、ああ、本当に」

 

 膝をつく私の目前で立ち止まり、私へ向けて先端が鋭く尖ったそれ、レイピア状の片手剣を突きつけながら。


「――――虫唾が走る」

 

 そう、言った。


「…………こ、のっ…………!」


「…………失うことの傷みを、失ってなお生きていくことの痛みを、知らずに逝けること、感謝せよ」


 彼はそう言い終わるやいなや、その手に握る剣を、振り下ろす――――。


「――――――――っ!?」

 

 ――――その寸前、私が発動した魔術、人間大の岩石を高速で放つそれに直撃し、後方へ吹き飛ばされたのだった。

次回はx本日21時ごろ投稿予定です。

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