接敵
王都を出てからの旅路は非常に順調だった。
目的地である森林までは、本来ならたとえ馬車でも王都からでは12、3日はかかるのだとか。けれど国王が王国内でも特に優秀な馬と馬車を用立ててくれたらしく、かなりの時間を短縮することができた。
彼の気遣いを感じるとともに、なんとなく、言葉なくとも彼なりにサリアの身を案じているのだろうと思えた。
だが、どれだけ旅が順調であろうと、私のはやる想いは一向に収まることはなかった。彼女と別れてからもう一年以上経っているのだからそれも当然といえば当然か。
やっと彼女に、サリアに、手の届くところまで来た。この日をどれだけ待ったことか。今すぐにでもサリアの元へ走り出してしまいたかった。けれどまだだ。まだ駄目なのだ。
今私がなにを言っても、彼女はきっと納得しない。少なくとも、この反乱軍の一件を解決してからでないと、彼女は以前のように自分が平穏に生きることを認めはしないのだろう。
だからこそ、私は彼女とまた一緒に笑い合えるように、何気ない日々を共に過ごしていけるように、全てを終わらせるためここまで来た。
そうやって改めて決意を固め馬車に揺られること九日、本来よりも三日以上早く私は反乱軍の本拠地がある森林へと辿り着き、足を踏み入れたのだった。
魔術を発動させるため意識を研ぎ澄まし、集中する。
なんでも国王曰く、この土地、反乱軍の本拠が置かれている森林には、魔法による人払いの結界が貼られている、らしい。なんの準備も無しにこの森林に進入すると次第に方向感覚を狂わされ、いつの間にか入り口に戻ってしまうのだとか。
そんな面倒くさい結界をなんとかするため、私は現在、魔術の準備をしていた。
魔術を発動させるため、はやる心を無理やりに押さえつけ、落ち着かせる。
私はまずサリアを連れて行った反乱軍の真の親玉とでもいうべきあの老人、セスイを捕らえることに決めた。
彼の目的が何なのかはわからないが、サリアは彼を警戒していた。ならば、私にとって彼を捕らえる理由はそれだけで十分だった。
セスイは以前起こった反乱のときから王国内で手配されているらしく、彼の屋敷は国によって差し押さえられているのだとか。そのため、私は国王に奴の私物を貸してもらえないかと頼んだ。なぜ私が国王にそんなことを頼んだのかといえば、それは当然、セスイの居所をつかむためだった。
国王から譲り受けたセスイの私物を媒介に、私は魔法とは異なる私だけの奇跡、魔術を発動させる。
私が今しがた発動させた魔術、サリアと一緒にいたころにも何度か使った追跡用のそれは、指紋や血液などといった身体的な個人情報をもとに対象を判別、捕捉する。対象がある程度近くにいなければ発動できないという条件はあるがその精度は非常に高く、たかが方向感覚を狂わせる程度の結界に遅れをとることはないと私は確信していた。
故に、脳内にセスイの現在地が流れ込んでくる。
そうして、魔術によって示された場所、反乱軍の本拠地、そのさらに奥へ向かう。
はじめは歩きだったが次第に小走りになり、ついには全力で走っていた。それほどに、こんなことは早く終わらせてサリアのもとに行きたかったのだ。
しばらくの間走り続け、深い森の中、その開けた場所で、ようやく標的を発見する。
私は木を背にして隠れながら息を整え、セスイを観察する。彼は祭壇らしきもの、その中心へ置かれている簡素な装飾が施された長方形型の箱、おそらく棺ではないだろうか、に向かって宗教における敬虔な信徒が如く何かを祈るかのように跪いていた。
彼が静かに跪く姿を見て、そして本拠から離れ周囲から隠れるようにこの場所が在ることから、なんとなく、ここは彼にとって特別な、ある種の聖域のような場所なのではないかと思えた。
だが、今の私にはそんなことどうでもいい。
私の前からサリアが去った原因、私にとっての仇敵、宿敵、怨敵とすらいえる存在が目の前にいる。私のすべての力をもって細胞の一つすら残らないように消し去ってやりたいと、心底から思う。
それでも、それはサリアが望むことではないと、私がなすべきはそんなことではないと、自分をなだめ、しずめる。そうして、息を整え、自らを落ち着け、彼へ攻撃するため魔術を編み始めた。
だが、彼へ魔術を放つことは、いや、それ以上動くことすらできなかった。
セスイは変わらず棺へ向けて祈り続けている。まるで、私の存在に気がついていないかのように。だが違う。違うのだ。彼は、私に気がついた上で歯牙にもかけていないだけなのだ。
なぜそんなことがわかるのか。それは、彼が放つプレッシャー、今攻撃すればそれは容易くいなされ、かえって相手に隙を晒すことになるという謎の確信が故だった。
彼はこちらを一瞥することすらなく、私を完全に制しているのだ。
いくらこの世界における常識を超えた奇跡、魔術を発動することができたとしても、それを扱う私はどこまでいっても平和ボケした日本人でしかない。だが、そんな私にも理解できるほど今の彼には隙がなく、だからこそ、彼との間にある隔絶した戦闘能力の差を感じずにはいられなかった。
それでもと、自らを止める理性を無理やりに制し、彼へ魔術を放とうとしたその瞬間、彼がゆっくりと立ち上がり、口を開いた。
「お待ちいただいたこと、感謝いたします」
言葉と同時、セスイがこちらへと振り向いた。そうして私の視界に映ったのは、穏和な笑みと雰囲気、けれど私にとってどこまでも憎らしいそれらを湛えこちらを見つめる、年老いた一人の男だった。
今の好々爺然とした彼を見て、誰が一国を相手取って内乱を起こそうと企てる反乱軍の首謀者だと思うだろうか。
「……………………」
私は言葉なく、油断なく、彼を見据えながら木々から離れる。
「あなたは…………確か、ソニア姫のご友人の…………」
セスイが私を覚えていたことに少しばかり驚く。だがこの世界では自分の髪と瞳の色が珍しいことを思い出して納得し、彼の言葉に返答する。
「…………歳の割に、記憶力は正常なようで。ええ、私はサリアの友人、アサといいます」
現在、私は容姿を変化させる魔術を使っておらず、また、仮面をかぶりもしていなかった。純粋に、これから先のことを考えると彼の前で姿を偽る必要性を感じなかったのだ。そのため、こうしてありのままの姿で彼の前に歩み出たのだった。
「ああ、そう、アサ殿でしたね。お久しぶりです。王国軍が来るものとばかり思っておりましたので、少しばかり驚いてしまいました。…………姫からあなたのことは伝え聞いております。なんでも、彼女のことを心身ともに支えてくださったのだとか」
セスイは先ほどから変わらない貼り付けたような笑みのまま、私へ声をかける。私には彼のそのさまが、なぜかはわからないがひどく不気味に映った。
「彼女が我ら反乱軍の御旗として今この地にいてくださるのも、まわりまわってはあなた様のおかげ。本当に、感謝の念に堪えません」
彼が発した言葉、サリアがここにいるのは私のおかげだという内容の、それ。
瞬間、思考する間もなく、怒りのまま彼へ向けて魔術を放ちかけ、けれど、そのすんでのところで自らの行動を押し留める。
彼がどのような意図を持って私を挑発するように先ほどの言葉を吐いたのかはわからない。それでも、圧倒的な強者である彼を前にして迂闊に動くことは、少なくとも、今この場面においては間違えようもなく悪手だと、そう思えたのだ。
私は小さく一度深呼吸して自身を落ち着かせ、彼へ言葉を投げかける。
「…………それはどうも。それにしても、まだ年若い少女を掲げなければ大義名分すら得られないとは、反乱軍だなんて大仰な名前をしている割に随分と情けない集団なんですね。国を変える前に自分たちの能無しっぷりを省みたらどうですか?」
「はっはっは、これは手厳しい。ええ、全くもってあなたの言う通りだ。この地に留まる者たちは皆、反乱軍など名ばかりの烏合の衆にして国の情勢すら読み取れぬ無知蒙昧ばかり。ですがだからこそ、争いの火種として用いるにはちょうど良い」
自らが結成した軍を卑下するかのような発言。私はそれを、謙遜ではなく彼の本心からのものなのではないかと感じた。
酒場で初めて出会ったあのとき、私は彼に対して、こちらを、いや、目の前にあるものを見ているようで見ていない、そんな違和感を覚えた。そして、彼の内側には、抑えきれない何かがあるのだとも。それはとても、とても暗く、深い闇の中にこそあるものだと、そう思えたのだ。
私は、今も彼からそれを感じている。彼の穏やかな表情の下に隠されているそれ、私にはその何かが伝わってくる。その理由を、今はわからない。
だがそれでも、今この場で彼を止めるのだと、止めなければならないのだと、そう思った。
「…………あなたが何を企んでいるのか、私はそんなこと知りませんし、興味もありません」
今の私にとって重要なのはサリアだけであり、セスイの心情などどうでもよかった。彼が何をしようと、どうなろうと、サリアが私のそばにいてくれるなら好きにすればいいと、心底からそう思う。
「ですが」
彼がサリアを利用しようというのならば。
彼が私とサリアの間を阻むというのならば。
彼がいる限り私はサリアの元に帰れないというのならば。
「私の目的のため、あなたを捕縛させていただきます」
――――今ここで彼の野望を打ち砕くと、そう、決めた。
次回は明日17時ごろ投稿予定です。




