ソニア・ファス・ユーリニア 前編
ユーリニア王国第二王女、王位継承権第四位。ソニア・ファス・ユーリニア。
それがあたし、この街ではサリアと呼ばれていた存在の正体だ。
あたしの故郷、ユーリニア王国はこことは異なる世界から訪れた異邦人によって建国されたと伝承されている。そして、そんな異邦人の彼の血には、アサと同じように異能が宿っていたとも。
あたしはそんな国の王族としてその生を受けた。兄が二人、姉が一人、弟と妹が一人ずつ。王族でありながらあたしたちの間に継承権争いなどといった確執はなく、本心は別としても、側から見ればその仲は良好に映っていただろう。
あたしが王女であるのならば、当然、あたしの父はこの国の国王ということになる。
あたしの父、キュインス・ファス・ユーリニアは、この国のだれよりも民のことを想っていた。日々民のため国のためにと、その身を王国に住まう皆のために捧げていた。
ユーリニア王国は世界全体で見れば小国といえる程度の規模しかなかった。立地や生産力に関してもすぐれたところはなく、その一方で軍事力は並程度にあった。そのため多くの国から争うリスクと得られるリターンが見合わないと判断され、これまで大きな戦争に巻き込まれることはなかった。
総評していうのならば、ユーリニア王国は非常に住みやすい国だった。
一年を通して気候も良く、多くの民は飢えも争いも知らずに、日々を平穏に過ごしていた。だが、国があるならばその中に貧富の差が生まれるのは必然で、王国の中にも貧しい人たちは確かに存在していた。
きっと、そのような人たちが生まれてしまうのは人々の形成する社会が未熟なせいであり、特定の個人のせいではないのだろう。けれど、私の父、キュインスはそのことに深く心を痛めていた。
父は常々あたしたち兄弟姉妹に、王族であるのならば民のために生きなければならないと言っていた。自分たちがここで今生きているのは国民がこの国を支えているからだと、自分たちの命は民のために使わなければならないのだと、まるで物語に出てくる聖人のようなことを、大真面目に語っていたのだ。
彼は心の底からそう在れと、そう在らねばならないと思っていたのだろう。
だからこそ、私には、彼という存在がどこまでも滑稽に映っていた。
父にとっての民のため国のためになる行動というのは、ただただ何もしないことだった。国のすべてのことを臣下たちに任せ、自分はただ玉座に座っていること。それが、それだけが、キュインス・ファス・ユーリニアが民のためにできる、唯一のことだった。
彼がどれだけ民のことを想おうと、現実は非情だ。彼は、どこまでも平凡だったのだ。
政策を発案しても、法案を提言しても、それらはすぐに否定される。なぜならば、彼が口に出すそれらは、国の賢人たちによってはるか以前に協議されつくしたものなのだから。
その志だけは立派で、その実何かをなせるだけの能力もない。ただ臣下たちの前でうなずくだけ。ほかの誰でもできる、いや、人でなくともできる、どこまでも何よりも簡単な業務。
そこにいるだけの、ただのお飾りで、臣下たちにもないがしろにされるような、そんな王様。
それが、私の父だった。
それで、そのざまで、何が国王か。
幼い私は、彼のようになりたくはないと心の底から思っていた。
自分という存在が、他の誰であろうと代替可能で、誰の内にもその在りようを残さず消えていくのかもしれまいと考えるだけで、心が竦み上がるような気持ちになった。私は私以外の何かではなく、私という個人を見てほしいと、そう強く思うようになった。
だから、私は誰にでも好かれるような自分を作った。いつも明るく、誰にでも優しく、元気いっぱいで感情豊かな、そんな、物語に出てくるヒロインのような少女。
私はそれをかぶることで、みんなにあたしという存在を刻み込もうとした。
私があたしとしてふるまうようになってしばらくすると、城にいた皆が以前よりあたしにやさしくしてくれるようになった。
彼らの反応から、あたしは自分のしていることが間違っていないのだと確信できた。
あたしはその後も自分が多くの人の心に刻まれるように、少しずつあたしというキャラクターを変化させていった。きっと、現在も王国にいたのなら、あたしは何も疑問に思わず、自分を改良し続けていたのだろう。
けれど、現実はそうならなった。
始まりはあたしが12歳のときに起こった大規模な飢饉だった。それはユーリニア王国全土で突発的に発生し、多くの街や村が食糧難となった。
ユーリニア王国であそこまでの飢饉が発生することは歴史上でも珍しく、学者たち曰く、自然に起こったことではない、らしかった。
父はこのときも王都の食料を各地へ配るようにと訴えていたようだが、そんなものは無視されていた。国全体でこの飢饉に対応すべく各地と連絡、連携しようとしているときに、父のような現実が見えていない輩の相手をする暇などなかったのだろう。
国全体としては迅速に対応していた。だが、どうあっても国民の不満をゼロにすることはできない。国家規模の飢饉であれば、当然、死人は相当な数出てしまう。
そんな中、とあるうわさが広まった。
曰く、この飢饉は国王、並びに上級貴族が食料を独占したことにより起こった、と。
もちろんそんな噂は事実無根だった。父の人柄を知っていれば誰もが鼻で笑うような内容だ。けれど民たちにとっては国王の内心など知るはずもなく、また当時の怒りをぶつけられるものを探しているような状態では王族という存在は格好の的でしかなかった。
はじめは地方で流れていた小さなうわさが、いつの間にか国全体を脅かす疑念になっていた。この段階になって、国王である父の裏にいる有力貴族たちは飢饉が意図的に引き起こされたのだということを察した。
そして、それからすぐ地方に幽閉されていた父の弟、あたしの叔父にあたる人物が王都に向けて出兵したという情報がもたらされた。
叔父は国王こそがこの飢饉の元凶であり、自身は義憤に駆られて彼を打ち倒さんと立ち上がったのだと主張していた。
あたしたちが噂の真実に気付くころには敵対勢力は目と鼻の先だった。また、彼はすでに各地への根回しも済んでいたようで、各地でその兵力をさらに増やしていた。
そうして、あたしたち王族は王都から逃亡することになった。だが、そこで父は、自分は城に残らなければならないなどとほざき出した。
あたしは、彼が何をいっているのか理解することができなかった。なぜ、わざわざ死ぬとわかっている場所に残ろうとするのか。おそらく、ほかの兄弟姉妹たちも、地位を追われてこちら側についた貴族たちも、その全員があたしと同意見だっただろう。
あたしはそのときまで父のことを見下していた。人のためにと願いながら何もできない哀れな存在なのだと、いてもいなくとも、いや、いない方がまだましな余計な存在なのだと、そう思っていた。
彼は、自分は国王だからと、国王ならば民が望んでいる通りにしなければならないのだと、そう言った。敵軍につかまれば確実に死ぬ、それどころか拷問やリンチなどもっとつらい目に合うかもしれないのに、彼は顔面を蒼白にして膝を震わせながら、そう言い切った。
彼は自らの身をもって、王であるならば民のために生き民のために死ななければならないなどという夢物語のような理想論を、自らの教えを、最後まで貫き通したのだ。
このとき、あたしは初めて、父、キュインス・ファス・ユーリニアという存在の偉大さを理解した。ただ王族として生まれ、不幸にも王となってしまった、どこにでもいるような平凡な人。けれどその意志は、その在り方は、王とはかくあるべきだという一つの形を、あたしの心に深く刻み込んだのだった。
結局、父は己の理想を貫き通し、城に残った。
誰が避難しようと呼びかけても彼はかたくなで、決して動くことはなく、数人の貴族、使用人たちとともに私たちと別れ、叔父が城に来るのを待ち構えたのだった。
この事実を翻してみれば、国を揺るがす大事を前にして、一国の王のもとに数人の臣下しか残らなかったということを示している。あたしはその原因の大部分を、父の無能さゆえの不人望ではなく、この国そのものの腐敗こそが占めるのではないかと、そう思えた。
最後に見た父の姿は、自らの終わりを悟って怯えながらも玉座にて叛逆者を待つその姿は、私には、なぜだかとても尊いものに感じられた。
そうして、あたしたちは国王である父を見捨て、城を脱出した。
王城の地下には最高位の貴族と一部の王族のみが知る秘密の通路が存在し、あたしたちは共に城を追われた貴族の先導のもと、地上へと繋がる道を歩み出した
地下通路は複雑に入り組んでいたが、それでも貴族たちは道順をしっかりと覚えていたようで、迷うことなく順調に進むことができた。
もう少しで出口というところで、あたしは外が騒がしいことに気が付いた。あたしの常人離れした聴覚、それがこの先には大勢の人が待ち構えていることを、この道そのものが罠だったのだということを感じ取ったのだ。
あたしは、自分の聴覚のことをそれまで誰にも話したことがなかった。
幼いころは単純に自身と他人の聞こえ方の違いが分からず、ある程度分別が付いてからは身の危険を回避するための手段として、そのことを黙っていた。
そして、今こそその手札を切るときなのだと直感した。
あたしは自らが生き残るため、兄弟姉妹、臣下たちを利用すること、つまりは彼らの大部分を見捨て、おとりとすることを決めた。
あたしは、ここまでともにに逃げてきた彼ら彼女らのことを誰一人として信用していなかった。兄弟姉妹、貴族、騎士、その場にいた全員を潜在的な敵とさえ認識していた。故に、自らが生きるため、彼らを切り捨て、捨て駒とすることを決めたのだ。
このときのあたしは、現在みたいに心音や表情、目線から相手の嘘を見抜くことができなかった。そのため、あたしがここで外に敵が待ち構えていることを話したところで誰が敵なのかを特定することはできず、この場をうまく逃れてもまた同じように追い込まれてしまうだろうと、そう思えた。
味方と敵を識別することができないという現状。少人数での逃亡のほうが足がつかないという事実。敵を内に入れたまま逃げ切ろうとする無謀。
そうやって彼らを見捨てることを正当性し、あたしは自身が生き残るための最適解を模索した。
何かを犠牲にして生き残った先にあるもの、それに思いを馳せることもないままに。
そうして、あたしはこの中で最も敵である確率が低いであろう人物へ出口で待ち伏せをされていることを伝えた。
ミラム・サト・プルルーム。彼女は騎士の名門ブルルーム家の一人娘で、酒場であたしを迎えに来たと語った老人、セスイの孫にあたる。
このときの年のころは18歳だったろうか。
ミラムはあたしが自らを偽り始めてからしばらくしたころに登城し、それからあたしのお付きの騎士として仕えてくれていた。
彼女は普段からあたしに親愛や敬愛、忠義をもって尽くしてくれていて、あたしとしてはその情の重さに少しばかり辟易していた。
彼女が裏切り者の可能性もゼロではなかったが、それでもこの中ではもっともその可能性が低いと思えた。また彼女のことを切り捨てた場合、たとえ逃げ切れたとしてもその先どうやって生きていけばいいのかという問題もあった。
当時のあたしはどこまでいってもお姫様で、世間一般の暮らしとはどういったものなのかわかっていたなかった。そのため、一人で逃げ出したときとミラムにあたしが得た情報を伝え二人で逃げたときのリスク、リターンを比べ、そのうえでともに逃走することを選んだのだ。
ミラムはあたしの話を無条件に信じ、多少悩んではいたが、それでもともに逃げることを選んでくれた。彼女はほかの王族、臣下たちを見捨て、あたしについてくることを選択したのだ。
彼女がそれだけあたしのことを想っていたのか、あるいは一人の騎士として主人を救うことを優先したのか、今となっては彼女がどうしてあの選択をしてくれたのかはわからない。
一方で、なぜあたしはあのとき自分たちだけで逃げるという考えに至ったのだろうか。時間稼ぎをしてもらうため、内部にいる敵が誰かわからないため。ああ、その通りだ。
けれど、決してそれだけではなかった。
当時のあたしは、死ぬことが怖かったのだ。
私は自分という存在を他人に見てもらうために、あたしを演じていた。
けれど死が目前になって、自らで生死を選択できる場面になって、他者を犠牲にすることによって自身は生き残れる状況になって、あたしは私に戻っていた。誰かに望まれるようなお姫様を演じていたはずが、いつの間にかその面は剥がれ、そうして姿を現したのは己の命のために他者を陥れる醜女だったのだ。
私は、どこまでも中途半端だった。
他人に自らを刻み込みたいなどと思っていながら、その実自分の命に執着して、かと思えば他人の命には重さを感じず、言動も意思も矛盾だらけだった。
父のことを随分と見下していたが、彼のほうが何倍も何十倍も、比べるのもおごがましいほどに、私なんかより優れた人物だったのだ。
そうやって心のうちで自己の醜さに気づきながらも、私は、それ以外の行動を選ぶことはできなかった。
待ち伏せしていた兵たちから逃げること自体は簡単だった。あたしたちはもうすぐ地上に出るというところでタイミングを見計らい集団から離れ、その後は周囲の音の反響を頼りに別の出口を探した。
地下ということもあり正確な時をはかることは不可能だったが、それでも体感で丸一日ほど地下をさまよい、私たちはようやく地上へとつながる道を探し当てた。出口のあたりは耳を澄ましても静かで、敵兵はいないことが分かった。
しばらくぶりに青空を見て、私は心の底から生きていてよかったと、そう思った。
自らの命のために、肉親を、臣下を、見捨てておきながら。
次回は本日21時ごろ投稿予定です。




