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うららかな日々の終わり

 あの後、思うことは多々あれど、アサのおかげであたしの部屋の掃除は何事もなく?終わり、無事時間に余裕をもって酒場につくことができた。


 現在はあたしの公演の時間まで酒場の控室でアサと二人、時間をつぶしているところだ。

 

 酒場の営業自体はもうすでに始まっていて、いつもよりかなり多くのお客さんが来ているようだった。このお客さん全員があたしの歌を目当てに来てくれていると思うほどうぬぼれてはいないが、それでも、そういう人が何割かはいるのだという自負がある。

 それだけ、あたしはこの街の人たちに自分という存在を刻み込んできたつもりだ。あたし自身としてはあまり望ましいことではないのだが、それでも、それはあたしのことをたくさんの人が認めてくれたということなのだから、個人的な事情を抜きにすればとてもうれしいことだった。

 

 だが、そうやってあたしを受け入れてくれた街とも今日でお別れだ。

 

 今後どこに行くのかといった予定は立てているが、どうやって暮らしていくのかという部分はまだあまり考えていなかった。吟遊詩人を続けるという手も考えたが、遠方からあたしのうわさが届くこともあるかもしれない、ならば、当分の間は人前に出なければならない仕事は避けるべきだろうか。


「うーん、どうしようか…………」


「何がですか?」


 どうやら無意識に言葉が漏れていたのか、魔術の練習をしていたアサが声をかけてきた。


 彼女は最近魔術のこつをつかんだようで、少し前までできなかったことが次々とできるようになってきており、そのことが楽しいのだと以前語っていた。

 今はコップの中の水を他の液体にしようとしているらしい。なんでも、旅の途中あたしが何か特定のものを飲みたいと思ったとき、即座に望むものを出せるようになりたいのだとか。…………アサが扱う魔術はどんどんでたらめなものになっていく。


「いやー、次の街に着いたら何して働こうかなーって。吟遊詩人は当分の間お休みするとして、他にいいお仕事ないかな?」


「そうですね…………。あっ、何でも屋なんてどうです?お仕事ものの鉄板ですし、それが異世界でなんて、こう、心惹かれません?」


「…………なんて?」


 アサが発した言葉の意味の大半を掴むことができず、あたしは彼女へ尋ねる。が、彼女としてはその疑問符を前半部分に対するものだと受け取ったようで、何でも屋というものについての説明を始めたのだった。

 …………コミュニケーションって難しいな。あたしは心の中でそう呟く。


 彼女曰く、何でも屋というのは依頼者の困りごと、失せ物や人探し、庭の手入れ、ペットのお世話などといった様々な雑用を代行する仕事なのだとか。

 

「なるほど。広く浅くって感じのお仕事なんだね。…………それにしても、アサは以前と比べると随分変わったねー。なんだか柔らかくなったていうか。最初のころは割とつんつんしてたじゃん?」


 昔のアサのことをしみじみと思い出す。

 あの頃はここまで彼女が大切な存在になるとは思っていなかった。


「それが今となってはこんなにダダ甘になっちゃって。…………いや、さすがに変わりすぎじゃない?」


 出会った当初と今のアサを頭の中で比べ、思ったことがそのまま口に出ていた。この世界に来たばかりの頃の彼女は、あたしに対してもそれなりに硬い態度だった。一方で、今の彼女はあたしの行動が危険なものでなければたいていのことは肯定してくれる。何ならなにもなくともあたしを褒めそやし、甘やかしてくる。

 

 あたしは幼いころから称賛されることが多い環境にいたため、その称賛が相手の本心から出たものなのか、あるいはお世辞なのか、その程度は自然とわかるようになっていた。そんなあたしから見ても、アサの言葉はいつも本心から言っているようなのだ。

 

 …………正直なところ、あたしにアサが誇ってくれるほどの価値があるとは思えないが。

 

「最初のころの私がそうだったというなら、それは私が成長した証です。サリアの重要性をしっかりと認識できるようになったということなんですから」

 

 アサはあたしのことや魔法、魔術、元の世界のことなどを話すとき、ときどきよく分からないことを口にしたり、急に早口になったりすることがある。

 

「あ、はい。そうですね…………」

 

 今までの経験上、そういうときは深く考えてもあまり意味がないため、あたしはおざなりに返答した。

 

 そんな風に二人で話しているといつのまにか時間になっていたようで、酒場の店主があたしたちを呼びにこちらへ向かっている足音が感じ取れた。





 

 最後の公演といっても、あたしは特別普段と違うことをするつもりはなかった。

 いつも通りにアサが教えてくれた歌を歌い、いつも通りにお客さんと接する。この街に来てから今までずっとそうしていたように、いつも通りにそのルーティンを行っていく。

 

 けれど酒場に来てくれている人たちは違った。いつもよりずっと熱気があり、いつもよりずっと暖かく、いつもよりずっと感情を示してくれていた。

 あたしに対する感謝、別れに対する悲しみ、歌に対する興奮、そのほかにも多種多様に存在する大きなそれ。あたしの耳と観察眼でもそのすべてを読み切ることはできず、酒場中の人があたしに対して向けてくれている。こんな環境にいられることが、ただただうれしかった。

 

 あたしがここに立ち歌を歌っていられるのはアサがいてくれたからだ。だからきっと、次の街でも彼女が隣にいてくれるのなら、あたしは今のように笑っていられると思った。

 

 今日の演目も残すところあと一曲となってしまった。これが終わればこの街で歌を歌うことももうないのだと思うと、少しばかり寂しい気持ちになる。けれど、そんな心情を歌に乗せてしまっては聞いてくれている人たちに失礼だろう。

 あたしが精いっぱいの感謝の気持ちを込めて歌を歌いだそうと、大きく息を吸い込んだ、瞬間。

 

 ――――酒場の入り口から、しわがれた男の声が響いた。


「…………おお!おお!!…………なんと、なんという!!」


 歌いだす直前ということもあり酒場全体が静寂に包まれていたため、その男のどこか芝居じみた声は大きく響いた。ほとんどの人がその声の方へと振り向くが、声の主はそれを一切気に留めず、ふらふらとあたしが立っている舞台に歩み寄ってくる。

 その男はポンチョとフードをかぶっており、容姿、体系を読み取ることはできなかった。だが、それでもその声の響きから60代くらいであろうと予測することはできた。

 

 あたしは、その声をどこかで聞いたことがあった。

 

 こちらにゆっくりと歩み寄る男の前にアサが立ちふさがる。彼女は右の手のひらを男の方に向け、威嚇するように声を上げた。


「止まりなさい!!それ以上近づくなら魔法を放ちます!」

 

 アサの言葉を受けて、男はその場に立ち止まる。

 …………いや、違う。男はアサの声などはなから聞いていなかった。フードの下から除く瞳は、その意識は、ずっとあたしをとらえていたのだ。

 

 男は臣下が王に対してそうするようにその場で片膝をつくと、自身の頭にかかっていたフードを外し、覆い隠されていたその顔をさらした。

 男は好々爺然とした一方でどこか疲れを感じさせる顔つき、生まれつきであろう白髪に黄色い瞳、それらに涙をもってあたしを見つめていた。あたしは彼の髪と瞳を視界に収めると同時、あたしなんかのためにその命を捧げてくれた、一人の女性の最後を思い出した。

 

 あたしが固まっている間に、男は再び仰々しく言葉を発する。


「…………まことに、まことにお久しゅうございます!よくぞ生きておいでになられました!!この私、セスイめがお迎えに参りましたぞ!」


 ああ、やっぱりそうか。

 彼の声を聞いて、彼の容姿を見て、多分そうだろうなと気づいていた。そして、彼がここに来た理由も。

 

 アサは状況をつかめていないようだが、それでも彼を警戒していつでも魔術を放てるようにしていた。そんな風にあたしを守ろうとする彼女に対して、あたしはもう報いることができなくなるのだと感じ取る。

 

 そうして、あたしは静かに自身の左手、その中指にはめる橙の指輪へと視線を落とした。

次回は明日17時ごろ投稿予定です。

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