退去準備
明日、いよいよあたしたちはこの街を出る。
そのため、今日の夜には以前からよく歌わせてもらっていた酒場で、この街でのラスト公演が予定されている。
今日までの間、今までお世話になった人たちへあいさつ回りをしたり、酒場で公演をしたり、旅の準備をしたりとせわしなく動き回っていた。会う人みんながあたしたちの旅立ちを惜しんでくれていて、彼らには悪いがそのように思ってくれていることがうれしかった。
この街に来てからどれほどの時が経っただろうか。以前まではかなり短いスパンで住む場所を移していた。長くてもひと月、早ければ数日で離れることも珍しくなく、ひとところにこれほど長く留まっていたことなんて故郷を離れてからは初めてだった。
けれど、それほど長くこの街に住んでいたのに、これまでの日々を振り返るとまるでほんの一瞬のことのような気さえしてくる。
なぜそう感じるのかと問われればいろいろと原因は思いつくが、その中で最も大きな割合を占めるのはやはり、彼女だった。
ツクバネ アサ。
もし彼女と出会うことがなければ、この街からも早々に去ってしまい、今みたいに毎日を楽しく過ごせるようになることもなかっただろう。だから、あたしは彼女にはとても感謝している。あたしの前に現れてくれたこと、あたしと一緒に暮らしてくれたこと、そして、あたしについてきてくれると言ったこと。
アサは普段とてもクールなのだが、あれで結構しっかりと好意を言葉にしてくれる。あたしなんかは親しい人ならなおさらそういうことを伝えるのが恥ずかしく、茶化しながらでもないとなかなか口にできないのだが、彼女はさらっとなんでもないことのように言ってくる。
アサにこの街を出ると伝えた時もそうだった。彼女は表情を変えずに淡々としていて、あたしとの別れを悲しんでくれないのかなどと思ってしまった。けれど、そのすぐあとに彼女は元からついていくつもりだったと、あたしの隣にいることが自分にとって一番大切なのだと、そう言ってくれた。
きっと、あのときのあたしの顔は、彼女からのまっすぐな好意を受けて自然と笑っていられたのだと思う。
あたしはいつも彼女に助けられてばかりだった。酒場での公演のたびに、連続失踪事件のときに、コンサートのときにも、思い返してみるとそのほかにもたくさん、数えきれないほど助けられてきた。でも、アサはきっとあたしとは反対で、自分が助けられたなんて考えているのだろう。
あたしがしたことなんて、この世界に来たばかりのアサを拾っただけだ。それは、誰にでもできたことなのだ。彼女はそのことを恩に感じているようだけど、あたし以外の誰であったとしても彼女を救うことができた。
でも、あたしは違う。あたしはアサじゃなければだめだった。アサ以外の人ではここまで救われることはなかった。アサが隣にいてくれたから、あたしは今のように生きていられるのだ。
あたしは、いつの日にか彼女にあたしの過去を伝えたいと、過去を知ってもらってあたしのこれまでのことを理解してほしいと、そう思ってしまっていた。それを伝えることのメリットなど何もなく、むしろ彼女の身を危険にさらす可能性すらある。でも、それでも、あたしはそう思うことを、願うことを、止められなかった。
こんなものはただのわがままで、アサにしたらいい迷惑なのかもしれない。
けれど、彼女ならあたしのそんなわがままも、しかたありませんね、なんていいながら、笑って受け入れてくれるのではないかと、そう思えた。
あたしとアサは現在、この街に来てから今までずっと住んでいた家の掃除をしていた。
この家は借りていたもので、家主に返すなら住み始めたときよりもきれいにして返さなければならない。とはいっても、この後酒場での公演が待っているため、あまり時間がないというのが現状だ。
本当はもっと早い段階で家の掃除をするつもりだった。けれど旅立ちの準備やあいさつ回りなどに思っていたよりも時間をとられ、いつの間にか出発する前日にまで後回しになってしまっていたのだ。
予定では丸一日掃除に充てて、アサの魔術などは使わずに手作業で行うつもりだった。魔術を使えばたいして時間もかからず終わらせることができるのだが、なんとなく、この家に対して感謝を示したかったのだ。
多分こんな考えは理解されないことの方が多いのだろうが、アサはあたしの提案に賛成してくれた。…………何となく、彼女なら大抵のことは受け入れてくれるような気もするが。
だが、そんな予定は時間の都合で不可能となってしまった。そこであたしたちは、細かなところを手作業で行い、それ以外はアサの魔術に任せるという妥協案をとることにしたのだった。
結果として、掃除は非常にスムーズに進み、残りはダイニングとあたしの部屋を残すのみとなった。この分なら酒場へ行く時間にはかなり余裕をもって終われるはずだ。
通常の部屋ならば、という但し書きはつくが。
「サリア、ダイニングは完了です」
アサが開きっぱなしにしていたあたしの部屋の扉の前からそう声をかけてきた。
「おお、さっすがアサ!ほんと手際がいいわー。一家に一台ほしいくらいだね!」
「残念ですが、私はサリア限定ですよ」
今日のアサはなんだかノリがいいようだ。何かいいことでもあったのだろうか。
「アサの部屋はもう掃除終わってるんだっけ?」
「ええ、昨日サリアが外にいっているうちに終わらせました。もともと、物もあまりなかったですからね。…………というか、その、サリアの部屋は、少しばかりものが多いみたい、ですね…………?」
たぶん、アサは気を遣って言葉を選んでくれたのだろう。彼女があたしの部屋を前にして何を思っているのか、おおよそではあるが自然とわかってしまう。私も他人の部屋がこんなことになっていたらかなり引く。
彼女の反応からもわかるように、端的に言って、あたしの部屋はとても、ひどく、散らかっていた。
食べかすや着られなくなって捨てる予定だった服、衝動買いしてしまったよくわからない雑貨などが床を覆い尽くし、そんな文字通りに足の踏み場さえないような惨状の中かろうじてベッドの上には物がなく、あたしはそこでどうしたものかと現状に頭を抱えていたのだった。
けれど、そこに救いの手が差し伸べられた。
「アサ、お願い!私の部屋の掃除を手伝って!」
「なんか、コンサートのときみたいにお願いされるとむかつきますね。…………まあ手伝いますけど」
アサはいくらか釈然としないような表情でそう言った。やっぱり彼女はいつでも頼りになる。
「それで、このあふれている物はどうすればいいですか?」
「うーん、正直、床にあるもの全部ゴミなんだよねー…………。まとめて消し去っちゃったりとかってできる?物がなくなったらあとは自分でやるからさ」
「できるとは思いますけど…………。次の街では定期的にサリアの部屋を確認しなくちゃですね」
この家にいる間は2人ともリビングにいることがほとんどで、お互いに自分の部屋に戻るのは夜寝るときくらいだった。なのでアサがあたしの部屋の中を見るような機会は今までなかったのだ。
あと、幼いころから掃除は他人にしてもらうのが当たり前だったというのも、ここまで部屋が荒れてしまった原因の一つなのだろう。
「はい、ご迷惑おかけします…………。それはそうと、やっちゃって!」
「…………はぁ、承りました」
あたしの言葉を受け、アサはため息を一つ吐くと、渋い顔をしながらではあるが魔術を発動した。
そうして次の瞬間、部屋を埋め尽くしていたゴミが真っ赤に燃え出した。
「ちょいちょいちょい!?燃えてる!?燃えてるって!!ここ室内なんだけど!?」
「ゴミだけ燃えるようにしてるので大丈夫ですよ。…………たぶん」
「頼んだあたしがいうのもなんだけど、最後に自信なさそうにたぶんってつけるなら他の方法考えよう!?」
私の悲鳴が聞こえているのかいないのか、アサはそのまま魔術を使い続け、数秒後、床を覆っていたゴミは炎と同様綺麗さっぱり消え去り、また、床には焦げ目ひとつついていなかった。確かに結果だけ見れば何も問題などないのだが、それでも、彼女の突然の凶行に対して思わず言葉が漏れる。
「…………いや、うんまあ、ありがとうではあるしあたしがいうのもどうかなとは思うんだけどね?アサはさ、こう、事前にもう少し相談するとかしよ?」
次回は本日21時ごろ投稿予定です。




