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晴れ舞台

 後数分でサリアのコンサートが始まる。

 

 客の入りは上々で、全席、とはいかないまでも八割程度は埋まっていた。彼女自身この街ではかなり名が売れているため、これだけの人が集まるのも妥当だろう。正直なところ、私としてはすべての席どころか立ち見でもいいから入れてくれという人が出ると思っていた。

 

 私は現在、ステージと客席の間に当たる位置の端で腕を後ろに組み、休めの格好で立っていた。この格好はボディガードとして威厳を出すためにしているのだが、背格好を考えれば気休め程度にしかならないだろう。

 

 サリアはステージの袖で時間まで待機しており、私は事前に何かあったとき彼女を守れるようにこの位置についていた。

 

 ここにいると客席の様子がよく見える。性別的にはやはり男性が多く、酒場でサリアの歌を聞いてファンになった人が多いのだろう。

 先ほどから何人かに手を振られることがあった。おそらく、酒場で彼女と一緒にあいさつ周りをしていた時に話をした人たちなのだろうが、私には誰が誰だか全くわからなかった。

 

 本音を言うと、私にとって他人などどうでもよく、顔を覚える価値すらないと思っている。だがさすがに彼らの行動を無視するわけにはいかず、軽く会釈を返しておいた。

 サリアならば彼ら一人一人のことをしっかりと覚えてしまえるのだろうが、私にそんなことは不可能だ。興味も関心もない人に記憶の容量を使うくらいならば、その分をもっと別のことに使いたいと思ってしまう。

 

 そうやってなんともなしに思考を巡らせていると、ようやく開始の時間になったようで、客席全体の照明が落とされステージが照らされる。先ほどまでざわめいていた客席からは徐々に音が消えていき、数秒後には静まり返っていた。

 

 そうして、ついに今日の主役がその姿を見せる。

 

 私は客席側を向いているためサリアの姿を見ることはできないが、ヒールが床をたたく音で彼女が登場したことは認識できた。

 客席全体が息を呑んだような、そんな空気を感じ取る。プロによるメイク、彼女のための衣装、それらに彩られた彼女を視界に収めたのならば、その反応も当然といえば当然か。

 

 私と出会う以前、彼女はクマや顔色をごまかすため、よくメイクをしていたらしい。だが共に暮らすようになってからは私が食事を作ったり魔術によって寝かしつけてあげたりしたことにより健康状態も改善し、そういった疲労をメイクで隠す必要もなくなったのだとか。

 

 そのため最近のサリアは、というよりも健康になった彼女は、普段ほとんどメイクをしないのだ。仕事へ行くときに軽くしてはいるのだが、それは本当に最低限のもので、リップとチークをする程度だった。彼女自身あまりそういった類のものが好きではなく、本人曰くメイクをしたまま過ごすのはむずむずするらしい。

 

 そんなサリアが、今日はその道のプロによって、彼女の魅力が最大限引き出せるように綾なすメイク、衣装を着ているのだ。その姿に感嘆しない者などいるのだろうか、いやいない。いるはずがない。仮にもし、万が一億が一そのような人物がいるとするのならば、それはもう人としての感性を失っている人格破綻者に違いないだろう。

 

 この場に来る前、舞台袖につながっている部屋でサリアがメイクをして着飾った姿を見せてもらった。そこで私は、人は真に感動したとき言葉が出なくなるのだと知った。


 彼女の顔に施されたメイクは特別に濃いものではなかった。けれど、眉やまつ毛のライン、リップの色、チークの柔らかさ、そしてその他の細かな装飾すべてが彼女という最高級の素材を彩り、そしてその輝きを無限大に高めていた。

 視線を下に向けると、そこには彼女の瞳の色に合わせたオレンジ色のドレスがあった。そのドレスはまるで彼女の暖かで献身的な性質を表しているようで、頭の上でその存在を主張し靡く金色と、そしてその麗しくも眩く、されどどこか幼さも感じさせる面様に、いっそ耽美なほどに調和していた。

 

 私は再度の衝撃を受け止めきれず、フリーズしてしまっていた。サリアは何度も呼び掛けたりゆすったりしてくれたらしいのだが、私にそんな記憶はなかった。おそらく、それほどまでに彼女の晴れ姿に見惚れていたのだろう。

 

 しばらくしてやっと再起動した私は、まず真っ先に部屋の後ろにいたメイクさんの元へ駆け寄り、その手を取って感謝を伝えた。突然の行動にサリアは驚いていたが、私にとって彼女をこれだけ引き立ててくれたメイクさんにお礼を言うことは当然だった。

 この世界に来て、サリア以外にこれほど感謝したことがあっただろうか。いや、おそらく初めてだ。メイクさんには本当に感謝してもしきれない。

 その後彼女からこのドレスを用意したのはランサスだと聞いて、マイナスだった彼の評価がぎりぎりプラスになった。

 

 そんな天女さながらの美を思わせるサリアは、現在ステージの上で始まりの挨拶をしている。私は客席側を向いていなければならないため、彼女の勇姿を目に焼き付けることができず、ひどく苦々しい思いをしていた。

 

 いっそ役目など放棄して彼女の晴れ舞台を見届けることに全神経を集中させるべきかとも思ったが、それでも彼女を守ることこそが私の使命なのだと思い直し、血涙が流れんばかりの歯痒さを無理やりに噛み殺して、視線を客席に固定させる。

 ああ、この世界にもカメラがあればどれだけよかったか。そんな益体もない考えが脳裏を過ぎる。

 

 サリアの声は何も特別なことをいっていなくとも、聞く人を魅了する魔力があった。今もただの挨拶でしかないにもかかわらず。劇場全体から彼女の声以外の音が消えている。

 

 挨拶が終わりサリアが頭を下げたのだろう。客席の人たちが拍手をしている。まだ歌っておらずともこれだけ拍手をもらえる者などそうはいまい。ただ、個人的には立ち上がるなり全力で拍手をするなりして、サリアを褒め称え崇め奉れと思わなくもない。

 

 劇場を覆っていた拍手も次第に収まり、ついにサリアが歌い始める。

 彼女が歌う曲は基本的に私が元いた世界のものだ。以前まではこの世界における一般的な曲を歌っていたらしいのだが、私が元いた世界のものを教えてからはもっぱら仕事のときはそちらを歌うようになったらしい。

 なんでも、サリア曰く、私から教わった曲を歌うようになってから以前よりも受けが良くなったのだとか。


 こちらの世界と元いた世界とでは音楽の文化もかなり異なっていて、聞く人皆、元の世界の歌、そのどれもを独創的だと評価していた。けれどその反応に悪い意味は含まれず、彼女を、彼女が歌う私の世界の歌を、素直に賞賛しているようだった。

 

 そんな、この世界のものとは異なる魅力を持った歌を今のサリアが歌えばどうなるか。そんなもの、答えは決まっていた。

 拡声器によって増幅されたサリアの美声は劇場中を余すところなく走り回り、その内にある思いを聞くものすべての心に刻み込んでいく。きっと、今会場にいる人たちは私と同じように、彼女の歌をこうして聞ける自らの幸運、言葉では言い表せられないほどに素晴らしい彼女のパフォーマンスに感激し、内心咽び泣いていることだろう。

 

 気を抜くと意識がすべて耳にいってしまい、サリアの歌を聞くことだけに集中してしまいそうになる。だが今の私は彼女のボディーガードであり、何かあったとき彼女を守らなければならない立場なのだ。彼女の歌声に聞きほれていたいところだが、断腸の思いで意識を客席に戻す。

 

 客席にいる人たちからは、ぱっと見で感じるような不自然なところはなかった。何かあればいつでも対処できるように準備してはいるが、この分なら杞憂に終わるだろう。

 

 そうしてしばらくの後に、サリアの一曲目が終わってしまう。歌い終わった瞬間劇場は静寂に包まれたが、すぐに割れんばかりの拍手と歓声がその場を支配した。

 サリアは少しの間をおいて二曲目に入った。こちらの曲は先ほどと曲調が違い、彼女の声音の別側面を感じることができる。

 

 二曲目も最後のさびに差し掛かり、サリアが息を整え歌い上げようとした、その瞬間。

 

 ――――金属を削り合わせたかのようなひどく耳障りな音が、劇場全体に大音量で響き渡った。

 

 私はすぐさま振り返ってステージに上り、彼女の安全を確保する。


「サリア!大丈夫ですか!?」


「うん、あたしは平気だよ。でも、拡声器が…………」


 サリアが沈んだ様子でそう口にする。現在も耳が痛くなるような不快音は鳴り続けており、その元凶は拡声器だと思われる。見ていた限り客席で不審な動きをした人物もおらず、ただの機材トラブルなのだろう。

 そこまで思い至り、私はひとまず安心する。

 

 拡声器を目前にどうしたものかと二人立ち尽くしていると、舞台袖からひどく慌てた様子でランサスと一人の男が現れた。おそらくランサスではない方の男は音響担当なのだろう。

 そうして、申し訳なさを感じさせる表情を浮かべ、ランサスが私たちに声をかけてくる。


「申し訳ありません、サリアさん!どうも以前から音響の調子が悪く、それでも最終調整では問題なかったのですが…………。すぐ修理させますので、控室でお待ちください。アサさんも彼女と一緒に」


「…………了解です!どれくらいかかりそうですか?」


「やってみないことには何とも。ですが、できるだけ急がせます」


 ランサスはそういうと、ざわめいている客席のほうに向き直り大声で現状を説明し始めた。私たちはその様子をしり目に舞台袖へとはける。


 サリアは後ろ髪をひかれるように、何度も客席のほうを振り返っていた。

次回は本日19時ごろ投稿予定です。

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