第2話 魔法至上主義
魔法世紀105年
転生から五年が経ち、転生者は五歳に成長した。
転生者は修道女に拾われたその後に孤児院へと預けられた。あの修道女は多忙で、すぐに離れ離れになることとなったが、別れの前に名前をつけてくれた。
「アンナ、お昼ご飯の時間ですよ」
孤児院の院長に名前を呼ばれて、読書をしていたアンナは顔を上げた。『アンナ』。それが、転生者に与えられた名前だった。
「は、はい。今行きます」
吃りながら返答する。アンナには前世の記憶があるため、人見知りな性格も継続中だ。
アンナは痩せっぽっちで黒い癖っ毛の女の子だった。前世と似ていて残念だ。できればサラサラの金髪のお嬢様に生まれ変わりたかった。
ここは聖ジャンヌ孤児院。アンナの前世でいうところのフランスによく似た国『オルレアン共和国』にある孤児院だ。院長のマザーラドリエルがシスターたちと共に身寄りのない子供の面倒を見ている。マザーはアンナにとってはおばあちゃんのような存在だった。
「皆さん、ご飯の前に神様にお祈りを捧げましょう」
マザーラドリエルの号令で子供たちとシスターたちが目を瞑り、手を合わせてお祈りをする。オルレアン共和国の人々の多くはエクレシア教という宗教を信仰している。
「アンナ、遠慮せずに食べていいのですよ」
マザーは少食のアンナを気にしてくれる。捨て子に生まれ変わったのは不幸だが、この孤児院に来られたのは幸運なことだった。
「あら? アンナ、指を怪我していませんか?」
マザーに指摘されて指を見ると小さい切り傷があった。先程の読書の際に紙で切ったのだろう。
「あ、大丈夫です。これくらい」
「ダメですよ。ばい菌が入ったら大変です」
マザーは手を取ると、指揮棒のような小さい杖を取り出して、アンナの切り傷の上に掲げた。すると杖先に白い光が灯り、切り傷が忽ち治癒した。
これは『魔法』というこの異世界に存在する技術だ。魔法は傷を治すだけでなく、人間単体では不可能な様々な現象を発生させることができる。杖を振るだけで、火を起こしたり、水を発生させたりできるのだ。
「あ、ありがとうございます」
魔法を間近で見て恍惚としてしまう。前世の頃から魔法には憧れがあり、自分にも魔法が使えたら楽しいのだろうと空想することがある。しかし実際に使うことはできなかった。
この異世界では、全人類に魔法能力があるのだが、魔法能力に目覚める年齢は人それぞれで、まだ五歳のアンナにその兆しはなかった。
いつ魔法を使えるようになってもいいように、図書室の魔導書を読むことが今の楽しみだ。
食事を終えると、子供たちは孤児院のグラウンドに外遊びへと向かって行く。
アンナはというと再び図書室で本を読み始めた。
内向的で人見知りなため、家族同然のシスターたちや子供たちとも深く関わることができなかった。里親も見つからず、いつも一人で読書をしていた。
そのおかげか、他の子供よりも読み書きが上手で、世の中の情勢の知識もあった。
現在は魔法世紀百五年。魔法世紀とは全ての人類が魔法を使えるようになった時から使われるようになった暦だ。魔法世紀以前は、一部の魔法使いだけにしか魔法は使えなかったのだという。
アンナの住むオルレアン共和国は前世でいうところのフランスに似た国で、付近の国もヨーロッパのような国々だ。
魔法のある世界だが、近代程度には科学技術が発展しており、パソコンや携帯電話はないが、鉄道や飛行船、電話機はある。孤児院にはないが分厚い箱みたいなテレビは開発されているらしい。
しかし科学技術よりも、アンナの関心は魔法にあった。
魔導書を読みながら、自分が魔法を使う空想をしていると、マザーラドリエルが図書室にやってきた。
「アンナ、あなたを養女にしたいというご夫妻がいらっしゃっていますよ。少し話をしてみませんか?」
運の良い孤児院の子供はお金持ちの家の養子になることができた。アンナにもそのチャンスが到来したようだ。
驚きと不安と少しの期待で体が熱くなる。お金持ちの家に貰われたいが、知らない人と話すのは怖い。
マザーに連れられて面会室に入ると、身なりの良い三十代半ばほどの男女二人が待っていた。
「こんにちは、アンナちゃん。私はウィリアム・ボールス。彼女は妻のマーガレットだ。君はまだ五歳なのに、もう読み書きができる賢い子だと聞いているよ」
優しそうな笑顔で挨拶してくれる男性。人見知りなアンナはペコペコとお辞儀をしながら挨拶を返した。
「こ、こんにちは」
二人は嬉しそうに頷きあうと、今度は女性の方がアンナに声をかけた。
「私たちはアンナちゃんと家族になりたいと思っているの。私たちのことをアンナちゃんに知って欲しいし、私たちもアンナちゃんのことを知りたいから、少しお話ししましょう」
「は、はい」
それからボールス夫妻は自己紹介をしてくれた。夫のウィリアムは富豪の息子で、貿易関係の仕事をしている。妻のマーガレットもまた裕福な家の出身で、古い貴族の血筋らしい。二人の家はお城のように大きく、迷うほど広い庭がついているのだという。
順風満帆な人生を送っているように見える二人だが、子宝に恵まれず、こうして養女を探していた。
「アンナちゃんのことも教えて欲しいな。何か好きなことはあるのかい?」
「……読書が好きです」
口下手ですぐに会話が終わる傾向にあるアンナ。質問には答えられても、自分から新しい会話を作ることはできない。それを見かねて、隣に座っているマザーラドリエルが話を膨らませてくれる。
「最近は魔導書も読んでいて、魔法に興味があるみたいなんですよ」
それを聞いて、夫妻は目を輝かせた。なんだか、それまでと雰囲気が変わった気がする。
「アンナちゃんはもう魔法は使えるのかい?」
「い、いえ、まだ使えません」
「せっかくの機会だからアンナちゃんの魔法能力を調べてみないかい?」
ウィリアムは大きな鞄から、タイプライターの鍵盤とテレビの画面がくっついたような機械を取り出してテーブルの上に置いた。機械から伸びるコードは水晶玉に繋がっている。
アンナはこのパソコンに似た機械が、魔法の能力を調べる道具だということを本を読んで知っていた。とても高価なもので、清貧がモットーの孤児院ではお目にかかれない代物だ。自分の魔法の能力がわかるなんて、とてもワクワクした。
「これは魔法の才能や得意な魔法を教えてくれる魔法道具なんだよ。この上に手を置いてごらん」
言われた通り、水晶玉に手を置く。すると、水晶玉が仄かに白く光った。
「すごいぞ。この光は魔法が使える者への反応だ。アンナちゃん、気がついてなかっただけで、君はもう魔法が使えるんだよ」
興奮しながらウィリアムが教えてくれる。アンナも自分がいつのまに魔法が使えるようになっていたようだ。聞いて、アンナは早く魔法を試してみたくなる。一体自分はどんな魔法の才能があるのか、機械の判定を今か今かと待つ。
程なくして、画面に文字が浮かび上がった。
魔力量 F
属性 無
適性魔法 霊媒
それを見て、ボールス夫妻は落胆した。先程までの嬉しそうな表情は、冷たく、怒りを内包したものに変化した。
アンナの魔力の量は最低クラスのFランクで、適性属性は無し。更に適性がある魔法が『霊媒魔法』というあまり耳にしない魔法だけだった。つまり、アンナは魔法が使えるようになっていたが、魔法能力が弱すぎて、魔法が発現していなかったのだ。
「なんだこれは。マザーラドリエルはこんな失敗作を我々に寄越すつもりだったのか?」
ウィリアムはアンナを指差して、怒りに満ちた強い言葉を使った。先程の紳士的な男性と同一人物とは思えない、もはや豹変だった。マザーラドリエルはすぐにアンナを守るように立ち上がった。
「子供に対して何てことを言うのですか!」
「子供だと? これはそもそも人間ですらない。こんな魔法能力の低いやつに人間としての価値なんかはない。これはゴミだ。よくもこんな出来損ないを押し付けようとしてくれたな」
凄まじい罵倒を目の前で浴びせられて、アンナは自分の頭の中が冷たくなっていくのを感じた。ゆらゆらと恐怖で震える目でマーガレットを見ると、彼女はアンナに、それこそ汚いゴミを見るような嫌悪の視線を向けていた。
彼らのように魔法能力で人間の価値を決める思想を『魔法至上主義』というと、本に書いてあったことを思い出す。最近はこの思想が上流階級で蔓延しているのだとか。
まさかそんな人たちに初めての縁談で出会ってしまうなんて不幸すぎる。
「マザーラドリエル。別の子供はいないのか? できれば魔法の才能がある子供が欲しい。こんな魔法弱者ではなくてな」
偉そうに要求してくる男に、ついにマザーの堪忍袋の緒が切れた。
「もう二度と、あなたたちのような魔法至上主義者に子供たちを会わせたりしません。早くここから立ち去りなさい」
マザーラドリエルの強い語気にボールス夫妻は怯み、そそくさと孤児院を立ち去っていった。
嵐の後のように静かになった面会室で、マザーラドリエルが、放心しているアンナを抱きしめた。
「ごめんなさいアンナ」
マザーラドリエルはアンナのために親になってくれる人を探してくれていたことは知っている。彼女は何も悪くない。あんなに善い人たちに見えたのに、まさか魔法至上主義者だったなんて、わかるはずがない。
「大丈夫です。マザー、わたしは」
マザーを安心させようと気丈に振る舞うが、アンナはどうしようもなく、知らない人が怖くなった。修道女と子供に囲まれて育ったため、人間が悍ましい欲望と悪意の存在であることを忘れていた。アンナは異世界でも人間は人間なのだと知った。魔法が使えるようになったのに、人間は何一つ進化しちゃいなかった。