好きにしたら良いよ
短編
言ってる意味、分かるね?
です。
現在、彼が訪れる日の午前九少し前。我が家は非常に混沌としていた。母は準備万端だが、弟はまだ出来て居ない。その準備に気を取られ、母は慌しく鞄やらコートやらを用意している。
対する私は『恋人』という関係になった彼が此処に来るので、非常に緊張していた。
「早く出ると言ったのに……。このままじゃ鉢合わせするな……」
「え、兄ちゃんに会えるの?」
弟は目を爛々と輝かせ、母を見詰める。其れに対して非常に大きな溜息で返事をした。どれだけ冷静で、先が読めても、子供が起こすイレギュラーには手を焼く様だった。
……弟よ、寧ろわざと準備に時間掛けて、彼に会おうとしてない?
母は憐れむ様に私の方を見た。顔には『済まないね』の文字。私としては母が弟と席を外す様に手配してくれただけでも御の字なので、其れに対しては出来る限りの笑顔で返す。
そんな混沌としている時に、突如インターホンが鳴り響く。この時間に誰が来たのかは明白で、誰よりも私が真っ先に出る予定だった。しかし器用にも母の腕を掻い潜った弟の方が早かった。真っ先に玄関まで駆け込むと、その勢いのままに扉を開ける。
「久しぶり、兄ちゃん」
「あぁ、久しぶり。これ土産。出掛けるとは聞いていたけど、姉ちゃん借りるお礼」
彼は膝を折ると、弟と目線を合わせた状態で何かを渡している。恐らくお菓子だろう。
「はぁ……悪いね。間に合わなくて」
呆気に取られている私を余所に、母は静かに隣に立つ。弟の鞄とコートを手に持ったまま。どうやら家で着させる事を諦めたらしい。
「大丈夫だよ。気遣ってくれて有難う」
「五時以降に帰る予定だから。金をリビングのテーブル上に置いておくから、昼は棚を漁るなり、作るなり、食べに行くなり好きにしたら良い」
「何から何まで有難う……」
先の事まで見据えて用意をしておくのは母らしい。本当に頭が上がらない。
前を向くとお菓子を渡し終えた彼は此方を黙って見詰めていた。足早に近付くと、柔らかく微笑み掛けてくれた。
「じゃあ、私達は五時以降に帰るから。君はそれまで好きにしたら良いよ」
「有難う御座います。これ、宜しければ」
渡したのは余り荷物にならなさそうな小さな封筒。私の中では何時も渡している商品券の類だと判断した。昔から、私だけでなく、弟や母にも気遣いを忘れないところは彼の良いところ。
母は封筒を暫く凝視すると、冷ややか鋭利な瞳で彼を見る。
「……有難く使わせて貰うよ。御礼と言ってはなんだが、戦利品を得られたら君に渡そう。言ってる意味、分かるね?」
そう意味深な事を言って、封筒を鞄の中に仕舞い込んだ。其れからは私達に気に掛ける事無く弟の手を引いて颯爽とこの場を去る。
「じゃあ、改めて。お邪魔します」
「ど……どうぞ……」
今日は怖気付かない様にしないと。
番狂わせが可能なのは、弟しか居ないと思ってます。
菓子折り、母への商品券を忘れない用意周到さです。
それに対して母は『(・-・)フーン』と言ったところ。
こんなんで懐柔されるとは甘く見られたもんだね。
とか思ってそう。
『戦利品』の件は短編でもお話した通り。
彼への牽制。
『娘に何かあったらただじゃおかねぇ』という意味です。