08.精神消耗
ぐったりしながら会議室を出る。
会議のあとのほうが、精神的にどっと疲れた。
誰が羞恥責めに遭うと予想できただろうか。
まだ頬が熱い。
ゴシゴシと手の甲で擦りながら歩いていると、急に横から腕が伸びてきた。
驚いている間に、空室へ引き摺り込まれる。
そのまま床へ倒れ込むと、背中から抱かれ、両手両足でがっちりホールドされた。
「何、何、何!?」
パニックになりがら藻掻くも、ビクともしない。
見えた褐色の肌に、誰かを察し、振り向いた。
「ネオさん!?」
「これは堪んねぇ……」
ぐりぐりと頭を押し付けられる。
「あのー」
「にゃあ」
ぐりぐりぐり。
鳴き声で返事があり、脱力する。
横で細長い尻尾がパタパタと音を立てていた。
「もう酔ってるんですか?」
「なぁー」
「早くない!? いくら何でも早くない!?」
ホテルで会ったときも、会議室でも、距離を取る余裕はあったはずだ。
腕を引かれた時点で、既に特性の効果が出ていたんだろうか。
うなうな言いながら、ネオは頭を擦り続ける。
そこで王城のパーティーで獣人の使者に睨まれたのを思いだした。
使者からすれば外交の場で、酔っ払うわけにはいかなかっただろう。さっさと退場して正解だっと、今更ながら答え合わせをする。
(母さんにもあるんだろうか?)
ユージンは、外見から気質まで母親譲りだ。特性も受け継いでいる可能性は高い。
サーフェスやリヒュテは首を傾げていたものの、父親には僅かに効果があったのかもしれなかった。
特性を知って嫁に貰ったというのなら、あの母親でも納得できる気がする。
ことあるごとに、生きているだけで偉い、と口にするのも。
しかし獣人への効き目には天井を仰ぐしかなかった。
(酔いが覚めるまで待つしかないのかな)
いかんせん、力で対抗できないので、されるがままである。
諦めかけていると、耳の裏を湿った感触が通っていった。
ベロリと舐められる。
「ネオさん!? 気を確かに!? これ絶対あとで後悔するやつですよ!」
酔っ払ったときの記憶が残っていれば、まず頭を抱えるだろう。
何が悲しくて男の耳を舐めないといけないのか。
辛うじて動く手でネオの腕を叩くものの、ザリザリと襟足まで舌が伸びる。
「あ、もしかして毛づくろいされてます?」
獣人と動物を一緒したら失礼だが、やってることに覚えがあった。
猫に懐かれると、大体肌を舐められる。もしくはふみふみされた。
「何にしても汚いですよ」
せめてもの抵抗に、説得を試みる。
ザリザリザリ。
「ダメだ、これ」
酔っ払いに通じるはずもなく、ユージンはボーっとすることにした。
もし部屋の前を通りかかる人がいたら、そのときは助けを呼ぼう。
体から力を抜けば、疲れも相まって、自ずと瞼が下りていった。
◆◆◆◆◆◆
気付いた――起きたときには、ネオの姿はなかった。
正気に戻った彼の苦悩を思うと、自分から様子を見に行くのは避けた。忘れてあげるのが一番だろう。
極力近付かないようにしようと決める。
これに関してはネオも同じ考えのようで、視界に入ると、次の瞬間にはいなくなっていた。
朝一で森へ出発するため、冒険者たちが砦前に並んでいる今も、ユージンの視界には映らない。
会話がままならないのだけは残念だった。
会議後、他の冒険者からは声をかけられることが増えたから余計に。
「おい、坊主! 帰ったとき用に酒を用意しとけよ!」
スキンヘッドの男こと、赤眼のドウキに頼まれる。
「残念ながら支援物資には含まれてません」
「そこにいる商人から買えばいいだろうが! 頭固ぇな!」
すっかり気さくになった相手に苦笑が浮かんだ。
果たして接待交際費として認められるか否か。視線で上司にお伺いを立てる。
まずは町の酒屋に相談してみましょう、と返答があった。金額によっては経費と認めてくれるようだ。
砦前の出店は、運搬の手間賃が加算されるため割高だった。
町で安酒を買うほうが量を用意できる。
町を守った冒険者のためなら、店の人も値引き交渉に応じてくれるかもしれない。
「お楽しみは町まで取っておいてください!」
「しゃーねぇなぁ! 下級クラスの魔物なんざ一日で片してやらぁ!」
離れゆく背中に、お気を付けて! と言葉を送る。
最後尾の補給部隊を見送り、砦へ戻った。
賑やかだった空間が静まり返っている光景は、何度見ても胸に来るものがある。
ユージンは基本的に見送る側だ。
無事を祈り、仲間が元気に帰ってくるのを待つ。
それはギルド職員も同じようで、互いに肩を叩いて励まし合う。
「俺たちは、俺たちにしかできないことをしよう」
酒屋への交渉は任せとけ! と請け負ってくれた。
砦から森までは移動だけで半日かかる。
討伐が一日で終わっても、余裕をみて帰りは三日後になるだろう。
町へも同じだけかかるので、ギルド職員は予算を聞くなり出発を決めた。
「よろしくお願いします」
「馴染みの酒屋があるからな、期待してくれてていいぞ」
依頼完了後の酒盛りは一般的だという。
地元のことは、地元の人間に任せれば間違いがなかった。
砦前の出店にとっては機会を逃したものの、量を用意できるわけではない。また高くてもいいから砦へ帰るなりすぐに飲みたい人もいる。
冒険者が無事に帰ってくる限り、商人たちの稼ぎ時はまだまだあった。
◆◆◆◆◆◆
人が減り、静かになった砦が様相を変えたのは、翌日の夕方だった。
ずっと姿を見せていなかった騎士団の一向が到着したのである。
砦へ着くなり、彼らは横暴に振る舞った。
「メシだ、メシ! 女と酒はどこだ!?」
「バーカ、砦に女と酒があるかよ!」
「ならとっとと出店へ行こうぜ!」
「先にメシだ。タダで食えるんだからな」
食堂で出される食事は、支援物資から賄われているので無料だ。
騎士団にも食べる権利はあるが、態度がどうしても鼻についた。
戦地から来たのなら羽目を外すのもわかるし、労いもする。
けれど彼らは町から来たのだ。
(良い雰囲気じゃないなぁ)
柄の悪さは、冒険者に引けを取らない。
気にしても仕方ないかと、上司の部屋へ退散する。
入室すると、上司は窓から外を眺めていた。
「一応これで彼らも面目が立ったんでしょうかね」
「騎士団への分配は言われてませんが、大丈夫なんでしょうか?」
「伯爵は騎士団を前線へ出す気がないようなので、砦で無事に過ごせれば問題ないでしょう」
来訪は予期していたので、食材の備蓄はあった。
消費量によっては追加が必要だが、騎士団の人数は冒険者とそう変わらないので、算段がつく。
心配なのは。
「帰ってきた冒険者たちと顔を合わせたら衝突しそうですよね」
冒険者からしたら、ただ飯食らいである。
少しは手伝えと言いたくなるだろう。
上司はやれやれと首を振る。
「それまでに砦を出立してくれるよう願うほかありません。このまま大きな問題もなく、帰路に就きたいものです」
砦の仕事が終われば、上司とユージンは王都へ帰る。
後処理だけなら地元の文官だけでなんとかなった。できるなら残ってほしそうだが、辞令に後処理は含まれていない。
折角できた友人と別れるのは寂しいけれど。
「ユージンくんにとっては良い経験になったでしょう。特級クラスの冒険者とも知り合えましたし。友好を築いておいて損はないですよ」
「はい、得られた縁を大事にします」
平民にとっての貴族のように、特級クラスの冒険者は、貴族でも会うのが難しい。
招待状は出せるが、応えられるとは限らないからだ。他の貴族からの牽制もあった。
「そういえば『青き閃光』は、伯爵と懇意なんですか?」
「私の聞いた話だと、伯爵は熱烈にアプローチしているようだね。だから、まだ決まった後ろ盾はないようだ」
貴族と繋がりを持てば後ろ盾を得られるが、同時に自由も制限されがちだ。
他国への移動を拒まれるのが最たる例だった。
有事の際、戦力として傍にいてもらわなければ、後援する意味がない。
そのため社交界に興味がない限り、特定の貴族と繋がりを持つ冒険者パーティーは限られた。