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32.予兆

 翌日、トアイードの町では、シトシトと雨が降っていた。

 霧も出ていて、城の自室から見える景色は、町全体が白くぼやけている。

 窓際の席で紅茶を飲みながら、サーフェスが口を開く。


「無事に植林について納得していただけたのですね」

「はい、大泣きしたのが逆に良かったみたいです」


 恥ずかしいですけど、とユージンは農民会議について話していた。

 森林が土地に与える保水能力について、サーフェスが興味を持ったからだ。


「家畜用の牧草についても代替案があったなら、命令したほうが早そうですけど」

「トップダウンの組織――たとえば騎士団とかなら、話は早いですね。領主と領民の関係性は、必ずしもそうとは言い切れないんです」


 むしろボトムアップに近い。

 特に子爵領では、現場での意見やアイデアを採用することが多かった。


「法律や税金など、覆らないルールは一方的に通達します。そのあと、現場の状況によって微調整を入れたり、ですね。草山の植林については、農民たちの理解が必要でした。洪水や土石流のリスクを知っておいてもらわないと、また繰り返すかもしれませんから」


 住まいとして開墾しなくとも、家畜の放牧や木材の利用で、はげ山になってしまうことはある。

 森番が管理するところだが、全ての森林を見て回れるわけではなかった。


「一度洪水も起きてるので、説明したらわかってもらえると楽観視してました」


 自分が見ている景色と農民が見ている景色は違うのだと思い知らされた。

 彼らにとっては目の前にある一日が大事で、先のことなど考えている余裕がないのだ。

 逆に為政者は、先々のことを想定しておかないといけない。


「揉めはしましたけど、参加して良かったです」


 「よそ者」から「土地の者」になりたいと、改めて感じた一件だった。

 ふっとサーフェスが微笑む。


「話せる領主を持てて、子爵領の領民は幸せだと思います」

「小さい領地だからできることでもあります。公爵領ほど広大になると、領主に声が届くまでに、選別されて消えてしまったりしますから」


 答えながらも、サーフェスにやり方を認めてもらえて、救われていた。

 特級クラスの冒険者として、たくさんの領主を見てきた人だ。

 そんな彼に公爵領は凄いと言われるときも、家族の功績が認められたようでユージンは誇らしかった。

 ホームシックではないが、公爵家を思いだして、しんみりしてしまう。


「悲しみって、時間と共に薄れるのを待つしかないんでしょうか」


 農民会議の件しかり、胸に巣くう嘆きは当分消えそうにない。

 視線が落ちていたからか、サーフェスに指の腹で頬を撫でられる。

 その優しさに、つい寄りかかってしまう。


「時間が解決してくれる、と言われますが、その実態は時間をかけて悲しみを布で包んでいくかららしいです」


 冒険者の息子を亡くした母親から、話を聞く機会があったという。

 死後、六年の歳月が経っていた。


「悲しみが持つトゲが他を攻撃しないように、一枚一枚布を重ねて、ボールをつくっていく。トゲの先端が見えなくなるまで布を重ねられたら、急に泣き出したりはしなくなるとおっしゃっていました」


 ただ、と続けられる。


「命日など、きっかけがあれば布が破れてしまい、隠したトゲが出てきてしまうので、そのときはまた布を重ねていくと」

「だったら僕は、今まさにトゲが出ている状態なんですね」

「布を重ねるスピードは人によるらしいので、どれだけ経てばマシになるとは言えません。けれど自分は、その布を重ねるお手伝いができたらと思います」


 そっと肩に触れられ、励まされる。

 長い睫毛に縁取られたアメジストの瞳は、慈愛に満ちていた。

 サーフェスの気遣いに、また目頭が熱くなる。


「どうして、そんなに優しくしてくれるんですか?」

「ユージンくんが元気でいてくれるほうが、自分も気が楽だからです。それに恩を売っておけば、あとあと見返りがあるかもしれません」

「あはは、お酒だったらすぐに渡せますよ」

「悪い習慣になりそうなので、今回は遠慮しておきます」


 自制できるところが特級クラスの冒険者たる所以かな、とユージンは思う。


「その親御さんの話を聞けて良かったです。無理に気持ちの整理をする必要はないんだと、思えるようになりました」


 ありがとうございます、とサーフェスにきちんと礼を言う。

 なあなあにしてしまうと、それこそ悪い習慣になりそうだった。


(甘えてばかりいたらダメだ)


 そこでようやく、自分の話ばかりしていることに気付く。


「サーフェスさんはどうですか? 町で困ったことはありませんか?」

「自分は正真正銘よそ者ですから、やはり最初は壁を感じます。ただ交流していくうちに『アンタはまともなんだな』と言っていただけるようになりました」


 子爵領では、冒険者による密猟が問題視されている。

 密猟者にしてみれば、冒険者ギルドを通して共有せず、魔物という財産を独占しているのが気に入らないようだ。

 サーフェスが苦笑する。


「冒険者ギルドへの心証は依然として悪いです」

「すみません、子爵領というか公爵領では、冒険者ギルドに頼るのは統治力のない証だと言われているので」


 所属する組織を悪く言われて、気分が良い人はいない。

 けれどサーフェスは理解を示してくれた。


「町の生活を見学させていただいて、その意見も理解できるようになりました。またユージンくんの芯が通っている理由もわかった気がします」

「僕ですか?」

「確固たる土台があるから、揺るがないのでしょう。子爵領の領民もそうです、生活の基盤がしっかりしているから、よそ者に頼る必要がない」


 もっといえば、よそ者――冒険者ギルド――を頼る人の気がしれない。


「僕は冒険者ギルドの良いところも知ってますよ。事務の面接を受けようかと思ったくらいです」

「本当ですか!?」

「父から反対されて話がなくなりました。今から考えれば、世間知らずの状態で冒険者ギルドに与するのは、よくないと自分でも思います」


 公爵家は冒険者ギルドの利点も承知している。

 かといって深く関わるのは、学園を卒業したばかりの自分には早かっただろう。


「悪いところも知っているので、頷くことしかできません」

「統治する側にとって、凄く便利ではあるんですよね。蓄積されている膨大な魔物の情報は、喉から手が出るほど欲しいです」


 後半は文官としての意見だった。

 子爵領のように出現する魔物の種類が一定の場合、対応する情報さえあればいい。


「何せ魔物に限らず、領民の悩みまで対応してくれるんですから」


 冒険者ギルドの支部ごとで受理される範囲は変わるものの、弱者救済の一助になっているのは確かだった。

 人手が万年不足している領地にとっては救世主である。

 公爵領は自前で対応する分、人件費がかかるし、細かいところまで手が届いているとは言えない。


「一番はやっぱり体系化されているおかげで、必ず一定の成果を上げてくれるところです」


 冒険者にランクがあるのもそのためだ。

 統治する人間の能力に左右されず、領民は一定の安心を得られる。

 サーフェスが笑顔で頷く。


「ユージンくんと話していると勉強になります。冒険者の立ち位置は、農民とさほど変わらないのだと痛感しました」

「興味を持っていただけて嬉しいです」


 現場で命を賭して働くサーフェスからすれば、知ったことではない話だ。

 けれど子爵領を見学するにあたり、統治側の話も真摯に聞いてくれた。

 町の人も心を許すわけである。


「おや?」


 ふいにサーフェスが顔を上げ、ドアのほうを見る。

 しばらくしてユージンの耳にも騒がしさが届いた。

 内向きの仕事を担当してくれている家令のバートが、慌ててお目通りを願う。


「ご歓談中、失礼いたします。コータリア川が氾濫しました!」

「状況は!?」

「フォードが現地にて、領民を避難させています。詳細はまだ不明です」

「至急、対策本部をたてましょう! 近場で拠点にできる場所はありますか?」


 バートが地図を持ってきてくれており、机に広げられる。


「すみません、サーフェスさん、今日はこれでお開きにさせてください」

「構いません。もし助けが必要なときは声をかけてください。リヒュテは土魔法が使えます」

「ありがとうございます、助かります!」


 子爵領は有事に対応できる事務方の人間が少なく、ユージンも頭数に入っていた。

 今はとにかく情報が欲しいため、現場近くに拠点を設け、連携を密にするべく動く。

 ユージンは、雨合羽を着て城を出た。

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