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23.とある公爵の回想

 まさか二十二歳も離れた弟ができるとは、ローレンスだけでなく公爵家一同、考えもしなかった。

 自分の息子より若い弟である。

 父親が晩年に迎えた後妻は、誰から見ても変わり者だった。ただ生きることを望み、暇を物語で潰していた。

 茶色いクセ毛に、そばかす顔の糸目。容姿に際立ったところはない。

 生まれた息子も同様だった。

 時間を持て余していた父親が乳母の真似事をして目の下にクマをつくったときには驚いたが、この親子が政治的脅威になることはあり得なかった。

 いくら父親が猫可愛がりしたところで、実権は既に自分が握っている。

 後妻も旅先で出会った部族の娘だけあって、後ろ盾はない。

 本来、貴族は貴族としか結婚できないが、次期当主が決まっており、執務を引き継いでいたため認められた。

 逆に力がなかったから、家臣団も反対しなかった。

 後妻親子のことは、他人事のように感じていた。

 赤子のユージンを腕に抱いてみるまでは。


 父親なりに歳の離れた兄に愛着を持たせたかったのだろう。

 その試みは、見事成功した。

 弟妹たちも、ユージンを自分の弟だと認めざるを得なかった。

 不思議なもので、息子とは違う感慨があった。

 本能的にわかるのだ、血の繋がった兄弟だと。

 ユージンが唯一父親から碧眼を受け継いでいるのに気付いたのは、ローレンスだった。

 はじめて抱き上げたときに、タイミング良く、目を開いたのだ。ほんの僅かではあったものの、自分と同じ碧を湛えていた。

 隣で様子を見守っていた父親は感涙にむせぶほどだった。

 そして悔しがった。真っ先に発見するのは自分であるべきだと。

 ローレンスは心の中で笑った。


(お前も本能的にわかっているのか)


 老い先短い父親より、当主を継ぐ兄に擦り寄っておいたほうがいいと。

 それから弟妹たちの話題の中心は、ルイとユージンになった。

 ルイも幼心に血の繋がりを感じたようで、毎日ユージンのもとへ行きたがった。


 幼いユージンは虚弱で、よく心配させられた。

 貴族は魔力量が多いため、平民に比べて体が丈夫だ。魔力が体力を支えるからである。

 王国屈指の魔力量を誇る公爵家は、その最たる例だった。弟妹たちも、息子も病に伏せった記憶がない。

 しかしユージンは貴族の平均的な魔力量しかなく、赤子の頃からよく熱を出した。

 世間からすればこれが普通かもしれないが、公爵家にとっては異例で、父親の白髪が一気に増えたのもこれが原因だ。


 歩けるようになり、庭でルイと遊んでいてもすぐにバテてしまう。

 日差しの下に長時間いると、決まって夜は熱を出して寝込んだ。

 回復薬や治癒魔法は大人でも多用が勧められないため、気を揉む日々が続いた。

 体が成長してからは寝込む頻度も減り、祈りについて教わったユージンは、同席していた兄姉のほうを向いた。

 衝撃だった。

 幼いユージンにとっての光は父親ではなく、自分たちだったのだ。

 これで何も思わない人間はいない。当然、父親はむくれた。

 とはいえ、相変わらずユージンは体調を崩しやすく、父親の過保護は進み、ルイですらユージンを庇護対象とした。

 子宝に恵まれた父親と違い、ローレンスの子どもは息子のルイだけだ。

 成長した今では、ルイもユージンのことを叔父と認識しているが、心情的には弟を見ているのと変わらない。

 当人は反転して、敵愾心を露わにするが。


「いつまであの私生児を屋敷に置いておくつもりですか」

「私生児ではないと理解しているだろう。己の価値を下げる表現はよせ」


 思春期に入り、二人の間に距離ができてから、何かとルイはユージンに反感を持つようになった。

 どこかで拗らせたらしい。


「お前に言われるまでもなく、ユージンは子爵領へ住まいを移す」

「は?」


 思わず漏れたルイの声音に、苦笑が浮かびそうになる。

 大方、屋敷を出ても王都内に留まると考えていたに違いない。


「拐かされでもしたら、どうするのですか!?」

「それほどユージンが心配か?」

「私は公爵家に迷惑がかかるのを危惧しているのです!」


 素直じゃない。

 しかし拐かされる心配は、ローレンスにもあった。

 ユージンは紛れもなく公爵家の人間だ。

 成長に伴い培った所作は申し分なく、美しい。

 そして、貴族の見本として挙げられるほど型にはまった自分たちとは違い、緩やかさを伴っていた。同じ四角でも、ユージンには角がないのだ。

 貴族の姿勢を保ったまま自然体であるユージンこそ、手本にするべきではないかと生前父親は語っていた。

 しかし容姿や能力から、ユージンを軽んじる者もいる。

 公爵家にあっても、唯一ユージンになら手が届くのではないかと勘違いする輩が。審美眼のない者ほど、そうだった。


(愚者に付ける薬は存在しない)


 口頭注意で理解すれば上々だ。

 幸い、公爵家に睨まれてまで、動こうとする人間は王都にはいなかった。

 いつの間にか「テナチュールの花弁には指一本触れるな」という合い言葉ができるほどだ。ユージンを茶色を冠するバラに例えたことは評価している。バラは公爵家の代名詞だ。

 だからだろうか、油断があった。

 王都での常識が、地方でも通用すると慢心していた。


(まさか)


 ユージンに同行させていた竜騎士から、最初に報告を受けたのはローレンスだった。

 憤怒で、視界が真っ赤に染まった。

 飛竜で連れ帰りたくとも、体に障る危険があったと言われれば尚更だ。

 軽率な行動を取ったユージンにも腹が立った。


(冒険者ごときのために……!)


 身を挺する必要がどこにあったというのか。それで冒険者が被害を被っても、騎士団を管理するディアーコノス伯爵の責任である。

 同時に、理解もしていた。

 ユージンは責任感が強く、仕事に誇りを持っている。

 騎士団の所業は到底許せるものではなかったのだろう。

 貴族はプライドが高い。

 何故か。領民を守っている自負があるからだ。

 裕福な暮らしが、どんな土台の上に成り立っているか知っている。

 矜持を蔑ろにされることは、自分が守っている全てを蔑ろにされることと同義だった。

 だとしても、自分の安全を何より優先しろ、という思いは尽きない。

 これを父親に報告しなければならない憂鬱に、ローレンスは天井を仰いだ。


 ――その日、公爵家に雷が落ちた。


 比喩ではない。

 昂ぶった父親が、雷魔法をぶっ放したのである。

 地響きは貴族街へも伝わり、事情を説明するためローレンスは国王に向けて早馬を出せねばならなかった。

 今までも、雷が落ちたことはある。しかし屋敷の敷地内で収まっていた。

 報告を受けた国王は眉間を揉んだ。五十になる国王は、先王から苛烈だった頃の父親の所業を聞かされていた。

 雷鳴が一度で済んだのは後妻のおかげだ。これでは小説が読めないと苦言を呈したらしい。

 生きているならいい、という後妻の言葉に、ローレンスも救われた。

 ことあるごとにユージンの母親は「生きているだけで偉い」と言う。

 自分を甘やかすためだけの言葉でないことは、何となく察していた。彼女なりに人生を鑑み、導き出した答えなのだ。

 その真髄に、少し触れられた気がした。

 人は、生きているだけで偉い。

 とはいえ、有言実行できるのは後妻くらいなものだろう。


 波乱は、父親の訃報という形で続いた。

 人生六十年と謳われる中では、長生きしたほうである。

 晩年は早めに実権をローレンスへ譲り、望むままに過ごした。

 一から子育てに携わり、心残りがなかったことは最期の表情を見ればわかる。

 喪失感はあっても、混乱はなかった。


(ユージンは違うだろうな)


 弟妹の中で、一番父親と過ごした時間が少ない。

 泣き崩れる姿を見るのは切なかった。

 それでも葬儀の席では、ローレンスに倣っていた。公爵家の人間として、他人の前でどうあるべきか、ユージンは理解していた。


 間に、ディアーコノス伯爵の裁判がおこなわれた。

 ユージンからの報告書もあり、ローレンスは事の子細をわかっていた。

 その上で裁判の証人には、主観的に証言するよう求めた。

 証言を証拠と照らし合わせて客観的に分析し、判断するのは裁判官や陪審員の仕事である。

 サーフェスや騎士たちは主観を語っただけで嘘は言っていない。彼らには伯爵の行動がそう映ったという話だ。

 物事は見方によって、白にも黒にもなった。

 判決の結果は予想通りだった。

 伯爵の行動は品位に欠き、国益を損なうものだと判断された。外部勢力である冒険者ギルドの支部長との結託も問題視された。

 調査団が集めた物証によって、それらは裏付けられ、証言も加味された。

 日頃から品行方正であれば、爵位を譲ることはなかっただろう。


(思いのほか、冒険者ギルドが入り込んできている)


 人手が足りない領地において、冒険者ギルドの存在は有り難い。領地外からも戦力を呼べるからだ。

 しかし使う分にはいいが、使われるようになってしまえば終わりである。

 伯爵の処分は、内外へ向けた警告も含んでいた。

 改めて支部長へも国から抗議が入れられる。ただ彼については冒険者、それも特級クラスを売ろうとした時点で、ギルド内でも処分の対象となるだろう。


(「青き閃光」のサーフェスか)


 確かに綺麗な見た目をしていた。

 だが所作においては、他の冒険者に比べればマシという程度である。

 冒険者においては、その粗暴さが良いという声もあるが、ローレンスには理解できなかった。


(ユージンに恩義を感じている点は、悪くない)


 審美眼はあるようだ。

 ユージンの上司であるウース男爵の働きもあり、伯爵の事件は落ち着くとろこに落ち着いた。

 しばらく屋敷は弔問客で忙しないだろうが、時間が解決してくれる。

 予期せぬ雷は、ユージンによって落とされた。

 今回は比喩である。


(まさか子爵領に行くことを考えていたとは)


 父親の訃報に、意気消沈しているとばかり思っていた。

 前へ進もうという気概は褒めるべきだろうが、さすがに頷けない。

 他領とは違い、子爵領は公爵領に付随している。かの地でユージンを知らぬ者はいないだろう。とはいえ、好意的とも限らなかった。

 ユージンにとっては、だからこそ良い刺激になるのかもしれないが。

 撫でた髪の手触りを思いだす。

 ルイにしようものなら、手を叩き落とされるだろう。


(よくすれずに育ったものだ)


 好意を素直に受け取れる人間は少ない。

 息子とは違い、愛嬌のある弟の笑みに触れると、胸に温もりが広がった。

 ソファーでのやり取りを反芻していると、ルイが険しい顔を向けてくる。


「このまま行かせるのですか」


 決定は覆らないと察したのだろう。

 嫌ならユージンを説得して止めればいいものを。

 そうやって自分から行動に移せないから後手に回るのだと、いつ気がつくのか。


「ユージンにとって、私は誇りだそうだ」

「……」

「大好きだとまで言われた」

「頭を机にぶつけましたか?」


 ちらりと視線がヒビの入ったテーブルへ向かう。そこへぶつけたのは拳だ。


「疑うならユージンに訊くといい」


 真意を見極めようとルイが目を細めるが、事実は事実だった。

 弟と噛み合わない息子を哀れに思いながら、ローレンスは退席を促した。

 その日、行き場を失ったルイの感情により、中庭の木が一本、落雷によって焼け落ちた。

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