22.家族
間を置かず、ローレンスから出て行くように言われると思っていた。
けれど、実際は。
「怖がらせてしまったか」
すぐ隣で革のソファーが沈み、振動が伝わってきた。
ローレンスが腰かけたのだ。
遠慮がちに、ぽん、ぽん、と頭に手を置かれる。
「私は人を慰めるのが苦手だ。父上が、よくお前にこうしていただろう。お前からすれば私も父親のような年齢だ。だから、こうするのも、おかしくはあるまい」
続く、言い訳じみた言葉に、胸が熱くなる。
離れで暮らしていても、ちゃんと家族として認められていた。
「ありがとう、ございます」
「うむ」
「兄さんは、僕の誇りです」
どこか他人事のように兄姉たちを見ていても、憧れはあった。
何をしても抜きん出て、狩猟大会があれば、どこよりも多く獲物を仕留めてくる。
社交界の中心には、常に兄姉がいて、彼らを探すのに困ったことはない。
祈るときは光のほうを向くのだと教わり、幼心に兄姉たちのほうを向いたこともあった。
波打つ金髪は、いつも輝いて、眩しくて。
「ずっと、凄い人だと、思って……っ、兄さんが、家族で、嬉し」
感極まって上手く言葉を紡げない。
だからといってローレンスがユージンを責めることはなかった。
そうか、と慣れてきたのか、優しくユージンの頭を撫でる。
持っていたハンカチで涙を拭い、顔を上げ、碧眼を間近で見据える。
「大好きです!」
突然の宣言に、ローレンスは目を丸くした。
自分でも、他に言いようがあるだろうと思う。
「稚拙な表現ですみません。でも、ちゃんと、気持ちを伝えておきたくて」
別れが予測不能なのは、父親で身に沁みていた。
大事な気持ちは、伝えられるときに伝えておくに限る。
ユージンの考えが手に取るようにわかったのか、ふと、ローレンスが目元を緩めた。
その表情は、父親とそっくりだった。
(親子だなぁ)
当たり前のことを感じる。
父親の面影を眺めていると、目尻に残っていた涙を親指で拭われた。
「伯爵の件は、当人に落ち度があった。仮に企てがなかったとしても、特級クラスの冒険者と臣下を裏切ったのだから、蟄居は当然の報いだ」
サーフェスに花を持たせるためだけに、伯爵は騎士たちを蔑ろにした。
ローレンスはちゃんと事実もくみ取っていたのだ。
その上であれだけ激昂したのかと思うと、空恐ろしいものがあるが。
「お前が気に病むことはない。地方に全くお前のことが伝わっていなかったのは、父上や私にとっても誤算だった」
どれだけ似ていなくても、父親の血を受け継いだ息子で、公爵家も認めている。
にもかかわらず、話題に上がらないだけで存在しないと思われるのは予想外だったという。
「長年の功績にあぐらをかき、慢心していたのだ。情報を更新すべく、より威信を広めねばならぬとルイとも話している」
これ以上に? という疑問は呑み込んだ。
向上心に水を差すものではない。
「今後もお前にとって誇れる家にしていく。もう出て行くとは言わぬな?」
「えーと……それとこれとは別というか」
ユージンの反応に、またローレンスが眉間にシワを寄せる。
圧が強まると、さすがに腰が引けた。
それでもユージンは自分の考えを述べる。
「今回の出張で、自分がいかに守られて生きているのかを実感したんです」
脅威のない場所でぬくぬくと育ってきたのだと思い知らされた。
これまでを反省し、成長するためにも、今の生活から脱却する必要がある。
そして新たな場所には王都から離れた子爵領が良いと、結論づけた。
王都にいては、さして生活が変わらない。
「子爵領で再出発することで」
「ならん」
説明の途中で却下された。
「お前はまだ私の庇護下にいるべきだ」
「子爵領も、兄さんの庇護下ですよ?」
公爵領の一部である。ユージンに跡取りがいない場合は、返上されるものでもあった。
「子爵領は、公爵領の中でも端に位置する。父上もどうしてあのような場所を選んだのか……とにかく王都から遠すぎる」
「僕は距離を置くことに意味があると考えています」
「何故だ、何故、離れたがる?」
(どうしよう、どんどん父さんと話してる気分になってきた)
出張前のやり取りを思いだす。
「えーと、僕には無理だとお考えですか?」
荷が重いと判断されているなら、再考の余地があるかもしれない。
父親の心配は的中したのだ。
ローレンスはすぐには答えず、押し黙った。
「……お前の技能があれば無理ではないだろう。現地にいる家令とも上手くやれるはずだ」
「だったら」
「急ぐ必要があるのか?」
今度はユージンが黙る。
残れと言われると思わなかったから、出て行くことだけを考えていた。今の自分に足りないものを反芻し、環境を変えようと。
自分なりに考えて出した答えだが、新天地への不安がないと言えば嘘になる。
(兄さんの言葉に従うべきなのかな?)
父親のときは後悔した。残っていれば、と。
母親に考えるだけ無駄だと言われたけれど、簡単には割り切れず、悔恨はずっと胸にある。
(でも行かなかったら、サーフェスさんたちとも会えなかった)
自分がいかに守られて生活していたのか気付けなかった。
報告を受けた父親も、経験が糧になると言っていたと聞いている。
一度目を閉じて、うん、と答えを出す。
顔を上げ、ローレンスの碧眼を真正面から見る。
「性急だと言われたら否定できません。だけど僕は前へ進みたい。王都では上手く未来図が描けないんです」
ローレンスは、ふむ、と一呼吸置く。
そしてユージンの頭を一撫でした。
「ならば三か月だ。行ってダメだと思ったらすぐに帰って来い。三か月の滞在後、大丈夫そうなら期間を延ばそう。王城へは休職届を出しておくように」
「はい、ありがとうございます!」
認められて声が弾む。
しかも帰って来ることも許されるとは。
行くなら二度と王都へは戻れない気概を持て、と言われてもおかしくない。
(どうせ続かないと思われているのかな)
単に甘やかされているだけな気もする。
「王城でもキャリアは積める。休職すれば、その分遠のくだろう。復職したとして歓迎されるとも限らない。よくよく考えろ」
上司のように、ずっと王城で働いても何ら問題はないのだ。
生活の安定を考えれば、そちらが良いようにも思う。
けれどユージンには父親から託された子爵領と向き合いたい気持ちがあった。
話が終わり、辞そうとしたところで、声をかけられる。
「公の場でないなら言葉を崩しても構わない」
父親とは楽に話していただろうと言われ、目を瞬く。
意味を理解して、じんわり頬が温かくなった。
「うん、わかった。兄さん、話を聞いてくれてありがとう!」
ユージンは、笑顔で執務室を出る。
予想外に縮まった兄との距離に、足元がふわふわした。
てっきり邪魔者扱いされていると思っていた。
嫌われるどころか、弟として認められていたのが嬉しい。
浮かれた状態で廊下を進んでいると、二つ年上の甥っ子、ルイが前からやって来た。
方向を考えるとローレンスに話があるようだ。
いつまでもニヤけていられないと姿勢を正す。
(ルイはどう思ってるんだろう)
ルイの跡継ぎ教育が本格的にはじまるまで、よく二人で遊んでいた。
貴族学校へ通う頃には疎遠になり、今に至るまで交流はない。
公爵家の人間らしく感情を表に出さないルイの考えは読めなかった。
ローレンスをそのまま若くしたようなルイと、すれ違いざまに軽く会釈する。
ルイからは厳しい眼差しが返ってきた。
(そのうちルイともゆっくり話せるときが来るかな)
引き留められる気配はなく、そのままユージンは別れた。




