21.兄
王都の屋敷へ戻り、離れで一息ついていると、ユージンはローレンスに呼ばれた。
やっぱり、という思いが強い。
(母さんだけは残してもらえないかな)
一緒に子爵領へ引っ込めと言われるだろうが、母親にとっては王都が住みよい場所だった。何しろ小説の新刊が手に入りやすい。
社交界に出なくても、インフラが整っている点など、地方に比べて王都の暮らしやすさは比べものにならなかった。
(うう、緊張する)
親子ほど歳の離れた兄との対面は、父親以上に気を遣った。父親に締まりがなさ過ぎたのだが。
ユージンを見るなり目元を緩ませる父親とは違い、兄姉たちは基本無表情だ。
いかんせん整った顔に感情が乗っていないと、薄ら寒さを覚えた。
執務室へ通され、革張りのソファーに腰かける。
重厚感のある赤褐色のテーブルを挟み、ローレンスと対面した。
ローレンスの肩越しに、執務机に積まれた書類が見える。忙しい時間の合間を縫って、場を設けてくれたらしい。
父親から同じように受け継いだ碧眼でも、彫りの深い顔立ちであるローレンスの目は切れ長で、金色の睫毛に縁取られた瞳には思慮深さが感じられた。
糸目で瞳の色がわかりづらい自分とは大違いである。
薄い唇から発せられる低音に、胃が縮む。
「調子はどうか」
「おかげ様で、自分の今後を考えられるくらいには落ち着いてきました」
ちゃんとこれからのことも視野に入れていると先手を打っておく。
自分の立場は理解していた。
回答は間違っていなかったようで、ローレンスが小さく頷く。
「要望がなければ、前公爵夫人は引き続き離れで過ごしてもらう」
「ありがとうございます!」
一番気がかりだった母親を残してもらえると言われ、視界が明るくなる。
喜色を浮かべるユージンを見て、ローレンスは僅かに眉根を寄せた。
(あ、喜び過ぎたかな)
貴族は感情を表に出さないようにしつけられる。
表情の変化が乏しい兄姉たちとは違い、これがユージンには難しかった。
他人の前ではある程度取り繕えるものの、身内相手だと加減がわからなくなるのだ。
「感謝されるほどのことではない」
「母のことだけが気がかりだったんです。これで僕も安心して屋敷を出られます」
「……屋敷を出ると言ったか?」
「え?」
急に空気が重くなったように感じられて戸惑う。
ローレンスの眉間のシワも深くなっていた。
「はい、今までは父さんがいたので」
引き留められて、実家に残っていた。
ローレンスが当主になった今、慣例どおり、家を出るべきだろう。
ローレンスもそれを望んでいると思っていたのに、会話が噛み合わない。
「私が当主では不満があると?」
「えぇ!? そんなこと考えたこともありません! というかローレンス兄さん以外にあり得ないでしょう!?」
父親が母親を娶ったときには、ローレンスが次期当主だと決定していた。
ユージンにとっては、生まれてから不動の事実である。
「では、何故出ていく」
「成人しましたから」
次男も独身寮に入っている。
成人したら家を出るのが普通だ。
「まだ二十歳だろう。ルイとて屋敷にいる」
「ルイは跡継ぎじゃないですか」
ルイは、ローレンスの嫡男で、ユージンにとって二歳上の甥にあたる。
自分とは立場が違いすぎた。
「あれもまだ一人前ではない。お前が出て行く理由にはならぬだろう」
まさか引き留められるとは思わず反応に困る。
ユージンはユージンで考えていることがあった。
「そう言われると、反論の余地がないんですが……出張先のことは、兄さんの耳にも入ってますよね?」
「ディアーコノス伯爵及び家臣の度し難い所業については、私のほうで処理した。残念ながら裁判で謀反を証明するには至らなかったが、伯爵は爵位を傍系へ引き継がせ、蟄居が決まっている」
父親の訃報で公爵家はそれどころではなかったが、粛々と伯爵の裁判は執り行われていた。
葬儀中、何も手が付かなかったユージンとは違い、喪主と執務を同時にこなしていたローレンスを仰ぎ見る。
威風堂々とした居住まいに隙はなく、当主としての存在の大きさが現れていた。
ローレンスの爪の垢ほどでも、自分は公爵家に貢献できてきたのだろうか。
視線が下がりそうになったところで、大袈裟なキーワードに気付く。
「謀反、ですか?」
上司が、最初からユージンを害するつもりではなかったのかと言いがかりを付けていた。
しかし、それ以上のことはなかったはずである。
「冒険者に尻尾を振ることしかできないというのに、大それたことを考えたものだ」
「何か出たのですか?」
自分の知らないところで、そんな恐ろしい企てが露見したのかと驚く。
次いで返ってきた答えに、思考が停止した。
「一度でも極刑に値するというのに、二度もお前を襲ったではないか」
「……」
内容を咀嚼するのに時間を要する。
(一度目は、騎士による暴行だとして、二度目は……)
サーフェスから伯爵を離すために、騒ぎ立てたことだろうか?
襲われた事実はない。
「サーフェスという名の冒険者が証言した。夜会で、一番力を持っている自分に薬を飲ませて昏倒させた隙に、人気のない中庭でお前を襲おうとしていたと!」
証言内容を反芻するうちにローレンスが昂り、テーブルに拳を叩き付ける。
ドゴンッと平時なら聞かない音に、ユージンは肩を弾ませた。
「その場で警備にあたっていた騎士たちも同意した。伯爵の意向に逆らえず、助けに行けなかったとな」
今まで見たことのないローレンスの怒気に、体が硬直する。
明らかにサーフェスの証言は嘘なのだが、何故騎士たちも同意しているのだろうか。
わけがわからない。
とりあえずローレンスを鎮めることを優先する。
「僕は危ないところだったんですね」
「うむ、よく逃げ切ったものだ」
伯爵の目当てはサーフェスだったからね! という言葉は呑み込む。
「子細はわかりましたが、それが謀反に繋がるんですか?」
「当家に仇なすは、王家に仇なすも同義である」
建国の功労者。
王家の善き隣人であり、共栄せし者。
公爵家の持つ権威を目の当たりにし、ユージンは内心震える。
今更ながらに上司の言葉が蘇った。
自分の立場を自覚するよう、言われたことを。
歴とした公爵家の一員でありながら、世間が言うように、ユージンは自分が私生児に近い立場だと考えていた。
兄姉と似ていないのは外見だけでなく、能力もそうだ。
技能は努力で身に付いても、魔力量など超えられない壁があった。
華々しい公爵家の功績を、どこか他人事のように聞いていた。
血の繋がった家族のことなのに。
ローレンスの拳で、ヒビが入ったテーブルを見る。
ローレンスの怒りは真っ直ぐ伯爵へ向けられていた。
公爵家の威信が傷つけられたことより、ユージンを思っての激昂であるのは明白で。
「僕は、なんて……っ」
不義理をしていたのか。
勝手に線を引き、距離を置いていたことに声が詰まった。
「ごめんなさい。僕が、軽率だったから」
立場を、家族の心配を理解していたら、もっと違う結果になっていたのではないか。
膝の上で拳を握る。
泣きたくないのに、涙で視界が歪んだ。
(こんなの、ただ情けないだけだ!)
ローレンスが溜息と共に立ち上がる。
さすがに呆れられたのだろう。
下がった視線と共に、拳の上へポタポタと滴が落ちた。




