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20.別れ

 ケラブノス公爵、享年七十歳。


 友人との旅先で引いた風邪が帰宅後に悪化し、寝込んでいたという。

 回復薬や治癒師の魔法による施術が効くことはなく、最期は母親と長男家族に看取られた。

 人生六十年と謳われる社会では長生きしたほうだ。

 献花には、公爵家の紋章にもあるバラが選ばれた。

 安置されている棺の中で、色とりどりのバラに囲まれて眠る父親の表情は、「穏やか」の一言に尽きた。

 とても病に蝕まれていたようには見えない。


「父さん、僕、帰ったよ……」


 今にも目を覚ましそうな父親に声をかける。


「父さん……っ」


 ユージンの手には、テナチュールが一輪あった。茶色のバラは、しばしば社交界でユージンの代名詞として使われる。

 震える手で、父親の顔のそばに挿した。

 三日前に息を引き取り、遠方にいる兄姉たちが集まり次第、公爵領で葬儀が執り行われるという。

 ユージンは現実を受け入れられず、一晩、棺に縋り付いて過ごした。

 朝、赤いバラを一輪携えた母親がやって来る。


「あら、不細工な顔」


 両目を腫らしたユージンを見た第一声がそれだった。

 葬儀までの間、毎日一本、母親は献花する予定だ。

 空いたスペースにバラを挿す母親を眺めながら、ユージンがぽつりとこぼす。


「僕が、出張に行かなかったら……」


 少しでも長く父親と一緒にいられた。

 最期を看取れた。

 荷が重いのではないかと、自分の未熟さを見抜いていた父親の言うとおりにしていれば。

 ずっとその考えばかりが頭を巡る。


「結局、僕は心配だけさせて……!」


 先に帰った竜騎士から、砦での暴行事件を聞いた父親はどう思っただろう。

 最後の最後まで、自分は父親を安心させられなかった。


「バカだね、いつだって親は子どもを心配するものだよ」

「でも僕が言うことを聞いてたら!」

「ユージンが残ってたら、いつでも会えると慢心して長旅に出ていたかもしれないよ。出先で倒れ、あたしや家族にも看取られなかったかもしれない」


 考えても詮無きことだと、母親に背中を叩かれる。


「砦であったことには、そりゃ憤慨していたさ。でもほら、あんたは生きてる。経験はこれからの糧になるだろうって言ってたよ」


 そのとおりなのだろう。

 過去は変えられない。

 どれだけ自分を責めても、結果は同じだ。

 でも、それでも、辛かった。

 胸へ手をやる。

 喪失感が肋骨を食い破り、飛び出してきそうだった。


「好きなだけ泣きなよ。だけど悔いる前に思いだしな、あの人は旅先で病気をもらって来たんだよ」


 それはユージンについて報告があったあとに、父親が旅行へ出かけたのを意味していた。


「あんたのことは心配でも、友だちと遊ぶ余裕はあったのさ。で、楽しむだけ楽しんで、帰って来てバタン、だ。良い最期だったとあたしは思うよ。何より愛するあたしに看取られて、不満なんかありゃしないだろうさ」


 あったらぶん殴ってやる、という勢いで母親は語る。

 全くもって、この母親のどこに惹かれたのかユージンはわからないが、父親が母親を愛していたのは確かだった。


「死に目に会えなくて残念だろうけどね、あの人にとっては良かったんじゃないかい。病に伏せる姿より、元気な姿だけを思い出に残してほしかっただろうからね。貴族は見栄っ張りなんだよ」


 父親にとっては良い最期だった。

 その言葉を聞いて、ようやく顔を上げられる。


「でもっ、やっぱり、寂しいよぉ……っ」


 結局、涙が滂沱として溢れた。


「そうだねぇ、あんたにとっては老いてても父親だからね」


 うわーんと幼子のように声を出して泣く。

 こんなみっともない姿を晒すのは、公爵家で自分ぐらいのものだろう。

 だから父親にも心配をかけるのだ。

 わかっていても、はじめての肉親との別離に、ユージンは感情を殺せなかった。



◆◆◆◆◆◆



 あれからユージンと母親は、長男家族と共に公爵領へ父親を連れて帰った。

 領地全土が悲しみに包まれる中、慎ましやかに故人は墓へ入った。

 長男のローレンスが喪主を務めた葬儀も恙なく終わり、あとは領民へ向けてお別れの会が開催される。

 国内外から弔問客が訪れ、公爵領と王都にある屋敷が落ち着くには、まだまだ時間がかかりそうだった。

 父親、今となっては元ケラブノス公爵がどれほど偉大な人物であったかを思い知らされる。

 葬儀には国王も参列したのだから、さもありなん。

 父親は先王と親交があり、現王にも仕えていた時期があった。先王は十年前に崩御されている。


「光の元へ還れますように」


 一段落し、王都へ帰る馬車の中で、今一度父親のことを祈る。

 作法は王国で信仰されている教義に基づいたものだ。

 一神教で偶像がないため、祈るときは自分にとって光だと思うほうを向く。野外だと太陽や月を仰ぐことが多い。

 ユージンは窓から入る陽光に思いを込めた。

 現在、公爵領では三男が指揮を執っている。

 基本的に貴族の当主は、王都の議会に出席するため、領地にいない期間のほうが長い。その間は、代行者が領地を預かった。大抵は親族が務める。

 ちなみに次男は独身貴族で魔法に傾倒しており、魔法師として各地を飛び回っている。

 現在ユージンは王城勤めだが、感情が落ち着くにつれ、身の振り方について考えるようになっていた。


(いつまでも屋敷にいられないよなぁ)


 爵位を継がない弟身分は、成人したら結婚して家を出るか、独身寮に入るのが常である。

 父親の意向で、ユージンは屋敷の離れに居続けていたに過ぎない。

 追い出すような乱暴な手法は取られないだろうが、王都の屋敷へ帰れば、それとなくローレンスから話があるのは目に見えていた。

 ケラブノス公爵家当主になったローレンスにとって、自分はお荷物でしかないのだから。

 生前贈与された子爵領に向かう日も近い。


(サーフェスさんを案内することもできなかった……)


 自分のことで手一杯で、連絡することなくユージンは公爵領へ出立した。

 父親の訃報は、一般市民にとっても一大ニュースだ。サーフェスも事情を察してはくれているだろう。

 それでも約束を果たせなかった不甲斐なさが募る。


(僕はどこまで中途半端なんだ)


 砦でのことも含め、尻切れトンボになっている感が否めない。

 そんなユージンの心情などお構いなしに、母親はニヤニヤしながら恋愛小説を楽しんでいた。

 舗装された道を通っているので振動は少ないが、よく読み物に集中できるものだ。

 そこで、あ、とユージンは声を漏らす。

 母親に訊きたいことがあったのを思いだした。


「母さん、『魔物の使い』とか『魔性の子』って呼ばれたことある?」


 息子の呼びかけに、母親は本から視線を外さず答える。


「なんだい、獣人にでも会ったのかい?」

「うん、その獣人に言われたんだけど、やっぱり覚えがあるんだ?」


 獣人にとってマタタビ効果のある特性は、予想どおり母親から受け継いだものだった。


「うちの部族の特性だよ」

「どうして今まで教えてくれなかったの」

「王都じゃ獣人に会わないだろ? 効果があるとしても犬猫に懐かれるぐらいだからね」

「動物にも効くんだね」


 よく懐かれるとは思っていた。

 飛竜のククルに興味を持たれたのも、特性のおかげだったのだ。


「獣人相手でも、効果には個人差があるからね、気を付けるのは獣人の国へ行くときぐらいなもんさ」

「でも父さんには効果あったんだよね?」

「ないよ? この特性は獣人以外の人間には効かないからね」

「あれ?」


 てっきり獣人ほどではないにしろ父親にも効果があって母親を娶ったんだと、特性を知ったときには考えた。呆気なく否定されて首を傾げる。


「父さん、母さんのどこが良かったんだろ?」

「知ったこっちゃないね」


 父親に直接訊いたこともある。

 しかし「母さんだから」と言われるだけで、納得のいく答えは得られなかった。


「あ、でもサーフェスさんは楽になったって言ってたよ」


 介抱する機会があったことを母親に告げる。

 特級クラスの冒険者の話に、はじめて母親は本から視線を上げた。


「状態異常に効果があったってのかい」

「その可能性はある?」

「どうだろうね、検証なんかしたことないし。効果があるなら、あの人はあたしに看取られたのを感謝しないといけないね」


 棺の中で穏やかな表情をしていた父親の顔を思いだす。

 悪化した風邪は肺を痛めつけていた。闘病中は苦しかったはずだ。

 ユージンや母親が持つ特性に直接的な治癒効果があるのかは不明だし、父親が息を引き取ったことを鑑みると、治癒にはならなかった。

 けれど、楽になる時間はあったのかもしれない。

 苦しまずに逝けたのなら幸いだと、母親が呟く。


「きっとそうだよ。父さん、今にも起きそうな顔してたから」

「単にあたしに看取られて嬉しかっただけかもしれないけどね」


 結局、効果はあるのか、ないのか。

 ただ父親が晩年望んだ通り、最期が安寧であったなら申し分なかった。

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