16.とある「青き閃光」の誤算
断れるなら、夜会の出席を断りたかった。
普段は着ない正装に身を包んだ自分を鏡越しに見て、溜息をつきたくなる。
武器を持ち込めないため、帯剣していないのも落ち着かない。
ディアーコノス伯爵が自分を囲おうとしているのは、わかりきっていた。
「青き閃光」という特級クラスの冒険者パーティーというより、サーフェス個人を。
会うたびに向けられる粘着質な視線には辟易する。
だが、褒賞式が執り行われ、表彰されるのが自分たちのパーティーとなれば、参加しないわけにはいかなかった。
リーダーがいればいいだろうと、早々に不参加を決めたネオとリヒュテには貸し一つだ。
赤眼の波動をはじめ、他のパーティーもいるのは心強かった。
商人も招かれており、貴族だけの場でないこともサーフェスの背中を押した。
どれだけ等級が上がっても、所詮は平民だと冒険者を見下す貴族も少なくない。
冒険者以外の平民もいるなら、身分を理由に空気は悪くならないはずだ。
そして、何より。
(ユージンくんもいるんですよね)
そばかす糸目の、平凡な顔が頭に浮かぶ。
瞳が見えなくても胡散臭さがないのは、誰に対しても彼が敬意を持って接するからだろう。
くせっ毛の茶色い髪は柔らかく、撫でがいがあるのを知っていた。
王都からやって来た文官二人は、当然の如く貴族だった。
男爵である上司と一緒に出席するという。
顔の原型がなくなるまで、ユージンの顔がドス黒く腫れていたのは記憶に新しい。
サーフェスが腕を切り飛ばした騎士は、傷害罪で処罰されたと聞くが、思いだしただけでも腸が煮えくりかえる。魔物の討伐に出るでもなく、どこまでも騎士団は自分勝手だった。
回復薬で表面上は綺麗に治ったものの、ユージンは絶対安静を言い渡された。
ホテルへ戻ってからも、サーフェスは見舞いに行った。
ベッドへ横たわるか細い姿を見たときは、この体のどこに騎士へ立ち向かう度胸があったのかと不思議に思ったものだ。
ようやく元気に立っている姿で会えるなら、快癒の祝いをしたい。
話す時間をつくれることを願いながら、サーフェスは伯爵邸へ向かった。
◆◆◆◆◆◆
「サーフェス様は、いつ見ても麗しいですわ」
「可憐なご令嬢にお褒めにあずかり、光栄の至りです」
会場へ赴けば、人に囲まれるのは予想していた。
遅めに入り、できるだけ招待客と顔を合わすタイミングをズラそうとしたが、場慣れした令嬢たちのほうが一枚上手だった。
馬車を降り、エントランスへ着くなり声をかけられる。遅れて来るのを見越して、待っていたのだ。
一人と言葉を交わせば、あっという間にサーフェスの到着が知れ渡り、人垣ができた。
これではユージンを探すどころではない。
(今だけは、目立つ目印が欲しいですね……!)
平凡な青年は、すぐ人混みに紛れてしまう。
彼の性格からして、装いも奇抜なものではないだろう。
如才なく令嬢たちと挨拶を交わしながら、会場である広間へ向かう。
「王都から来られた男爵様も、サーフェス様の威光には納得なさるでしょう」
一つ、収穫があったとすれば、ユージンの上司が一目置かれているとわかったことだろうか。歴史ある家門で、ぞんざいに扱える相手ではないと知る。
やっとの思いで、広間に飾られたシャンデリアの光を浴びた。
辿り着くまでにかかった体感時間は途方もない。
しかし不思議なもので、広間へ着くと、すぐに赤眼のドウキと話しているユージンを見付けられた。
次いでけばけばしいドウキの装いも目に入るが、先に視線が吸い込まれたのはグレーのジャケットを着たユージンのほうだった。
(所作が綺麗だからでしょうか)
貴族としての立ち振る舞いが堂に入っている彼の佇まいは、いつも美しい。
冒険者クラスが上がるにつれ、サーフェスも様々な貴族と顔を合わせてきたが、彼ほど嫌みのない貴族はいなかった。
清廉な滝を見ているような気分になるのだ。今にも涼やかな風が、霧状になった滴を運んで来るように感じられる。
だが残念ながら、挨拶には赴けそうにない。
人垣をいなせず、冒険者ギルドの支部長へですら、目礼で済ませた。
(支部長がいるなら、勧誘も多少はマシでしょうか)
冒険者ギルドは、あくまで領地を間借りして活動している立場だが、昨今では領主とも対等に話ができるくらいの地位を得ている。
伯爵領でも、支部長の発言がないがしろにされることはなかった。
冒険者を私兵に加えようとする貴族の動きには、冒険者ギルドも目を光らせている。権力で好き勝手にされては、運営が成り立たないからだ。
特級クラスともなれば、冒険者ギルドにとっても手放せない。
伯爵と顔を合わすのもこれで最後だと、サーフェスは気を奮い立たせた。
つつがなく褒賞式は終わり、ほっとしたところで支部長から酒を勧められる。
形式張ったやり取りはサーフェスも得意ではなかった。
酒には強いほうで、他の冒険者からも祝いにと新しいグラスを渡されても、否はなかった。
いつになく支部長が酒を注いでいるのに違和感を覚えたときには、遅かった。
視界が揺れ、体に痺れを感じる。
(やられた……!)
酒に薬を混ぜられていたのは明白だった。
冒険者を守る立場であるはずの支部長の裏切りに、目の前が真っ赤に染まる。
すぐにでも殴りかかりたかったが、どこからともなく現れた伯爵に遮られた。
「おや、体調が芳しくないようだ」
「この……!」
悪態も、上手く言葉にならない。
思うように動かない体を抱き締められ、怖気立つ。
身体的、精神的な気持ち悪さが重なり、頭の中がグアングアンと回った。
気付いたときには広間から廊下へ体を引きずり出されていた。
湿った伯爵の息が耳にかかる。
「はぁ、やっと、やっとだ」
「触らないで、ください……!」
「きみにもわたしの気持ちは届いているだろう?」
ああ、知っている。
肉欲に染まった、澱んだ視線をこれでもかと向けられれば、嫌でも察する。
だから会いたくなかったし、早く伯爵領から去りたかったのだ。
伯爵が手荒な手段に出たのは、支部長からサーフェスがいよいよ離れると聞いたからだろう。
(これだから、人間は、信用ならないんです)
身内とも呼べるはずの支部長でさえ、最後にはサーフェスを売った。
人の醜さには、散々触れてきたというのに。
どうして気を抜いてしまったのか。
自分で自分が許せない。
しまいには、性急に伯爵の手が内股に伸びる。
できるなら胃の中にあるものを全て吐きかけてやりたかった。
「いい加減に、して、ください!」
「強情だね。そんなところもそそられるが」
手に剣があったら、切っていただろう。
ある意味、体が痺れているのも救いかもしれなかった。
相手は、伯爵位を持つ貴族である。
暴行を働けば、正当防衛だったとしても罪に問われるのは平民である自分だ。
本来なら特級クラスという地位が免責をもたらしてくれるが、支部長が伯爵側にいるなら、それをあてにはできない。
(どうすれば……)
気持ち悪さから考えがまとまらない。
最終的には、重症を負わせてでも、逃げる気ではいるが。
そうなればお尋ね者になるのは必至だ。
ネオとリヒュテにも迷惑をかけるだろう。冒険者として活動を続けられるかもわからない。
(これだから、貴族は、質が悪い)
私利私欲で平民を傷付けてもいいと考えている。
貴族以外の人間の価値などないに等しいのだ。
暗澹たる状況に、いっそ犯罪者になってもいいかと闇堕ちしそうになったときだった。
脳天気な声が廊下に響く。
「あれぇ~? 誰かいるんれすか~?」
にへら、と毒気のない笑顔が、緊張を解かす。
(どうして、ユージンくんは、いつも)
自分に光を見せてくれるのだろうか。
悪い人間ばかりじゃない、良い人間もいるのだと教えてくれる。
彼自身が、その代表格だった。
いかにも酔っ払いという風体だが、汚れたところもなく身綺麗だ。
予期せぬ人物の登場に、伯爵は神経を苛立たせる。
貴族として振る舞いには気を付けていたが、とうとうユージンを突き飛ばした。
「ユージンくん!」
尻餅をつき、青ざめる表情に、自由の利かない体で腕を伸ばす。
駆け寄りたかったが伯爵に阻まれ、舌打ちした。
もう我慢の限界だと思ったところで、ユージンが叫びながら走り去る。
その内容に、伯爵が歯ぎしりする。
「とりあえず、きみはここで大人しくしているように」
本当は自室へ連れ込みたかったのだろうが、近くの空室で寝かせられる。
ユージンが中庭へではなく、広間へ向かったため、伯爵は焦っているようだった。
彼が上司である男爵へ助けを求めたのも大きいだろう。
なんにせよ、自分は救われたのだ。
見るからに頼りなさそうな青年に。
ユージンのことが心配になるも、上司の人柄は知っている。
貴族のことは貴族に任せるのが一番だろうと、サーフェスは部屋を出た。
騒ぎのおかげで、廊下にいた騎士たちも広間のほうへ集まっていた。
人目がないのは幸いだと、外へ向かう。
中庭を抜け、エントランスを通り、外庭へ。
無駄に広い敷地が憎い。
(思いのほか、ヤバいかもしれませんね)
興奮剤と痺れ薬を混ぜたものを飲まされたのは、体感からわかっていた。
しかし予想以上に、症状が重い。
外庭の途中で力尽き、休憩を取る。
戦闘中とは違い、魔力が潤沢にあるおかけで、気を失うまではいかなかった。枯渇しそうな体力を魔力が補ってくれる。
特級クラスは伊達ではないのだ。
(警備が甘いのは、伯爵の人徳のなさからでしょうか)
巡回ぐらいあっていいようなものだが、人が近くを通る気配がない。
騎士団が伯爵に不満を募らせているのは、先の討伐で判明している。
仕事の手を抜いていてもおかしくはなかった。
◆◆◆◆◆◆
どのくらい留まっていただろう。
そろそろ動かなくては、と思った矢先、香気を感じる。
果実を連想させる香りだった。
甘いようでいて、爽やかさもある、経験のない空気感に全身が包まれる。
水を含んだように重かった体が軽くなった。
ちょうど聞きたかった声が、耳に届く。
「サーフェスさん!」
都合の良い展開に、夢かと思った。
力を振り絞り、ユージンが馬車に乗せてくれる。
席に着く頃には、頭がふわふわしていた。
(気持ち良い)
伯爵の傍で、鳥肌が立っていたのが嘘のようだ。
安らぎの元へもっと近付きたくて、ユージンの首元に鼻を埋める。
無意識のうちに抱き締めていたが、振り払われることはなかった。
ホテルへ着いてからも、ユージンは甲斐甲斐しく世話をしてくれた。
スタッフに任せてしまえばいいのに、よいしょ、よいしょと自分の重い体を運ぶユージンを、どこか遠くの景色のようにサーフェスは眺めていた。
(人が良いにもほどがあるでしょう)
ベッドでバランスを崩したユージンに覆い被さる。
自分の影が、この平凡な青年へ落ちていることにサーフェスは満足感を覚えた。
(ああ、これは、酔ってますね)
質の悪いことに、興奮剤も働いていた。
下半身の猛りを鎮めようと、熱のこもった息を吐く。
だが逆効果だった。
吐息にぴくりと反応するユージンを見ると、より熱が集中していく。
まるで獣にでもなったかのようだ。
今にも、ユージンの首筋に噛みつきたい。
許されるはずがないのに。
「あなた、だけが……」
光なのだ。
嫌なことが多い人生の中で、気の合う仲間と出会えた。
力を得、地位を得て、暮らしが楽になった分、しがらみも増えた。
会いたくないと拒否できる身分でも、社会という枠組みで生きていくには、貴族を無下にできない。
煩わしく、魔物より醜い人間が蔓延る世の中で、唯一、ユージンだけが美しい人間だった。
一見すると平凡な見た目も、手入れが行き届き、透き通る肌に視線が奪われる。
柔らかいくせ毛へ自然に手が伸びた。
隙だらけに見えて、凜とした佇まいには、気安く声をかけられない気品があった。
これが貴族なのだと身分を違いを教えられる一方で、目が合えば、満面の笑みを向けられる。
一瞬にして高位から低位へ視線を合わせられることに、いつも胸が脈動する。
そして善なるほうへ自分を導いてくれるのだ。
尊き人。
「ああ、やっと」
出会えた。
目頭が熱くなるのを感じ、目を閉じる。
そこから意識を失うまでは秒だった。