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死がふたりを結ぶまで  作者: 篠矢弓人
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猫の名前2


 少年とルウの毎日は、概ね穏やかに過ぎていった。決まり切った時間に決まり切った予定をこなすのは退屈ではあったが、少年とルウには魔術薬があった。


 魔術薬の世界は広く、非日常の刺激に溢れている。最初はルウの話を聞くばかりだった少年も、徐々に魔術のもつ魅力に引き込まれていった。

 実験が毎回上手くいくとは限らなかったが、そのぶん期待以上の成果が出たときの喜びは大きい。魔術薬のレシピや研究の結果を書き記したノートは、どんどん分厚くなった。


 どんなに大人びていても、普通とは違う人生を歩んでいても、ルウと少年はまだほんの子供だ。他の年頃の男の子達が遊びたい盛りであるのと同じように、二人もまた、時間を忘れて魔術薬の調合に没頭した。


 魔術薬を調合していることは少年とルウしか知らない。他の使用人には知られてはならない、言わば二人だけの秘密だ。「人には言えない秘密を主人と共有している」という事実が、『花』になれなかった少年の心に大きな喜びをもたらしていた。


 二人はほとんどの時間を部屋の中で過ごしたが、ルウは時折ふらりと外へ出て行くときがあった。最初は散歩にでも出ているのかと思ったが、どうやら彼は中庭に行っているらしい。たまたま窓の外を見たときに、ひとりで中庭を歩くルウを見つけたのだ。ルウの小さな体は途中で木の陰に隠れて見えなくなってしまうので、何をしているのかまではわからなかった。


 ある日、いつものようにルウが出ていった直後に雨が降り出した。春先とはいえ、雨は氷のように冷たい。少年はルウがいつ帰ってきてもいいように暖炉に薪をくべて部屋を暖めた。

 しかし、しばらく経ってもルウは一向に帰ってこない。痺れを切らした少年は、言いつけを破る罪悪感を感じながらも傘を持って中庭に向かった。


 少年が中庭に出ると、ルウが一本のユリの木の下でじっと顔をうつ向けているのが見えた。案の定濡れ鼠になっている。少年は庭を突っ切ってルウのもとへ向かった。途中、小屋の中にイゼドがいるのではないかと足がすくみかけたが、幸い扉には南京錠がかけられていて、誰もいないようだ。


 ルウの隣に立って傘を差し向ける。何を見ているのだろうとルウの視線を追うと、一箇所だけ色の異なる土に、黒っぽい石が乗っていた。何の標も供物も無かったが、少年にはそれが何であるか分かった。


「お墓、か?」

「……ああ、先月死んだキーロの墓だ。」


 ルウの返答は少し間が空いた。少年が傍で傘を差し向けていたことに、たった今気がついたようだ。雨に濡れた前髪から雫が滴った。

 ルウはじっと黒い石を見つめながら、いつになくぼんやりとした口調で話す。


「キーロ?」

「昔から庭に住み着いていた(キッロ)の名だ。幼い頃は舌が回らなくてな、キーロ、キーロ、と呼んでいたら、そのうち振り向くようになった」


 どうやら主人が度々出て行くのは、猫の死を悼むためだったらしい。少年は少し意外に思いながらも、可愛がっていた生き物を亡くしたルウに同情した。人であれ動物であれ、大切なものの死は悲しいものだ。


「そっか、長い付き合いだったんだな……そりゃ寂しいよな」

「寂しい?」


 少年の言葉が不可解だとでも言うように、ルウは顔をしかめた。


「何故、僕が寂しがるんだ?」

「雨の中ぼーっと突っ立ってたじゃん。そのキーロって猫のことを思い出して寂しがってたんじゃないのか?」

「僕は、ただ……」


 ルウは何かを探すように視線を上に彷徨わせると、青白くなった唇を震わせて言った。


「足りないと、思ったんだ。……足りない。満たされない。何かをしていても突然キーロが頭に浮かんで、触れたくなって、こうして墓の前まで来てしまう。もう、触れることなんて出来ないのに」

「……それが寂しいってことなんじゃねぇの?」


 そう指摘すると、ルウはようやく少年の方へ視線を移した。生まれて初めて誰かに何かを教えてもらったような、そんな表情で。


「そうなのか?」

「え?いや……たぶん、そうだと思う」


 改めて正確な定義を訊ねられると自信がないが、ルウが抱く感情は寂しいとほとんど同じなのではないかと少年は思った。


 少年はまだ、死による離別を経験したことがない。けれど、今生の別れという意味での離別は、花小屋の中で何度も経験した。おそらくエルムの花の中で、少年ほど兄弟を見送った者はいないだろう。今朝まで一緒に笑い合っていた弟妹が夜には居なくなっているなんて、花小屋のなかでは日常茶飯事だった。そうして次の月にはまた、新しい弟妹たちが増えている。

 それでも、居なくなった弟妹の代わりなんて、世界中どこを探しても居ないのだ。何度経験しても別れは辛く、寂しいものだった。


 少年は再び黙ってしまったルウの肩を叩く。寂しいのは分かるが、冷たい雨の中ずっと外にいるのは良くない。


「部屋に戻ろうぜ。風邪引くぞ」

「ああ……」


 返事をしたくせに歩き出さないルウの手を引いて、少年は踵を返した。繋いだ手はゾッとするほど冷たく、まるで死人を連れているような気分だった。


「キーロにしよう」

「んぁ?」


 唐突に口を開いたルウを振り返る。

蒼白かったはずの頬に、ほんの少し赤みが戻っていた。大きな菫色の瞳が、薄闇に爛々と光っている。


「君の名前。まだ決めていなかったから、キーロにしよう」

「えぇ……死んだ猫と同じ名前かよ」

「不満か?」

「別に、お前が良いなら良いけどさ」


 なんでまた急に……と少年がぼやくと、ルウは少年の頬に手のひらを寄せ、その金色の瞳を覗き込む。氷の体温とは対照的な、熱を帯びた瞳。その奥に得体の知れない闇が瞬いた気がして、少年はぞわりと鳥肌が立つのを感じた。


「キーロの瞳も、君と同じ黄金色だったんだ」


 屋敷に迎えられてから最初の雨の日。少年は新しい“キーロ”になった。



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