双子達の浮城2
カッチリと撫で付けたロマンスグレーの髪。尖った鼻梁。鷹のような抜け目のない瞳をした壮年の男性が、お掛けなさい、と向かいの椅子を指し示す。静かだが、どこか威圧的な印象を受ける声だ。
出鼻を挫かれた形になったキーロは、バツが悪そうに口を噤み、ルウの隣に腰掛けた。おそらくこの男性が城の主人なのだろう。どんな理由があろうとも、魔術師の固有領域で揉め事を起こすのは避けた方がいい。お茶を淹れましょうね〜、というクリスティーヌの呑気な声が後ろから聞こえた。
「はじめまして、私はイサ。この城の最高責任者です」
「…………」
「ああ、名乗らなくて結構。彼から聞いていますよ、にゃんこと鬼火」
キーロは渡されたばかりの茶を思わず吹き出しそうになった。現在の自分の名前がいわゆる幼児語の一種なのは知っていたので、今更どうとも思わない。たとえそれが、壮年の男性の口から飛び出るには些か破壊力のある単語だったとしても。
それよりも、この男は今、ルウグ・ヴェールフェルドのことを何と呼んだ?キーロが付けて、いままでキーロしか口にしなかったはずの名で呼ばなかったか──?
困惑しているキーロを置いて、イサは話を続ける。
「貴方がここに来た経緯も、そこの彼から伺いました。火災に乗じて闇市の檻から逃げ出すとは、運の強い子たちだ……ところで、」
話を聞いているうちに、だんだんとキーロにも状況が読めてきた。どうやらルウは、そういう設定でこの城に入り込むつもりでいるらしい。どこまで嘘を塗り重ねるつもりなんだ。自分がどれほど酷いことをしたのか分かっていないのか。はらわたが煮え繰り返りそうになるのを必死に押さえつけていたキーロは、イサの放った次の一言にひゅっと息を飲んだ。
「君達が闇市から逃げ出した夜、帝都郊外のある御屋敷で、同じように火事が起きていたようですよ。なんでもそこは帝国中央旅客鉄道会社の当主の邸宅で、鎮火した後も御子息お二人が行方不明なのだとか……何か、知りませんかね?」
バレている。
そう確信した瞬間、キーロはルウに抱いていた怒りも忘れ、彼を庇うように身を乗り出していた。ルウの腕を掴んで下がらせ、観察するように目を細めているイサを睨みつける。
ルウのしでかしたことは許されることではない。本来なら然るべき場所で裁きを受けるのが筋だ。これが帝都警衛隊の取調室ならば、キーロも見聞きしたこと全てを詳らかに告白し、真実を白日の下に晒していたことだろう。
しかし、ここはザルドの法律も科学の目も届かない魔術の城だ。魔術の存在を認めてはいないザルド政府にわざわざ接触して、キーロたちを引き渡すとも思えない。今ここで自分たちの罪を探って、一体どうするつもりなのか。
イサは何度か瞬きをすると、興味深いものを見たかのように口角を引き上げた。「おやおや、子猫かと思えば母猫でしたか」という呟きは、幸いにもキーロの耳には届かなかった。
キーロによって一時強制的に下がらされたルウは、やんわりと彼の手をのけると姿勢を正し、少しも表情を崩さず言い放つ。
「いいえ、残念ながら何も。ただ一つだけ、私は皆さんに謝らなくてはならないことがあります」
「ほう、何でしょう」
「私は最初、何者かが裏通りに放った火が闇市にまで及び、その混乱に乗じて逃げ出してきたと説明しましたが、あれは嘘です。闇市を炎上させた犯人は、私です」
しん──、と静まり返った室内で、最初に口を開いたのはイサだった。
「おや、地上に偵察に行かせた護衛士達からの情報によると、闇市の火災は魔術薬の発火が原因である可能性が高いそうですが……貴方は、魔術を扱えるのですか?」
探るような視線を向けたイサに無言で肯くと、ルウは自分とキーロの袖をまくり上げ、実験で注射痕だらけになった腕を差し出した。傍で見守っていたクリステーヌが、痛ましそうに目を伏せる。
「私とキーロは売り物ではなく、闇市に卸される魔術薬の真贋を見極めるための被験者でした。この注射痕はそのときに付いたものです」
袖を下ろし、釦を留めながら、ルウはまるで立て板に水を流すように嘘を吐く。一体どこまでが事前に用意しておいた話なのか、既にキーロにも見抜けなくなっていた。
「ときには調合の手伝いをさせられることもありました。多くの魔術薬に触れるうち、私達は魔術に関する知識を身につける事になったのです。火蜥蜴の髄液(発火装置)程度なら簡単に作れますよ」
「その魔術薬を使って闇市の通りを炎上させ、まんまと逃げ果せたと?」
「ええ。元より魔術薬のみならず、呪具や薬物の取引が行われていたような場所です。帝都警衛隊もこれ幸いと店の摘発こそすれ、逃げた備品をわざわざ探したりはしないでしょう……貴方が私達の身柄を引き渡さなければの話ですがね」
「……なるほど、貴方がたの事情はよく分かりました」
スッと細められた鷹の目に、キーロは背筋が寒くなるのを感じた。
このイサという男は、もうとっくにルウの嘘を見抜いている。流石にキーロの素性までは推し量れないだろうが、闇市の火事と屋敷の炎上にルウが関わっていることは確信しているだろう。滔々と虛辞を並べ立てているルウにだって、それは分かっているはずだ。にもかかわらず、ルウは依然として真実を打ち明けようとはせず、イサも最初の一手以降、踏み込んだ質問をしてこない。
嘘と、問いかけと、物でも観察しているかのような温度のない視線。たったそれだけが二人の魔術師の間を繋いでいる。キーロには、二人が何か共通の暗号のようなもので会話しているように思えてならなかった。
二度目の沈黙は、穏やかな笑みを取り戻したイサによって拍子抜けするほどあっさりと打ち破られた。
「そういうことでしたら、我々が貴方がた二人の身柄をお引き受けしましょう」
「えっ……」
「いやはや実に面白い人材を見つけてきたようですねぇ、クリスティーヌ。魔術の知識と耐性があり、頭の回転が早く弁が立つ。何より二人とも肝が据わっている。訓練課程を飛ばしても差し支えないくらいだ」
「もう、また勝手なことばかり言って!二人ともまだ子供なんですよ。きちんと訓練生から始めてもらいますからね!!」
「冗談ですよ教務主任殿。教育は貴女の領分だ。全てお任せします」
ちょっと待ってくれ。明らかに嘘を吐いているであろう人間を、そう易々と招き入れるなんてどうかしてるんじゃないのか。しかも一人は自分が放火犯だと自白しているんだぞ。それとも、その程度の前科持ちなら御し切れる自信があるというのか。
疑念と警戒を露わにするキーロに気がつくと、イサはまるで教師が教え子に言い聞かせるように言った。
「浮城の役割については知っていますか?我々は地上からの依頼に応じ、護衛士と呼ばれる用心棒を派遣し報酬を受け取っているわけですが、現状全ての依頼を捌き切れているとは言えません。人手不足もありますが、難易度の高い任務を引き受けられる腕の良い護衛士が限られているため、依頼内容によっては受注段階でお断りしなければならない状況が続いているためです」
「はぁ……」
やけに現実的な内部事情に、キーロは気の抜けた相槌を打った。流れの魔術師たちが住う城という、いかにも浮世離れした印象のメザリアだが、やはり人間が作り上げた組織。それなりの苦労があるのだろう。
先程とは打って変わって、人間臭い苦笑を浮かべるイサに、キーロは残っていた警戒心が揺らぐのを感じた。
「我々としては、優秀な人材は積極的に受け入れたいところなのですよ。もちろん初期投資は惜しみません。衣食住と世界一の魔術教育を提供することをお約束しましょう。契約内容に同意頂けるのならこの書類にサインを。『双子の契り」の発動をもって、あなた方の加入を認めます」
「双子の契り?」
聞き慣れない魔術だった。約式呪の一種だろうか。
イサが取り出した羊皮紙には、小さな魔術陣と契約の内容が共通語で記載されていた。ご丁寧なことに、この文章の内容に魔術的な嘘偽りが無いことを示す虚封呪印まで施されている。陣の中央に描かれた紋様は、どことなく羊膜に包まれた双子の赤子のようにも見えた。
「双子の契りは、浮城の秩序を守るための連帯責任制度です。二人一組で契りを結び、どちらか片方でも規則違反が認められた場合には、双方とも罰せられる呪いが掛けられています。なに、規則を守っていただけさえすれば全く無害なものですよ」
イサは烏羽ペンと葡萄色のインク壺を用意しながら片手間に答えた。
「規則の内容は私闘の禁止、機密情報の守秘、城内での幻術の禁止……他にも色々ありますが、おおよそ下界の社会規範と同一の内容です。これらの遵守事項が悪意を持って破られた場合、双子の契りによる制裁が下されます」
「制裁……具体的にはどんなものですか」
「体が焼け、最悪は死に至りますが、よほど重大な違反をしない限りは軽い火傷程度で済みます。下界でも、殺人は死刑になりますが、窃盗は懲役刑で済むでしょう?同じことです」
脛に傷持つ者でも簡単に受け入れてしまえるのは、この呪いのためらしい。
ルウは書類の文面に目を通すと、虚封呪印の作図に洩れがないかを確認してから署名した。キーロに羊皮紙が回って来たときには、インクの文字は吸い込まれたように消えていて、彼がどちらの名前で署名したのかは分からなかった。
ここに名前を書けば、新しい人生が始まる。沢山の人間を殺したルウにも、それを止めることができなかった自分にも。あのお伽話が本当なら、浮城は何百年ものあいだ絶対的な自治を続けている組織だ。国家の争いに不介入を貫く一方、下界からのあらゆる干渉を嫌う。加入すれば、おそらくこの先ずっと、あの惨劇の罪を問われることは無くなるだろう。しかし──。
「どうしました?」
書類を前にして一向にペンを取ろうとしないキーロに、首を傾げてイサが聞く。
「……名前なんて無い」
時間稼ぎのつもりでそう答えた。実際、キーロは自分が生まれたときに与えられた名前を覚えていない。物心ついた頃には月下美人の花名を割り当てられていたが、所詮それは芸名のようなものだ。
イサは鷹揚に頷くと、「そういうことでしたら」と再び羽ペンを差し出した。
「本名でなくても構いません。貴方が自分の名前であると認識している記号であれば、契約は成立しますので」
「…………」
ささやかな悪足掻きは簡単に封じられ、キーロは再び契約書と向き合わなければならなくなった。
こんな形で罪を逃れるのは、パーシェやルシアナに対する酷い裏切りだ。それは分かっている。しかし、それでも、ルウを引きずってザルドに戻る気にはなれなかった。
最初はルウを説得して、罪を償わせるつもりでいた。しかし、イサの「殺人は死刑になる」という言葉を聞いた途端、キーロは恐ろしくなったのだ。ルウが殺したのは一人や二人じゃ無い。犠牲者の人数で罪の重さが変わるなんて考えは間違っているのは分かっているが、このままザルドに戻れば、ルウを待ち受けている運命は断頭台の上で間違い無いだろう。
もしそうなったら、自分は……。
「キーロ?」
ルウの目を見ないように顔を背けると、キーロは射干玉の羽を乱雑に動かした。
葡萄色の文字が羊皮紙に吸い込まれ、魔術陣が淡い光を帯びる。薄青い光の向こうで、イサが笑うのが見えた。
「メザリアにようこそ、科学の国の子供たち。我々は新しい双子を歓迎致します」




