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死がふたりを結ぶまで  作者: 篠矢弓人
22/29

紫炎2


 今更のように吐き気がこみ上げる。目の前にいる化け物が自分の最愛の主人であるなんて信じたくなかった。

 しかし、嘔吐きかけたキーロの口元を覆った掌から伝わるのは、よく知ったルウの体温だ。


「吐くのは極力控えてくれ。最近の検死は細かくてな、胃の内容物を調べて、遺体の身元やその日の行動を追跡することが出来てしまう場合があるんだ。焼いてしまうとはいえ、不安要素は徹底的に潰したい」

「や、く……?」

「ああ、一緒に見に行こう。君は綺麗なものが好きだろう?きっと気に入る」


 ルウは嬉しそうに笑うと、ルシアナを抱えていたキーロの腕を丁寧に引き剥がす。怯えて逃げようとする体を片手でいなすと、キーロを横抱きにして立ち上がった。


 少し離れた場所に男の死体が転がっていた。血を失った顔は紙のように白かったが、軍人のような厳しい顔と口髭から、いつか肖像画で見たルウの父親だとわかる。一瞥もせず足で死体を転がして場所を空けると、ルウはポケットから取り出した紙を広げ、その上に猫魔の墓石を置いた。細工物に使うような薄い紙には、孔雀石を砕いたインクで魔術陣が描かれている。


 ルウはその中心に立つと、よく通る低い声で詠唱を始めた。

 

 冥府の門は閉ざされた

 極夜を這いずる者達よ 円環の淵を彷徨う魂よ 

 その身を業火に滾らせろ 夜半の野辺に葬列を成せ

 我は死人の王となりし者 怨嗟の炎を統べる者”


 魔術陣が緑青色に発光し、墓石の表面にヒビが入った。パラパラと剥がれた内側から、紫水晶が姿を現す。

 瞬間、部屋全体を包んでいた紫炎が激しく燃え上がった。炎は生き物のようにうねりながら、床に倒れた死体を次々に呑み込み、焼き尽くしていく。炎が完全に燃え移ると、焼け爛れた体から新たな炎──鬼火が滲み出る。蛹が羽化するように生まれたそれは、肉体を離れると、紫炎に追従するように旋回し始めた。


 部屋の中だけではない。扉の外から、窓から、床から、次々と浮かび上がった鬼火が炎の渦となり、ルウとキーロを覆う。

 あまりの光景に言葉を失っていたキーロの耳に、呻き声が届いた。生者のものではない。恐怖と怒りに満ちた死人の声だ。悲鳴、懇願、憎悪……そして、身を裂かれるような猫の唸り声。地鳴りのように響く悍しい声に、頭が割れそうだった。


 このまま聞いていたら気が触れてしまう。咄嗟に耳を塞ごうとしたキーロの背に、渦を巻く鬼火の一つが入り込んだ。


「ッ!……ぁ……」


 心臓に氷柱を突き立てられるような、冷たい痛みが走る。体を貫通した鬼火はキーロの首にかかっていたペンダントの革紐を焼き破ると、括り付けられた菫青石ごと吹き飛ばし、どこかへ消えていった。


「一人逃したか……まぁ良い。石はまた新しいものを用意しよう。あれがなくたって、私が君のものである事実に変わりはない」


 消えていった鬼火を追いすがるように伸ばした手は、ルウの長い指に絡め取られた。勢いを増す紫炎は魔術陣に沿って収縮したかと思うと、視界が黒く消し飛んだ。


 次に目を開けたとき、二人は月見草の咲く丘の上にいた。凍り付いた空には星が輝き、金色の満月はまるで夜空の目玉のようだ。丘の麓に視線を落とすと、紫炎に包まれる屋敷が見える。


 足元の白い花々が円を描くように折れていることから、ルウが転移魔術を使ったことは知れたが、ザルドの貧弱な霊脈では到底足りないはずの魔力をどこから補ったのかについては、脳が必死に思考を放棄していた。


 轟音と共に、屋根が炎に沈む。たった三年。されど、キーロの人生の中で最も自由で、幸せな時間を過ごした場所が消えていく。

 パーシェやルシアナと語らった、ユリの木が咲く中庭も。ルウと初めて出会った物置小屋も。ふたりで並んで眠ったベッドも。全部、焼け落ちていく。


 もう涙は出なかった。心の器が空っぽになってしまったかのように、痛みも悲しみも輪郭を持たない。ただ、頭の後ろのほうがズキズキと痛むだけ。


「やはり鬼火は火力も強くて綺麗だ。普通の人魂ではこうはいかない。この景色を、ずっと君に見せたいと思っていたんだ」


 キーロよりずっと長くあの屋敷で暮らしていたはずのルウは、清々しい表情で言った。地面に降ろしたキーロを後ろから抱え込み、右手に持った紫水晶を宙にかざす。

 紫水晶がとろりとした紫炎を帯びた途端、屋敷から少し離れた帝都の市街地の方角で火柱が立った。


「むこうも上手くいったらしい」


 体を強張らせるキーロを宥めるように、ルウは彼の髪を優しく梳いた。


「心配するな。先日闇市に卸していた魔術薬が発火しただけさ。消火するには時間がかかるだろう。その間に、屋敷に残った証拠は全て消える」

「…………なんで、こんなことしたんだ」


 掠れた声で問いかける。言いたいことも、訊きたいことも、沢山あった。けれど結局言葉に出来たのは、その一言だけだった。


 ほんの一日前まで、ルウはいつも通りだった。いや、今この瞬間でさえルウは普段通りだ。冷静で、少し理屈っぽいけれど、物静かで穏やかな青年。

 口煩いと言いながらも、使用人には優しかった。相容れないしながらも、両親や兄と上手くやれるようになっていた。殺す理由なんて無かったはずなのに。つい先程の光景が夢だったかのように思えてくる。


 しかし、ルウは目をぱちくりさせると、何を当たり前のことを、と言うように首を傾げた。


「何故って、君と浮城に行くために決まっているじゃないか」

「は……?」

「初めは何処でも良かった。独り静かに暮らせればそれで良いと、そう思っていた。けれど君が来てから、私は目指す終着点を変えたんだ」


 眼下の炎を瞳に映し、ルウは静かに語り始めた。


「幼い頃からずっと、あの監獄のような屋敷から逃げ出したいと思っていた。魔術の存在を知り、猫魔(キーロ)を鬼火にしてしまってからは、あの屋敷の人間と同じ空気を吸っているのも苦痛だった。けれど、普通のやり方ではそれが叶わない。全員殺しまえば良いのだと気が付いたのは、その頃だ」


 ルウが屋敷での生活を窮屈に思っていることは、キーロも解っていた。しかし、それほど長い間殺意を燻らせていたなんて、知る由も無かった。ルウの苛立ちが暴力によって発散されるとき、その矛先はいつだって彼自身に向けられていたはずだ。


「初期の計画は目も当てられないほど杜撰だった。よりによって君を死体の数合わせに使おうとしていたんだ。いくら背格好が似ている焼死体だからといって、大学の人間が身元の確認に来ればバレる可能性は高いし、君の焼印の痕も結局完治させられなかったのに」


 お笑い草だろう?と言うように、ルウは肩を竦めた。

 せっかく屋敷を抜け出せても、逃亡者の身では望む安寧からは程遠い。約三年の時間をかけて、ルウは自身に疑いが向かないよう計画をたてた。魔術の研究を重ねる傍ら、大学では法医学を学び最新の科学捜査の限界を知った。世の全てに刺を差し向けているような態度を改め、誰からも信頼される好青年を演じた。そして完成させたのが、使用人による一家惨殺のシナリオだ。


「死体が見つからないからといって、私に疑いが向くことはない。パーシェが兄を殺した時間帯に、私たちは外出していた。御者は殺してしまったが、宝飾商が私の顔を覚えているさ」


 この顔も役に立つことがあるものだな、とルウは冗談めかして言った。


「もちろん君についても手を打ってある。万が一にも燃え残ってしまわないように君の権利書は破り捨てたし、君を知る使用人は全員殺した。警衛隊の目にも触れさせなかった。君は存在しない人間になったんだ。居ない人間を探す手立てはない」


 低い笑いが、くすくすと鼓膜を揺らす。可笑しくて仕方ないというような様子で、男は念願の成就に酔っていた。

 そんなルウの周りには、死んだばかりの鬼火たちが漂っている。


「……みんな死んでしまった」

「あぁそうだ。邪魔なものは全部消した。私の足枷も君の懸念も全部纏めて無くなった──ほら、これなら君と二人で生きていける」


 それはいつか見た、雪どけのような微笑みだった。今この瞬間が、この上なく幸福なのだと錯覚しそうになるほどの。


「やっと煩くなくなった。君の声がよく聞こえる……あぁ、幸せだ」


 安堵の溜息とともに呟き、冷え切ったキーロの体を抱きしめた。返り血で固まった髪を掻き上げ、「そろそろ行こう。ずっとここにいては君が風邪を引いてしまう」と囁く。


 腕を引かれてもなお、キーロは炎上する屋敷から目を離すことが出来なかった。死にゆく様を目の当たりにしたというのに、今引き返せばまだ彼らを助けられるような妄想に囚われる。


 そんなキーロを見て何を思ったのか、ルウは薙ぎ倒された月見草の陣に紫水晶を差し向けた。


「君がどうしても不安だと言うのなら、私の足の一本でも切り落として屋敷に置いてくれば、」

「やめろ!」


 悲鳴のような声を上げて制止する。ルウの腕を抑えたキーロの手は、ガタガタと震えていた。


「やめてくれ……もう、血は見たくない……」

「……そうか。君がそう言うなら」


 その後の記憶は、靄がかかったかのように曖昧だ。

 朧げに覚えているのは、森の中に打ち捨てられた小屋。返り血を洗い流す指先と、肌が擦れ合わさる感触。埃っぽいシーツ。譫言のように耳元に流し込まれ続ける、死んだ猫と同じ名前。


 窓辺の月見草が紅く色付いていくのを、キーロはただ、濁った瞳で見つめていた。




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