糸、意図、いと2
キーロは長椅子から飛び起きると、部屋から飛び出した。音は下から聞こえたはずだ。誰もいない暗い廊下を、息を切らして駆ける。正面階段を降り、玄関ホールへと出たとき、キーロは床の上に何かが転がっているのを見つけた。
それは、人間だった。制服を着た警衛隊員二人が、折り重なるようにして倒れている。制服の胸部は赤黒く染まり、体は床に広がった血溜まりに半ば沈んでいた。
思わず口元を押さえたキーロだったが、そこで奇妙なことに気が付いた。
玄関が開いていないのだ。
蹴破られた形跡などもなく、内側から鍵がかけられている。下手人は玄関から侵入したわけではないのか。窓から侵入しようにも、今晩は何重にも戸締りをしていたはずだ。鎧戸を破ったのなら、誰かが音に気が付き騒ぎになっているはずだろう。
不意に、屋敷の中に全く物音がしないことに気が付いた。耳が痛くなるほどの静寂。まるで、この屋敷の中に誰もいないかのような……。
「ルウ……!」
弾かれたように走り出す。ルウが贈ってくれた菫青石を握り締め、どうか無事でいてくれと祈りながら。
一階奥の使用人部屋が並ぶ廊下は、惨憺たる有様だった。ある者は首から血を流しながら廊下に転がり、またある者は部屋から逃げ出すように這いつくばったままこと切れている。
眠っているところを襲われたのだろうか、鮮血に染まるベッドの上で動かなくなっている者もいた。生臭さと鉄臭さが入り混じった、どろりとした臭気が立ち込めている。
どうして、誰が、こんな……。
茫然と立ち尽くすキーロの耳に、微かな呻き声が届いた。声のする方へ視線を向ける。ぬるつく血の海の中、黒い仕着せ姿の老人が壁に寄りかかるようにして倒れていた。
「セシルさん!」
「ぁ……き、……」
駆け寄ったキーロに、セシルは焦点の合っていない目を向けた。腹部からは、だくだくと血が流れ出している。
何事かを口にしようとしたセシルは、ごぽり、とえずくように吐血した。内臓が傷付けられている。これではもう助からない。そう分かっていても、黙って見ていることなど出来なかった。
羽織っていた上着を脱いで傷口に当てようとしたとき、腹部の傷口が広い範囲に渡っていることにキーロは気がついた。
銃じゃない。この傷は、刃物で切られたものだ。ならば、先ほどの二発の銃声は一体どこで──?
「……ぇ、に……」
「喋っちゃ駄目だ!傷が……!」
「ぅ、え……」
「上?上にまだ誰かいるのか?」
問いかけに、セシルは僅かに首を振った。
「に……さ……」
逃げなさい。最後の力を振り絞ってそう告げたセシルは、キーロの腕の中で動かなくなった。
震える手で亡骸を横たえ、見開かれたままの目蓋を閉じる。気を抜けば折れてしまいそうな膝をなんとか立て直し、キーロは壁伝いに歩きだした。
一人で逃げるなんて出来るわけがない。ルウを探さなくては。
普段は使用人しか使わない、屋敷の主人の部屋への近道となる階段を目指す。その一段目に足をかけたとき、上の階から聞き覚えのある女性の悲鳴が聞こえた。
「ルシアナっ!」
まだ間に合う。助けられる。
走れ、走れ、走れ!
ともすれば怖気付きそうになる自分を叱責し、階段を一気に駆け上がる。上り切ると、そこは下階とは一変して炎に包まれていた。青紫色の炎が壁を焦がし、絨毯からは絶え間なく煙が立ち昇る。視界はすでに煙で霞んでしまっていた。
袖で鼻を覆って目を凝らす。やがて金の装飾が施された重厚な扉を見つけると、半ば体当たりするようにして部屋の中に転がり込んだ。
そこでキーロの目に映ったのは──
「ああ、キーロか。丁度良かった。ここが終わったら起こしに行こうと思っていたんだ」
──紫炎に照らされて艶然と微笑む、ルウの姿だった。




