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死がふたりを結ぶまで  作者: 篠矢弓人
18/29

浮城の夢2


 ルウの最終目的地はあの店ではなかったらしい。遠出する、と聞いていたので帝都から出るのだろうとは思っていたが、まさか汽車に乗るとは思わなかった。


 生まれた初めて乗った汽車は、想像していたよりも快適だった。馬車のように大きく揺れることがないので、乗っていて疲れにくい。面白いほどの速さで、景色が後ろへと流れていく。


 お前の爺さんは凄いもんを考えついたなぁとキーロが感心すると、ルウは不機嫌そうに蒸気機関のエネルギー効率の悪さを説いた。基本的にこの男は、科学が魔術に勝ることなど有り得ないと思っているのだ。


 車内販売で白樺ジュースと焼きたての詰め物パン(レヴァータ)を買う。卵とほうれん草が入ったものと、ひき肉と香味野菜が入ったものの二種類を選んで、二人で半分ずつ食べた。

 いつも口にしているものより安価なはずのそれが無性に美味しくて、キーロは落ち込んでいた気分が浮上するのを感じた。


「なんか、旅行?みたいで楽しいな」

「なんなら泊まっていくか?」

「だーめ。明日は午前中から大学あんだろ」

「君はときどき執事(セシル)より口うるさい」

「そりゃあセシルさんの大事な坊ちゃんをお預かりしてる身だからな」


 キーロが揶揄い混じりにそう言うと、ルウは「いつの間にそんなに仲良くなったんだ……」と嫌そうな顔をした。


 一時間半ほど汽車に揺られ、帝都から少し離れた田舎町に着いた。空には灰青の雲が低く流れていたが、まだ雪は降っていない。近場でまた馬車を拾い、ふたりは丘陵の道を進んだ。


 やがて辿り着いたのは、白樺の森に囲まれた小さな湖畔だった。碧色に澄んだ水面が、風で静かに波打っている。岸辺には一本の林檎の木が立っていて、艶のある真っ赤な実が重く枝をしならせていた。湖の碧と林檎の赤のコントラストは、つい最近思い出した光景によく似ている。


「もしかして、これを見せるために連れてきてくれたのか?」

「いや、林檎の木は全くの偶然だ」

「……さいで」


 一瞬期待してしまった自分が恥ずかしい。キーロは誤魔化すように林檎の実を捥ぐと、虫食いが無いかを確認してから、ひと口齧った。意外と甘い。

 しかし、これが目的ではないとすると、ルウは何をしにここへ来たのだろう。シャリシャリと林檎を喰みながら考えていたら、ルウに実の反対側を齧られた。


「こらこら、自分で持って食えよ。躾のなってない犬じゃないんだから」

「じゃあ君が躾けてくれ」

「お前が言うと何か別の意味に聞こえるな」

「……?」

「うそうそゴメン、兄ちゃんが悪かったからそんな純粋な目でこっちを見ないでくれ」


 ルウにこの手の話題は止めておこうと、キーロは自戒した。同世代の同性だからといって、パーシェと同じノリで話すのは良くない。過ぎた幻想であることは自覚しているが、出来ることなら、ルウにはそういう俗っぽいものに触れずに育ってほしかった。

 一方のルウはというと、兄か……と感慨深そうに呟いている。


「兄という続柄の人間と今まで数回しか顔を合わせたことが無いせいかもしれないが……その単語を聞くと、君の顔が一番に思い浮かぶよ」

「……そ、か」


 嬉しかった。とても。けれど、その感情を表に出して良いものなのかが判らず、キーロは曖昧に笑うしかなかった。どれほど近くにいようとも、自分はルウの本当の兄には成り得ない。自分の方がルウのことを理解しているのに。


 ……一体何に嫉妬しているのだろう、自分は。


 キーロは無意味な考えを振り払うように首を振った。もとより感情の起伏が激しい自覚はあるが、今日は普段以上にそれが顕著に感じられる。久しぶりに外に出たせいで疲れてしまったのだろうか。いつもの推理ゲームではないのだ。そろそろルウにここへ来た目的を聞いて、それだけ済ませて早く帰ろう。

 キーロがそう決めたときだった。湖の向こう側を見ていたルウが、滅多に聞かないような弾んだ声を上げたのは。


「来た」


 いつの間にか切れていた雲の隙間から、それは姿を現した。


 透明な水晶が突き出た巨大な岩。その上に築かれた街と、城砦と、天高く聳える物見の塔。

 流浪の魔術師たちが棲まう幻の城『メザリア』が、ゆっくりと空を渡っていく。それは、ルウにせがまれて何度も語ったおとぎ話が、そのままの形で現実世界に映し出されたような光景だった。


「良かった。年によっては時期がズレることもあると聞いていたが、今年は予定通りらしい」

「見に行きたいものがあるって、浮城のことだったのか……」

「君の話を聴いてから、ずっと実物を見たいと思っていたんだ。ザルドには年に一度しか巡ってこないようだし、市街地の上空は避けて通っているせいで、航路の特定に時間がかかった」


 冷たい草の上に並んで寝そべり、遥か遠くに浮かぶ天空の城を眺める。


「どうやって飛んでるんだ?あんなにでっかい岩……」

「それは私にも分からない。本体は水晶の大岩だとされているが、水晶自体に物を浮かせる力は無い。あるのは無効化の力だけだ」

「御伽噺の『どんな強大な力からも、この水晶が守ってくれます』って、もしかして武力の無効化のことを指してんのか?」

「おそらくは。浮いているのは、あの上にいる魔術師が水晶の魔力を浮力へと変換する術式を持っているからだろう。それにしても、ほとんど魔法のような話だが」


 青と灰雲が混在する空から、ひらひらと粉雪が降り始める。吐く息だけが、白く静かに昇っていった。


「私はあの上へ行きたいんだ」


 黒い革手袋をはめたルウの手が空を掴む。


「魔力が枯れ果てたこの国では、私は生きていけない。魔術に触れることが叶わなければ、何も創り上げることが出来ない。それはとても苦痛だ」

「……医者はいいのか?もう半年で研修医だろ」

「私は治療行為そのものが好きなのであって、傷病者を治すことに何の信念も持ちあわせていない。医者には不向きだ」


 そこで信念の有無を気にするところが妙に真面目なんだよなぁ、とキーロは内心微笑ましく思った。ただ金になるという理由だけで医者をやっている人間なんて、いくらでもいるだろうに。


「法医学系の配属だったじゃん。院まで進めば……なんだっけ、監察医?」

「監察医、法医学医、それらに関しても興味がない。知りたいことがあったから所属していただけだ。必要なことは全て学び終えた」

「家は」

「継がずに済む方法を考えてある」


 そんなこと出来るのか?とキーロは訝しんだが、ルウなら本当にやってしまいそうだと思い直す。長男ならまだしも、次男となればそれなりに融通が利くのかもしれない。


 この国で生きていくのなら相応の慣習に縛られなければならないが、出ていくとなれば話は別だ。どんな形であろうとも、キーロはルウが幸せな人生を送ってくれることを望んでいた。


「お前は何よりも魔術が好きだもんなぁ」

「生まれてくる国を間違えたと時折思う」

「ははっ、お前の場合、生まれてくる時代も間違ってそうだわ」

「話は変わるが、先日君を買った」

「いや急展開だな」


 キーロは思わずバネ人形のように跳ね起きた。

 買ったって何?どういうこと?と混乱しているキーロを横目にゆっくりと起き上がると、ルウは持ってきていた革の鞄を開いた。


「この国の奴隷は所有物として扱われるため、使用者が権利書を作る場合が多い。父が管理していた君の権利書を、先日ようやく買い取った」


 ルウが鞄から取り出した紙を、キーロは茫然と見つめた。そんなものがあることすら知らなかった。雑に扱われていたらしい角が折れたその紙には、ルウの父親の名前に失効印が押され、その上に流麗な筆致でルウの名が書き加えられている。

 紙の上部には、キーロの腰に残った焼印と同じ、車輪と菫の意匠を施した紋章が刻まれていた。


「煙草2カートン分だった。君の元値だ」


 『花』だった頃の十分の一にも満たない値だ。それが奴隷として高いのか安いのか、キーロにはよく分からなかったし、どうでもよかった。ただ、そんな端金で喜んでいた奴隷商の男を思い出し、滑稽だなと今更のように思うだけだ。そんなものをわざわざ買い取って、ルウはどうするつもりなのだろう。


「親父さん、よく許したな」


 キーロは未だに顔を合わせたことはないが、ルウの父親が自分の存在を良く思っていないことは知っている。大事な息子が得体の知れない奴隷に誑かされている、くらいには思っていそうなものだ。


「事前に継母から口添えして貰えるよう根回ししておいた。むしろそちらの方が骨が折れたが」

「怖い怖い何その不穏な発言」


 根回しって何だよ、という問いに答えは返ってこなかった。ルウの頭痛を堪えるような表情と地を這うような深い溜め息から、よほど苦戦したらしいことが窺えるだけだ。

 父親と同じく、継母とも表面上は上手くやっているようではあるが、普段のルウは些か極端に思えるほど彼女のことを話題に出したがらなかった。自分の預かり知れぬところでルウに負担を掛けてしまうのは、キーロとて本意ではない。


「そんなもの無くたって俺は……」

「私のものだ。分かっている。ただ単純に、私以外の人間が君の法的な所有権を持っているのが気に食わないから買った。それも、もう必要無いが」


 ルウは薄汚れた紙をビリビリに破ると、なんの躊躇いもなく手を離した。風に乗った紙切れは、陽の光を白く反射させながら青い空へと吸い込まれていく。


「これで君が奴隷だった証拠はこの世から全て消えた」

「えぇ……俺の身分証明になるものも無くなっちゃったんですけど……?」

「気にするな。近いうちに私の戸籍も無くなる。代わりに、君にはこれを」


 ルウは掌に収まるほどの小さな箱を取り出すと、その中に納められていたペンダントをキーロの首に掛けた。革紐の先端には、銀の針金で巻かれた未加工の鉱石が取り付けられていた。

 青みを帯びた紫色をしたその石は、日の光に翳すと、淡い金色へと姿を変える。


「菫青石だ。魔力資源としても使えるように未加工のものを選んだ。この石の意味は、解るな?」


 ずっと籠の鳥だったキーロも、菫青石を送る意味を理解できないほど無知ではない。

 鉄や石炭しか採れないザルドで、唯一採掘できる宝石。光学現象によりその色を紫や金に変化させる斜方晶。その性質から付けられた意味は『唯一無二』、あるいは『二魂一體』。

 この国では、生涯を伴にする人間に贈る石だ。


「私と一緒に生きてくれ」


 ああ、この男でもそんな顔をすることがあるのかと、キーロはどこか他人事のように思った。すこし緊張したような、窺うような。そんな堅い表情をしていてもルウは綺麗だ。


「……聞いているのか?君があまりにも周囲の人間の考えばかりに共感するから、正攻法に出ることにしたのに」


 ルウが唇を尖らせて言う。キーロが答えないせいで、聞いていなかったと思われたらしい。


「おおっと坊ちゃん、正攻法の意味をご存知?こういうのは俺にじゃなくて、好きな娘とかに」

「茶化して論点をすり替えようとするな。君の悪い癖だ。私の提案は、君にとって一考の価値すら無いのか?」


 そうではない。と、キーロは唇を噛んだ。ルウの考えを蔑ろにしたことなんて一度もない。ただ、おいそれと受け取ってしまうには、その石の価値があまりにも重すぎた。

 首に掛けられた菫青石を、キーロはぎゅっと握りしめた。


「……命令を」


 やっと口をついて出たのは、そんな言葉だった。


「命令をくれ。そうしたら、俺はお前といられるよ」


 ルウが自分と対等であろうとしてくれているのは分かっていた。キーロの権利書を破り捨てたことで、それを示してくれたのだろうと頭では理解していた。


 けれどキーロは、自分に菫青石を貰えるほどの価値があるとは思えなかった。どれだけ状況が変わろうとも、キーロはまだ、誰にも選んでもらえなかった十年を忘れられない。一緒にいたい。でも、対等な関係になることは怖い。一度手を伸ばしたら、自分が際限なく欲深い人間になってしまう予感があった。


 最初は出会えて幸運だと言ってくれただけで良かった。誰よりも身近な存在として友愛も感じていた。それなのに、次第にそれだけでは足りないと感じてしまう自分がいる。国も居場所も失くしたキーロには、もうルウしか残っていない。そしてそのルウが今、国と家族を手放そうとしているのだ。そんな状態で対等になってしまったら、キーロは自分と同じ状況をルウに望んでしまうだろう。他の何もかもを、魔術さえも捨てて、自分だけを頼りに生きてほしいと希ってしまう。


 ルウにとって魔術がどれほど大切であるかを知っているからこそ、そんな醜悪で身勝手な望みを知られたくなかった。ルウから魔術を取り上げてしまうくらいなら、用が済んだら捨てられる存在でいられる方がまだマシだ。


「頼む。俺を自由にしないでくれ」


 ルウは最初、どうしてキーロがそんなことを言うのか理解できないというように顔を顰めていたが、キーロが断固として首を縦に振らないことを悟ると、やがてため息と共に言った。


「……わかった。命令だ、この国を出て、私と一緒に浮城に来てくれ」

「うん、行くよ。お前が必要とする限り、ずっと一緒にいる」



◆ ◆ ◆



 そのあとは、傷付けてしまったであろう罪悪感から、ルウの顔を見ることは出来なかった。二人はただ、山の向こうへと遠のいていく浮城を黙って見送っていた。


 浮城に行くとは言っても、急には無理な話だろう。なにより家のことがある。継がずに済む方法を考えてあるとルウは言っていたが、父親もそう簡単に諦めるとは思えない。

 大したことは出来ないけれど、可能な限り協力しよう。それが自分に示すことができるせめてもの誠実さだ。帰りの馬車の中で、キーロはそう考えていた。


 しかし、屋敷に帰り着いた二人を待っていたのは、重苦しい雰囲気で広間に集まっている使用人たちだった。皆一様に黙り込み、年若いメイド達は身を寄せ合ってすすり泣いている。


「坊ちゃん……若様が、若様が……!」

「セシル?」


 ひどく憔悴した様子の年老いた執事が、よろよろと前へ出た。何事かを伝えようとした声は嗚咽に変わり、聞き取ることが出来ない。

 ルウは受け止めた執事の背を労わるようにさすると、そばに控えていたイゼドに声をかけた。


「何があった」

「体調を崩されて仕事をお休みになっていた若様が、お部屋から突然姿を消したのです…………大量の、血痕を残して」


 付け加えられた言葉に、キーロは息を呑んだ。使用人達には周知の事実だったようで驚きこそしなかったが、改めて告げられたことによって不安が増幅してしまったらしい。すすり泣く声が一層激しくなる。


 ルウは一瞬言葉を失ったが、すぐに冷静さを取り戻し、「帝都警衛隊に連絡は?」と問い掛けた。


「旦那様の指示で、先ほど早馬を向かわせました。それと……」


 イゼドは今までに見たことがない程苦しげな表情をすると、絞り出すように告げた。


「パーシェの姿が、どこにも見当たりません」


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