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死がふたりを結ぶまで  作者: 篠矢弓人
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浮城の夢1


 翌朝、動かそうとした腕のあまりの重さに、キーロはベッドから這い出ることを断念した。昨日の非人道的な実験(人道に悖るのはいつものことだが)のせいで身体が泥のようだ。無駄に吠えていたから喉も痛い。


 出かける。とルウが言うので、「行ってらっさい」と手を振ったら外套を投げ渡された。去年までルウが着ていたが、サイズが合わなくなったものだ。


「え、なに?」

「この気温だと雪が降るだろう。着ないと風邪を引くぞ」

「いや違う違う。出かけるって、俺も?」


 何かの聞き間違いではないかと訊ね返す。ルウは普段通りきっちりとネクタイを締めて振り向くと、当然だというようにうなずいた。


「見に行きたいものがあるんだ。少し遠出する」


 約三年ぶりに見る帝都の景色は、まるで別の場所のように様変わりしていた。たくさんの窓が均等に並んだ背の高い建物が増え、商店の数が目に見えて増えている。女性たちが身に纏っているドレスは、少し丈が短くなっていた。木の骨組みに車輪がついた奇妙な乗り物に乗っている紳士が、度々道を横切る。


「あの乗り物なに?」

「自転式二輪車。そうか、あれも君がうちに来た後の発明だったな」


 馬車の窓から景色を追うキーロを、ルウはニヤつきながら眺めていた。大方、約3年間も監禁されていた者が外に出た反応を面白がっているのだろう。つくづく悪趣味な男である。

 視線を手で払いつつ外を見ていたキーロはふと、街に子供の姿が多いことに気がついた。


「……浮浪児が増えてる」

「少し前に隣の小国で革命が起こったらしい。ザルドが介入して国ごと潰してしまったから、そこから流れてきた子供達だろう」


 このザルドという国は、常にどこかしらと戦争をしている。もともとは大陸の北端に首都を置く、ほんの小さな国だった。痩せた畑、魔力の宿らない風土、凍りついた港。飢えへの恐怖と魔術を有する周囲の列強の脅威に晒され、数少ない資源である鉄と石炭で武装したこの国は、いつしか魔術の穴を科学で塞ぐようになった。


 初めて隣国に勝ったその日から、帝国の政策は守備から攻めに転じた。豊かな土地と凍らない海を求め、武器を作り、鉄道を敷き、魔術と戦いながら南へ、南へ…………。

 雪に閉ざされたこの国は、ずっと春の陽を夢見ている。


「その国の姫が数年前にマイアン王国へ嫁いでいたから、牽制の機会を伺っていたのだろうな。革命はお誂え向きだったわけだ」

「だからって、侵略までする必要はないじゃないか。人もたくさん死ぬし、子供まで……」

「その件について、私は無責任に論じる権利を持たない」

「なんで」

「戦争で得た報酬で養育されてきたからだ」


 戦争はなにも兵士だけで行うものではない。戦うための物資を供給、運搬していたのはルウの祖父の代から続く鉄道会社だ。貴族でもない一介の商家があれほどまでの地位を確立出来たのは、それだけ戦争での功労を認められているからだろう。


 ルウの言い分はもっともであり、それは彼の家で飼われているキーロにも言えることだ。浅慮を恥じて口を噤んだキーロに、ルウは肩を竦めた。


「まあ、君には多少その権利はあるかも知れない。しばらく前から遡って、君の生活費は私が闇市で魔術薬を売って得た収入から出ている」

「うっそ……魔術薬って、そんなに高く売れるもんなの?」

「ザルドでは圧倒的に供給が追いついていないから、どれもそれなりの値段が付く。出費を差し引いても余裕で利益が出るほどにはな。ふふ、膝の上で丸くなっていた男に養われていた気分はどうだ?」

「めっちゃ居心地悪いわ」


 言い方はともかく、ルウなりに励まそうとしてくれたのだろう。主人の下手くそな気遣いが、キーロには愛おしかった。


 馬車は町の中心部から少し外れ、旧市街地の中を走る。やがて一軒の店の前で止まると、ルウは「すぐ戻るが、君はどうする?」と声をかけた。何故そんなことを聞かれたのかは明白だ。あと一本先の道を曲がると、『エルムの花小屋』がある。


「降りても……いいの?」

「私はこの店で受け取るものがあるから、その間なら。あまり遠くに行くなよ」


 店の前でルウと別れ、キーロは路の先へと進む。まさかもう一度、この目で花小屋を見ることが叶うとは思わなかった。万が一にも客の目に触れないように、わざわざ遠くの奴隷商に売られた身だ。本来ならもう二度と帝都の街を歩くこともなかっただろう。


 今更見に行ってどうしようというのか、それは自分でも分からない。それでも、キーロは何かに突き動かされるように足を動かしていた。


 最初に目に入ったのは、石造りの大きな階段だった。首が痛くなりそうなほど見上げた先に、やっと両開きの扉が見える。看板に刻まれた懐かしい文字に、キーロはため息をついた。小屋と呼ぶには大きく、劇場と呼ぶには少し小さい。キーロが故郷を出てから約十年を過ごした花小屋は、変わらずその場所にあった。


 二階の窓の奥を、何人かの子供達が横切る。艶のある金や滑らかな栗色、眩いばかりの銀色の髪をした子供達は、みな純白の布を身に纏っている。あの布がいかに薄く、軽い手触りであるかをキーロは知っていた。一枚の布を金のブローチで留めて、寒くとも我慢して着ていたのを覚えている。あれが自分たちの正装だったのだ。


 パタン、と窓が閉じる。あそこにはもう、自分の居場所は無い。

 そんなことはとっくの昔に、それこそ花崩れとなったその日に解っていたことだ。それなのに、実際に花小屋を目にすると、言いようのない寂寥が胸の内から湧き出でてくる。


 居場所だけではない。自分を知っている者も、あの場にほとんど残っていないだろう。三年の間に売られたか、キーロと同じように崩れたか。キーロの歌声を好きだと言ってくれたあの子も、兄様と離れたくないと縋り泣いていたあの子も、落札者の意向で自分が水揚げの代わりを務めたあの子も……みんな既に十五歳を超えているはずだ。


 妹たちはまだ生きているかもしれない。でも、弟たちの寿命はそれよりも短いだろう。

 花小屋を出る際に渡される百合の毒はちゃんと効いただろうか。銀のナイフは忘れず研いだだろうか。

 苦しむことなく、逝けただろうか。


 売られていった弟妹達が命を散らしているというのに、お払い箱だった自分がまだ息をしていることが、とても罪深いことに感じた。ルウと出会って、『花』の子供達が強制的に背負わされている不条理を理解してしまった今では尚更だ。あれを当たり前のように祝福だと認識していた自分が、ひどく遠い。


 ああそうか。自分はもう、エルム人ですらないのか。居場所も、帰る国も、失ってしまった。


 自分の中の何かが、音を立てて崩壊していくのを感じた。ルウに『花も奴隷と同じだ』と指摘されたときと似ているが、それよりももっと漠とした心細い感覚だった。まるで、誰もいない暗い路を独りで歩いて行かなければならないような。それがこの先ずっと続くのだと、悟ってしまったかのような。


 どれくらいそこに立ち尽くしていただろう。後ろから手を引っ張られて振り返ると、ルウが怪訝そうな表情でこちらを見ていた。


「なかなか帰ってこないから心配した」

「……かえ、る?」

「どうした。この数分で自分の主人を忘れたのか?」


 ルウの嫌味っぽい笑みを見て、ようやく現実に引き戻される気がした。

 そうだ。今の自分の居場所はルウの隣なんだ。育った家や家族、故郷を失ったって、自分にはルウがいる。

 ──でも、ルウを失ってしまったら?


「キーロ?」


 様子がおかしいことに気がついたのか、ルウが心配そうに覗き込んでくる。キーロは負の思考に囚われていた頭を振って、なんでもないと笑い返した。


 掴まれていた手を握り返す。この手が離れてしまうことが、何よりも一番怖かった。



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